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第十一章 雪の夜に燃える灯
Morning After Snow
しおりを挟む朝。
カーテンの隙間から、冬の淡い光が差し込んでいた。
一瞬、ここがどこなのかわからなくなる。
柔らかな重みと、微かな温もり。
目を開けると、腕の中にセレスがいた。
「……っ!」
慌てて起き上がりかけた拍子に、彼女の髪が頬をかすめた。
ほのかに香る石鹸の匂いは自分の嗅ぎなれた家のもののはずなのに、彼女の髪から香るだけでどこか甘さが混ざっている気がした。
夜の雨の気配はもうなく、代わりに光が部屋を包んでいた。
静かで、神聖で、どこか現実感が薄い朝。
眠る彼女の横顔は、信じられないくらい穏やかだった。
健康的に赤く色付いた頬に、伏せられた長いまつげ。
柔らかく引き結ばれた唇の柔らかさは、嫌というほど知っている。
頬にかかる髪の毛をそっと払う。
キラキラ輝くストロベリーブロンドの髪は、すっかり元の長さに戻っていた。
どこからどうみても、眠る姿は一人の、彼が愛した女性だった。
穏やかに、自分の隣で安心して眠る姿が愛おしい。
昨夜あれほど震えていた人とは思えない。
その寝息のリズムに、自分の心臓までゆっくりと整っていく気がした。
(……やばい。これは、幸せすぎる)
胸の奥がどうしようもなく熱くなって、頬を覆う。
父さん、こんな朝を毎日迎えてたんですか……。
なんか、すごいなあ。
だが――思い返す。
彼女が逃げてきた夜を。
王家の婚約、軟禁、そして父王の決断。
のんきに照れている場合ではない。
(まずは……飯、だな)
腹が減っては守れないしいい考えも浮かばない。
そう呟いて、キッチンに向かった。
気が付けば、苦手だったはずの朝がもう怖くない。
“誰かのために起きる朝”は、こんなにも軽い。
二人分のつもりが、気が付けばテーブルいっぱい。
焼きたてのパン、野菜のスープ、卵料理に果物。
色とりどりのサラダは盛り付けにもこだわった。
喜ぶ顔を想像していたら、気が付いたら止まらなくなっていた。
「つい、やりすぎたな……」と苦笑した瞬間、チャイムが鳴った。
「誰だ……?」
玄関の方を見る。
セレスは寝ている。
母たちは“名前のない家”にいる。
なら、客しかない。
ドアを開けた瞬間、息を飲む。
凍るような朝の空気とともに、見慣れぬ気品が流れ込んできた。
「おはようございます。ナーバ卿のご子息でいらっしゃいますね」
先に声をかけたのは、青髪の青年。柔らかな笑みを浮かべている。
その後ろで、彼より少し年上の、端整な淡い金髪の青年が立っていた。
「おはよー、ナーバ公爵子息殿。
久しぶりだね。セレスの軟禁事件以来かな?
第一王子イリアス・エル・ランス・リアギスです。
こちら、弟のアリオン」
「初めまして。突然の訪問をお許しください」
ミスティアスの脳内で、鐘が鳴る。
(……王子二人……? え、なんで俺んちに……?)
とりあえず姿勢を正し、愛想笑いを浮かべた。
「よ、ようこそ……ナーバ邸へ。寒い中ありがとうございます。
どうぞ、あの……中へ……」
二人を応接室に通すと、ミスティアスは内心で叫んだ。
(……なんで俺んちに王子三人揃うんだよ!!)
