凡人は美形悪役に転生するもんじゃない

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16 ボーナス人生は比翼連理

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 ――トントントン。

「ぅん? 誰だ……?」

 夜が明け、まだ早朝の時分、俺たち三人のいる部屋にノック音が響いた。俺はベッドにむくりと上半身を起き上がらせる。ちゃんと服は着ている。結局俺はグリーンが心配なのもあって二人の部屋に居座った。長椅子でいいと断ったのにブラッキーは何もしないから自分と同じベッドで寝ろとしつこかったから、最終的には俺が根負けた。

 位置的に最も扉に近かった俺が眠い目を擦って開けた先、そこに立っていたのは宿の老支配人だった。

 昨日よりも疲れて見える。髪はほつれていて明らかに休んでいないのがわかった。温泉の異常を知らせてから一晩中、対策に追われあちこち駆け回っていたのかもしれない。
 俺は今更だが何かこっちでも手伝えることがあったかもしれないとやや後悔した。

「おはようございますスカイラー殿下。このような早い時間にお部屋をお尋ねする無礼をお赦し下さいませ。それと言うのも火急の用件がございまして……」
「火急の……、わかった聞こう」

 表情からもとても申し訳なく思っているのが伝わり、俺は一切文句を言わず体をずらして中へと促した。元より文句なんて一個も出てこなかったが。
 とりあえず部屋の中程にある対の長椅子の一つに促す。間にはローテーブルが置かれているが持て成しは必要ないだろう。
 薬の関係かグリーンはまだ眠っていたがブラッキーは起きてきていた。ノック音で俺同様に目が覚めたんだろうな。

「それで、用件というのは?」

 二対一で向かい合って腰掛けたそこで、支配人は非常に言いにくそうに切り出した。

「その……」
「急ぎなんだろう、躊躇うな」
「――! ありがとうございます、ありがとうございます! それでは……殿下方は魔法をお使いになると聞き及んでおります。そこでお願いがあるのです。昨晩からの温泉の異常についてなのですが、湯を引いている魔法制御のパイプからは何も異常は検知されておりません。故にどうやら山中の源泉に何かが起きているようなのです。実際問題として温泉にまでも黒く色が付き始めておりますし」
「なるほど大元がか」
「はい。けれども急峻な場所でして、私共では早急に確認には赴けないのです。山に漂う灰色湯気のせいもあり普通人の足では数日掛かるかと」

 あー、この現状で数日何もできないのは辛いよな。

「こうしている間にもあの湯気はこの宿を蝕んでいます。湿気は勿論なのですが、どうやら疲れや神経が過敏になったりと、人の精神に作用する魔力が含まれているようなのです。最近従業員たちの心身が総じて思わしくなかったのも、おそらくは空気中に混じる湯気の魔力成分のせいでしょう。ここ最近、湯気自体に何か混じりものがあるとは肌で感じてはいたのですが、泉質に異常はなく、よもや未知の魔力とも思わず……」
「だがついに目に見える形での事態になった、と」
「はい。そこで殿下方に源泉を調べに行って頂きたいのです。なるべく早く手を打たなければ損失は膨らむばかり、私はこの宿を護りたいのです。どうかどうかお願いします殿下!」

 確かに魔法でなら山登りも楽々だ。
 しっかし灰色湯気は人体に悪いものなのか? 精神に影響するのは昨夜のメテオロスとかを直接見ていたから納得できるにしても、俺は湯気が心地良かったんだがなあ。
 ……俺がおかしいのか?
 それにちょっと待てよ。属性変化の指輪が壊れたからには目立つ人前で魔法を使うのはリスクがある。いやしかし人助けだ。見えない場所まで行ってから使う他ないか。
 そういえばさっきかららしくなくだんまりな奴がいる。
 俺はちらとブラッキーを見た。
 ……ウインクされた。

「受けるも断るもあんたの好きにしていいよ。ただし同行はする」

 ハハハ同行ね同行。行くの決定じゃんそれ。
 困っている人を俺が無下に突き放せるわけがないと理解してやがる。ブラッキーの奴め。コンチクショー、何か嬉しい。

「話はわかった。俺とこいつとですぐにでも行ってみよう」
「殿下……!」

 支配人の顔が感謝の言葉と共に見る見るうちにぱあっと明るくなった。そうそう俺はこういう顔を見たいんだよな。

「こほん、支配人まだ喜ぶのは早いぞ。それと、俺たちが不在の間ベッドの怪我人を宜しく頼む。起きて動こうとしたらベッドに括り付けてでも絶対安静にさせておいてほしい」

 畏まりましたと支配人はしかと頷いてみせた。うむ、有能執事に任せておけば心配はないだろう。
 さて魔法はどうするかな。出発時は誰も見ないでくれ、なんて鶴の恩返しレベルで怪しいだろうしな。うーんと低く唸って悩んで閃いた。そうだ木を隠すなら森の中と言うように、闇魔力を隠すなら闇魔力を含む湯気の只中、だ!

