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毒婦
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まさかの援護射撃だった。
「第三特別室に?」
「先代様の指示があったそうだ」
高貴な鼠…ジュリアス侯爵が第三特別室に送り込まれてきたという報せに、僕もエドワードも思わず目を合わせて瞬いた。
「第三特別室ってことは…お祖父様の方である程度の証拠を揃えたってこと?」
罪を犯した高位貴族が、爵位と領地、全ての財産を剥奪されることが確定している待機場所。
第一なら賠償金のみ。第二なら一部の領地と賠償金。どの部屋で待機させられるのか、それによって失うものが違う。
その中でも貴族ですらなくなる第三特別室は、入る時こそ貴族であるがそれまで。全ての取り調べと手続きが終われば平民として扱われる。
「先代様の執事からこれを…」
「書類?…あぁ、なるほど」
ペラペラと捲れば、侯爵家を糾弾できるだけの証拠がズラリと記載されていた。
「密通を訴えている女性からの慰謝料だけでも破産だね…それにしても、国中の男を食い尽くす気だったのか?」
これで僕の妃になりたいなど…よくも言えたものだ。汚らわしくて近寄りたくもない。
「男の方は?」
「落ちた」
「じゃぁ、そろそろ行ってもいい?」
「どうぞ」
悪い笑みを浮かべるエドワード、軽い足取りで僕を先導して男の待つ部屋へと向かう。
「念のために聞くけど…生きてる?」
「一応生きてるぞ」
この短時間で精神崩壊までいったか?まぁ、僕の知ったところではないけれど。
「よく喋るようになったから、聞きたいことは全部聞けると思う」
********
本音を言えば今すぐ殺してやりたい。
目の前で喚き散らす男に対する僕の気持ちだ。
「なぜだ!なぜジェシカを選ばない!ジェシカがどれだけお前を愛してると思ってるんだ!俺がどんな気持ちで抱いていたと思ってる!ジェシカを抱け!王太子妃にしろ!」
「ねぇ…あの女が僕を愛してるなんて、本気で思ってる?あの女が欲しいのは地位であって僕の愛じゃない」
鼻息荒く、僕を睨み付けて噛みつかんばかり。そんなにあの女が欲しいなら、いい顔せずに自分のものにすればよかったのに。
「それにさ、簡単に股を開くようなゆるゆるの女は僕の趣味じゃないんだよね。愛人どころか一夜の相手にだってしたくない」
「ジェシカはっ──」
「知ってる?君の他に何人の男に体を許してきたのか。君が懸命に働いて得たお金で贈った貴金属が、今どうなってるのか知ってる?」
「な、にを…」
貧しい地方貴族の三男として生まれ、慎ましい生活を送っていた青年が毒婦によって冒された…運が悪かったとも言えるし、隙を見せたのが悪いとも言える。
「僕が把握しただけでも、君と同時進行している男は六人だったよ。それ以前は星の数ほど」
「ろく…」
「君が贈った貴金属は…これを見せた方が早いかな。はい、これがリスト」
先程までの勢いはどこへやら、渡した書類を読み進めるうちに顔色は悪くなっていく。
「酷いよねぇ…これとか、君の給金一年分はするんじゃない?これとこれも、だいぶ値が張るものだね。いくら貢いだの?」
「お…俺は…ジェシカが…」
「よほど気持ちよくしてくれたんだ?僕には無理だな、一日で何人も相手にしてる女を抱くなんて…商売ならともかく、ただ欲にまみれただけの女なんて気持ち悪い」
経験がなかったわけじゃないだろうに、何がそこまでこの男の琴線に触れたのか…
「…ジェシカは…ジェシカは本当にあなたの正妃になりたがっていたんだ…」
「うん、正妃にね。別に相手は僕じゃなくてもよかったはずだ。そう思う節はあったはずだよ」
「それでも…よかった…」
「なぜ?腹黒いところにも惹かれた?」
「…本人だけではどうにもならないことを…どうにかしたいと努力したり…足掻いたりするのは…別に悪いことじゃない…」
なるほど。なぜこの男が毒婦に嵌まり落ちぶれていったのか分かった気がする。
「努力したり研鑽を積むのは決して悪いことじゃない。君がそうじゃないか?地方の貧しい貴族の三男として生まれ、成人を迎えれば自立を余儀なくされるから努力したんだろ?」
ポタポタと、毒婦について書かれたリストに男の涙が落ちていく。
「だけど、その為に無関係な人間を陥れたり命を狙うのは違う。奪いたい、勝ちたいと思うなら正々堂々と勝負して、負けたなら潔く身を引くべきなんだ。あの女はそうするべきだった」
「俺は…」
「ベルシュ・ハリアー。君の仕事ぶりは料理長も認めていて、いずれは自分の後継者にと思っていたそうだよ…それももうない未来だけどね。」
「……っ…」
