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17 おまけ話 新居は幽霊屋敷
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ある朝起きたら鎖で繋がれていた。
「…………何だこれは?」
ふかふかベッドで目を覚ましたばかりの俺は自分がまだ寝惚けているのかと思い、左手首に嵌められた腕輪から伸びる鎖をジャラジャラと音を立てて持ち上げた。鎖と言えば普通は金属製だが不思議と全く重くはない。
「しっかしどう見ても紛うことなき鎖……」
触れば実体はあるものの軽量化が甚だしく、かと言ってステンレス製でもないだろう。この世界にはまだ無いはずだ。
魔力をほぼ感じない初めて見るタイプの物で、しかしどう考えても魔法関係以外ではありえない。
とにかく、魔法の効果なのか魔法具本体なのかは判然としないが、正真正銘の拘束具だ。
そうっ、拘っ束っ具っ!!
「っていや何で!?」
一気に目が覚めた。鎖の先端はベッドの支柱の一つに結ばれていて簡単には解けそうにない。
冷水を頭からぶちまけられる気分ってのは本当にあるんだなー、ははは。幸い両手両足を拘束されてはいなかったが混乱と困惑に襲われた。
だってここは愛の巣、こほん、新婚ほやほやの俺とブラッキーの家。
半月前、二人で折半ってことで帝都にある古い貴族屋敷を買い取ったんだ。
元の持ち主は家屋敷などを継がせる子孫もなくとっくに家名ごと消えて久しいらしく、土地屋敷などの財産も全て帝国の管理下に置かれていた。帝都の中心でも端でもない程よい立地場所かつ広い庭のある大きな屋敷にもかかわらず、長年買い手が付かないままだったそうだ。
競売にかけられた過去もあるらしいが、売れてもすぐに手放され結局再び帝国管理の物件に戻るんだとか。
もしやと思い、曰くつきなのかと聞いてみたらその通りだった。
男の幽霊が頻繁に出るそうだ。
俺たちが内見を希望した際には、屋敷を最低限維持管理する役所の担当者の中年男性も「正直殿下へは決してお勧めはできませんが」と浮かない顔でハッキリそう言っていた。彼も幾度と件の幽霊の目撃経験があるそうだ。
古風な幽霊らしい。
纏う服装が古い時代のものだそうだ。
まあ俺もブラッキーも魔物でおかしなのには慣れているので、幽霊も似たような括りに入れていたせいか内見も平気だったし、更には購入を決めることに全く抵抗もなかった。
建物の造りも庭ももっとちゃんと手入れをすれば輝くこと間違いなしな素晴らしい原石、要は俺たちにとっては優良物件だったんだ。選ばない選択肢はなかった。
担当者は気がかりそうな顔で本当の本当の本当に大丈夫なのかと五回は繰り返し確認してきたっけ。皇子の俺に変な物件を紹介したとして罪に問われてはかなわないと思っていたのかもな。
因みに内見中は出なかった。前世では幽霊系統とはついぞご縁がなかったので是非ともお目に掛かってみたかったんだが残念だ。
まあとにかく、帝都でも知る人ぞ知る幽霊屋敷、住もうとするなんて物好きとまで言われるそんな風評の屋敷で、俺は朝から不可解な状況に置かれたらしかった。
因みに月天宮は仕事先として通う場所になった。
そして、そもそもどうして俺は拘束されている?
寝間着なのはまあ寝室での寝起きだからおかしくはないにしても、何が起きたらこうなる?
「そうだ、ブラッキーはどこだ?」
昨晩も一緒に眠ったはずなのにいない。別の部屋に拘束されているのかもしれない。
犯人は俺スカイラー皇子の住居と知って侵入しわざわざ俺を拘束したのか? 以前人が住んでいると知らないで肝試しに来た奴らもいたが、その手の人間はさすがにここまではしないだろう。
それとも物取りか? 確かにこの屋敷は見違えるようにキラキラしくなった。誰が見ても金持ちの住まいだ。それも嘘みたいな短期間でそうなった。
全部ブラッキーがどこのツテを使ったのか職人たちを連れてきて、入居から半月足らずというあっという間と言って良い早さで屋敷全体と庭全面を修復修繕更には的確にコーディネートしてくれた。
連日俺は宮殿に出勤していたし、入居当初屋敷の手入れに関しては生活に必要な最低限を優先して、残りはゆっくり整えればいいかと考えていたんだが、予想外の急ピッチ展開だったよ。
野宿だって珍しくないだろうブラッキーがこういう部分に案外拘る性格だとは正直思わなかった。引き払った帝都の奴の借家だってほとんど物を置いていなかったのに。
そうして全てが完了し、職人たちとうちの屋敷の少ない使用人たちとを招いて親睦会も兼ねたささやかな食事会を開いたのが昨晩だ。
食べて飲んで話して無礼講で楽しんで、最後には俺はブラッキーと二人で寝室で休んだわけだが、酒に弱い俺は元よりブラッキーも口数が少なく、多分あれは珍しく酷く酔っていたんだろうが二人でベッドにバタンキューだったので甘いことは何一つしていない。
成婚から約一月半、毎晩放してくれなかったから、一晩ぐっすりと睡眠に費やせた久々の夜だった。
「これ魔法で破壊できるか?」
破壊魔法を試すべきか下手に動かず状況を見極めるべきかで悩んでいると、ノックもなしに部屋に誰かが入ってきた。
俺はハッと緊張に息を呑んで目を向ける。
「!? なっ、んでお前?」
そんな真似ができるのは屋敷では唯一ブラッキーだけだが、俺の目に映るのはそのまさにブラッキーだった。
俺とは異なり拘束具もなく自由に歩いてベッドに近付いてくる。その手には朝食前の腹ごしらえ宜しく軽食やフルーツの載ったトレーが。
一体どんな状況だこれ?