「よし、早速見晴らしの良い露天風呂から出発しよ――」
「――さぁてとスカイラー、ほい」
「……?」

 場所も移動していないのに、ブラッキーはすっくと立ち上がった俺に続いて立つや両腕をこっちに差し出してくる。意味不明だ。支配人も俺と同じような怪訝な顔になっている。

「何だそれは?」
「うん? 僕が目的地まであんたを運ぶからどうぞってこと。行きも帰りも安心だろ? 因みに時短のためにもそこの窓から出るから」

 こいつ、俺の葛藤もわかっている。ここは仕方がない。無難にこいつの手を借りるか。
 俺は本心から感謝しつつ、こうやって助け舟を出してくれるこいつの度量の広さに感動した。
 宜しく頼むと頷いてみせた、結果。

「――――って何でお姫様抱っこなんだああぁぁぁぁ~~~~っっ!」
「暴れるなら安全のためにぎゅっとするけど?」
「――っ」

 そんなわけで、道中喚いたり閉口したりしながら俺とブラッキーとで訪れた崖を何個も越えた山深い源泉の地。
 俺は正直スカイラーの仕掛けの存在を予想していた。巧妙に探索にも引っ掛からない隠し玉を仕込んでいても何ら不思議じゃないからな。

「これは……」

 そこには確かに温泉に影響を及ぼす物があった。ただし初見でスカイラーのとは無関係だとわかった。

「……ええーと何だあれ? 黒い卵? ダチョウの卵くらいあるが、実はただの絶妙に卵の形なだけの墨?」

 湧き出る源泉の溜まり場には黒卵(仮)が沈んでいた。
 いつからそこにあるのかはわからないが、それからじわりじわりと滲み出している黒いものが湯に溶け込んでいっている。もくもくと灰色湯気も放出されていた。
 そうか、湯気が灰色なのは元が黒いからか。湯に色が付いているのもこのせいだな。きっといきなり溶解濃度が高まったからそれまでは微々たる量で色が付かなかったのがとうとう色が付いたのではなかろうか。

「なあブラッキー、あの溶け出している黒いのは闇の魔力だよな」
「魔物のな」
「魔物? じゃあ魔物の卵?」
「十中八九。ただし何の種なのかは僕にもわからないけど」
「へぇ、初めて見たな。温泉卵で食えるかな」
「あんたな……。ニワトリと違うから。それにこの源泉の温度じゃ魔物の卵は茹で上がらないだろうな。卵を手っ取り早く温めるためにここに生んでったんだと思う」
「マジか。結構熱そうなのに孵化のための熱源か、さすがは魔物……」

 ドラゴンか不死鳥か、一体何の卵だろう。

「原因を調べてほしいって話だったが、これは早急に取り除いた方がいいよな。よし引き揚げるか」
「えっ」

 超絶嫌そうな声を出したブラッキーを振り返った俺は目をぱちくりとさせた。

「何で鼻をつまんでいるんだよ?」
「はっ? スカイラーは臭わないのかこれ? さっきから相当臭いって」
「うん? 臭いのは温泉なんだから仕方ないだろう」
「温泉の臭いじゃなくて! その魔物の卵独特の臭いだよ!」
「…………へ? 全然臭わないが?」

 ブラッキーから珍獣でも見るみたいにまじまじと見つめられた。

「んんー、スカイラーも闇属性だから臭く感じないのかもな。僕なんかはあんたとは正反対の光だからもろに影響が増幅されてんのかも」
「なるほど。……湯気が心地良かったのも属性のせいか。ところでこれの親は?」
「もうどっか行ったんじゃないの? ここの熱で孵るだろうって感じだし」
「うわー無責任」
「魔物だし」

 そういうものか? 魔物には詳しくないからよくわからん。宿のより濃い灰色湯気の中、俺は沈んだ卵を見下ろした。

「何にせよ、こいつを除けば問題は解決だな」
「湯から出したら勿論魔法で消し飛ばすんだろそれ? 絶対もっと臭いし、後顧の憂いを断つ意味でも」
「――え?」
「え……」

 俺が魔法で湯から上げてさっさと収納指輪に取り込んだのと、ブラッキーが固まったのとはほとんど同時だった。

「おい何やってんだスカイラーーーーッッ!!」

 山中にブラッキーの素っ頓狂な叫びが上がった。

「ははっ大丈夫大丈夫、指輪の魔法空間は取り込む直前の温度を維持したままの状態にもできるから。臭いも漏れないし、中もかなり広くてたとえドラゴン百匹でも余裕だ」
「そういうことじゃねーっ! 凶悪なのが生まれて暴れたらどうするんだよ! 災いの芽は今のうちに摘むんだよ!」
「可哀想だろ。それに俺の許可なしには脱出不可能だから安心しろって」
「あのなぁスカイラー情けは無用。支配人も言ってたけど、アレクサンダーたちが狂ったように気が立っていたのもそいつのせいだ。僕も多少影響を受けたし」
「あぁ、あの時のあれか。そうは言われても、もう回収したし暫く様子見とくよ」
「はぁー、もう知らないぜ? 変なのが出てきても」

 呆れはしたがブラッキーは無理にどうこうしようとはしなかった。口で言う程脅威には感じないのかもしれない。もしヤバそうになったらどこか人里離れた場所までテレポートして俺自らで始末を付けるつもりだ。
 案外あっさり解決して拍子抜けした部分もなくはなかったが、これで宿は無事に元通り。人助けできて幸いだ。
 スカイラーの仕掛けじゃなくて良かったってちょっと思った。
 