「それから、ラシュエルから伝言だ。風邪を引いた時、君の作るスープが何よりも元気付けてくれた。寒い夜は、君の作るポトフが暖炉よりも体を温めてくれた、と」
毒婦に冒されていた時でさえも、この男の作る料理はいつだって美味しくて心がこもっていたと言っていた。そこだけは、料理人としてのプライドだったんだろう。
「君が腕を振るうことは未来永劫ない。王族に薬を盛り、王太子妃を廃しようとした罪を許すことは出来ないからね」
「……はい」
「本来なら一族郎党、民衆の前で打ち首とされるのが君の犯した罪の深さだ…それを君が毒杯を賜ることで一族の罪とはしない、王太子妃が下した決断だ」
甘すぎる…そう言ったけれど、珍しくラシュエルが食い下がったから仕方ない。こんな男を庇うなんて、僕の嫉妬を煽りたいの?
「…妃…っ殿下に…謝罪を…っ」
「させないよ。君は僕の大切な宝を傷付けたんだから、そんな権利あるわけないじゃないか。毒杯は三日後だ、それまで地下で思う存分悔やめ」
誰にも会えず、誰にも見送られず…たったひとりで冷たい床に伏して死ねばいい。やりきれない僕の思いは、鼠に受けてもらうよ。
******
「あんた達!私にこんなことしていいと思ってるの!?早く縄を解きなさい!!」
「そうよ!この子が誰の妻となるのか分からないの!?さっさとしなさい!聞いてるの!?」
第三特別室の中から、キンキンと甲高い声が響いてきて苛立ちが募る。
「どうして地位ばかりに目が眩む女は皆似てるんだろう?馬鹿ばかりだ」
「馬鹿だからだろ」
エドワードの身も蓋もない答えに、なるほどと納得した。馬鹿だからなのか、確かにそうだ。
「さて、いきますか」
衛兵によって扉が開かれると、部屋の中には髪を振り乱して叫ぶ女ふたりと項垂れる男がいた。
「マリウス様に言いつけてやる!」
「僕がなんだって?」
「──マリウス様!」
つい今しがたまで喚いて怒鳴り散らしていたというのに、女ふたりは突如しなをつくり目に涙を浮かべて僕に縋りつこうとして止められた。
「なっ、マリウス様!」
「もうさぁ、既視感ありすぎてつまらないんだよね…猫被るのも下手だし、嘘泣きされても何も感じない。もっとないの?さっさと王太子妃にしろとか、私の手練手管を試してみなさいとか」
分かりやすすぎる媚に、どうして簡単に落ちる男が多いのか…馬鹿だから?でもそれじゃ困るんだよね、僕とラシュエルが守ろうとする国なのに。
婚約や婚姻について不貞を取り締まる法律でも作ろうかな。愛人抱えてる貴族が反対するだろうけど、条件をつければ引くだろうか。
「で?何か言うことはある?あぁ、何も知らないとかしていないはなしね。お前達がしたことは全て報告されているから…ね、侯爵」
お祖父様からの報告だと分かったのか、男の肩が笑えるほどにビクリと動いた。息してる?まだ死んじゃダメだよ、僕が手を下すまで。
「商会の横領、領地の税収の改竄、代官報酬の虚偽報告、使用人への虐待…まだ沢山あるけど聞きたい?言っておくけど、この調査結果は王家で正式に認められたものだから言い逃れも出来ない」
男はもう抵抗する気力すらないんだろう、項垂れて床に力なく座り込んだままだ。
「知りませんわ!仕事に関しては夫が──」
「王家が調べたと言っただろ?あんたがしたことも全て報告されてるんだよ、聞きたいか?商会で扱われている高値の商品を横流しさせ、その対価に担当者と密通。凄いね、殆どの従業員と寝てたんだ?使用人への虐待は…女性には主に鞭打ちしたのち裸で外へ終日放置、男性には性的奉仕を強要…ちなみに男性使用人は夫人の面接によって採用を決めていたそうだね」
「それは──」
「そう言えば、チャンドール男爵は元気かい?」
まだ食い下がろうとしていた夫人がサッと顔色を悪くした。面白いね、一発芸みたいだ。
「し…知りませんわ」
「そうなの?昨日も会っていたと報告を受けているよ?昼前から夕刻まで、街にある宿屋にふたりで籠っていたらしいのに…元気かどうか知らないの?子供の成長について語ったりしないの?」
「…子供…?」
おや、侯爵が復活した?気になるよね、どうして夫人と男爵が子供について語るのか。
「侯爵は知ってるよね?夫人とチャンドール男爵が幼い頃からの付き合いで、かつて婚約していた事も。でもこれは知らないのかな、ふたりには子供がいるんだよ」
「なにを!そんなことは──」
「煩い、喋れないようにしようか?」
猿轡を持つ衛兵を前に出せば、大人しく口を噤んだ。最初からそうしていればいいものを。
「侯爵、おかしいと思わなかった?娘として育てた子供が、あなたに何一つにていないこと」
「な…にを…」
「逆に、髪色や目元なんかよく似てるよね…チャンドール男爵に。そう思わない?」
娘の顔を凝視して、侯爵はみるみる顔色を赤くしていく。本当に気付いてなかったんだ?