ブラッキーは俺の姿を見た瞬間、とても嬉しそうにふわりと満面で微笑んだ。
ええと、ブラッキー……だよな?
奴はテーブルまで寄り道するのを止めて急いたように広いベッドにトレーを置くと、俺をその赤い瞳で捉えたままベッドの端に腰を下ろす。
顔に穴が開くんじゃないかってくらいにじぃーっと見つめてきて、のそのそとベッドに上がってくるや怪訝にしていた俺に繋がる鎖を手に取った。
何故かぐるぐると鎖を自分の手首に巻き付ける。
「お前何をやって――のわっ!?」
どうも様子がおかしいので観察していたんだが、いきなり奴の方へと引き寄せられよりにもよって奴の上に倒れ込んでしまう。
「おいっ乱暴だな!」
弾みでトレーの上の食べ物が少し跳ねたが、幸いベッドにぶちまけられたりはしなかった。そのことに少し安堵する。染みが付いたら洗濯メイドが泣いただろうからな。
俺もブラッキーも魔法を使えるので、究極の話使用人は必要なく魔法で全てをこなして暮らしていける。
しかしながら世間一般の間では魔法を使える者の方が少ないので、日常生活で気兼ねなく魔法を使えるかと問われればそうでもない。
魔法ばかり使うのは横着者と思われる風潮がある。
確かに、俺も前世は魔法のない世界の住人だし、諸々の手間やら大変さは理解している。もしも前世にも魔法使いがいて労せずしてちょちょいのちょいで家事やら仕事やらを片付けてしまえるのを目の当たりにしたなら、羨ましさと同時に狡いと妬みも湧くかもしれない。
そして、かもしれない、ではなくそうなのがこの世界だ。
だから魔法使いは日常では魔法の使い所をよくよく見極めないとトラブルの元だったりする。魔法を使えない人々でも使える魔法具が流通しているのも、単に生活利便性の向上だけではなく魔法格差を埋めるためでもあるらしい。それと不満を抑える意図も。
屋敷に使用人を雇ったのもそこに理由がある。ブラッキーは俺たち二人だけで十分だと言い張ったが、俺が頑として譲らなかった。
ついでに言えばグリーンも。
グリーンの家は帝都にあるが、俺がここに住んでからの半月は仕事終わりによく遊びにくる。つまりは宮殿から帰宅する俺に同行してくるってわけだ。そんな日は言うまでもなくブラッキーはめっちゃ不機嫌になる上に、グリーンが帰ると反動なのかずっとくっ付いてきて離れない。ホントに構ってちゃんな大きな猫みたいだよ。
話を戻すと、俺は闇属性を隠しているせいもあり最近はほとんど魔法を使っていないし、出来うる限り使わないで済ませたい。
何せ、俺スカイラー・ヘルスは結婚しても不思議と人気の衰えない、帝国のアイドル皇子ですから! マイナスイメージを持たれるリスクは避けたいんだ。
誇張じゃなく、ブラッキーと結婚後、俺の人気は爆上がり。各地を回ってトラブル解決が主な仕事のブラッキーの人気も右肩上がり。
俺たちが二人揃って記事になった翌日なんか特に顕著。主に女性たちからの視線が熱い。前世だとアイドルって結婚すると大抵は人気が落ちるが、幸運にも真逆な現象が起きている。
……何となく理由は察するな。きっとこの国には存外腐の方々が多いのだろう。美形同士のカップルなんて最高の贄だ。うん。
「って、ちょっこらブラッキー!?」
倒れ込んだものの、相手が旦那なだけにうっかり呑気にそのままにしていたらぎゅっと抱きしめられて起きられない。
「なあおいブラッキー? どうしたよ……ってそうだよこの鎖だよ、何があって俺は繋がれる羽目に? 敵襲か?」
まあ本当に敵襲ならこんな朝からこいつもイチャイチャはしていられないはずだ。
つまり、おそらく、これはこいつの仕業だ。
「なぁいつまで黙っているんだよ。鎖もお前だろ? こんな風にふざけるのは酔っている時だけにしろ。怒らないからさっさと外してくれ」
ブラッキーは依然無言のまま俺を両腕に閉じ込める。そのままの格好で二人で横になって暫くどちらも喋らず、チクタクと室内の大きな柱時計の音だけが聞こえてくる。いや、ブラッキーと俺の心音も。
ドクドクと俺の鼓動が奴のより速いのが少し不満だ。同じくらいドキドキしろよな。余裕ぶっこいててムカつく。
睨むように顔を上げ奴の顔を見ると、実に幸せそうな寝顔があった。
「寝てんのかーーーーい!!」
俺のツッコミにパチリと目を見開いたブラッキーは、驚いたのか即座に俺ごとベッドに跳ね起きた。必然膝抱っこされる形になる。
「え、え? スカイラー、これどういう状況?」
「知るかっ。こっちが聞きたいっ、特にこれ!」
ジャラジャラと音を立て手首の鎖を示すと奴は自分に絡めた物も含めて眺め、目を丸くした。
「何だこれ、え、マジ、スカイラー? あんたって拘束具使うとかそういう激しいプレイが実はしたぃ――」
「――俺がじゃないっ、お前だろ俺が寝ている間にこれ付けたの!」
「へ?」
「いやいや何だよ空惚ける気か? 今だって無言で抱き締めてきて、俺に何か文句があるなら口で言え」
「あんたに文句なんてないけど、僕も聞きたい」
「何を」
「僕がどうしてここにいるのか」
「え、はい?」
こいつは何を言っているんだ? 冗談なのか? それにしては表情が深刻だ。
「皆でパーティーを開いてラーンダム産のワインが美味くてがぶ飲みしたのは覚えてるんだけど、その後からの記憶がない」
「本当かそれ? ふざけているんじゃなく?」
その時だ、視界の端にふよふよ浮かぶ半透明な何かが入った。
ん? んん~?
