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第十四章 誓いの空の下で
The Room Where Time Moves Again
しおりを挟む扉が閉まる。
腰の剣は、さきほど廊下の壁掛けへ戻した。
今夜は、相棒にも休んでもらう。
部屋の呼吸が、またゆっくりになる。
二人、寝室のベッドに座ると、ベッドランプを最低に落とした。
ほのかに琥珀色の輪郭だけが浮かぶ。
セレスが肩に額を預ける。
髪の香りが、今日の疲れを撫でてゆく。
「ねえ、ミス」
「ん」
「あなたの“お父さん”の話、もっと聞かせて」
少しだけ、喉が鳴った。
俺は視線を天井へ上げ、言葉を選ぶ。
「俺……シェイ様に憧れてると思われがちだけど、――憧れてるのは“シェイ様じゃない父さん”なんだ」
セレスがゆっくりと顔を上げ、目を細める。
「母さんに弱く、よく怒られ、全力で子どもと遊ぶ。
格好つけなのに恋は不器用――それでも、まっすぐ笑う父さんが好きだ」
言い切ると、胸の奥の硬い石が一つ、ふっとほどけた。
セレスは微笑んで、俺の手を握る。
「うん。……知ってた」
「え」
「あなたが“ミスティアス”でよかったって、今、強く思ってる」
手の体温が、ゆっくり混ざる。
ミスティアスはふと、セレスの左手の薬指に視線を落とす。
そこには、先日彼が贈ったアメジストのペアリングが、ベッドランプの光を静かに反射していた。
彼はその指輪にそっと親指を這わせる。
「着けてくれているんだ?」
「当たり前。これは、私たちだけの静かな約束だから」
ミスティアスはゆっくりと、セレスティアの左手に自分の指を絡め、手のひらをしっかりと握りしめる。
指輪同士がカチリ、と微かに触れ合った。
それは、魔力でも、言葉でもない、物質が交わした揺るぎない「現実」の音。
言い訳のいらないキスをひとつ、短く交わしただけで、部屋の夜の色が柔らかくなった。
それは魔力の揺らぎではない、ただの体温の交換だった。
その静けさが、かえって境界を破る直前の緊張を生む。
「……なあ、セレス」
至近距離で見つめ合いながら紡がれる、ミスティアスの、少し掠れ気味の声。
「なぁに……?」
答えるセレスの声も、いつもよりも少し高く甘い響きを孕んでいた。
「……前に、愛される覚悟だけしておいてって……。
結婚まで待つつもりだったからかっこつけて言ったんだけど、……前言撤回させてください」
言いながら、ミスティアスの顔が耳まで赤く染まる。
「あ、でも、本当に嫌なら、言って。
そこは絶対に無視したくない」
真っ直ぐに見つめてくる彼に、セレスも真正面から言葉を返す。
「うん……。
ミスティアスになら、いいよ」
許可を与えるように、ミスティアスの背中に腕を回す。
「……でも、怖い。
本当に、女みたいで……。
……私、変じゃないかな」
「君はずっと女だよ。どこも変じゃない。
……好きだよ、セレス。
優しくする」
その言葉とともに、魔力が溢れ、混ざっていく。
抑えきれない、生きてる証の熱。
セレスの髪が赤みを増し、揺れるランプの灯りに輝いた。
黒と青と赤が、春のぬるさで溶け合い、二人の境界を曖昧にする。
触れた指先から、体温が魔力と一緒に混ざり合い、熱を帯びる。
彼女が少しでも辛くないように、慎重に。
愛しさに導かれて、手の行き先を決める。
言葉はもういらない。
短い口づけを重ねながら、溢れる魔力と愛しさごと、彼女を抱きしめた。
静かに、夜が深まっていった。
風の音だけが残る。
熱が落ち着いて、静かな呼吸の中に夜が戻ってきた。
「……大丈夫?