「夫人は侯爵夫人の地位が欲しくてあなたに擦り寄った…でも、真に愛していたのは幼なじみでもある元婚約者のチャンドール男爵だった」
「…親が無理に決めた婚約だと…っ」
「その相手と週一で会う?それも決まって同じ宿を使って。主人の証言によると、妊娠していた時でさえも通っていたそうだよ」
「私には…っ、体を大切にしたいと…っ…」
「随分乱れていたようだけどね、妊娠中にも関わらず部屋の掃除が大変になるほどだったとも証言してる」
膨大な報告書を見るだけで吐きそうになる。それにしても、お祖父様の調査部隊は仕事が早くて正確だ…今度紹介してもらおうかな。
「貴族の托卵は当主判断…と言ったところなんだけど、もう当主ではなくなるし関係ないね」
「は?当主じゃなくなる?」
「あれ?夫人はこの部屋がどういう意味を持つか知らないの?」
第三特別室が意味するところを教えてやれば、分かりやすくショックを受けてへたりこんだ。これで暫くは大人しくなるだろう。
「待って…え…私はどうなるの?…お父様はお父様じゃなくて…貴族じゃなく…なる?」
「この部屋を出たら平民だ」
「…そんな…マリウス様、助けてください!私はこのふたりの被害者です!」
「聞いてなかったのか?全て調べた、と」
「…え…でも…私はマリウス様の…」
この状況でも僕の妃になれるとでも?どれだけ馬鹿なのか脳みそカチ割りたくなる。
「お前が僕の妃になれるはずがないだろ?」
「っ…わ、私はマリウス様に誠心誠意尽くしますわ!マリウス様の隣には私の方が──」
「黙れ」
この女は一番許せない。ラシュエルも僕の好きにしたらいいと静かに怒っていた。
「お前は何をした?僕の最愛であるラシュエルに避妊薬を盛らせ、毎晩のように注いだ子種を無力化させただけじゃない…そのせいでラシュエルは苦しんだ。お前だけは簡単に死なせないよ」
ラシュエルが苦しんだと言った瞬間、毒婦が笑みを浮かべたのを僕は見逃さない。その後すぐに、楽に死ねないと言われて青白くなったが。
立ち上がり近付きしゃがめば、今度は頬を染めて僕に濡れた目を向けてくる。まさか期待しているのか?あり得ないのに。
「痛いっ!!」
目の前の女が気持ち悪くて腹立たしくて、無意識に毒婦の髪を掴んでいた。
「お前のように股の緩い女、どうして僕が抱かなければならない?贈り物をしてくれたから…そんな理由で簡単に股を開く女をどうして僕が?」
「い、いたい…、、」
「逆だろ?股を開かなくちゃ贈り物ひとつもらえない女なんだよ、お前は」
「なっ──」
「ラシュエルは、婚約者時代から僕という相手がいるにも関わらず毎日のように沢山の贈り物と手紙が届いていたんだ。受け取るだけで構わないと言ってね。真に愛される女性は強請らなくとも貰えるんだよ、お前と違って」
馬鹿にされた怒りか、女の顔は赤くなり醜く歪んでいる。ラシュエルとは大違いだ。ラシュエルは怒っても可愛いんだから困っちゃうんだよね。
「分かるか?お前など、ラシュエルの足元にも及ばない塵ほどもない存在なんだよ。そのくせ他人を陥れる野心だけは一人前だ」
「いたっ、、」
いつまでも掴んでいるのが嫌になり、かと言って優しくもしたくないから思い切り床に叩きつけてやった。これみよがしにハンカチを渡してくるサミュエルには笑ってしまう。確かに汚れものに触れたら拭きたくなるよね。
「さて…数々の罪を重ねてくれたお前達には、相応しい処罰を与えてやろう」