「……幽霊?」
俺の呟きにブラッキーもそちらを見る。
「あー、確かに幽霊だな」
言葉が理性的に通じるのか、今より古風な提灯パンツにタイツって時代を感じる貴族服の青年幽霊はぺこりと頭を下げた。足の先は無い。
音楽室のショパンとかベートーベン、いやベートーベンのボサボサのあれは地毛か? とにかくバッハとかの中世音楽家によく見るようなくるくる巻き毛のウィッグだろう物を頭に被った幽霊は、俺たちを……いや俺をうっとりとして見つめている。
「何だこいつ」
視線に込められた感情に気付いたのかブラッキーはあからさまに不快を示すと俺を抱く腕をより引き寄せた。
おいおい密着し過ぎだろー。ま、嬉しいが。
それにしてもなるほどなぁ、引っ越してきてからこっち誰かの薄い視線を感じていたんだが、自分でも薄い視線って感覚がよく解釈できないでいた。幽霊からの眼差しだったなら納得だ。
初めましてな幽霊と俺たちは向かい合ったまま互いに動かず、またチクタクと如何程か時が過ぎた。
その間俺はある可能性を掘り下げる。
ブラッキーに記憶がないのは酔っていただけじゃないのかもしれない。
「……えーとブラッキー、お前もしかしてこの幽霊に憑依されていたんじゃないのか? だとすれば辻褄が合う」
「うーん……変な行動取ってたならそうかもしれない」
「別に変って程ではなかったが……」
「そ? 良かった。スカイラーに幻滅されてたら今すぐそいつを綺麗サッパリと浄化してやるとこだった」
軽やかに笑ったブラッキーに今度は後ろから抱き込まれ両脚に挟まれる格好になった。幽霊の前だって言うのに首筋の匂いを嗅がれ唇でなぞられる。
「こらブラッキー節操ってものを考えろ。今はそれどころじゃないだろ」
「へへっ」
「へへっ、じゃない。幽霊をどうするか考えないと。たぶんこいつだろ、噂の屋敷の幽霊って。もしも危険な奴なら対処も考えないとならない」
バリバリの貴族文化のこの世界でも幽霊の格好が古風の範疇に括られるのは少し不思議な感じだが、その幽霊はどこか切なそうにしてこっちを見ていたかと思えば、危険だとか対処と聞こえたからか焦ったような顔で無害ですとでも言うように左右に首を激しく振った。ウィッグが取れそーだぞー。
幽霊だから基本的には音を立てられず、喋れないのかもしれない。
これは細かな意思疎通が可能なのかと密かに案じていたら、手品みたいに何もない手から羽根ペンと時代錯誤の羊皮紙が出てそれに何やら書き付け始めた。なるほど筆談か。ここでも現在は紙が主流だから羊皮紙は物珍しい。極たまに魔法具で見かけるくらいだ。ところで幽霊だから自由に物を出せるんだろうか。
書き付ける摩擦音すらしない中俺はブラッキーと顔を見合わせる。好奇心もあり書き終わるのを待っていると幽霊は羊皮紙面をこちらへと向けた。
【申し訳ない。あなたがこの屋敷に来てからと言うもの、あなたの美しさに感激しずっとずっと触りたいと願っていたのだ。それが昨晩奇跡が起きそこの黒髪の男の体に取り憑くことができ、魔法鎖で拘束するなどとつい出来心でこのようなことをしてしまった。生前あなた似の妻に逃げられた苦い経験があってな……。本当に改めて済まなかった】
「あーそうか、この拘束具はお宅が……」
幽霊は申し訳なさそうに頷く。ハハハ出来心で拘束とか普通に怖いんだが! 逃げたこいつの妻は大正解だな。
とは言えおそらくそう性根の悪い奴ではないんだろう幽霊は、肩身の狭い思いでいるのかやや俯いて肩を竦める。反省しているようなので俺はこれ以上怒るのをやめた。そのくるくる巻き毛よろしく丸まった芋虫を虐めているみたいな気分になったせいだ、被害者なのに。
「ところで、魔法鎖と書いてあるが、幽霊でも魔法を使えるんだな」
幽霊はまたぞろ頷いた。そして新たに出した羊皮紙にまた何かを書き、それを見せてくる。
