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第十二章 雪灯りの戴冠
Snowlight Coronation
しおりを挟むsideミスティアス
白い光が玉座の間を満たしていた。
天窓から差す冬の陽が、雪の反射でいっそう眩しい。
静寂の中、扉がゆっくりと開く。
衛兵の槍が床を叩く音。
それを合図に、一人の影が進み出た。
深い紫のマントを羽織り、背筋を伸ばして歩く姿。
その足取りは落ち着いていて、恐れも迷いもなかった。
王が、息を止めて見つめる。
「――これが……我が子、セレスタンか」
彼女は王の玉座の前で立ち止まり、静かに膝を折った。
「お父様」
雪を吸ったように柔らかな声。
そして、ゆっくりと立ち上がる。
マントの留め具が外される音が、玉座の間に響いた。
布が床を滑り落ちる。
張りつめた沈黙が、場を包む。
ふわりと布が広がり、紫のドレスが陽光を受けて現れる。
(ストロベリーブロンドの髪にこの紫が、こんなにも映えるのか)
(兄王子たちが選んだドレスは、たしかに“王女”の装いだ)
ミスティアスはその美しさに、ただ黙って見入っていた。
光を纏うような淡いグラデーション。
金糸の刺繍が雪の輝きを写して、
ひとつ息を飲むたびに、場の空気が変わっていった。
――たしかにそこにいたのは、“王女”だった。
王は目を見開いたまま動けずにいた。
その姿を、何度夢で見たことか――
だが、夢の中では決して“この姿”ではなかった。
「……本当に、セレスタンなのか」
声は掠れ、言葉を出すたびに喉が痛んだ。
セレスは小さく頷き、静かに答える。
「はい。お父様。
今まで、黙っていてごめんなさい」
「……謝るのは私の方だ」
王がゆっくりと立ち上がった。
「私は、お前を王子としてしか見ていなかった。
“この子を守るため”と言いながら、
その心を、ずっと閉じ込めていたのだな」
セレスのアメジストの瞳がわずかに揺れる。
王の言葉は、冬の冷気よりも静かで、それでも確かに彼女の胸に沁みていった。
「すまなかった……。
私は、お前にとって何よりの枷であった」
セレスはそっと微笑んだ。
「いいえ。お父様がいてくださったから、
私は今こうして立てています」
その一言に、王は肩の力を抜いた。
王の間には、言葉にできない静寂が満ちていた。
その静けさを破ったのは、王妃の声だった。
「そんなはずはありません、陛下! この子は――」
王は静かに、だがはっきりと遮った。
「もう、よい」
声の響きが広間の空気を変える。
王はゆっくりと娘の前に歩み出て、一歩、また一歩、階段を降りる。
「……知らなかった。
だが、知ろうともしなかった――
それが、父としての私の罪だ」
その声は穏やかだった。
静かに雪が落ちるような響きで、それでいて胸の奥を刺すような痛みがあった。
「王の義務に目を奪われ、家族を“象徴”としてしか見てこなかった。
“王子”という名に安堵し、
本当のこの子の姿を、確かめようともしなかったのだ」
沈黙の中、王の手が拳に変わる。
「思えば、シェイ様――シェイフィル・ラファリス・ナーバが言っていた。
“人は、虚像を信じてしまう生き物です。
でも、その虚像を壊す勇気を持てるかどうかで、
本物の愛が決まるんですよ”と。
……今ようやく、その意味に追いついた」
王は娘を見つめ、ゆっくりと息を吐く。
「私は、虚像を壊す勇気を持たなかった。
だが、お前がそれを壊してくれた。
――ありがとう、セレスタン」
セレスが小さく首を振る。
「違います。お父様。
私が勇気を持てたのは……“愛してくれた”からです」
一瞬、王の目が揺らいだ。
玉座の後ろの窓から、雪が一筋、光を受けて落ちていく。
「……そうか。ならば、私は誇ろう。
この国に、生きる勇気を教えてくれた娘を」
王の言葉のあと、沈黙が落ちた。
王妃がふっと笑う。
それは泣き笑いのようで、少しだけ痛々しい。
「……あなたは、優しいのね。
でもね、私は十五年、待ったの。
やっと授かった子が“王女”だなんて、耐えられなかった」
玉座の間の空気が、わずかに凍る。
「負けたくなかったの。
私を笑った貴族たちにも、側室の女にも。
“王妃には王子を産めない”――そう言われてきたあの言葉が、あなたを抱くたびに胸の奥で蘇った。
だから……気づいたら、私はあなたを“王子”と呼んでいた。
引き返せなくなるまで」
王妃の瞳が揺れる。
「……ごめんなさい、セレスタン。
いいえ……セレス。
あなたを守るつもりが、いちばん傷つけていたのを、私は見て見ぬふりをしました」
セレスが一歩、近づく。
静かに首を振る。
「お母様。
私は、愛されていないとは思っていません」
王妃が顔を上げる。
その目に涙が光る。
ミスティアスはそっと目を伏せた。
(俺が守りたいのは、この人の、この強さだ)
「あなたの言葉が聞けて、嬉しい。
けれど今は、私を赦さなくていいの。
私が赦すのに、もう少し時間がかかるから」
セレスが小さく頷く。
――冬の端が、静かにほどけていく。