僕の視線で衛兵が三人に猿轡をしていく。
「罪が多すぎて大変なんだけど、王太子妃に薬を盛ったことは何より重罪だ」
毒婦だけがバタバタと動き、くぐもった声でなにやら喚いているが関係ない。
「爵位、領地、財産を全て没収。屋敷や家財等を売却した際の金銭は、使用人達の退職金と訴えられている密通の慰謝料に充てる。侯爵令嬢に指示されていた男は三日後の処刑が決まった…お前達も同時刻に斬首刑とする」
斬首刑…その言葉に侯爵は項垂れ、夫人は目を見開いて驚愕し、毒婦は未だ抵抗を続けている。
「商会は先代の指導のもと継続されることになった。一族の関与は認めない。異議申し立てをした者は、同刑を受けると通達してある。また、一族にも賠償金を請求する」
侯爵の親族は少なく、いずれも地方で慎ましく生きる謙虚な者達だった。殆どが自ら爵位返上を申し出、資産の清算にも取りかかっているらしい。
「連れていけ」
二名は大人しく、一名だけは引き摺られて去っていく。もう平民となるので行き先は地下牢。男とは距離をとっているが…あの様子では地下に行っても騒ぎ立てるだろう。
「疲れた…」
「領地云々については既に陛下の方で指示が飛ばされているそうだ…恐らく先代様だろう」
「そうだね、色々驚かされた」
あとで御礼に伺おう。ラシュエルも一緒に挨拶をしたいと言っていたし。
「戻ろう、やることは盛り沢山だ」
一刻も早く終わらせて、ラシュエルの元に帰りたい…ラシュエルの隣が僕のいる場所だから…
「第三特別室に?」
「先代様の指示があったそうだ」
高貴な鼠…ジュリアス侯爵が第三特別室に送り込まれてきたという報せに、僕もエドワードも思わず目を合わせて瞬いた。
「第三特別室ってことは…お祖父様の方である程度の証拠を揃えたってこと?」
罪を犯した高位貴族が、爵位と領地、全ての財産を剥奪されることが確定している待機場所。
第一なら賠償金のみ。第二なら一部の領地と賠償金。どの部屋で待機させられるのか、それによって失うものが違う。
その中でも貴族ですらなくなる第三特別室は、入る時こそ貴族であるがそれまで。全ての取り調べと手続きが終われば平民として扱われる。
「先代様の執事からこれを…」
「書類?…あぁ、なるほど」
ペラペラと捲れば、侯爵家を糾弾できるだけの証拠がズラリと記載されていた。
「密通を訴えている女性からの慰謝料だけでも破産だね…それにしても、国中の男を食い尽くす気だったのか?」
これで僕の妃になりたいなど…よくも言えたものだ。汚らわしくて近寄りたくもない。
「男の方は?」
「落ちた」
「じゃぁ、そろそろ行ってもいい?」
「どうぞ」
悪い笑みを浮かべるエドワード、軽い足取りで僕を先導して男の待つ部屋へと向かう。
「念のために聞くけど…生きてる?」
「一応生きてるぞ」
この短時間で精神崩壊までいったか?まぁ、僕の知ったところではないけれど。
「よく喋るようになったから、聞きたいことは全部聞けると思う」
********
本音を言えば今すぐ殺してやりたい。
目の前で喚き散らす男に対する僕の気持ちだ。
「なぜだ!なぜジェシカを選ばない!ジェシカがどれだけお前を愛してると思ってるんだ!俺がどんな気持ちで抱いていたと思ってる!ジェシカを抱け!王太子妃にしろ!」
「ねぇ…あの女が僕を愛してるなんて、本気で思ってる?あの女が欲しいのは地位であって僕の愛じゃない」