 またお姫様抱っこで複雑になりながらも宿に戻って諸々を説明したら、支配人は泣いて喜んだ。
 俺でどうにかできて本当に良かった。
 それにしても、本来ならとっくに離れていたはずの街リームケーユ。そこの温泉宿を意図せずも訪れた俺たちの奇縁と、そこで俺たちだからこそすんなり解決できたんだろう珍事象。
 人と人の関わりは良くも悪くも不思議な導きさえ孕んでいる。
 何か見えない手に裏で糸を引かれている……とか? ハハッまさかな。
 すぐに馬鹿らしいと打ち消したものの、俺は一人ぶるりと小さく震えてしまった。

 その後、宿の面々に協力を感謝しギャング一味を然るべき機関に引き渡してリームケーユを出た俺たちは、一旦帝都に戻った。
 グリーンは帝都で静養させることにした。
 警備も看護も手厚い場所で静養してもらおうと、奴を覆う魔力層を取り払わなかった。
 当人は取り払うよう強く主張してきたが、主君命令だとしてにべもなく却下。

『スカイラー様の意地悪~っ』

 と、そんな泣き言をと言うかマジに泣きながら叫ばれたよ。
 アレクサンダーはいつの間にか居なくなっていた。一人で帝都に戻ったんだろう。まぁ、立場上メテオロスにくっ付いて牢獄にまで行くわけにもいかない。協力して捕まえたことにしようって俺の提案を呑むなら尚更だ。
 振り返ってみると、温泉では湯気のせいでいつもより過激だったんだろうが、あれは根底にある感情が増幅されたものだ。奴への評価を変える要素は何もない。

 その他、事後処理的な細かなことを言えば、アレクサンダーに同行していた取り巻きの一部もギャングたちと共に拘束した。宴会に同席していたのもいたし、彼らはギャングをギャングだと知っていたようだから同情はしない。皇后もさすがに全員を庇い立ては不可能だろう。しかも案外大物がいてギャング団の排除以上に政敵の勢力を削げたから儲けものだった。うはは。
 この件ではギャング全員とアレクサンダーの取り巻きの一部が処刑という着地になった。皇后の心中や如何に。まっ、決して穏やかじゃなかったろうがな~。
 俺だけでなく、よりにもよって手塩にかけてきた最愛の息子皇子にも手を噛まれたんだから。
 ギャング団関係の顛末はそんなところだが、唯一例外的にその顛末に含まれなかった者がいる。

 ――メテオロスだ。

 俺は一味の処刑の前にこっそり奴を釈放させた。
 勿論スカイラー様の権力でな。無論過去の行いを洗った上でだ。案の定メテオロスは他のギャングとは扱いが別で老ギャングの実験室で長年モルモットにされていたところを、その戦闘能力故に外に出されアレクサンダーの下についたらしかった。アレクサンダーに従うという隷属魔法を施されてな。
 ただ、助けたのは思った程悪人じゃなかったからでも、アレクサンダーが気に掛けていたからでもない。

 アレクサンダーには当初の協力要請通り各地の仕掛けを解除してもらうつもりの俺は、その護衛としてメテオロスを雇ったんだ。実質俺の配下に置いたってわけだった。

 メテオロスは捕まっていた折には潔くも命乞いは一切しなかった。ビービー喚いていた他のギャングたちとは違ってな。武士とか侍って言葉が過ぎったっけ。
 因みにココイチ往生際が悪かったのは老ギャングだ。皇后の密かな庇護により長年違法非道を見逃され甘い汁を吸って生きてきたそいつは、性根もたっぷり腐り切り無礼に増長していたようで俺にもたっぷり毒を吐いたっけなー。きっと断頭台或いは絞首台に上らされる最後の最後までその口は恨み言に回っていたんじゃなかろうか。

 メテオロスが裏切りはしないかと俺想いの二人は懸念したが、そこは俺を誰と心得る?
 悪役皇子スカイラーだぞ?
 ふへへへへ、隷属の闇魔法を今度は俺様が掛けてやったってわけよ。
 誤解のないよう言っておくがメテオロス本人の承諾は得た。
 掛けてそして奴に俺が命じたのはただ一つ。

 ――アレクサンダーを頼む。

 たったのそれだけ。
 酒瓶に絡み付く蛇を仰ぐギャング団は壊滅したからメテオロスはもうギャング団じゃない。そうさ! グリーンと因縁のあるギャング団はもう存在しない。
 アレクサンダーを赦したつもりはないが、俺の計画とは別口でキリキリ解除に動いてくれる駒にすることで溜飲を下げた。
 あと、メテオロスが俺の最初で最後の命令を受け、直後とても自然な微笑みを浮かべたのは俺しか知らない貴重なワンショット。

 まあ敵方の話はこのくらいにして、新たに綿密なる計画を立てた俺たちは解除のために各地を巡った。

 俺たち、つまりは俺とブラッキーの二人で。

 グリーンにはよくよく養生しろと言ってある。
 今頃は優秀な右腕としての政治的手腕が発揮されているだろう。俺が不在の間できるだけ政敵たちの力を削いでおけって頼んだからな。
 ブラッキーは歯形を付けたりと俺が怒るようなおふざけはしてこなかった。俺の答えをもう知っているからだろう。そこはやはり元の主人公キャラが土台にあるからだろうか、案外誠実だ。

