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婚約解消
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小さな窓しかない薄暗い部屋の中、情事の最中であることを表す肉を打つ音と嬌声が鳴り響き、鍛え上げられた体躯の男が華奢な女を組み敷いて、まるで盛りのついた獣のように激しく腰を打ち付けている。
この情事が始まってから優に三時間は経過し、穿たれ揺さぶられている女は既に深く意識を落としているが、男は構う様子を見せない。
「リリー…ッ、リュリツィア………孕めっ…」
もう反応を示さない女の奥深くに突き立て、今宵最後の精を流し込む。
「……リリー…」
子を孕みやすい時期と医師から聞いていたから、いつもより多く注げるように薬を服用してきた。よってまだ男のモノは砲台の如く猛々しさを誇ったまま、女の中に存在している。
「リリー…愛してる……」
力尽きている女に口付け、男は女の中に剛直を納めたまま抱き締め目を閉じた。
二人が深い眠りに落ちている部屋の前では、屈強な騎士が夜通し守りを固めており、出入りする侍女やその他の使用人は、嘗てこの国の王家で影として暗躍していた手練ればかり。
その身に課せられているのはこの部屋の主である女を守り抜くこと。秘密裏に男から依頼を受けている形ではあるが、誰もが自主的に女を守る為に存在していると言っても過言ではない。
それだけ、女は慕われていた。
閉ざされたこの場所に女が囲われ始めたのは十年前のこと。隣国からの侵攻によって慕い合うふたりの婚約が解消されたその日から、この場所での生活が始まった。
* * * * * *
「……今、なんと…」
「隣国の王女を娶れ」
「……っ、そんな…っ……私にはリュリツィアがおります!あと三ヶ月で結婚式が──」
「分かっておる!!」
国王とてひとりの父親。
民のため、延いては国の為に叡知を磨き、研鑽を積んできた息子の努力と気持ちは痛いほど分かっている…分かってはいるが、その国を守り抜く為には涙を飲まなければならない事もある。
「和平条約を結ぶ最優先事項として隣国の第一王女との婚約、婚姻を命ずる」
「……っ…!」
圧倒的な武力を以て侵攻を仕掛けてきた隣国。
理由としては実り豊かな国土と豊富な資源からなる財産だが、それは建前に過ぎない事は国王を始め全ての国民が理解している。
本当の狙いは王太子。
『第一王女との婚姻を求む』
悪戯に大切な民の命を散らさぬ為に交渉した際、いの一番に挙げられた条件だった。
『白い結婚は認めない。子は最低でも二人』
数倍の国土と武力を持つ国からの要望に応えないという選択肢はなく、和平条約で国と民を守るには飲まざるを得ない。
「……すまない、マクシム」
「…………っ…畏まりました」
父王の臍を噛む声に小さくそう答え、拳を握り締めて強く目を瞑る。
思い浮かぶのは最愛である婚約者の姿。
幼い頃から心を通わせ合い、いずれ国を共に治めるべく切磋琢磨してきた愛しい人。
───すまない…リュリツィア
心を痛めたのは王太子マクシミリアンだけではなく、ふたりを幼い頃から見守ってきた重鎮達や使用人達も静かに涙を飲んだ。
謁見の間を辞した王太子は、予てより計画してきた策を実行に移すべく協力者達へと指示を飛ばしていく。
半年前、王国で開かれた舞踏会で隣国の王女に絡まれるようになってから、秘密裏に動き…無駄に終わることを願っていた計画。
───リュリツィアだけは諦められない
他の女を娶ることで、どれだけ心に傷を負わせる事になるのか計り知れない。それでも自分の傍にいることを望んでくれるのなら…
マクシミリアンは婚約者の愛に賭けた。
* * * * * *
「すぐに参ります」
王太子私属使者からの報告を受けた公爵令嬢リュリツィア・レーベンがそう即答すると、侍女達はクローゼットから既に纏められていた荷物を運び始める。
「リュリツィア」
「……お父様」
「…申し訳ない……っ…」
