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第二部

125 神殿に行こう1

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「うーんむ……人間成長すると大いに変わるものだな。清濁併せ持つというか……」

 低く困惑に唸るような声を上げたのはザックだ。
 彼もアーニーの正体を知らされていたが、マルス同様にまだ全部を受け入れ難そうにしていた。現に姿変化の魔法と成長を混同しているような台詞を口にしている。
 壁際に待機しているウィリアムの配下二人は状況を静かに見守るだけで意見は述べない。

「ソーンダイク公爵にまさかこういう無駄に挑発的な面があったとはな。そもそも、アイリスにしても俺たちには言えない何かの事情があって戻って来れないのかもしれない。或いは、先のメッセージは呑気そうに聞こえてその実強要されたものだったかもしれない。……やはり今すぐ乗り込むべきだな」

 怒りが再燃したのか珍しく目を据わらせたウィリアムからまたもや超低音が響いてきて、隣席のマルスは思わず彼の腕を掴んだ。

「おい、あんたが不用意に乗り込めないって言ったんだろう。だから僕だって我慢していた」

 マルスの強い眼差しには、それなのに前言を撤回して軽率な行動を取るのかという非難も込められている。
 二人はしばし無言で睨み合った。

「殿下、落ち着いて下さい。マルスも。逸る気持ちはわからないでもないですが。冷静さを欠いては出来る議論も出来ません。早急に対策を練る必要はありますが、わしが手ずから紅茶を入れる時間くらいはありましょう?」

 気分一新を図る意味もあってか、気を利かせたザックが返事も待たずに席を立つ。
 マルスはザックに内心感謝すると共に、微かにホッと息をついてウィリアムから手を離した。
 ウィリアムの方は多少苦い顔付きでいる。尚も冷静さを欠いてしまった自らにバツの悪い思いでいるのだろう。
 しばし厨房の方で茶器の音が聞こえていたが、ザックはやがて準備された紅茶のポットと五客のティーカップ&ソーサーを盆に載せてホールに戻ってきた。その間ホールでは誰も何も発しなかったが、多少空気は和らいでいた。
 ザックはウィリアムの配下二人もテーブルに呼ぶと、一人一人に給仕をしていく。茶器の音が微かに響き湯気と香気がテーブルを彩った。

「ところで、僕に一つ考えがあるんだけど」

 お礼を言ってザックの淹れてくれた紅茶を一口飲んで、マルスは自らの意見を机上に広げる。

「あのカッコイイ不死鳥はアイリス嬢が心配なのか手紙を置いたら急いで帰ってったから話もろくに聞けなかったし、ソーンダイク家には正面から訪問如何の打診をしても時間が取れないとか具合が悪いとかではぐらかされる始末だし、きっと無理に押し掛けて行っても門前払いを食らうのが落ちだろうし、今の所これと言った有効そうな手立てはないかと思っていたんだけど……」

 マルスの言葉は全くその通りだった。
 当初の策としては、訪問して日記に密かに捜索させるという手筈だったが、それすら実行できそうにない。
 だから余計にウィリアムは気を揉んで焦って短慮になったのだ。

 事が最愛のアイリス・ローゼンバーグに関わるゆえに。

 そんなウィリアムは「あれがカッコイイか……?」と関係ない方向の疑問の呟きを落としていたが、自らで脱線した思考に気付いたのか気を取り直すように紅茶に口を付けた。

「――だったら、いっそ日記だけ送ってみたらどうだろう、と思った」
「日記だけを?」

 ティーカップから口を離したウィリアムが僅かに視線を上げマルスを見やる。マルスの方は一つ頷いてみせた。

「ああ。単独で日記だけ。日記って普通の本とかよりも本人に近しい持ち物だし、変な警戒はされないと思う。本人に渡すようにって頼めば直接本人に届けてもらえる可能性が高いだろ」
「なるほど、それはいいかもな」

 マルスの妙案にウィリアムは即決定とばかりに静かにソーサーにカップを置いた。
 日記の真の姿を知らないザックと配下の二人は、日記を送って何になるのかと疑問顔だ。

「まあ、どの道日記はスパイの真似事を喜んでやる気のようだしな、まずはそれで手を打つか」

 日記がスパイ、と機密部外者の三人が揃って変な顔をした。

「あの日記は勘の鋭い所があるから、もしアイリスの元に届けられずとも、きっと自力で何らかの手掛かりを見つけるだろうしな」
「なら善は急げだ。早速日記に話をつけにいくか」
「ああ」

 日記の勘、日記と話……と、とうとう酷く困惑し出す三人には構わずに、ウィリアムとマルスはさっさと席を立った。
 その後二人はその日のうちに日記と三者で連絡手段やら緊急時の帰還方法やら日程やら何やらを相談し、ソーンダイク公爵家の所有する住所のうち、とりあえずは一番規模の大きな公爵家の本邸に日記を送り込む方向で動き出した。