 それでも問題がないわけじゃない。際どいちょっかいを心配しなくて良くなったのは事実だが、全然ホッとはしなかった。何故なら俺たちは絶対的に気まずかった。表面上じゃ互いにいつも通りを演じていた、そんな感じだ。
 そうは言っても常に緊張感があったわけでもなく、徒歩での移動中、俺も奴もたまには二人してのらくらしてもいた。

「なあスカイラー」
「うん?」

 のらくら二号ブラッキーが平原を渡る木枯らしに鼻を赤くしている。
 同じようにトナカイ仕様ののらくら一号の俺は横目でゆるりと見やった。
 少し空を仰ぐ端正な横顔が笑った。

「全部終わったら結婚しよう?」

 脈絡は全くなかった。

「……何を急に言い出すんだか」
「へへっ僕はいつでも本気だぜ~?」
「はいはい。給料三か月分は鉄板なー」
「三か月? 何だそりゃ?」
「ははっさて何だろうな」
「むぅー、あんたってホンット釣れねえーっの」

 ようやくこっちを向いて苦笑を浮かべるブラッキーに俺は薄く笑った。
 黄色く立ち枯れた雑草の並ぶ原っぱを歩きながらの、半分本気で半分冗談なプロポーズ。
 されどそれ以上でも以下でもない、他愛のないやり取りだ。この場限りの、いずれ記憶の彼方に忘れてしまう会話。現に俺は次の日にはブラッキーを見て微かに思い出したくらいだった。
 そんな調子で旅は続いた。
 ブラッキーは嫌気が差したかどうかは知らないが、途中で抜けたりもせずに最後まで旅に付き合ってくれた。責任感ってやつだろうか。
 ぎこちなくても何でも、俺は居てくれて本当に助かったって思っている。

 怖いくらいに順調だったおかげで、幾つかの重点地域の解除という目標達成までの期間は何と一月と掛からなかった。正味三週間ってところだ。

 本当に終わった。全部。
 俺たちの関係も。
 当たり前だがパーティーは解散。
 奴は一言もゴネたりしなかった。

 ――だから本当に、実にあっさりと、ブラッキーとは離れた。

 今までご苦労さん、そいじゃ明日からは別々だな、お前への借りは返すからいつでも請求に来いよ、それまで達者でな……って軽い感じの別れだった。
 俺も奴も帝都の道端でさらっと手を振って背を向け合った。
 俺は我慢して振り返らず、真っ直ぐに前だけを見て歩いた。ザクザクとズカズカと歩いた。歩いて歩いて歩いて……なんていけなくて、少し進んだ先の道端に暫く立ち止まったまま歯噛みした。

 俺、ピカピカな一等星のお前に負けないくらいに立派なスカイラー皇子になるから。ガッカリさせないように頑張るから。

 叫びたかった言葉を心の中だけで叫んで、拳をきつくきつく握り締めて俯いて両の瞼を押し合わせた俺は、勢いよく顔を上げると今度こそしかと前を向いて踏み出した。

 そうして俺は皇子に、ブラッキーは冒険者にそれぞれ戻った。

 俺が月天宮に戻ってからもアレクサンダーたちには解除を続けてもらっている。残る仕掛け一つ一つの悪影響は決して待ってはくれないんだ、一つでも多くを無効にしておきたい。
 ただ未だに信じられないのは、あの我が儘アレクサンダーが俺に文句を言ってこない点だ。癇癪を起こしてもメテオロスが諭して宥めているのかもしれないが、何にせよこっちとしては都合が良い。
 本音を言えば、帝国全体で取り組むべきだって考えもある。しかしそういう全土への命令は皇帝じゃないとできないから今の俺の立場では難しく、地道に潰していく他ない。機会があれば皇帝に直談判してみるのも悪くはないが、皇帝に関する情報って極めて少ないから出来れば関わりたくないんだよな。
 ゲームだと主人公が平和を成し遂げて、エンディングで皇帝から褒美を貰う静止画でしか登場しない超脇役だからな。スカイラーやアレクサンダーと同じ銀髪と青瞳のイケオジではあったが未知の相手だ。
 この世界でも、元々息子たるスカイラーにも大して興味がないのか、顔を合わせ言葉を交わした回数はとても少ない。

 閑話休題。

 グリーンとは旅に出る前に戻ったようだった。
 お互いに大事な幼馴染みであり主従、恋愛じゃないが家族のようでどうしても切り離せない存在なのは未来永劫変わらない。
 変わったのはグリーンとは別の部分。
 もう俺は旅に出る前とは確実に違っていた。
 キラキラスマイル全開で公務に励み、帝国各地の狸たちと営業スマイルで歓談し、政敵には容赦なく背後から蹴りを入れるようなトラップを仕掛けて過ごしているうちに、戻ってから三か月が優に経過していた。
 仕掛けがリンクし大規模闇魔法を構築していたならとっくに帝都もこの国も壊滅していたはずの時間軸を、既に大幅に過ぎている時分。

 加えて、ゲームならとっくにエンディングを迎えている時間軸でもあるのに、俺は未だにこの世界のスカイラー皇子のままだ。グリーン共々生きてもいる。

 生~き~て~い~る~~~っ!! オペラ!!