【そこは私自身も使えて意外ではあった。何しろ死んでいるのだしな。ただ、私の魔法はあなたの言うところの魔法とは厳密には少し異なる様式だが、概ね魔法と括ってよいだろう。今の魔法が新式ならこちらは旧式だな】
「へえ、なら俺の魔法でもこの魔法鎖は解けるのか?」
【力業でなら可能だ。しかしわざわざそんな労力を費やすまでもない。一日もすれば自ずと消滅する】
「え、一日も……」
「へへ、別に良いんじゃないの~、一日軟禁もどきで不自由になるくらい。グリーンには病欠だって言っとくし、ああ医者は寄越すなともな。心配しなくても僕が食事を運ぶし体も魔法で綺麗にしてやるし……って、あーそこは魔法じゃなくてもいいのか」
ブラッキーは意味深ににやっとした。こいつはまた臆面もなく。
「まぁいざとなれば自分でどうにかできるから良いか。って言うかこれお前の仕業じゃなかったんだな。俺はてっきり……」
「あん? スカイラーは僕の人間性をどんなだと思ってんの? 悪人でもない相手を無理矢理閉じ込めたり縛ったりなんてそんなことしないって。そこの足の無い奴と違ってな~」
う、この空明るい口調は傷付けたな。うわーどうしよ、そうなんだよな、ブラッキーは悪ふざけしたりはするが庇ってくれたりと、基本的に行動は優しいというかめちゃ紳士なんだよ。俺の中の乙女心がきゅんとくるくらいに。このケダモノめ~って例外は時々あるにしても、だ。
ブラッキーは昔、俺たちが突き出したあの隻眼の老ギャングに捕まっていたことがあったそうで、その拘束というか監禁時の苦しく辛かった話を少し聞いた。全部を話すのは難しいみたいだったから俺は敢えて無理には詳細を聞かなかったが。
その関係で溺れたとかで大きな水場は苦手だし、悪人だろうと人を拘束するのも本当の本当は葛藤や躊躇いがあると言っていた。リームケーユの件は空気に紛れた湯気のせいで多少その躊躇いも薄まっていたんだとも言っていたっけ。むしろ結果的には悪人共に逃げられなくて良かったが。
「失言だった、ゴメンな」
「へぇー、言葉だけで終わり~?」
「……」
暫し悩んだ俺はちらと幽霊を見てあれは空気の一種だと言い聞かせて迷いを散らすと、体を捻ってブラッキーへと首を伸ばす。
ちゅ、と贖罪と謝罪とあとご機嫌取りを口にしてやった。
これでいいな?
そう目で訴えようとして、急にまた横抱きにされて視界がくるりと回ったかと思えば奴の顔が近付いた。
「んっ、んぅっ……っ……はっんんっ――っ、おいっ幽霊が見ている前でどこまでする気だーっ!」
寝間着に手を突っ込まれたところで押し返した。俺の顔は真っ赤になっていることだろう。
ブラッキーは湿った唇を親指で拭いながら不服顔だ。
「見せ付けてやればいい。そいつは僕の体であんたに触れたんだ」
「ああそれか。安心しろよ、昨夜は何も変なことはなかったから」
「そうじゃない。そいつは一晩中ずっとあんたを独占したんだ。赦せるかってんだ。あんたは僕だけのなんだ。僕の体でだろうと他の奴の意識が指一本だって触れるのは我慢ならない。僕たちには入り込める余地なんてないってわからせてやりたい」
「い、言いたいことはわかった。だが、その、本当にいいのか見せ付けて?」
「何で?」
「他の男に俺の恥ずかしい表情とか見られてもいいのか? 俺はお前以外に見られるのは嫌なんだが」
「――っ」
ブラッキーまで一気に真っ赤になった。キッと幽霊を睨み据える。
「おいそこの変態幽霊、さっさとこの部屋から出てけ。僕のスカイラーのあんな顔やこんな顔やあんな声やこんな声を見て聞いて、あと触ってさせて良いのは世界でただ一人の夫たる僕だけだ。嫌なら即浄化消滅させてやる。それと、今度また僕に取り憑いたら秒で消す。わかったな?」
「ははっ過激」
「笑い事じゃないスカイラー」
ブラッキーは明らかに怒っている。え、何かすいません……?