公爵家は王太子から策の全貌を明かされていた。好戦的な隣国の王と我儘が過ぎる第一王女、このふたりが動いた時、どうしても望みたいもの、諦められないものがある…と。
「謝らないで、お父様。わたくしが望んだことですし…そう望まれたことが嬉しいの」
待ち受けるのは惨憺たる未来。そこに自ら飛び込もうとする娘は、まるでそんな現実などないと言わんばかりに顔を綻ばせて、頬を染めている。
「彼の傍にいたいんです」
他の女性を抱き、子を成す愛しい人。それがどれほどの痛みを伴う事になるのか、今はまだ分からない。だからこそ分からないうちに飛び込んでしまいたい…そう思った上での決断でもある。
「姫様、お急ぎください」
「はい」
身分を隠した馬車に、必要なものは全て積み終えた。もう二度と表舞台には立たないから、華美なドレスや宝飾品はいらない。リュリツィアが持ち出したのは、両親とマクシミリアンから贈られた思い出の品ばかり。
既に隣国からの間者は入っているだろう、急がなくてはいけない。
「お父様…今までありがとうございました」
「…リュリツィア」
「お兄様にも宜しくお伝え下さい」
「分かった…っ……」
母親は幼い頃に亡くなり、兄は件の隣国とは別の国へ留学している為別れの挨拶は出来なかった。
───お兄様、お父様をお願いします
母親亡き後も、妻だけを愛しているからと後妻は娶らず愛情深く育ててくれた父親。そんな父だからこそ、この決断を認めてくれたのだとリュリツィアは思っている。
「…お元気で」
親子が最後の別れをした一週間後、隣国から第一王女が嫁いでくる事が公示され、同時に公爵令嬢の死亡が王国内に知らされた。
美しく聡明であり、慈愛に満ちていた公爵令嬢は国民からの人気と支持が非常に高く、誰もが死の原因と本当の理由を察した。
───第一王女が姫様を死に追いやった
幼い頃からその仲睦まじさを見てきた国民達は、第一王女の横暴ぶりに追い詰められた公爵令嬢が心を痛め儚くなったのだと推し測る。
そして、国の為にその身を捧げるほかなかった王太子に対し、全ての国民が憐憫の情を抱いた。
───第一王女は許さない
王太子と第一王女の結婚式は、公爵令嬢と予定された日取りをそのままにとも公示されている。本来であれば、国を挙げての一大イベント。街ではあらゆる出店が揃い、パレードが予定されている箇所以外も民達によって華やかに飾られるが、国民が愛するお姫様を死に追いやった王女を民達は許さない。
迎えた結婚式パレードの日、真っ白な婚礼衣装に身を包んだ新郎新婦を乗せた馬車が走り出すと、第一王女は嬉しそうに窓から外へ視線を向けた。
誰もが羨んで見惚れる眉目秀麗な王子様との結婚を、国民に見せつけてやろうとして……
「…………え?」
王女は窓の外に広がる光景に首を傾げた。
兄王子の結婚式パレードを見たことがあり、その時は、多くの民と出店が走る馬車の両側にズラリと立ち並んでいたはず。
それがどうしたことだろう。
「マクシミリアン様…この国では、パレードに民は赴かないのですか?」
慶事の際に使われる豪奢な馬車は、誰一人いない街道をゆっくりと走り抜ける。
王女の支度金で施された王家による飾り付けしかない街道の周りには、出店どころか馬車を見やる者がひとりとしていない。
「それに……どうして黒い服を着ているの?」
窓から見える…普段通りに生活を営む民達は、性別年齢問わず全員が漆黒の装いをしている。
まるで、誰かの死を悼むかのように。
「そういえば、お式にも黒い色を差し色にしている方が多かったわ…流行りなのかしら」
マクシミリアンは何も言わない。
けれど、民達の思いに心を温めていた。
───リリー、君は愛されている
誰からも愛されている元婚約者と、誰からも嫌われている王太子妃。気付かぬは本人だけ。
愛する人の妻となった隣国の王女は、婚礼の義で交わされたマクシミリアンとの口付けを思い出して頬を染めた。
王女にとっては不思議に思えたパレードのあと、貴族を招いた披露宴を終えれば綺麗に体を磨いて愛する人との初夜を迎える。