その……身体とか、痛くない……?」
彼女を腕枕で緩く抱きしめ、反対の手で髪の毛を梳く。
落ち着くことで冷静になると、なんかすごいことをしてしまったのでは、と恥ずかしくなる。
それと同時に、色々と無理をさせてしまったのではないかと不安になった。
「……うん。少しだけ」
「ごめん……」
「なんで謝るの。
……あなたに抱きしめられて、嬉しかった。
女に生まれて良かったって、心から思えたの」
セレスがミスティアスの胸に頭を寄せる。
肌に柔らかい吐息が落ちて、少しくすぐったい。
「俺は男でも女でも、君が君ならどっちでもいい」
「……やっぱりフィリアが言う通り、”ミスくんは男の子が好き”なの?」
「おいっ!
……正直に言うよ、かっこつけました。
柔らかくて抱き心地のいい女の子が好きです」
抱きしめる腕を少しだけ強め、自分の方に引き寄せる。
「何人も泣かせていたものね」
セレスがいたずらっぽい笑みを浮かべて追撃してくる。
泣かせていたのは事実なので、彼は少しだけ返事に詰まった。
「……セレスに見られた、あれが最後だよ。
あれきり告白されても誰とも付き合っていない」
「そうなんだ……意外」
「そうか?
……まぁ、今思えば、でっかい秘密抱えた、いきなりキスしてくるお姫様が傍にいたら、そっちが気になって他を見る余裕はないよな」
「”魔力交換”、キスって認めちゃうんだ?」
「……キスだよな」
「……キスだったね」
目を見合わせて、くすりと笑う。
そのまま、軽く唇を合わせる。
魔力を交換しなくても、二人の体温は同じだった。
……夜明けが近い。
ふと、窓の外を見上げると、東から淡く白み始めているのに気づいた。
夜明け前の空に、星が一つ、かすかに光った。
「……父さん。
俺、この部屋を引き継いだ。
——大切にする。
父さんと母さんみたいに、笑って暮らすために」
セレスが隣でくすくすと笑う。
「お父さん、喜んでる? それとも恥ずかしがっているかしら」
「うん。たぶん顔を赤くして目を逸らしながら、よかったですねって言っているな」
「ふふ。見られているみたいで恥ずかしいね」
「さすがに父さんもそこは気を使ってくれるさ。
これが、俺たちの“始まり”だ」
セレスはすでに眠りの手前で、声が夢の現実の間のような、ふわふわしたものになっていた。
灯りを消す。
闇は黒ではなく、深い群青に近かった。
その奥で、たしかに“家の心臓”の鼓動が、ゆっくりと打ちはじめている。
――止まっていた部屋は、もう止まらない。
ここはもう、“時間が進む部屋”。
今夜から、ここで生きていく。
明日の朝も、その次の朝も。
目が覚めたら、胸の中の確かさをたしかめるために、短い口づけをひとつ。
(おやすみ、父さん)
初夏の夜は、静かに、無言の祝福を降らせていた。
ここはもう、“未来の部屋”。
——そしてそれから一年後。
王都の大聖堂で、王女セレスティアと公爵家嫡男ミスティアスの婚儀が執り行われた。
司祭を務めたのは、ルアルク・ノア・アストレイド。
かつて聖堂で“誓い”を立てた男が、今は人々の前で祝福を告げる。
その光景を、少し離れた席からユリカが見つめていた。
白い花々の反射が、彼女の髪に柔らかく映る。
ミスティアスとセレスティアが誓いの言葉を交わすたび、彼女の唇がわずかに緩む。
それは言葉ではない、母の祈りのかたち。
ルアルクが聖句を告げる声が震えたとき、彼女はそっと目を伏せた。
光の中でその涙がきらめくのを見て、微かに笑う。
——大丈夫。
——もう、あなたの信じた未来がここにあるわ。
鐘の音が鳴り響く。
白いヴェールの奥で、息子の横顔が微かに光った。
白い花のアーチ、鐘の音、祈りの詩。
それらはすべて記録にも歴史にも残るだろう。
けれど、彼の記憶に残ったのはただひとつ。
あの夜、母が言った“今日を抱きしめなさい”という声。
あの日から彼は、本当に“生きる”ことを始めたのだ。
◇
鐘の音が静かに遠ざかり、白い花の香りだけが残った。
大聖堂でセレスの手を取ったあの日から、挨拶周りに式典、祝宴……と続き、ようやく解放されたのはあれから数日が経過した後だった。
外には初夏の風。
花の香りと笑い声が街にあふれている。
「……帰ろうか」
「うん、“家”に」
二人は指を絡めたまま、名前のない家への道を歩く。
扉を開けると、いきなり元気な声が飛び込んできた。
「ミスにぃおかえりー!」
「おかえりなさい!」「セレスちゃんきれいだった!」
子どもたちがわっと駆け寄る。
リビングに笑い声が満ちていた。
子どもたちは走り回り、ファリスが笑い、ルアルクはシュリクを抱いている。
ユリカがそっとその腕に触れた。
自然と二人の視線が重なり、柔らかく微笑み合う。
「……なーんかさぁ」
リリがパンをつまみながら呆れたように言った。
「ミスティアスとセレスちゃんは新婚なのに落ち着いてるっていうか、“長年連れ添った感”があるのに……
あんたたち夫婦はいつまでたっても恋人の空気なのよね?」
「リリ?」
「いや、いい意味でよ!
