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第1章・ウィリアム・エリード
第1話・ウィリアム・エリード
しおりを挟む足が痛い。腕が重い。喉が熱い。
それでも動きは止めず、剣を手放すことはない。ただひたすらに覚えた動きを、教わった動きを、反復していく。
「はっ、はっ……」
肉体は既にあちこちが悲鳴を上げ、限界だと叫んでいる。
しかし、実際にまだ体は動いているのだから限界ではないのだろう。本来限界とは自分たちが決めるものではなく、文字通り身体が物理的、生物的な活動限界に達した時をいうものだ。
青年はそれを理解していた。ただ苦しく、ただ辛い。それだけのことは限界とは呼ばないのだと。
「まだまだッ!」
青年の名はウィリアム・エリード。ストラムの街を納める貴族、エリード公爵家の一族であり現当主であるステリアム・エリードの一人息子である。
春季中頃の今日は、温度湿度ともに快適な過ごしやすい快晴となっている。街の人々は各々が仕事に精を出している。
そんな中、ストラムの街の東側に隣接する森の中で、ウィリアムは日課である剣の鍛錬をしていた。
少し開けた場所には訓練用のゴーレムやカカシが置いてあり、少し離れた場所には休憩場所も設置されている。ゴーレムは魔道具の一種なのでウィリアムには創ることができないが、それ以外はウィリアムが自分で用意したものだ。これに関しては彼のこだわりの一つだった。
左足を前に、体は半身で構える。両足は肩幅より少し広い程度に開き、左手は腰の高さで指先を正面に向ける。右手の剣をほどよい強さで握り、切っ先を地面から約30度の角度で持ち体全体を脱力する。これが基本となる構え方だ。
エリード家に伝わる剣術は受けの剣術とされている。相手の攻撃を弾き、捌き、受け流す。そうして生まれる隙を突き、早めに引くことを繰り返す。エリード家の本来は争いを好まない家色が現れていると言っていいだろう。
万人に加護が与えられるこの世界において、それに適さない分野の訓練は基本的に趣味趣向の域を出ないものが殆どである。それがこの世界の理であり、常識であるからだ。低位、若しくは中位の加護を超える才能を持っていても、それに気付くことは無いと言って差し支えない。それほどまでに、この世界は加護の力によって形成されている。
そんな中、数少ない者たちは加護に関係無く特定分野の努力や研究を続けている。それは伝統を守るためであったり、家族や民、故郷を守るためであったり、自由に生きていくためであったりする。エリード家が代々剣術を受け継いでいるのもその中のひとつだ。
一般的には加護に従わない事は神への侮辱にも等しい行為だとされてきた。しかしエリード家のような、通常の加護を凌駕することもあるほどの力になればそれは一変して持て囃されるのもまた事実だ。「1人殺せば殺人者だが、1000人殺せば英雄だ」なんて格言が存在するのと同じ。常軌を逸するものは廃絶されるが、それが強大ならば利用される。
「ふう……」
一通りの訓練を終えた後、木剣を立てかけ、汗を拭う。
普通ではない伝統を受け継ぐ者として、この聡い少年はそんな世界の理を理解している。
「バウッ」
「おっと、ありがとうユキ」
訓練を終えたウィリアムの元に、先程まで木陰で眠っていた狼がタオルを咥えて飛びかかった。
ユキと呼ばれたこの白狼は、昔ウィリアムが森の中の川で助けた狼だ。当時は子狼だった彼女も今は立派な成狼として、またウィリアムの相棒として街の人々に好かれている。
この青年は自由を好む。
決められた道を往くことを良しとせず、自らの目で見たものを信じ、歩んでいく。
本来は貴族が、ましてや公爵家の跡継ぎになるであろうウィリアムが野生の狼を相棒にするなど考えられないことである。しかし、ウィリアムの両親やエリード家に仕えるメイドたち、そして街の人々は理解している。この青年が決められた枠組みの中で生きていくような人間ではないということに。
「もうすぐ日が暮れるな……よし、帰るかユキ」
「ウォウ」
簡単に訓練道具を片付け、ゴーレムに布を被せる。普段着に着替え、1人と1頭は日が傾き始めた街を歩いていく。