 もしかしたら人生エンジョイヒャッホーで良い思いをしたらそこでボーナス終了と言うわけではなく、一人の人間スカイラー・ヘルスとして良き人生じゃったと天寿を全うするまでは留まれるようになっているのかもしれない。
 喜ばしさに心は春。
 俺の気分を体現したようにそよ~と窓からそよ風か入り込む……なんてわけはない。寒くて開けていられるかっ。今はまだ冬なんだ。外は薄ら白くもある。うぅ~見ているだけでぶるりとくるな。

 今日まで、ブラッキーとは一切連絡を取っていない。
 奴とのあれこれもそのうち薄れていくだろう。まだまだ鮮明だがきっと……そのうちに平気に……。
 この三か月、スカイラーの人気は当初の俺の予想を遥かに超えて絶大になっていたから大変だった。俺は俺なりに真面目に前世みたいにファンサの範疇でできることを積み重ねただけだ。だからホントにびっくりだよ。
 ふぅ、何だかんだでこの世界も結局は顔か? 顔なのか? あと権力財力もか。ははは。マジで武道館ライブ三日間満員にできるな。
 だがしかし、着々とスカイラー旋風を巻き起こしていた俺だったが、生憎とここ何日かはアイドル皇子をやる気力が湧かなくて、冷静に黙々と帝国皇子としての堅い公務をこなす日々を送っていた。寒くてなるべくなら外に出たくないのもある。
 不自由があるとか不満があるわけじゃない。魔物の卵も未だに孵らないし大きな騒動もなく平和そのものだ。
 ただ、何かが欠けているんだ。心の栄養不足だな。もやもやとして気が晴れない。……俺、鬱か?

「スカイラー様」

 側面に精緻なレリーフの施された高級紫檀の執務机から目だけを上げれば、グリーンが浮かない顔をしていた。ここのところのグリーンはずっと何か言いたそうにしている。

「どうしたグリーン?」

 奴は一度言い淀んでから喉に力を入れたようで声を大にした。

「そろそろいい加減ブラッキーの馬鹿者めに会いに行かれてはどうでしょう!」
「え……何で?」
「いつまでも辛気臭いからですよ! 愚かな私のために傍に居て下さったのは嬉しくも申し訳なくもあります。あぁ申し上げておきますと、私はもう平気です。多少フィジカルだって鍛えましたし。大変に不服ではありますが、スカイラー様が心から幸せそうに笑っている姿を私は見たいのです。とてもとーっても! ……たとえその相手が私ではなくても」

 グリーンは願いの大きさを一生懸命に腕振りで示した。俺はついつい彼の両腕を振り回す姿に和んでしまう。

「まあ、フラれたら私めが慰めて差し上げますけども」
「あはは、それはどうも」
「スカイラー様、今まで一人にしないでいて下さって、本当にありがとうございます」
「……覚えていたんだな」
「はい。弱っていたとは言え、スカイラー様の優しさに付け込んで過ぎた我が儘を言いました」
「いや、そんなことは……」
「あるんです。ふふ」

 優しいのはどっちだよ。こいつには随分と気を遣わせていたんだろう。グリーンは俺の本当の気持ちをきっと俺よりよくわかっていた。
 心が不調なのは絶対的に足りなかったからだ。

 ブラッキー・ホワイトホールが。

 あいつの声を聞きたい、姿を見たい、肺一杯にあいつの匂いを嗅ぎたい……ってのはちょっと変態臭いか?
 ベッドによく潜り込んできたあいつの高めの体温が恋しい。

「これでようやくちゃんとご自分の気持ちに向き合いましたね? こうやって私が背中を押して差し上げないとならないなんて、スカイラー様もまだまだ世話が焼けますね」
「はは、珍しく手厳しい」

 とは言え全くこいつの言う通りだが。
 グリーン・クリーン、自身の気持ちを抑えて譲って誠実な友であろうとしてくれる強さを持った優しい優しい幼馴染み。
 友情って愛しいなって気持ちが感謝と共に込み上げる。
 椅子から腰を上げ机を回って、グリーンにがばっと抱き付いた。

「ありがとうグリーン。お前は何があっても俺の唯一無二の最高の大親友だからな!」
「はい。私もですスカイラー様!」
「……ホントごめん、あとありがと」
「ふふっ」

 腕を解いて満面で笑むと扉へと爪先を向ける。

「スカイラー様、ただ、ブラッキーの奴めはおそらく――」
「――わかっている」

 ブラッキーが俺のストーカーちっくな真似をしていた仕返しのつもりじゃあないが、俺も奴の動向を探らせるくらいはした。
 俺が公務で度々帝都を空けていたように、向こうも冒険者として各地を巡っていた。
 奴の故郷は勿論、帝都に借りている暫定的な屋敷の場所は知っているが、直近のクエストは帝都郊外だったはずだから家に帰ってきているかはわからない。