一方、幽霊の方も今すぐ消されては大変だとコクコクと頷き慌てたように部屋を出て、と言うか壁をすり抜けてどこかへと消えた。へぇー、幽霊だと忍者以上に便利そうだなー。
「スカイラー、いつまで壁を見つめてるんだよ。あいつに恋したとか言わないよな?」
「言わない言わない。ただ良いなーっと」
「良い?」
「ああ、だって幽れ――へ?」
ベッドに押し倒されていた。
拗ねた顔のブラッキーが俺の手首すぐ近くの鎖を押さえたからその場から大きくは動けないだろう。まあ既にこいつの手首にもさっき幽霊が巻いた鎖が絡まっているからどの道遠くへは離れられないが、起き上がろうとすれば的確に組み敷かれた。
「ふざけるなって」
「ふざけてなんかない。良いって何だよ良いって! あんな提灯だかカボチャパンツ野郎のどこに魅力があったよ? 僕よりどこが良かった?」
「え……えっ!? 何て極端な! 違うから、良いって言ったのはあの幽霊が好きとかカッコイイって意味じゃない。壁を自由に通り抜けられる性質が便利で羨ましいなって意味だ」
ブラッキーは顔を傾け器用に上目遣いの角度で俺を見下ろす。
「本当に?」
「嘘言ってどうする」
困った奴だなと鎖のない方の手で頭を撫でてやって、次に機嫌を直せと頬をつんつんしてやった。硬かった表情が徐々に柔らかくなる。
「はあぁー良かったぁー。幽霊でももし僕以外の奴に目移りなんてしたら、僕しか見えない感じないように縛っちゃおうかなーなんて一瞬考えた」
何を言い出すんだこいつは。ブラッキーがブラック化って、最早ギャグだろ。
それ以前に拘束を嫌うこいつがこんなことを言うなんてな。
「そこまで重く俺を好きでいてくれて、どうもありがとうな」
「……スカイラーってやっぱ凄いよな」
「当然。何だよ今頃わかったのか?」
「へふっ」
ブラッキーはふにゃっと表情筋を総崩れさせて笑った。
とても可愛く。
だが、その可愛い子ちゃんは小狡くも笑った。
「なあ、昨夜の分、今しても良いよな?」
「いやもう朝」
こういう時、こいつは人の話を聞かない。
沢山キスを降らせてきて、俺も仕方がない少しだけならと甘い顔をしてしまっていたら予想外にエスカレート。熱を帯びてしまった。
「ブラッキー、そろそろこの辺にしろ。もう起きないと」
「嫌だ」
強引に切り上げようとするも、鎖を握られてしまってベッドから、いやブラッキーから離れられない。
「スカイラー観念しろよ、逃げられないぜ。これだけはあの幽霊に感謝だな」
「は? おいっちょっマジで調子に乗るなっ」
「……何か新しい扉を開けちゃいそ」
「なっおいっ!? ――って、アッ……ッ……――」
はい、朝食は抜きになりましたー。
余談だが、何と幽霊は俺たちの濃厚なスキンシップを壁から半分顔を出し、家政婦は見た状態で密かに盗み見ていたようだ。加えて正直者でもあったようで大満足に顔を赤らめて勝手に白状してきて謝罪もされた。究極の羞恥に絶句だったねあの時は、ハハハ……。
ブラッキーは破格な明るい笑顔でしれっと浄化魔法を使おうとしたなー。屋敷ごと天に蒸発しそうだったから止めたが。
空気の読めないエロ幽霊は、その際慰謝料とお礼を兼ねてと屋敷の隠し宝物庫の場所を教えてくれたから多少の救いはあった。後で行ってみようと思う。
それから、幽霊には使用人たちの前には出ないようにも要請した。聞き分けの良い奴で助かった。
実は度々幽霊を目撃していたらしかった使用人たちは、その話を聞くと完全ではないながらも訪れた平穏な日々の始まりに歓喜した。
しかもだ、ゴーストバスターならぬゴーストテイマーしたと俺たちの株が勝手に上がっていた。
そんな日々を過ごす俺とブラッキーの帝都の春。
この先、たとえとんでもないトラブルが待っているとしても、ブラッキーとならどんなピンチも乗り越えて行けるはず。
何しろ俺たちは、最強の主人公とラスボスカップルなんだから。
「…………何だこれは?」
ふかふかベッドで目を覚ましたばかりの俺は自分がまだ寝惚けているのかと思い、左手首に嵌められた腕輪から伸びる鎖をジャラジャラと音を立てて持ち上げた。鎖と言えば普通は金属製だが不思議と全く重くはない。
「しっかしどう見ても紛うことなき鎖……」
触れば実体はあるものの軽量化が甚だしく、かと言ってステンレス製でもないだろう。この世界にはまだ無いはずだ。
魔力をほぼ感じない初めて見るタイプの物で、しかしどう考えても魔法関係以外ではありえない。
とにかく、魔法の効果なのか魔法具本体なのかは判然としないが、正真正銘の拘束具だ。
そうっ、拘っ束っ具っ!!
「っていや何で!?」
一気に目が覚めた。鎖の先端はベッドの支柱の一つに結ばれていて簡単には解けそうにない。
冷水を頭からぶちまけられる気分ってのは本当にあるんだなー、ははは。幸い両手両足を拘束されてはいなかったが混乱と困惑に襲われた。
だってここは愛の巣、こほん、新婚ほやほやの俺とブラッキーの家。
半月前、二人で折半ってことで帝都にある古い貴族屋敷を買い取ったんだ。
元の持ち主は家屋敷などを継がせる子孫もなくとっくに家名ごと消えて久しいらしく、土地屋敷などの財産も全て帝国の管理下に置かれていた。帝都の中心でも端でもない程よい立地場所かつ広い庭のある大きな屋敷にもかかわらず、長年買い手が付かないままだったそうだ。
競売にかけられた過去もあるらしいが、売れてもすぐに手放され結局再び帝国管理の物件に戻るんだとか。
もしやと思い、曰くつきなのかと聞いてみたらその通りだった。
男の幽霊が頻繁に出るそうだ。
俺たちが内見を希望した際には、屋敷を最低限維持管理する役所の担当者の中年男性も「正直殿下へは決してお勧めはできませんが」と浮かない顔でハッキリそう言っていた。彼も幾度と件の幽霊の目撃経験があるそうだ。
古風な幽霊らしい。
纏う服装が古い時代のものだそうだ。
まあ俺もブラッキーも魔物でおかしなのには慣れているので、幽霊も似たような括りに入れていたせいか内見も平気だったし、更には購入を決めることに全く抵抗もなかった。
建物の造りも庭ももっとちゃんと手入れをすれば輝くこと間違いなしな素晴らしい原石、要は俺たちにとっては優良物件だったんだ。選ばない選択肢はなかった。
担当者は気がかりそうな顔で本当の本当の本当に大丈夫なのかと五回は繰り返し確認してきたっけ。皇子の俺に変な物件を紹介したとして罪に問われてはかなわないと思っていたのかもな。
因みに内見中は出なかった。前世では幽霊系統とはついぞご縁がなかったので是非ともお目に掛かってみたかったんだが残念だ。
まあとにかく、帝都でも知る人ぞ知る幽霊屋敷、住もうとするなんて物好きとまで言われるそんな風評の屋敷で、俺は朝から不可解な状況に置かれたらしかった。
因みに月天宮は仕事先として通う場所になった。
そして、そもそもどうして俺は拘束されている?