街はまだまだ賑やかだった。冬季が終わり、これから牧畜や農業の季節となる今、住民たちには休んでいる暇などないのかもしれない。
ストラムの街はルーベン王国の南側に位置する、農業や畜産業で栄える街である。エリード家が治める公爵領ということもあり、周辺の町村のまとめ役としての一面も併せ持っている。
街の現当主はウィリアムの父のステリアム・エリード。「統一者」の加護を持つ、家族バカの貴族だ。息子であるウィリアムの視点からすれば親バカな言動が目立つものの、領主としての能力は加護と性格が相まって極めて高く、領民や王家からの信頼も厚い。またステリアムだけではなく妻でありウィリアムの母にあたるフィリー・エリードもまた、民を思う良き女性である。
彼女の身分は元々はただの平民であり、本来ならば貴族であるステリアムとの結婚など有り得ないものだった。しかしメイド時代の並々ならぬ能力や「愛される者」の加護による穏やかかつ愛情溢れる物腰から、反発するはずの各地貴族を逆に味方に付け、エリード家の安定に大きく貢献した。それはステリアムの妻となっても変わらず、度々街を訪れては街娘たちを中心に「姉様」と慕われている。
ウィリアムはそんな両親を心から尊敬していた。幼い頃より多くの愛情を自分に注いでくれた、心優しい領主の父。そして常に自分のことを第一に考え、辛い時は傍に寄り添ってくれた母。この2人こそがウィリアムの誇りであり、人生の目標とも呼べる存在であった。
賑やかな街もやがて終わり。街の外れに近付いてくる。地理の関係か、エリード家の屋敷は街からは少し離れた場所にあるのだ。
そんな時、麦畑の中から声がした。
「お、ウィリアム様。訓練の帰りですかい?」
「ああ、そうだよ。ビルも畑仕事おつかれ」
「いやいや、とんでもねぇです。カミさんなんてまだまだ向こうで働いてますし、俺もまだ動けるってとこガキに見せてやらねぇと」
「はは、まあ無理だけはしないようにね。娘さんは、今は5歳だっけ?」
「娘の歳まで覚えてくれてるたぁ……。よっしゃ、今年も美味い小麦作るんで期待しててくだせぇ」
「うん、そうさせてもらうよ」
「春季ってもまだまだ夜は冷えますから、ウィリアム様も風邪なんか引かんようにしてくだせぇな」
「ビルもね。奥さんにもよろしく言っておいて」
ーーー相変わらず元気だなぁ、ビルは。
土まみれになりながら畑仕事に勤しむ中年の男性に応え、街の外れを歩く。いつも麦畑の世話をしているビルを含め、ウィリアムはいつも沢山の住民たちと言葉を交わす。そうして街の様子を知り、住民たちひとりひとりの様子を知るのだ。それはいずれ領主の立場を継ぎ、この街を守っていくことになるウィリアムにとっての大事な1歩だった。
『まずは民を知りなさい。次に世界を知りなさい。そうすれば、皆が自然と貴方に付いてゆくでしょう』
かつてのウィリアムの恩師の言葉だった。彼は今はもうこの世界にはいないが、見守りがいのある教え子の青年はその意志をしっかりと受け継いでいる。
「うっ、確かにまだ冷えるな……」
街を抜け、屋敷までの草原を歩いている1人と1頭の間をまだ冷たい風が吹き抜ける。汗をかいた体は既に冷え始めていた。
ウィリアムが両腕を摩っていると、察したユキがウィリアムの背中に飛び乗った。
「うおっ、どうしたんだユキ?」
尋ねられたユキは「グル」と小さく吠えると、その美しい毛並みをウィリアムの首元や腕に密着させた。
どういう訳か、ユキには狼らしい、もとい獣らしい匂いなどはしない。屋敷に入る際は汚れたままでいることを嫌がるし、毎日風呂も欠かさないほどの綺麗好きだ。だから密着されても不快感なんてのは全く無いし、美しい毛並みは見た目通りの心地良さを与えてくれる。そんな彼女だが、ウィリアムが凍えているとなれば汗かきの体など気にならないらしい。
「暖かい……相変わらずお前は頭が良いんだな」
ウィリアムがユキの頭をうりうりと撫でると、ユキもまた嬉しそうに小さく鳴くのだった。
いつも通りの日常。いつも通りのウィリアム・エリードである。
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