鼻息荒く、僕を睨み付けて噛みつかんばかり。そんなにあの女が欲しいなら、いい顔せずに自分のものにすればよかったのに。
「それにさ、簡単に股を開くようなゆるゆるの女は僕の趣味じゃないんだよね。愛人どころか一夜の相手にだってしたくない」
「ジェシカはっ──」
「知ってる?君の他に何人の男に体を許してきたのか。君が懸命に働いて得たお金で贈った貴金属が、今どうなってるのか知ってる?」
「な、にを…」
貧しい地方貴族の三男として生まれ、慎ましい生活を送っていた青年が毒婦によって冒された…運が悪かったとも言えるし、隙を見せたのが悪いとも言える。
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「ろく…」
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先程までの勢いはどこへやら、渡した書類を読み進めるうちに顔色は悪くなっていく。
「酷いよねぇ…これとか、君の給金一年分はするんじゃない?これとこれも、だいぶ値が張るものだね。いくら貢いだの?」
「お…俺は…ジェシカが…」
「よほど気持ちよくしてくれたんだ?僕には無理だな、一日で何人も相手にしてる女を抱くなんて…商売ならともかく、ただ欲にまみれただけの女なんて気持ち悪い」
経験がなかったわけじゃないだろうに、何がそこまでこの男の琴線に触れたのか…
「…ジェシカは…ジェシカは本当にあなたの正妃になりたがっていたんだ…」
「うん、正妃にね。別に相手は僕じゃなくてもよかったはずだ。そう思う節はあったはずだよ」
「それでも…よかった…」
「なぜ?腹黒いところにも惹かれた?」
「…本人だけではどうにもならないことを…どうにかしたいと努力したり…足掻いたりするのは…別に悪いことじゃない…」
なるほど。なぜこの男が毒婦に嵌まり落ちぶれていったのか分かった気がする。
「努力したり研鑽を積むのは決して悪いことじゃない。君がそうじゃないか?地方の貧しい貴族の三男として生まれ、成人を迎えれば自立を余儀なくされるから努力したんだろ?」
ポタポタと、毒婦について書かれたリストに男の涙が落ちていく。
「だけど、その為に無関係な人間を陥れたり命を狙うのは違う。奪いたい、勝ちたいと思うなら正々堂々と勝負して、負けたなら潔く身を引くべきなんだ。あの女はそうするべきだった」
「俺は…」
「ベルシュ・ハリアー。君の仕事ぶりは料理長も認めていて、いずれは自分の後継者にと思っていたそうだよ…それももうない未来だけどね。」
「……っ…」
「それから、ラシュエルから伝言だ。風邪を引いた時、君の作るスープが何よりも元気付けてくれた。寒い夜は、君の作るポトフが暖炉よりも体を温めてくれた、と」
毒婦に冒されていた時でさえも、この男の作る料理はいつだって美味しくて心がこもっていたと言っていた。そこだけは、料理人としてのプライドだったんだろう。
「君が腕を振るうことは未来永劫ない。王族に薬を盛り、王太子妃を廃しようとした罪を許すことは出来ないからね」
「……はい」
「本来なら一族郎党、民衆の前で打ち首とされるのが君の犯した罪の深さだ…それを君が毒杯を賜ることで一族の罪とはしない、王太子妃が下した決断だ」
甘すぎる…そう言ったけれど、珍しくラシュエルが食い下がったから仕方ない。こんな男を庇うなんて、僕の嫉妬を煽りたいの?