 それでも、偶然か今日は全てが解決してからちょうど三か月目なんだ。

 俺は魔力不要の探索系の汎用魔法巻物――魔法インクで魔法陣の描かれた紙を破りブラッキー標的の魔法を発動、空中に淡く浮かんだ奴までの魔法の道筋を辿ることにした。光る筋の最終到達地点に探す相手がいると言うそんなベタな魔法具だ。誰にでも視認できるものなので当然相手にもバレる。相手が魔法使いなら簡単に解除されてしまう代物でもある。
 途中何度か滑りそうになりながらも広い月天宮を駆けて広い庭園を魔法で跳んだりもしながら正門へと向かった。今時分は庭師も農閑期だから魔法発動の場面を見られる心配はほぼないからな。必要ならテレポート魔法だって駆使してブラッキーの前に現れてやるとそう意気込んでいた。
 まだ魔法の筋は継続中。
 ブラッキーは探索されているのを大して気にしていないのかもしれない。万一敵なら受けて立つって感じだろうか。ま、奴は強いからなぁ。
 俺は逸る気持ちを抑え、両開きの大きな鉄の門を門番に急かすようにして開かせて、切らした息をそのままに門外への一歩を踏み出した。

「――スカイラー!」

 え……?
 この声は。

 ――開かれた門の正面向こうには佇む一人の男の影。

 俺の足は無意識にトト、ト、と前へ前へと動いた。
 光の筋は俺の真っすぐ前へと続いている。
 だがまさかの嘘みたいな光景だ。
 視線が釘付けで思考が惚けて覚束なくなった足が何もない所で間抜けにも突っ掛かった。

「ぉわっ!」
「っぶな~」

 光の筋の終着点は慌てて下へと滑り込み俺を受け止めた。
 二人して地面に倒れ込み、俺はやや焦って頭を起こす。その際俺の長い銀髪が顔に垂れたのが擽ったかったのか相手は目を細めた。
 赤いルビーみたいな綺麗な瞳を。
 誰かに見つめられてこんなにも胸が痛くなるなんてな。俺は感極まって震えそうになるのを必死に堪えていたが、多分俺の震えは完全には誤魔化せず相手にも伝わっていたと思う。

「ブラッキー……どうしてここに居るんだ」
「三か月経ったから」
「はい?」

 キョトンとしていたら呆れがちにそろそろ本当に上から退いてくれと言われて我に返って立ち上がる。すっかり門番たちや道行く人々には目を丸くされ注目されてしまっている。ばつの悪さが湧いた。
 しかしそれ以上にブラッキーへの愛しさ恋しさが込み上げた。
 ずっと会いたかった。だが、俺の身勝手で距離を置いたから会えなかった。

「げ、元気にしていたか?」
「えー、僕の動向を探らせていたくせによく言う」
「……やっぱり気付いていたよな」
「当然。僕もあんたを監視していたからな! しないわけがないだろ? グリーンを脅して情報をリークさせたりもしてな!」

 え。……え? グリーンは後でシバくとしても、何で、もう俺のことなんぞ気にかけていないのでは?

「へへっ、何だよそのめちゃ意外って顔。スカイラー、僕があっさり引き下がると本気で思ってたのか? 本当の本当に今日まであんたにずっとずっとずーっと会いたくて堪らなかったんだぜ?」
「え、お前も……?」
「も! よっしゃ良かったぁ~! あんたも僕を想ってくれてるとは薄々感じてたけど、自信はなかった。願掛けてこの三か月あんたに会うのを我慢してた甲斐があった~! ありがとう神様ーっ!」
「や、いや今のは」
「へへへっ隠さなくていいって! これで心置きなくできるし」
「何を?」

 戸惑い目を白黒させる俺に苦笑したブラッキーが俺の前にすっと跪くと俺の手を取った。薬指に何かが通った。

「これさ、給料三か月分な」

 見れば指輪だ。まさか、あの時の冗談で三か月分なんて言ったのを覚えていたのか?

「えっ……て言うかお前意味わかってなかったろ?」
「あーそこは駄目元で親父に聞いてみたら知っててさ、教えてもらった。博識なんだよあの人。……正確には養父だけど」

 最後の方はごにょごにょされてよく聞こえなかったが、こいつの父親ってもしかするともしかするんだろうか。その疑問は今は置いておこう。それよりもこの状況だ。
 こいつはわざわざ調べて実行までしてくれたらしい。
 ……これは、くる。
 目元が感激とか喜びとか叫び出したい衝動に圧迫されたように熱くなる。

「ブラッキーお前……」
「あぁ。スカイラー、結婚しよう」

 見上げてくる瞳は相変わらずの自信家でキラキラと輝いて悲観なんてどこにも見当たらない。
 こいつはこんな時でさえ無敵で陽気な主人公様なのかよ。
 ははは、参った。あと、返事の前に指輪嵌められたし。
 俺も跪いて目線の高さを合わせてブラッキーを見つめる。ブラッキーは意外そうに目を見開いた。二人で膝を突いた変な状況だが、これが俺たちなんだからどうしようもない。
 俺はにやりとすると両腕を伸ばしてがばりと抱き付いてやった。