寝間着なのはまあ寝室での寝起きだからおかしくはないにしても、何が起きたらこうなる?
「そうだ、ブラッキーはどこだ?」
昨晩も一緒に眠ったはずなのにいない。別の部屋に拘束されているのかもしれない。
犯人は俺スカイラー皇子の住居と知って侵入しわざわざ俺を拘束したのか? 以前人が住んでいると知らないで肝試しに来た奴らもいたが、その手の人間はさすがにここまではしないだろう。
それとも物取りか? 確かにこの屋敷は見違えるようにキラキラしくなった。誰が見ても金持ちの住まいだ。それも嘘みたいな短期間でそうなった。
全部ブラッキーがどこのツテを使ったのか職人たちを連れてきて、入居から半月足らずというあっという間と言って良い早さで屋敷全体と庭全面を修復修繕更には的確にコーディネートしてくれた。
連日俺は宮殿に出勤していたし、入居当初屋敷の手入れに関しては生活に必要な最低限を優先して、残りはゆっくり整えればいいかと考えていたんだが、予想外の急ピッチ展開だったよ。
野宿だって珍しくないだろうブラッキーがこういう部分に案外拘る性格だとは正直思わなかった。引き払った帝都の奴の借家だってほとんど物を置いていなかったのに。
そうして全てが完了し、職人たちとうちの屋敷の少ない使用人たちとを招いて親睦会も兼ねたささやかな食事会を開いたのが昨晩だ。
食べて飲んで話して無礼講で楽しんで、最後には俺はブラッキーと二人で寝室で休んだわけだが、酒に弱い俺は元よりブラッキーも口数が少なく、多分あれは珍しく酷く酔っていたんだろうが二人でベッドにバタンキューだったので甘いことは何一つしていない。
成婚から約一月半、毎晩放してくれなかったから、一晩ぐっすりと睡眠に費やせた久々の夜だった。
「これ魔法で破壊できるか?」
破壊魔法を試すべきか下手に動かず状況を見極めるべきかで悩んでいると、ノックもなしに部屋に誰かが入ってきた。
俺はハッと緊張に息を呑んで目を向ける。
「!? なっ、んでお前?」
そんな真似ができるのは屋敷では唯一ブラッキーだけだが、俺の目に映るのはそのまさにブラッキーだった。
俺とは異なり拘束具もなく自由に歩いてベッドに近付いてくる。その手には朝食前の腹ごしらえ宜しく軽食やフルーツの載ったトレーが。
一体どんな状況だこれ?
ブラッキーは俺の姿を見た瞬間、とても嬉しそうにふわりと満面で微笑んだ。
ええと、ブラッキー……だよな?
奴はテーブルまで寄り道するのを止めて急いたように広いベッドにトレーを置くと、俺をその赤い瞳で捉えたままベッドの端に腰を下ろす。
顔に穴が開くんじゃないかってくらいにじぃーっと見つめてきて、のそのそとベッドに上がってくるや怪訝にしていた俺に繋がる鎖を手に取った。
何故かぐるぐると鎖を自分の手首に巻き付ける。
「お前何をやって――のわっ!?」
どうも様子がおかしいので観察していたんだが、いきなり奴の方へと引き寄せられよりにもよって奴の上に倒れ込んでしまう。
「おいっ乱暴だな!」
弾みでトレーの上の食べ物が少し跳ねたが、幸いベッドにぶちまけられたりはしなかった。そのことに少し安堵する。染みが付いたら洗濯メイドが泣いただろうからな。
俺もブラッキーも魔法を使えるので、究極の話使用人は必要なく魔法で全てをこなして暮らしていける。
しかしながら世間一般の間では魔法を使える者の方が少ないので、日常生活で気兼ねなく魔法を使えるかと問われればそうでもない。
魔法ばかり使うのは横着者と思われる風潮がある。
確かに、俺も前世は魔法のない世界の住人だし、諸々の手間やら大変さは理解している。もしも前世にも魔法使いがいて労せずしてちょちょいのちょいで家事やら仕事やらを片付けてしまえるのを目の当たりにしたなら、羨ましさと同時に狡いと妬みも湧くかもしれない。
そして、かもしれない、ではなくそうなのがこの世界だ。
だから魔法使いは日常では魔法の使い所をよくよく見極めないとトラブルの元だったりする。魔法を使えない人々でも使える魔法具が流通しているのも、単に生活利便性の向上だけではなく魔法格差を埋めるためでもあるらしい。それと不満を抑える意図も。
屋敷に使用人を雇ったのもそこに理由がある。ブラッキーは俺たち二人だけで十分だと言い張ったが、俺が頑として譲らなかった。
ついでに言えばグリーンも。
グリーンの家は帝都にあるが、俺がここに住んでからの半月は仕事終わりによく遊びにくる。つまりは宮殿から帰宅する俺に同行してくるってわけだ。そんな日は言うまでもなくブラッキーはめっちゃ不機嫌になる上に、グリーンが帰ると反動なのかずっとくっ付いてきて離れない。ホントに構ってちゃんな大きな猫みたいだよ。
話を戻すと、俺は闇属性を隠しているせいもあり最近はほとんど魔法を使っていないし、出来うる限り使わないで済ませたい。