王妃が口元を押さえ、目に光るものを湛える。
王は無言のまま、その姿を見つめていた。
そんな厳粛な空気のなか、背後から控えめに聞こえてくる声。
「ほら見ろ、僕の見立てに間違いはなかっただろう」
「いや、ドレス選んだの俺だから。センス完璧すぎて怖いな」
(……後ろがうるさい)
イリアスとアリオンの小声のやりとりに、場の一部がかすかにざわつく。
しかし、王妃が涙を拭う仕草で、そのざわめきはすぐに静まった。
王が、ゆっくりと声を発した。
「……美しいな。
これほど見事に“春”を連れてくる娘がいたとは」
セレスは微笑み、静かに首を垂れた。
「ありがとうございます。お父様」
セレスの美しい笑顔に、ミスティアスはようやく息を深く吐いた。
彼女が彼女として、ありのままの姿で生きることが、許されたのだ。
(これで、何もかも終わったわけじゃない。だが――)
(彼女の未来を、俺はもう、見ている)
窓の外で、雪が光を弾いた。
そのひとひらが、春の風に溶けて消える。
――その瞬間、確かに“冬が終わった”と感じた。
王が再び口を開いた。
「……さて、第一王女が誕生したのはよいが、外へはどう伝えるべきか」
王の思案する声と共に、静寂が落ちる。
その空気を破ったのは、イリアスの軽やかな声だった。
「さて――父上。
実は、その“整合”については、もう手を打ってあります」
「……なんだと?」
アリオンが小さく咳払いしながら、胸を張る。
「帝国の協力を取り付けました。
我が妻シトリン、そして彼女の兄であり帝国の皇太子ルビィ殿下。
さらに皇女エルミナ殿下が、セレスタン王子留学の件と“新たな同盟確認”のため、まもなくこちらに到着されます」
イリアスがドヤ顔で頷く。
「どうです? 俺たち、仕事早いでしょう?」
ミスティアスが心の中で(……まるで父さんを見ているようだ)と呟く。
王妃が呆れたようにため息を漏らす一方、王は小さく笑った。
「まったく……お前たちはいつも私より先に動く」
「でも、結果的に助かるでしょう?」
「……そうだな」
ちょうどその時、扉口で侍従が声を上げる。
「ファリースリー帝国皇太子殿下、並びに皇女殿下、第二王子妃殿下――ご到着です!」
扉が開く。
朝の光の中に立つ三人の姿。
ルビィの紅の瞳、エルの金色の瞳、そして同じく金の目を持った、淡い微笑みを浮かべるシトリン。
王が一歩前に進む。
「……よくぞお越しくださいました」
エルが柔らかく会釈しながら言う。
「王女のお披露目に立ち会えるなんて光栄です。
そして、お話頂いておりました“セレスタン王子”の留学の件――無事、整いました」
ルビィが短く頷く。
「もとより、帝国では、双子として“記録されて”います。
セレスタン殿下は留学中。
王女殿下は、王家の象徴としてこちらに留まる。
――それで、双方の秩序は保たれるはずです」
イリアスとアリオンが後ろで満足げに頷いている。
「ね、言った通りでしょ」
「兄上、ドヤ顔が過ぎます」
「仕方ないだろ、完璧だったんだから」
(……やっぱり後ろが絶好調だ)
ルビィの紅の瞳が、隣のシトリンに向けられる。
「……こうして顔を合わせるのは、初めてだな」
シトリンは小さく頷き、微笑んだ。
「はい。兄上。
でも、不思議ですね。
血よりも、似ている気がします」
「……そうか。
俺も、そう思った」
短い会話だったが、二人の間に流れる静けさは、帝国の長い影を映していた。
エルがそれを見て、ふっと笑う。
「お二人とも似てますよ。
目が――優しいところが」
イリアスが手を叩いた。
「よし、それじゃ“準備は整った”ということで!」
「もう少し落ち着いてください、兄上……」
王はそんな光景を見ながら微笑む。
「……よかろう。
帝国との合意のもと、これを正式とする。
――さて、セレスタン。お前が望む名は?」
セレスがゆっくりと顔を上げた。
その瞳の奥には、迷いではなく、ひとつの決意が宿っていた。
少しだけ振り返る。
後ろには、彼女を見守り続けた青年――ミスティアス・ディアンヌ・ナーバ。
彼女は微笑んで、小さく囁いた。
「ねぇ、あなたの名前……少し分けて?」
ミスティアスは目を瞬かせ、そして頬を赤らめた。
「え……俺の?」
セレスはこくんと頷く。
「“ミスティアス”の響き、好きなの。
まるで霧が晴れて、光が差すみたい。
私もそんな名前で、生きていきたい」
ミスティアスが少しだけ照れくさそうに笑う。
「……光に向かって進む君に、似合うと思うよ」
「ありがとう」
その時浮かべたセレスの微笑みに、ミスティアスが息を飲む。
「……”セレスティア”」と、そっと言葉を置いてから微笑む。
「お父様、セレスティアでお願い致します」
そのやり取りを見て、王が柔らかく頷いた。
「では――この国の記録に、こう記そう。
ここに第一王女の名を記し、セレスティア・エル・ランス・リアギスと定む」
その瞬間、冬の光が玉座の間を包んだ。
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