慌てて紅茶を淹れ、
「ついでに朝食作ったんですけど……食べます?」と差し出す。
イリアスが香りを嗅いで、目を丸くした。
「……これは……いい香りだ」
一口食べて、思わず笑みを浮かべる。
「なにこれうま! 宮廷料理人になる気は? 君」
アリオンが呆れたように兄を見やり、
「兄上、ちゃんと話を……」と小声で諫める。
その懐かしい空気の似方が可笑しくて、胸の奥が少しだけ温かくなった。
ほんの一瞬の緊張の隙間。
そのタイミングで、足音が聞こえた。
振り向くと、廊下の奥からセレスが現れた。
まだ少し寝ぼけた様子で、だが瞳だけは真っすぐだった。
イリアスが彼女を見るなり、柔らかく微笑んだ。
「おお、やっぱりナーバ公爵子息と一緒だったんだね……我が妹よ!!」
その言葉に、部屋の空気が一瞬止まる。
アリオンが驚いて振り向いた。
「え、ちょっ……兄上、妹”とは、どういう……?」
イリアスが片眉を上げる。
「どういうも何も、セレスタンは――」
「――待って兄上!」アリオンが思わず遮った。
真剣な顔で続ける。
「つまり、ミスティアス殿と……“そういう関係”という意味では……?」
「……………………」
場が一瞬凍りついた。
ミスティアスが盛大にむせ、セレスが顔を真っ赤にする。
イリアスがこめかみを押さえてため息をついた。
「お前……まさかここまで来てまだ気付いてなかったのか」
「え……?」
「お前、妹の顔を何年見てなかったんだ」
アリオンはぽかんと口を開け、セレスを見た。
上から下へ。
彼女が羽織っているのは大きめの黒いシャツ。
袖が余り、肩の線が合わずに服に着られている印象から、ミスティアスのものを借りているのだろう。
だが、隠しきれていない体の柔らかさ。
胸元は柔らかな曲線を描き、腰は細くくびれている。
少しの沈黙。
そして――
「……妹? って、妹!? 女の子!? ほんとに!?」
「はい」セレスが苦笑混じりに頷く。
「ごめんなさい、ずっと黙っていて」
「いや……いや、うそだろ……禁断の愛とかじゃ……ないのか……?」
「どんな想像してたんだお前は!」
イリアスが即座にツッコミを入れる。兄弟のそんなやり取りに、セレスが思わず笑い声を漏らす。
イリアスが肩をすくめて笑う。
「まったく、悪いねナーバ公爵子息。
彼は真面目すぎて空回るところがあるんだ。だがそこも魅力だ」
アリオンが真っ赤な顔で俯きながら、
「だ、だって“王子を庇って家に匿う”って言うから、てっきり……!」
「庇うも何も、あれは逃避行じゃないです。普通の避難です」
ミスティアスの冷静な訂正に、イリアスが噴き出しそうになりながら喉を鳴らした。
セレスが小さく笑いながら口を開く。
「……でも、今こうして笑えてよかった」
「君の笑顔を見られただけで充分だよ」
イリアスが穏やかに頷くと、アリオンも少し照れくさそうに笑った。
「王妃殿下のやり方は褒められたものではない。
人一人の人生を己の保身のために犠牲にしている。
だが、その原因は俺たちの母親にもあるのだろうな」
兄の言葉に、弟も即座に頷く。
「ああ、彼女一人を責めることはできない。
だけど、君を苦しめたのは確かに、その歪みに気が付かなかった俺たちの責任だ」
イリアスが言葉を続ける。
「だから、もう“王子”でいなくていい。
俺たちは君を、妹として守る」
アリオンが兄の言葉を引き継ぐ。
「勘違いしないでくださいね、セレスタン。
君は王子としても立派な、民を想う、温かい心を持った王の子だよ。
その功績は決して無くならない。
行いは、性別で変わるものではないからね」
その言葉に、セレスの瞳が小さく揺れた。
ミスティアスが黙って彼女の肩に手を添える。
そっと、半歩セレスはミスティアスに体を寄せた。
二人の間に流れる空気は、明らかに友人のものではなく――……
アリオンは真剣な目で二人を見つめ、
「……なるほど。つまり、今は“妹”を守るために共にいる、というわけですね」
「いや、どうみても恋人同士だよね?」
「はい」
ミスティアスが答えると、イリアスがニヤリと笑った。
セレスはミスティアスがはっきりと言い切ってくれたことに、嬉しさが隠せない表情で照れ臭そうに笑う。
「いくら恋人同士と言っても、くれぐれも手を出すとか、早まった真似は……って、もう遅かったりする?」
「「してません!!」」
二人が同時に声を上げる。
アリオンが慌てて兄の腕を引いた。
「兄上、からかうのはやめてください!」
「いやいや、冗談冗談。
……でも、妹を守ってくれてありがとう。
自慢じゃないけど、俺なら、とっくに手を出してるからな」
「兄上!!」
アリオンが慌てて兄を抑える。
ミスティアスが真っ赤な顔で俯き、セレスが口元を押さえて笑いを堪える。
(……家族、なんだな)
ミスティアスはその光景を見ながら、胸の奥であたたかいものが灯るのを感じていた。
雪解けの光が差し込む部屋に、照れ臭くもやわらかな空気が流れた。
王子たちの怒涛の訪問がひと段落し、やっとのことで朝食にありつけたと思ったが、その時間は長くは続かなかった。
本日二度目のチャイムが鳴り響いた。
「……また王族とかじゃないだろうな」
ぼやきながら扉を開けると、そこに立っていたのは――
「ミスティアス!」
リシェリアとフィリア。
「……お父様もお母様もすっごく心配してたのよ。
急に誰にも言わずに出て行ったきり、夜通し帰ってこないし!