何せ、俺スカイラー・ヘルスは結婚しても不思議と人気の衰えない、帝国のアイドル皇子ですから! マイナスイメージを持たれるリスクは避けたいんだ。
誇張じゃなく、ブラッキーと結婚後、俺の人気は爆上がり。各地を回ってトラブル解決が主な仕事のブラッキーの人気も右肩上がり。
俺たちが二人揃って記事になった翌日なんか特に顕著。主に女性たちからの視線が熱い。前世だとアイドルって結婚すると大抵は人気が落ちるが、幸運にも真逆な現象が起きている。
……何となく理由は察するな。きっとこの国には存外腐の方々が多いのだろう。美形同士のカップルなんて最高の贄だ。うん。
「って、ちょっこらブラッキー!?」
倒れ込んだものの、相手が旦那なだけにうっかり呑気にそのままにしていたらぎゅっと抱きしめられて起きられない。
「なあおいブラッキー? どうしたよ……ってそうだよこの鎖だよ、何があって俺は繋がれる羽目に? 敵襲か?」
まあ本当に敵襲ならこんな朝からこいつもイチャイチャはしていられないはずだ。
つまり、おそらく、これはこいつの仕業だ。
「なぁいつまで黙っているんだよ。鎖もお前だろ? こんな風にふざけるのは酔っている時だけにしろ。怒らないからさっさと外してくれ」
ブラッキーは依然無言のまま俺を両腕に閉じ込める。そのままの格好で二人で横になって暫くどちらも喋らず、チクタクと室内の大きな柱時計の音だけが聞こえてくる。いや、ブラッキーと俺の心音も。
ドクドクと俺の鼓動が奴のより速いのが少し不満だ。同じくらいドキドキしろよな。余裕ぶっこいててムカつく。
睨むように顔を上げ奴の顔を見ると、実に幸せそうな寝顔があった。
「寝てんのかーーーーい!!」
俺のツッコミにパチリと目を見開いたブラッキーは、驚いたのか即座に俺ごとベッドに跳ね起きた。必然膝抱っこされる形になる。
「え、え? スカイラー、これどういう状況?」
「知るかっ。こっちが聞きたいっ、特にこれ!」
ジャラジャラと音を立て手首の鎖を示すと奴は自分に絡めた物も含めて眺め、目を丸くした。
「何だこれ、え、マジ、スカイラー? あんたって拘束具使うとかそういう激しいプレイが実はしたぃ――」
「――俺がじゃないっ、お前だろ俺が寝ている間にこれ付けたの!」
「へ?」
「いやいや何だよ空惚ける気か? 今だって無言で抱き締めてきて、俺に何か文句があるなら口で言え」
「あんたに文句なんてないけど、僕も聞きたい」
「何を」
「僕がどうしてここにいるのか」
「え、はい?」
こいつは何を言っているんだ? 冗談なのか? それにしては表情が深刻だ。
「皆でパーティーを開いてラーンダム産のワインが美味くてがぶ飲みしたのは覚えてるんだけど、その後からの記憶がない」
「本当かそれ? ふざけているんじゃなく?」
その時だ、視界の端にふよふよ浮かぶ半透明な何かが入った。
ん? んん~?
「……幽霊?」
俺の呟きにブラッキーもそちらを見る。
「あー、確かに幽霊だな」
言葉が理性的に通じるのか、今より古風な提灯パンツにタイツって時代を感じる貴族服の青年幽霊はぺこりと頭を下げた。足の先は無い。
音楽室のショパンとかベートーベン、いやベートーベンのボサボサのあれは地毛か? とにかくバッハとかの中世音楽家によく見るようなくるくる巻き毛のウィッグだろう物を頭に被った幽霊は、俺たちを……いや俺をうっとりとして見つめている。
「何だこいつ」
視線に込められた感情に気付いたのかブラッキーはあからさまに不快を示すと俺を抱く腕をより引き寄せた。
おいおい密着し過ぎだろー。ま、嬉しいが。
それにしてもなるほどなぁ、引っ越してきてからこっち誰かの薄い視線を感じていたんだが、自分でも薄い視線って感覚がよく解釈できないでいた。幽霊からの眼差しだったなら納得だ。
初めましてな幽霊と俺たちは向かい合ったまま互いに動かず、またチクタクと如何程か時が過ぎた。
その間俺はある可能性を掘り下げる。
ブラッキーに記憶がないのは酔っていただけじゃないのかもしれない。
「……えーとブラッキー、お前もしかしてこの幽霊に憑依されていたんじゃないのか? だとすれば辻褄が合う」
「うーん……変な行動取ってたならそうかもしれない」
「別に変って程ではなかったが……」
「そ? 良かった。スカイラーに幻滅されてたら今すぐそいつを綺麗サッパリと浄化してやるとこだった」
軽やかに笑ったブラッキーに今度は後ろから抱き込まれ両脚に挟まれる格好になった。幽霊の前だって言うのに首筋の匂いを嗅がれ唇でなぞられる。
「こらブラッキー節操ってものを考えろ。今はそれどころじゃないだろ」
「へへっ」
「へへっ、じゃない。幽霊をどうするか考えないと。たぶんこいつだろ、噂の屋敷の幽霊って。もしも危険な奴なら対処も考えないとならない」