「ああ、しよう結婚!」

 その瞬間、腕の中のブラッキーの体が震えた気がした。
 そうだ、メンタル強~って奴だからつい忘れるがこいつだって俺と同じく人間なんだよな。本当はどこか不安だったんだ。実際に俺は一度こいつを傷付けたし好きな相手に拒絶される怖さはそうそう拭えない。
 ごめん、悪かった、もう放さない。
 口に出すと何だか半減しそうだなんて思って、俺は抱き締めていた腕をより深く回した。しかしそれじゃあやっぱり物足りなくてブラッキーの耳たぶに口を寄せた。

「ブラッキー、心底お前が好きだ」

 俺のこの想いが一滴も無駄にならないようにって耳穴に直接注ぐつもりで囁いた。

「ああ、僕もすっごく――」

 再会を果たした俺たちは、正門の中心でこれ以上愛の言葉を叫ぶ代わりに口付けた。






「さてと、んじゃ今から教会行って書面上だけでも正式に婚姻しようぜ!」
「……は、今日!?」
「当っ然! 交際ゼロ日婚で、初夜から始まるラブもありだろ~」

 こいつは、本当に……。
 もう親の承諾を得る年でもないが、皇子だし国王の承認が要ったりしなかっただろうか。まあ反対されても強行するが。
 はあ、仕方がない。こいつのこと待たせた負い目もあるしな。
 俺も実は結婚って言われて想像した新婚生活にドキドキしていたりする。
 はは、まさかノンケだった俺が男に惚れるなんてな。
 スカイラーになった頃には全然想像もしていなかった。

「わかった。行くか、教会」
「…………」

 ブラッキーはぽかんとした。

「おい、冗談だったのか? まあな、いいよ、別に急がないし――」

 気付けば横抱きにされて大通りを凄い速さで運ばれていた。
 全面赤い顔のブラッキーは全力疾走が理由で顔が赤いわけではないだろう。どうやら教会に直行しているようだった。さすがのこいつも俺がOK出すとは思ってもいなかったに違いない。ははは可愛い奴だな。

「これは夢かも、うん夢に違いない、これが夢なら覚める前にとっとと結婚してあれしてこれしてそれしてスカイラーを嘗めて吸って齧って食べちゃわないと!」
「おいっ目を覚ませーっ!」

 混乱と言うか錯乱半ばだったブラッキーへとこれは現実だと頭に空手チョップを入れてやったら、はたと我に返った奴は両目をぱちくりさせていた。
 そうして俺たちは落ち着いて教会へと赴いて婚姻の申請をして宣誓もして晴れて正式に夫夫になった。
 ここが同性婚が一般的な国で幸いだった。でなきゃブラッキーは制度を変えてやるーっと革命さえ起こしていたかもしれない。マジで。

 その日は宮殿には戻らなかった。
 帝都にあるブラッキーの家にお邪魔した。
 だ~って、手料理をご馳走してくれるって言うからさ~あ。
 ……なのにだ、何故に俺はこいつとふっかふっかのベッドにごろんしている?
 しかも後ろから抱き枕にされているんだが。
 外は早い夕暮れの終わりに差し掛かりほとんど暗い。必然的に照明を点けていない室内も薄暗い。
 部屋に入るなりブラッキーは眠いと言って俺まで一緒に寝室に引き込んだんだが、まあそうだよな、こいつもクエスト帰りで疲れているんだろう。俺に引っ付いて安心して眠るとか、可愛い奴だな。おっきい猫め。

「しっかり寝ろよ。寝る子は育つって言うからな」

 相変わらず体温高いな。外気温との差でとても温かくて心地よくてこっちまで眠くなってくる。少し体を捻って頭を撫でてやった。撫で撫で、撫で撫でと。
 するとその手をはしっと掴まれ仰向けにされた。

「最初からべた甘とか、反則、それ」

 眠そうなブラッキーがぼやくように呟いて「好き、スカイラー」と甘えた声が降る。キスも。
 堪え性がないように何度も何度も何度も。
 段々と息が上がって触られる場所も際どくなった。ちょっとこいつ眠いんじゃなかったのか?

「のわっ、いやちょっと待てっ。そうがっつくな。こっちにも準備ってものがあるんだよ。お前だってだろ! ほら、その、色々と綺麗にしたりとかの手間がさっ」

 俺はまだ経験がないが、知識として男同士だとスるにあたっての入念なケアが必要だと理解している。
 目が爛々としていつの間にやらすっかり眠気の飛んだらしいブラッキーは「へへっ」と余裕かつ意味深に笑う。或いは最初から眠くなかった、とか?

「大丈夫、そこは心配要らないって。だから早く愛し合お? 初夜しよ~スカイラー」
「え、いやいや大丈夫じゃないって!」

 その瞬間、俺の全身に魔法が走った。すぐ次にブラッキーの方にも。
 小さく呪文を唱えた犯人の唇が弧を描く。

「僕の洗浄と浄化の光魔法で手間要らず~。な? 大丈夫だろ?」
「…………」
「なぁマジで駄目? グリーンを助けたお礼、今頂戴?」
「え、今?」
「そ、今……から」
「あー、そういう……って、それでいいのか? 本当に?」
「うん」

 はあぁ、狡い言い方だよ。甘える声音すらな。だが嫌じゃない俺も大概だよ。
 こいつには敵わない。大きな借りを本気で体で返そうとかそれで済まそうと思ったわけでもないが、まぁ、な、これは前金だ前金。
 承諾を告げればブラッキーははしゃいだように俺をぎゅっとして真顔でこう言った。