恋焦がれていたマクシミリアン。婚礼の義で交わした口付けは、唇の端に触れるか触れないかの軽いものだったが、果たしてどのように抱かれるのか…王女の頭の中は煩悩に満ち溢れていた。
この情事が始まってから優に三時間は経過し、穿たれ揺さぶられている女は既に深く意識を落としているが、男は構う様子を見せない。
「リリー…ッ、リュリツィア………孕めっ…」
もう反応を示さない女の奥深くに突き立て、今宵最後の精を流し込む。
「……リリー…」
子を孕みやすい時期と医師から聞いていたから、いつもより多く注げるように薬を服用してきた。よってまだ男のモノは砲台の如く猛々しさを誇ったまま、女の中に存在している。
「リリー…愛してる……」
力尽きている女に口付け、男は女の中に剛直を納めたまま抱き締め目を閉じた。
二人が深い眠りに落ちている部屋の前では、屈強な騎士が夜通し守りを固めており、出入りする侍女やその他の使用人は、嘗てこの国の王家で影として暗躍していた手練ればかり。
その身に課せられているのはこの部屋の主である女を守り抜くこと。秘密裏に男から依頼を受けている形ではあるが、誰もが自主的に女を守る為に存在していると言っても過言ではない。
それだけ、女は慕われていた。
閉ざされたこの場所に女が囲われ始めたのは十年前のこと。隣国からの侵攻によって慕い合うふたりの婚約が解消されたその日から、この場所での生活が始まった。
* * * * * *
「……今、なんと…」
「隣国の王女を娶れ」
「……っ、そんな…っ……私にはリュリツィアがおります!あと三ヶ月で結婚式が──」
「分かっておる!!」
国王とてひとりの父親。
民のため、延いては国の為に叡知を磨き、研鑽を積んできた息子の努力と気持ちは痛いほど分かっている…分かってはいるが、その国を守り抜く為には涙を飲まなければならない事もある。
「和平条約を結ぶ最優先事項として隣国の第一王女との婚約、婚姻を命ずる」
「……っ…!」
圧倒的な武力を以て侵攻を仕掛けてきた隣国。
理由としては実り豊かな国土と豊富な資源からなる財産だが、それは建前に過ぎない事は国王を始め全ての国民が理解している。
本当の狙いは王太子。
『第一王女との婚姻を求む』
悪戯に大切な民の命を散らさぬ為に交渉した際、いの一番に挙げられた条件だった。
『白い結婚は認めない。子は最低でも二人』
数倍の国土と武力を持つ国からの要望に応えないという選択肢はなく、和平条約で国と民を守るには飲まざるを得ない。
「……すまない、マクシム」
「…………っ…畏まりました」
父王の臍を噛む声に小さくそう答え、拳を握り締めて強く目を瞑る。
思い浮かぶのは最愛である婚約者の姿。
幼い頃から心を通わせ合い、いずれ国を共に治めるべく切磋琢磨してきた愛しい人。
───すまない…リュリツィア
心を痛めたのは王太子マクシミリアンだけではなく、ふたりを幼い頃から見守ってきた重鎮達や使用人達も静かに涙を飲んだ。
謁見の間を辞した王太子は、予てより計画してきた策を実行に移すべく協力者達へと指示を飛ばしていく。
半年前、王国で開かれた舞踏会で隣国の王女に絡まれるようになってから、秘密裏に動き…無駄に終わることを願っていた計画。
───リュリツィアだけは諦められない
他の女を娶ることで、どれだけ心に傷を負わせる事になるのか計り知れない。それでも自分の傍にいることを望んでくれるのなら…
マクシミリアンは婚約者の愛に賭けた。
* * * * * *
「すぐに参ります」
王太子私属使者からの報告を受けた公爵令嬢リュリツィア・レーベンがそう即答すると、侍女達はクローゼットから既に纏められていた荷物を運び始める。
「リュリツィア」
「……お父様」
「…申し訳ない……っ…」
公爵家は王太子から策の全貌を明かされていた。好戦的な隣国の王と我儘が過ぎる第一王女、このふたりが動いた時、どうしても望みたいもの、諦められないものがある…と。
「謝らないで、お父様。わたくしが望んだことですし…そう望まれたことが嬉しいの」