「…妃…っ殿下に…謝罪を…っ」
「させないよ。君は僕の大切な宝を傷付けたんだから、そんな権利あるわけないじゃないか。毒杯は三日後だ、それまで地下で思う存分悔やめ」
誰にも会えず、誰にも見送られず…たったひとりで冷たい床に伏して死ねばいい。やりきれない僕の思いは、鼠に受けてもらうよ。
******
「あんた達!私にこんなことしていいと思ってるの!?早く縄を解きなさい!!」
「そうよ!この子が誰の妻となるのか分からないの!?さっさとしなさい!聞いてるの!?」
第三特別室の中から、キンキンと甲高い声が響いてきて苛立ちが募る。
「どうして地位ばかりに目が眩む女は皆似てるんだろう?馬鹿ばかりだ」
「馬鹿だからだろ」
エドワードの身も蓋もない答えに、なるほどと納得した。馬鹿だからなのか、確かにそうだ。
「さて、いきますか」
衛兵によって扉が開かれると、部屋の中には髪を振り乱して叫ぶ女ふたりと項垂れる男がいた。
「マリウス様に言いつけてやる!」
「僕がなんだって?」
「──マリウス様!」
つい今しがたまで喚いて怒鳴り散らしていたというのに、女ふたりは突如しなをつくり目に涙を浮かべて僕に縋りつこうとして止められた。
「なっ、マリウス様!」
「もうさぁ、既視感ありすぎてつまらないんだよね…猫被るのも下手だし、嘘泣きされても何も感じない。もっとないの?さっさと王太子妃にしろとか、私の手練手管を試してみなさいとか」
分かりやすすぎる媚に、どうして簡単に落ちる男が多いのか…馬鹿だから?でもそれじゃ困るんだよね、僕とラシュエルが守ろうとする国なのに。
婚約や婚姻について不貞を取り締まる法律でも作ろうかな。愛人抱えてる貴族が反対するだろうけど、条件をつければ引くだろうか。
「で?何か言うことはある?あぁ、何も知らないとかしていないはなしね。お前達がしたことは全て報告されているから…ね、侯爵」
お祖父様からの報告だと分かったのか、男の肩が笑えるほどにビクリと動いた。息してる?まだ死んじゃダメだよ、僕が手を下すまで。
「商会の横領、領地の税収の改竄、代官報酬の虚偽報告、使用人への虐待…まだ沢山あるけど聞きたい?言っておくけど、この調査結果は王家で正式に認められたものだから言い逃れも出来ない」
男はもう抵抗する気力すらないんだろう、項垂れて床に力なく座り込んだままだ。
「知りませんわ!仕事に関しては夫が──」
「王家が調べたと言っただろ?あんたがしたことも全て報告されてるんだよ、聞きたいか?商会で扱われている高値の商品を横流しさせ、その対価に担当者と密通。凄いね、殆どの従業員と寝てたんだ?使用人への虐待は…女性には主に鞭打ちしたのち裸で外へ終日放置、男性には性的奉仕を強要…ちなみに男性使用人は夫人の面接によって採用を決めていたそうだね」
「それは──」
「そう言えば、チャンドール男爵は元気かい?」
まだ食い下がろうとしていた夫人がサッと顔色を悪くした。面白いね、一発芸みたいだ。
「し…知りませんわ」
「そうなの?昨日も会っていたと報告を受けているよ?昼前から夕刻まで、街にある宿屋にふたりで籠っていたらしいのに…元気かどうか知らないの?子供の成長について語ったりしないの?」
「…子供…?」
おや、侯爵が復活した?気になるよね、どうして夫人と男爵が子供について語るのか。
「侯爵は知ってるよね?夫人とチャンドール男爵が幼い頃からの付き合いで、かつて婚約していた事も。でもこれは知らないのかな、ふたりには子供がいるんだよ」
「なにを!そんなことは──」
「煩い、喋れないようにしようか?」
猿轡を持つ衛兵を前に出せば、大人しく口を噤んだ。最初からそうしていればいいものを。
「侯爵、おかしいと思わなかった?娘として育てた子供が、あなたに何一つにていないこと」
「な…にを…」
「逆に、髪色や目元なんかよく似てるよね…チャンドール男爵に。そう思わない?」
娘の顔を凝視して、侯爵はみるみる顔色を赤くしていく。本当に気付いてなかったんだ?
