(完結)ヤンデルフタリ

Ringo

文字の大きさ
4 / 9

2・戻る記憶と痛み

しおりを挟む
「リア……」


寝台に横たわるアドリアーナの傍について、手を握り見守っている母サンドラは、自身の目が赤く腫れていることは厭わずに愛娘の心配だけに心と視線を向け続けている。

ジョシュアとの遠出から戻ってきたかと思えば娘は心痛から眠りに落ちており、眦が痛々しく赤く腫れていることに強い憤りを覚えた。

無論、その矛先はジョシュア。

永遠の愛を誓ったせいだと聞いて、それに対して娘が放った言葉をそっくりそのままサンドラもぶつけてしまいたくなった。

娘を溺愛する夫がその場にいたならば、きっと殴りかかっていたかもしれない。そう考えると、むしろ居て欲しかったとさえ思ってしまう。

控えていた騎士に命じて娘を奪うようにして引き受け、本人が望まない限り結婚式までは会わせるつもりがないと告げた。

反論しようとしたジョシュアを不敬覚悟で追い返し、すぐにアドリアーナを自室へと運んで今に至るが…目を覚ます様子はない。

かつても心を痛め、長く眠り続けていた事が思い出されて不安が過る。


「リア……本当はどうしたい?」


粉々にされた心を抱えたまま、貴族令嬢としての務めだからと王族になることを決めた娘。

誰からも憧れられる王子様との結婚出来るなんて私は幸せ者ですね…と微笑んだ娘。

政略的な婚姻を結ばなくてはならない殿下がお痛わしいです…と眉を下げた娘。

それらの姿がサンドラの脳裏を過り、収まっていた涙が再びこぼれ落ちる。


「リア…アドリアーナ……私の可愛い娘……」


三年前までは健康的で動き回るのが好きだった娘のはずが、この二年ですっかり儚げな印象の少女になってしまった。

王家からの婚約打診も、家の事を思ってなら承諾などしなくていい…そう幾度となく話したが、娘は柔らかく微笑むだけ。

いっそ国外にでも出てしまおうか…そう家族で話し合ったことも一度や二度ではない。

けれど王太子と過ごす娘は楽しそうに笑い、妃にと乞われる自分は幸せ者なのだと微笑む姿に、もしかしたら…と期待もしていた。

かつて過ちを冒した王太子も、恐らく本気で心を入れ換えているのだとは思う……思うが…


「……………ァ……」


未だ眠り続けている娘の口から小さくこぼれたのは、かつて娘が良く呼んでいた名前。

ツゥ……と流れる涙を冷たいタオルで拭い、目が覚めた時の為に心を落ち着けられるように…と、色とりどりの花が咲き誇る庭へと足を向けた。






******






『愛してるよ、リアナ』


脳裏に突如鳴り響いた声に胸が激しく痛み、アドリアーナは大粒の涙を流しながら目を覚ました。


「……リア…ナ……」


今まで靄がかかっていたような気持ちがスッキリとし…同時に深い悲しみが襲いかかる。

幼い頃から愛してやまなかった相手が、いつの間にか自分ではない女性を見つめていたこと…ひどく愛しそうに腕の中に囲っていたこと…ひどく甘い声で愛を囁いていたこと…それら全てが鮮明な記憶として蘇り、こぼれ落ちる涙を止めることが出来ない。


「………シ…ァ……」


三年ぶりに口にした名前は、自分だけが呼ぶことを許されていたもの。

その名を呼んでいたシルバーブロンドの女性。

ウェーブがかった自分のものとは違い、真っ直ぐで艶々としたその髪を、愛しそうに指で梳いていた婚約者の姿。

決して太っているわけではないが、肉付きも良く無駄に胸を膨らませている自分とは違い、スラリとした体を抱き込む婚約者の姿。

幸せそうに見つめ合い、ほんのり赤く色付いている耳元で愛を囁く婚約者の姿。

それら全てが甦る。


「………わたしじゃ…なぃ…」


王族との結婚だから、小説のように愛し愛される関係ではないかもしれないと覚悟はしていた。

けれど自分は彼を深く愛していたし、その気持ちをいつだって受け止めてくれていたから…もしかしたらと期待してしまった。

優しく『リアーナ』と呼ばれるたび、嬉しくて幸せでくすぐったくて…だけど違った。


『リアナ…君を愛してる』


そう言って目を細め、優しく耳に触れ、何度も唇を重ねる様子に苦しくなって、そこから意識がプツリと途切れ…気付けば三年が経ってしまっていたことに、アドリアーナは体を震わせる。