待ち受けるのは惨憺たる未来。そこに自ら飛び込もうとする娘は、まるでそんな現実などないと言わんばかりに顔を綻ばせて、頬を染めている。
「彼の傍にいたいんです」
他の女性を抱き、子を成す愛しい人。それがどれほどの痛みを伴う事になるのか、今はまだ分からない。だからこそ分からないうちに飛び込んでしまいたい…そう思った上での決断でもある。
「姫様、お急ぎください」
「はい」
身分を隠した馬車に、必要なものは全て積み終えた。もう二度と表舞台には立たないから、華美なドレスや宝飾品はいらない。リュリツィアが持ち出したのは、両親とマクシミリアンから贈られた思い出の品ばかり。
既に隣国からの間者は入っているだろう、急がなくてはいけない。
「お父様…今までありがとうございました」
「…リュリツィア」
「お兄様にも宜しくお伝え下さい」
「分かった…っ……」
母親は幼い頃に亡くなり、兄は件の隣国とは別の国へ留学している為別れの挨拶は出来なかった。
───お兄様、お父様をお願いします
母親亡き後も、妻だけを愛しているからと後妻は娶らず愛情深く育ててくれた父親。そんな父だからこそ、この決断を認めてくれたのだとリュリツィアは思っている。
「…お元気で」
親子が最後の別れをした一週間後、隣国から第一王女が嫁いでくる事が公示され、同時に公爵令嬢の死亡が王国内に知らされた。
美しく聡明であり、慈愛に満ちていた公爵令嬢は国民からの人気と支持が非常に高く、誰もが死の原因と本当の理由を察した。
───第一王女が姫様を死に追いやった
幼い頃からその仲睦まじさを見てきた国民達は、第一王女の横暴ぶりに追い詰められた公爵令嬢が心を痛め儚くなったのだと推し測る。
そして、国の為にその身を捧げるほかなかった王太子に対し、全ての国民が憐憫の情を抱いた。
───第一王女は許さない
王太子と第一王女の結婚式は、公爵令嬢と予定された日取りをそのままにとも公示されている。本来であれば、国を挙げての一大イベント。街ではあらゆる出店が揃い、パレードが予定されている箇所以外も民達によって華やかに飾られるが、国民が愛するお姫様を死に追いやった王女を民達は許さない。
迎えた結婚式パレードの日、真っ白な婚礼衣装に身を包んだ新郎新婦を乗せた馬車が走り出すと、第一王女は嬉しそうに窓から外へ視線を向けた。
誰もが羨んで見惚れる眉目秀麗な王子様との結婚を、国民に見せつけてやろうとして……
「…………え?」
王女は窓の外に広がる光景に首を傾げた。
兄王子の結婚式パレードを見たことがあり、その時は、多くの民と出店が走る馬車の両側にズラリと立ち並んでいたはず。
それがどうしたことだろう。
「マクシミリアン様…この国では、パレードに民は赴かないのですか?」
慶事の際に使われる豪奢な馬車は、誰一人いない街道をゆっくりと走り抜ける。
王女の支度金で施された王家による飾り付けしかない街道の周りには、出店どころか馬車を見やる者がひとりとしていない。
「それに……どうして黒い服を着ているの?」
窓から見える…普段通りに生活を営む民達は、性別年齢問わず全員が漆黒の装いをしている。
まるで、誰かの死を悼むかのように。
「そういえば、お式にも黒い色を差し色にしている方が多かったわ…流行りなのかしら」
マクシミリアンは何も言わない。
けれど、民達の思いに心を温めていた。
───リリー、君は愛されている
誰からも愛されている元婚約者と、誰からも嫌われている王太子妃。気付かぬは本人だけ。
愛する人の妻となった隣国の王女は、婚礼の義で交わされたマクシミリアンとの口付けを思い出して頬を染めた。
王女にとっては不思議に思えたパレードのあと、貴族を招いた披露宴を終えれば綺麗に体を磨いて愛する人との初夜を迎える。
恋焦がれていたマクシミリアン。婚礼の義で交わした口付けは、唇の端に触れるか触れないかの軽いものだったが、果たしてどのように抱かれるのか…王女の頭の中は煩悩に満ち溢れていた。
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