お父様はきっとセレス殿下が一緒にいるんじゃないかなって言ってましたわ。
何か帰れない事情があって困ったりしていないかと心配していたのに……!」
「え、あの、それは――」
ミスティアスが言い訳を探して口を開くより早く、背後からセレスがひょこっと顔を出した。
長めの黒いシャツ。袖をまくり、腰にベルトを締めている。
ひざまでの丈がスカートみたいに見えて――
一瞬、空気が止まった。
リシェリアは瞬時に何があったのかを想像し、そして羞恥に頬を染めながら怒った。
「…………あなたって子は……!」
セレスの隠し切れない体の線から、フィリアは性別を正しく理解する。
「あれ?セレス王子って男の人じゃなかったんだね!
ミスくん、それでもよかったの?」
「よ、よかったって何が!?!?」
ミスティアスは完全に混乱しつつ、それでも何とか言葉を絞り出した。
「あははっ……! “それでも”って何よ、フィリア」
「えー、だって、ミスくん男の子がいいんでしょ?」
「いや、だから前提がいつの間にかおかしいだろ!!」
三人のやり取りに、大きなため息をつきながら、リシェリアは痛む頭を押さえる。
「もう……服を貸すわ。
その格好で帰ったらお母様が倒れるわよ」
「でも似合ってたけどねー」
「フィリア!!」
「……ありがとう」
姉妹の賑やかなやり取りに、セレスがふわりと笑ってお礼を伝えた。
少しして。
借りた服に着替えたセレスが部屋から出てくる。
白いブラウスに淡いグレーのスカート。
髪はリシェリアの手でゆるく結ばれ、頬にはまだ火の光の名残。
ミスティアスは息を呑んだ。
勝手に足が動いていて――
気づいたら、彼女を抱き寄せていた。
「……!」
セレスが驚いて息を飲む。
「あなたねぇっ!!!」
「ミスくん大胆っ!!」
リシェリアとフィリアの声が同時に飛んできて、はっと我に返ったミスティアスが慌てて離れた。
「ち、違う! 今のはその……!」
「言い訳禁止! ミス帰るわよ!」
「ミスくん顔真っ赤だよ~!」
「……こうして叱られるの、なんだか懐かしいわ」
しみじみというセレスに、ミスティアスは苦い顔をした。
「……いや、懐かしがらなくていい」
外は、雪がやんで光が射し始めていた。
四人の笑い声が、冬の朝の空気に溶けていく。
ナーバ邸からの帰り道。
冬の光はやわらかく、雪解けの雫が屋根からぽたりぽたりと落ちていた。
「ねぇねぇ、セレス王子って、王子って呼ぶべきなのかな?
それとも王女がいいのかな?」
「ふふ。……可能なら、セレス、がいいかな」
照れ臭そうに、セレスが答える。
どこからどうみてもその姿は女にしか見えない。
「わ! 王族に呼び捨てしていいの!?
あ、呼び捨てがアリなら、この際セレスちゃんとかはどうかなー?」
「わたし、セレスちゃんに一票入れますわ」
セレスはフィリアに腕を引かれ、リシェリアと並んで談笑している。
その笑顔を横目に見ながら、ミスティアスは胸の奥のざわめきを少しずつ鎮めていた。
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