きっとあの場で自分は倒れてしまい、騒ぎになってしまったのではないか…そんな不安と、その後ふたりがどうなったのかが気になって、言い様のない恐怖が襲いかかってきた。


「…どうして……」


湖のほとりで片膝をついた姿を思い出し、止まりかけた涙が再び流れ落ちる。

あの場所は、婚約者がリアナと呼ばれていた女性を伴い足繁く通っていた場所…王族以外の立ち入りは許されず、認められるのはその婚約者まで。

そこに彼は幾度となく彼女を伴った。

それはつまり実質的な相手なのだとされる。

自分はお飾りの妃…彼女が本当の妻…いつからかそう噂されるようになり、それでも好きな気持ちは諦めがつかなくて耐えてきた。

けれど彼はどんな気持ちで結婚式を迎えるのだろう…どんな気持ちで誓いを口にし、口付けをするのだろうか…自分と子は儲けるつもりなのか…そんな事をいくつも考え、押し寄せる不安と苛立ちに心はどんどん疲弊していった。

やがて王宮の客間にふたりで出入りする姿が何度も目撃されるようになり、すでにそういった関係なのだと話も広がり…自害を試みようともした。


『いつになったら抱いてくれるの?』


あの日…プツリと意識が途切れたあの日、彼女は彼に猫のようにしなだれかかりながらそう言っていたから、体を繋げてはいなかったはず…けれどその後は分からない。

目覚めた時、自分に婚約者がいた記憶がなくなっていて…その半年後に婚約の申し込みを受け…かつて婚約していたことなど忘れていたから、王子様と結婚できるなんてと喜んで受け入れた。

だけど時折心が痛んで…けれどその理由が分からなくて不安が募り、本当に自分でいいのかと考えるようになり…伴侶と決めた相手しか伴わないという虹の湖に行きたいと強請ってみた。

この日がいいと強請った日は…今にして思えば、ふたりの逢瀬と口付けを目撃した日。

愛している…君が好きだ…そう何度も囁いては抱き締めながらしていた深い口付けを、記憶が戻った今は鮮明に思い出せてしまう。


『今はまだ…もう少し待ってて』


そうだ…と思い出す。

抱いて欲しいと強請る彼女に、彼は困ったように笑みを浮かべて優しく口付けそう答えていた。


『結婚式が済んで、君を迎える準備が整ったら…その時は思う存分抱かせてもらう』


そう言って彼女に向けられる熱い視線と触れる手付きは、自分に対して向けられたことのないもので…それらも心を打ち砕いていった。

細く折れそうな腰を抱き寄せ、今にも事に及びそうな口付けなど…自分とはしたことがない。

何もかもが自分ではなかった。

公務や執務を行う妃としては求められていたのだろうが、女性として求めたのは彼女。

それが事実なのだと指し示す記憶が、ドロドロとした感情となって溢れ出す。


「……ど……して……」


どれだけの傷を負っても、どれだけ打ち砕かれても、粉々になった心に宿る気持ちを捨てきることが出来ない。


「…………シア…」


悲しみと寂しさと苛立ちに心を占められながら、窓の向こうに見える真っ暗な空を見つめた。





しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

届かぬ温もり

HARUKA
恋愛
夫には忘れられない人がいた。それを知りながら、私は彼のそばにいたかった。愛することで自分を捨て、夫の隣にいることを選んだ私。だけど、その恋に答えはなかった。すべてを失いかけた私が選んだのは、彼から離れ、自分自身の人生を取り戻す道だった····· ◆◇◆◇◆◇◆ 読んでくださり感謝いたします。 すべてフィクションです。不快に思われた方は読むのを止めて下さい。 ゆっくり更新していきます。 誤字脱字も見つけ次第直していきます。 よろしくお願いします。