「僕だけがあんたに残せる跡を沢山残したい。花びらみたいに綺麗だと思う」
「おっ前はよく恥ずかしげもなく……っ」

 洗顔直後みたいにつるんとした清潔な肌を確かに自覚する俺は、既に言葉ですら翻弄されて少し悔しく思う。だから奴を引き寄せるや首に噛み付いてやった。
 初めてこっちがそうされた日の意趣返しの意味もある。

「跡を残せるのはお前だけじゃないからな」

 一瞬意識の空白になって固まっていたブラッキーは、くっきり歯形が付いた首をやや痛そうに摩るやぺろりと自身の唇を舌で嘗めた。
 それは猿か何かの動物が報酬を期待する仕種だとか言うのを何かで見たな。
 ブラッキーの赤い瞳が深みを増す。野生みも。

「宣戦布告もされたし、スカイラー、今夜は絶対寝かせないぜ?」
「こっちこそ望むところだよ!」

 見つめ合い、互いに挑発に囁く吐息があっという間に一つになった。



 この日俺たちは裸の付き合いをした。深い意味で。
 しかしそれで何がどうなるとも思わない。
 明日からも俺たちは変わらず俺たちで、今日よりも互いを愛しく感じるのかもしれない最愛同士なんだろうから。
 俺はもしかしたら、もっと知りたい、もっと欲しいと際限なく求める欲深な人間になるかもしれない。
 ……現にもうまたこいつに触りたい。
 どっちがどうだとか格闘してほとほと疲れたって言うのにな。因みに俺たちは両方試したが、俺はどうやら自分でも意外なことに「受け」の方が性に合っていた。だからと言うわけでもないが、肩や首に思い切り歯形を付けてやった。
 薄闇の中、凛々しいのにどこかあどけない寝顔の頬へと俺はそっと指先を伸ばす。
 触れる寸前、はしっとその手を掴まれ指先にキスされた。パチリと開いた赤い瞳が俺を捉えていた。
 くっこのっ、狸寝入りとか……っ。何か恋する乙女みたいで猛烈に恥ずかしいっ!

「第二回戦行っとく?」
「……っ、ご自由に!」

 こいつとは末永く一緒に居たいと、心からそう願う。







 ――……所変わって天界。
 常に全力で職務に励む天使職員たちは、今日も息抜きに死者たちに関する話題を口にする。ここには守秘義務も恥も外聞も配慮も何も必要ないのだ。全ては一切がつまびらかになる場所、天界なのだから。
 まあつまり暇潰しのネタには事欠かないというわけだ。

 天界オフィスに無限に並ぶ事務机たち。その一つでひたすら最後の審判に係る個人の罪状を精査し纏める事務仕事をこなす天使職員が、隣りの机の天使職員と共に休憩時間に入った折のこと。

「そういえば、先日のゲームの悪役皇子転生の人なんですけど、予定外の方向ではあれエンジョイしているみたいで良かったですよ。当初はどうなることかと心配していましたから」
「ああ、あの美形悪役ボーナス転生の方ですか。でもあの方結構珍しいケースだったんじゃ?」
「そうなんですよね。あのゲーム世界を勧めたのは紛れもなく手前ですけど、今でこそ言うと、あれ実はほんの悪戯心から出た冗談だったんです。本当は美形悪役の候補は他にあって……。それがまさか【彼】で即決、快諾するとは思ってもいませんでした」

 天使職員は頬を押さえて溜息をつく。

「その人は前世で悪党皇子としてやらかしたかなり重いカルマを背負って地球に転生して、そのカルマのせいで気の毒なくらいに芽が出ず、その後も不運の連続だったんですよね。本人は病んでしまって自覚すらなかったようですけど、本来は頗る顔もスタイルも良かったですし才能だってピカイチあったのに……」
「それは不憫過ぎて、もし自分が担当天使だったら涙チョチョ切れますよ。あ、もう、無理っ……うぅっ」
「あぁ泣かないで、ね? ほらハンカチ。一度地球で生きてからまた元の自分に転生したいだなんて、記憶としては何も覚えていなくても、魂の根源には刻まれていて普通は何かしらの反発というか拒絶が生じるものでしょう? たとえ元人生の途中からの転生とは言え」

 もう一人の天使職員は受け取ったハンカチで鼻を押さえ涙ながらに首肯する。

「えぇ、確かに。お世辞にも良いところを言えない最悪な人生を送った過去世にまた喜んで転生する例は本当に稀ですよ。魂のバグでしょうか……ぐすっ」

 天使職員たちは小首を傾げて考えたものの明確な結論は出なかった。

「まあでも古巣とは言えパラレルワールドみたいなもので同じ運命と決まっているわけでもないので。そもそもボーナス人生ですしね、今度は転生先で最後まで楽しく幸せを噛み締めて過ごしてほしいものです」
「えぇ、えぇ、そうだといいですねぇ。ちーん」

 終いにはハンカチで鼻までかんだ。その他もつらつらと沢山の人間についてを語り合った天使職員たちは、休憩後また過酷な事務仕事に戻るのだった。

「あ、そのハンカチ返さなくていいので」
「はーい」

 天の審判所は眠らない。
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