でもね、どっちが新婚かわからなくなるから、そろそろ落ち着きなさいって言いたくもなるの」
「いいのよ」
リリの言葉に、ユリカは堂々と言い切った。
「ルアルクは――私の最初の恋人で、最後の恋人だから」
「――っ!」
顔を真っ赤にして固まるルアルク。
リリが机を叩いて笑い出す。
「ほらまた真っ赤! ほんとあんたたち永遠の恋人なんだから!」
「ルーくん、まっかー!」
「ママに負けてるー!」
子どもたちがきゃあきゃあと騒ぐ中、ルアルクは頬を押さえて、照れたように笑った。
「……勝ち負けでいうなら、僕はずるいくらい勝ち続けているよ」
一瞬、場が静まり、ユリカがふっと目を細めて笑う。
「もう、そんなこと言うからまた惚れ直すのよ」
「久しぶりに帰ってきても、相変わらずだな……」
「でも、素敵」
ミスティアスの苦笑に、子どもたちの笑い声が混ざる。
リビングに灯る優しい灯りとパンの香り。
夜の窓の外には、初夏の星が静かに瞬いていた。
笑いが起きる中、リシェリアがそっとユリカとルアルクの間に滑り込み、二人の腕に自分の手を絡めた。
「いいの。
……お父様とお母様が、こうして笑っているのを見るだけで嬉しいの」
ユリカが驚いたように娘の頭を撫で、ルアルクも優しく頷く。
「君たちが幸せでいてくれるなら、それが僕たちの幸せだよ」
「あー、ルーくんがちっちゃいルーくん抱っこしてる!!」
誰かの声に、家族に再び笑いが起こる。
セレスも、確かに、といいながら吹き出した。
「ほんと、お父様そっくりなんですよ」
リシェリアがため息まじりにこっそり言う。
「お母様、バレてないと思ってるけど、完全にめろめろで……。
抱っこしたくても、全然順番回ってこないんです」
その会話にルアルクが目を瞬かせ、ユリカが照れ隠しに微笑む。
「リシェ、聞こえてるわよ?」
笑い声が広がり、シュリクがぱちぱちと手を叩いた。
「……そういえば、二人の名前って由来があるんですか?」
セレスの何気ない一言に、場がしん……と静まった。
リシェリアが吹き出すのをこらえて、フィリアがそっと肘でつつく。
「……笑わないで聞いてくれる?」
ミスティアスの口から前置きが出た時点で、すでにイヤな予感しかしない。
「ファリス・フィール・アストレイド。
シュリク・ルシェイ・アストレイド」
「…………」
セレスは一瞬固まり、ゆっくりと首をかしげた。
「……ファリスって、もしかしてシェイ様のミドルネームの“ラファリス”から……?」
ルアルクが嬉しそうに笑った。
「そう。そこから。
ファリスの“ファ”がね、ちょうど響きとしても合っていたんだ」
ユリカも嬉しそうに補足する。
「最初、“ファリア”とか、“リシェリア”から“フィリア”の流れを汲んで考えたんだけど、“ラファリス”って音を思い出した瞬間にね、もうこれしかないってなっちゃって」
「夜中の二時半くらいにね」とルアルク。
「“やっぱりシェイさんの名前、絶対入れよう”って君が言って」
「あなたが最初に言ったのよ!」
「いや、でも君が“最高じゃない!”って……!」
「深夜テンションで盛り上がってたんだよ……うちの親」
ミスティアスが額を押さえた。
「……あ、でも”シュリク”って、もしかして三人の……?」
セレスが身を乗り出す。
ルアルクが少し照れたように笑って答える。