【完結】ジュリアはバツイチ人生を謳歌する

ariya
恋愛
エレン王国の名門貴族・アグリア伯爵家に嫁いだジュリア・アグリア(旧姓ベルティー)。 夫のアベル・アグリア伯爵は、騎士として王妃の護衛任務に没頭し、結婚翌日からほぼ別居状態。 社交界のパーティーでは妻のエスコートを代理人に任せ、父の葬儀にも顔を出さず、事務的な会話と手紙のやり取りだけの日々が続く。 ジュリアは8年間の冷遇に耐え抜いたが、ある朝の食事中、静かに切り出す。 「私たち、離婚しましょう」 アベルは絶句するが、ジュリアは淡々と不満を告げる。 どれも自分のしでかしたことにアベルは頭を抱える。 彼女はすでに離婚届と慰謝料の用意を済ませ、夫の仕事に理解を示さなかった「有責妻」として後腐れなく別れるつもりだった。 アベルは内心で反発しつつも、ジュリアの決意の固さに渋々サイン。 こうしてジュリア・アグリアは、伯爵夫人としての全てを置き去りにし、バツイチ人生を開始する。

【完結】夢見たものは…

伽羅
恋愛
公爵令嬢であるリリアーナは王太子アロイスが好きだったが、彼は恋愛関係にあった伯爵令嬢ルイーズを選んだ。 アロイスを諦めきれないまま、家の為に何処かに嫁がされるのを覚悟していたが、何故か父親はそれをしなかった。 そんな父親を訝しく思っていたが、アロイスの結婚から三年後、父親がある行動に出た。 「みそっかす銀狐(シルバーフォックス)、家族を探す旅に出る」で出てきたガヴェニャック王国の国王の側妃リリアーナの話を掘り下げてみました。 ハッピーエンドではありません。

束縛婚

水無瀬雨音
恋愛
幼なじみの優しい伯爵子息、ウィルフレッドと婚約している男爵令嬢ベルティーユは、結婚を控え幸せだった。ところが社交界デビューの日、ウィルフレッドをライバル視している辺境伯のオースティンに出会う。翌日ベルティーユの屋敷を訪れたオースティンは、彼女を手に入れようと画策し……。 清白妙様、砂月美乃様の「最愛アンソロ」に参加しています。

夫の不倫劇・危ぶまれる正妻の地位

岡暁舟
恋愛
 とある公爵家の嫡男チャールズと正妻アンナの物語。チャールズの愛を受けながらも、夜の営みが段々減っていくアンナは悶々としていた。そんなアンナの前に名も知らぬ女が現れて…?

【1話完結】あなたの恋人は毎夜わたしのベッドで寝てますよ。

ariya
ファンタジー
ソフィア・ラテットは、婚約者アレックスから疎まれていた。 彼の傍らには、いつも愛らしい恋人リリアンヌ。 婚約者の立場として注意しても、アレックスは聞く耳を持たない。 そして迎えた学園卒業パーティー。 ソフィアは公衆の面前で婚約破棄を言い渡される。 ガッツポーズを決めるリリアンヌ。 そのままアレックスに飛び込むかと思いきや―― 彼女が抱きついた先は、ソフィアだった。

これは王命です〜最期の願いなのです……抱いてください〜

涙乃(るの)
恋愛
これは王命です……抱いてください 「アベル様……これは王命です。触れるのも嫌かもしれませんが、最後の願いなのです……私を、抱いてください」 呪いの力を宿した瞳を持って生まれたサラは、王家管轄の施設で閉じ込められるように暮らしていた。 その瞳を見たものは、命を落とす。サラの乳母も母も、命を落としていた。 希望のもてない人生を送っていたサラに、唯一普通に接してくれる騎士アベル。 アベルに恋したサラは、死ぬ前の最期の願いとして、アベルと一夜を共にしたいと陛下に願いでる。 自分勝手な願いに罪悪感を抱くサラ。 そんなサラのことを複雑な心境で見つめるアベル。 アベルはサラの願いを聞き届けるが、サラには死刑宣告が…… 切ない→ハッピーエンドです ※大人版はムーンライトノベルズ様にも投稿しています 後日談追加しました

【完結】愛する人はあの人の代わりに私を抱く

紬あおい
恋愛
年上の優しい婚約者は、叶わなかった過去の恋人の代わりに私を抱く。気付かない振りが我慢の限界を超えた時、私は………そして、愛する婚約者や家族達は………悔いのない人生を送れましたか?

処理中です...