「夫人は侯爵夫人の地位が欲しくてあなたに擦り寄った…でも、真に愛していたのは幼なじみでもある元婚約者のチャンドール男爵だった」
「…親が無理に決めた婚約だと…っ」
「その相手と週一で会う?それも決まって同じ宿を使って。主人の証言によると、妊娠していた時でさえも通っていたそうだよ」
「私には…っ、体を大切にしたいと…っ…」
「随分乱れていたようだけどね、妊娠中にも関わらず部屋の掃除が大変になるほどだったとも証言してる」
膨大な報告書を見るだけで吐きそうになる。それにしても、お祖父様の調査部隊は仕事が早くて正確だ…今度紹介してもらおうかな。
「貴族の托卵は当主判断…と言ったところなんだけど、もう当主ではなくなるし関係ないね」
「は?当主じゃなくなる?」
「あれ?夫人はこの部屋がどういう意味を持つか知らないの?」
第三特別室が意味するところを教えてやれば、分かりやすくショックを受けてへたりこんだ。これで暫くは大人しくなるだろう。
「待って…え…私はどうなるの?…お父様はお父様じゃなくて…貴族じゃなく…なる?」
「この部屋を出たら平民だ」
「…そんな…マリウス様、助けてください!私はこのふたりの被害者です!」
「聞いてなかったのか?全て調べた、と」
「…え…でも…私はマリウス様の…」
この状況でも僕の妃になれるとでも?どれだけ馬鹿なのか脳みそカチ割りたくなる。
「お前が僕の妃になれるはずがないだろ?」
「っ…わ、私はマリウス様に誠心誠意尽くしますわ!マリウス様の隣には私の方が──」
「黙れ」
この女は一番許せない。ラシュエルも僕の好きにしたらいいと静かに怒っていた。
「お前は何をした?僕の最愛であるラシュエルに避妊薬を盛らせ、毎晩のように注いだ子種を無力化させただけじゃない…そのせいでラシュエルは苦しんだ。お前だけは簡単に死なせないよ」
ラシュエルが苦しんだと言った瞬間、毒婦が笑みを浮かべたのを僕は見逃さない。その後すぐに、楽に死ねないと言われて青白くなったが。
立ち上がり近付きしゃがめば、今度は頬を染めて僕に濡れた目を向けてくる。まさか期待しているのか?あり得ないのに。
「痛いっ!!」
目の前の女が気持ち悪くて腹立たしくて、無意識に毒婦の髪を掴んでいた。
「お前のように股の緩い女、どうして僕が抱かなければならない?贈り物をしてくれたから…そんな理由で簡単に股を開く女をどうして僕が?」
「い、いたい…、、」
「逆だろ?股を開かなくちゃ贈り物ひとつもらえない女なんだよ、お前は」
「なっ──」
「ラシュエルは、婚約者時代から僕という相手がいるにも関わらず毎日のように沢山の贈り物と手紙が届いていたんだ。受け取るだけで構わないと言ってね。真に愛される女性は強請らなくとも貰えるんだよ、お前と違って」
馬鹿にされた怒りか、女の顔は赤くなり醜く歪んでいる。ラシュエルとは大違いだ。ラシュエルは怒っても可愛いんだから困っちゃうんだよね。
「分かるか?お前など、ラシュエルの足元にも及ばない塵ほどもない存在なんだよ。そのくせ他人を陥れる野心だけは一人前だ」
「いたっ、、」
いつまでも掴んでいるのが嫌になり、かと言って優しくもしたくないから思い切り床に叩きつけてやった。これみよがしにハンカチを渡してくるサミュエルには笑ってしまう。確かに汚れものに触れたら拭きたくなるよね。
「さて…数々の罪を重ねてくれたお前達には、相応しい処罰を与えてやろう」
僕の視線で衛兵が三人に猿轡をしていく。
「罪が多すぎて大変なんだけど、王太子妃に薬を盛ったことは何より重罪だ」
毒婦だけがバタバタと動き、くぐもった声でなにやら喚いているが関係ない。
「爵位、領地、財産を全て没収。屋敷や家財等を売却した際の金銭は、使用人達の退職金と訴えられている密通の慰謝料に充てる。侯爵令嬢に指示されていた男は三日後の処刑が決まった…お前達も同時刻に斬首刑とする」
斬首刑…その言葉に侯爵は項垂れ、夫人は目を見開いて驚愕し、毒婦は未だ抵抗を続けている。
「商会は先代の指導のもと継続されることになった。一族の関与は認めない。異議申し立てをした者は、同刑を受けると通達してある。また、一族にも賠償金を請求する」
侯爵の親族は少なく、いずれも地方で慎ましく生きる謙虚な者達だった。殆どが自ら爵位返上を申し出、資産の清算にも取りかかっているらしい。
「連れていけ」
二名は大人しく、一名だけは引き摺られて去っていく。もう平民となるので行き先は地下牢。男とは距離をとっているが…あの様子では地下に行っても騒ぎ立てるだろう。
「疲れた…」
「領地云々については既に陛下の方で指示が飛ばされているそうだ…恐らく先代様だろう」
「そうだね、色々驚かされた」
あとで御礼に伺おう。ラシュエルも一緒に挨拶をしたいと言っていたし。
「戻ろう、やることは盛り沢山だ」
一刻も早く終わらせて、ラシュエルの元に帰りたい…ラシュエルの隣が僕のいる場所だから…
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2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
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