「“シ”ェイ、“ユリ”カ、ルアル“ク”。
――三人合わせて“シュリク”なんだ」
セレスが目を丸くした。
「……え、まって、それもう“愛の合成体”じゃないですか」
「でしょ?」とユリカが満面の笑み。
「世界でいちばん尊い共同作業だったと思うわ」
「うちの両親、真夜中に爆誕するネーミングセンスすごすぎない?」
ミスティアスのぼやきに、リビング中が笑いに包まれた。
「私の”リシェリア”はパパが付けてくれたのよ」
リシェリアが得意げに笑い、ユリカが肯定するように頷く。
「“星”とか“導き”の意味があるってシェイさんが言っていたわ」
「わたしの”フィリア”はお姉ちゃんの名前の響きをもらって、お父さんが付けてくれたんだよ」
「そう、”光”とか”癒し”って意味なんだ」
フィリアも得意げに言うと、ルアルクがそれを優しく肯定する。
「いいわね、素敵。
……じゃあ、”ミスティアス”は……?」
ぷ……っ
誰かが静かに吹き出した。
「もちろんシェイさん由来よ。
あの人のミステリアスな雰囲気からミスティアス」
「なんで俺だけ……そんなわけのわからない理由なんだ……」
「諦めなさい、ミスティアス。
あんたのお父さんはその名前聞いた瞬間、愕然としていたわよ。
ミステリアスからミスティアスっていう衝撃で。
それに対していい名前って喜んでいたのは今のその夫婦だから」
リリがサラリと暴露してますます空気は混沌としてくる。
それでも、堂々とセレスが答える。
「ミステリアスなミスティアス、いいじゃない。
私はミスティアスって名前の響きがすごく好き。
あなたにこれ以上ぴったりくる名前なんてないよ」
「ありがとう。
君と名前を分け合ってから、自分の名前も好きになれたよ」
ミスティアスも照れたように笑う。
「でも素敵ね」セレスが目を細める。
「“ファリス”も“シュリク”も……名前も生きてるみたい。
ちゃんと、ご両親の想いが繋がってる」
ルアルクとユリカが視線を合わせ、照れくさそうに笑う。
ユリカが小さく肩を寄せた。
「私たちの名前を、未来に残したかったの。
……どんなに時が経っても、この子たちが笑う限り、私たちはきっとここにいるから」
ルアルクが静かに頷く。
「僕らの“家族”は、きっとそのために生まれたんだ」
笑いとぬくもりが重なり、灯りがまたひとつ柔らかく揺れた。
その横で、フィリアがセレスの手を取りながら笑う。
「ミスくんとセレスちゃんの子どもができたら、抱かせてね」
「いいけど……結構先になると思うよ。
セレスには母になるより先に、女であることを目いっぱい楽しんで欲しいから」
その言葉に、セレスの頬が真っ赤になる。
ストロベリーブロンドの髪も、それに合わせて毛先がふわりと赤く色づいた。
「ふふ、なんか恥ずかしい。
けど、そんなところも好きだよ」
声と笑いが重なり、ランプの灯が揺れる。
外では、風鈴のように花の香りが鳴っていた。
家の中に、確かに息づくものがある。
愛の形、受け継がれた温もり、これから育っていく未来。
ミスティアスはそっと目を細め、セレスの手を握った。
(――今日を抱きしめる。
それが、俺たちの“誓い”だ)
そして、初夏の風が、次の物語の扉を静かに叩いた。
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