 ただ、アイリスの居場所として本邸は大正解だったが、しかしその目論見は大きく外れることとなるのを、当然ながら彼らはまだ知る由もなかった。




 ソーンダイク公爵家の本邸では、本日届いた郵便物や荷物のうち公爵本人に関係するものだけが仕分けられ、現在彼の書斎机に置かれている。
 木目の際立つ光沢も美しい濃茶の書斎机に陣取るアーネストは、使用人を下がらせた書斎で一人頬杖を突いて、王都から届いたとある小包を注視していた。

 差し出し人の名はマルス。

 住所も王都の「処刑どころ」となっているので、あのマルス少年に違いなかった。
 彼は一体何を送って寄越したのか。
 アーネストは少しの興味を抱いて封を解いた。
 中からはずしりとした書物のようなものが出てきた。

「へえ、アイリス日記か……。これはまた久々だね。何だか前よりも綺麗になってる気もするけど」

 彼は以前この日記に魔法を掛け、最後のページの死亡フラグ云々のメッセージを隠した当人でもある。
 無論、本当のアイリス・ローゼンバーグの依頼によって。
 中身は物理的にも心理的にもブラックな日記だったが、パラッと見た感じそれは変わっていないようだった。
 あの元の性悪アイリスがどうしてか後生大事そうに扱っていた日記だが、人間自分の日記だと丁寧に扱うようになるのだろうか。

『ありがとうアーニー。ああ、これできっと……』

 嬉しそうな少女の声がふと耳の奥に甦る。
 自分にローゼンバーグの屋敷への仕掛けを頼んできたアイリスは、近く訪れるだろう死を前にして沈んだ様子はなかった。

 今思うと些か違和感がある。

 日記に書かれた悲愴な文章の書き手が果たしてそのような態度を取るものだろうか。

 当時は然して興味もなく彼女の心理状態を推して量ることすらしなかったが、単純に気がおかしくなっていたと捉えるのは早計だったかもしれない。

 もう過ぎてしまった彼女の件はともかく、現在は自分の所に今のアイリスがいるタイミングでマルスがこの日記を送ってきたのも、何か裏があるのかもしれない……と、彼は改めて慎重な姿勢で結論を出した。

 もしも彼がローゼンバーグ家のあれこれに関与していなければ、マルスの気遣いと受け取って日記を本人に渡していたかもしれなかった。

 しかし、結果としてそうはならなかった。

「何らかの細工がされている可能性もあるし、一先ずは仕舞っておこうか」

 彼は後で念入りに調べるつもりで机の抽斗を開けると、日記を入れて厳重に鍵を掛けた。




「ご機嫌ようアイリス」

 ああ、また来たわね……。

 今日も治療かはたまた私を散歩に連れ出そうと、アーネストの奴が姿を現した。
 この前ので、彼がわざと治癒を焦らすようにしていたわけじゃないってのはわかったわ。
 治癒魔法をあれこれ試してくれているのについても感謝はしている。だけど、その真意が読めないから純粋に感謝だけってわけにもいかない所が複雑なんだけど。

「治療しに来てくれたの?」
「残念ながら今日は違うかな」

 現在私は自らの知覚と精霊ズの助けでベッドから出て窓辺の椅子に腰かけての日光浴中。よく猫が窓際でそうするみたいにね。
 因みに、目元だけ白いまま~なんて変に日焼けしても嫌だったから眼帯は外してある。
 今日は天気が良くてポカポカと温かいし、窓を開けているからそよ風だって心地いい。
 でもそんな良好な気分は誰かさんのせいで急速に荒れ出した。

「……公爵ってそんなに暇なの?」

 治療じゃないってわかって現金だとは思うけど、少しの棘を含んで言ってやれば、近付いた足音は私のすぐ傍まで来て止まった。

「暇だったら毎日来るんだけどね」
「ああそう、なら今日もさぞかしお忙しいでしょうから遠慮せず即刻ご退室下さい」

 これで素直に退散してくれればいいけど、いつもの如くそうはならないでしょうよ。その証拠に不死鳥が私の肩に乗ってきて威嚇するように羽毛を震わせる。……関係ないけどこれがインコとかだったら確実にフンを落とされてる震えだわ。

「そういつまでも機嫌を斜めにしてないでほしいねえ。何ならアーニーになろうか?」
「ホント!? ……っていやいやいや断じて結構よ! 大体、いつまでもって、たった今でしょ」
「私の正体を知ってからって意味さ」

 小憎たらしいったらないわ、ああ言えばこう言うんだから。

「生憎と散歩なら間に合ってるわよ」
「それは残念。だけど今日はお誘いじゃない。アイリスに大事な話があって来たんだ」
「大事な話……?」

 アーネストの口から畏まったように大事な話って言われると何だか変な気分だわ。だって彼には大事な何かがあるようには見えないんだもの。
 少し調子が狂って黙り込んでいれば、彼は特に長々とした前置きもなく単刀直入にこう言った。

「――アイリスには神殿に入ってもらおうと思う」
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