バリバリの貴族文化のこの世界でも幽霊の格好が古風の範疇に括られるのは少し不思議な感じだが、その幽霊はどこか切なそうにしてこっちを見ていたかと思えば、危険だとか対処と聞こえたからか焦ったような顔で無害ですとでも言うように左右に首を激しく振った。ウィッグが取れそーだぞー。
幽霊だから基本的には音を立てられず、喋れないのかもしれない。
これは細かな意思疎通が可能なのかと密かに案じていたら、手品みたいに何もない手から羽根ペンと時代錯誤の羊皮紙が出てそれに何やら書き付け始めた。なるほど筆談か。ここでも現在は紙が主流だから羊皮紙は物珍しい。極たまに魔法具で見かけるくらいだ。ところで幽霊だから自由に物を出せるんだろうか。
書き付ける摩擦音すらしない中俺はブラッキーと顔を見合わせる。好奇心もあり書き終わるのを待っていると幽霊は羊皮紙面をこちらへと向けた。
【申し訳ない。あなたがこの屋敷に来てからと言うもの、あなたの美しさに感激しずっとずっと触りたいと願っていたのだ。それが昨晩奇跡が起きそこの黒髪の男の体に取り憑くことができ、魔法鎖で拘束するなどとつい出来心でこのようなことをしてしまった。生前あなた似の妻に逃げられた苦い経験があってな……。本当に改めて済まなかった】
「あーそうか、この拘束具はお宅が……」
幽霊は申し訳なさそうに頷く。ハハハ出来心で拘束とか普通に怖いんだが! 逃げたこいつの妻は大正解だな。
とは言えおそらくそう性根の悪い奴ではないんだろう幽霊は、肩身の狭い思いでいるのかやや俯いて肩を竦める。反省しているようなので俺はこれ以上怒るのをやめた。そのくるくる巻き毛よろしく丸まった芋虫を虐めているみたいな気分になったせいだ、被害者なのに。
「ところで、魔法鎖と書いてあるが、幽霊でも魔法を使えるんだな」
幽霊はまたぞろ頷いた。そして新たに出した羊皮紙にまた何かを書き、それを見せてくる。
【そこは私自身も使えて意外ではあった。何しろ死んでいるのだしな。ただ、私の魔法はあなたの言うところの魔法とは厳密には少し異なる様式だが、概ね魔法と括ってよいだろう。今の魔法が新式ならこちらは旧式だな】
「へえ、なら俺の魔法でもこの魔法鎖は解けるのか?」
【力業でなら可能だ。しかしわざわざそんな労力を費やすまでもない。一日もすれば自ずと消滅する】
「え、一日も……」
「へへ、別に良いんじゃないの~、一日軟禁もどきで不自由になるくらい。グリーンには病欠だって言っとくし、ああ医者は寄越すなともな。心配しなくても僕が食事を運ぶし体も魔法で綺麗にしてやるし……って、あーそこは魔法じゃなくてもいいのか」
ブラッキーは意味深ににやっとした。こいつはまた臆面もなく。
「まぁいざとなれば自分でどうにかできるから良いか。って言うかこれお前の仕業じゃなかったんだな。俺はてっきり……」
「あん? スカイラーは僕の人間性をどんなだと思ってんの? 悪人でもない相手を無理矢理閉じ込めたり縛ったりなんてそんなことしないって。そこの足の無い奴と違ってな~」
う、この空明るい口調は傷付けたな。うわーどうしよ、そうなんだよな、ブラッキーは悪ふざけしたりはするが庇ってくれたりと、基本的に行動は優しいというかめちゃ紳士なんだよ。俺の中の乙女心がきゅんとくるくらいに。このケダモノめ~って例外は時々あるにしても、だ。
ブラッキーは昔、俺たちが突き出したあの隻眼の老ギャングに捕まっていたことがあったそうで、その拘束というか監禁時の苦しく辛かった話を少し聞いた。全部を話すのは難しいみたいだったから俺は敢えて無理には詳細を聞かなかったが。
その関係で溺れたとかで大きな水場は苦手だし、悪人だろうと人を拘束するのも本当の本当は葛藤や躊躇いがあると言っていた。リームケーユの件は空気に紛れた湯気のせいで多少その躊躇いも薄まっていたんだとも言っていたっけ。むしろ結果的には悪人共に逃げられなくて良かったが。
「失言だった、ゴメンな」
「へぇー、言葉だけで終わり~?」
「……」
暫し悩んだ俺はちらと幽霊を見てあれは空気の一種だと言い聞かせて迷いを散らすと、体を捻ってブラッキーへと首を伸ばす。
ちゅ、と贖罪と謝罪とあとご機嫌取りを口にしてやった。
これでいいな?
そう目で訴えようとして、急にまた横抱きにされて視界がくるりと回ったかと思えば奴の顔が近付いた。
「んっ、んぅっ……っ……はっんんっ――っ、おいっ幽霊が見ている前でどこまでする気だーっ!」
寝間着に手を突っ込まれたところで押し返した。俺の顔は真っ赤になっていることだろう。
ブラッキーは湿った唇を親指で拭いながら不服顔だ。
「見せ付けてやればいい。そいつは僕の体であんたに触れたんだ」
「ああそれか。安心しろよ、昨夜は何も変なことはなかったから」
「そうじゃない。そいつは一晩中ずっとあんたを独占したんだ。赦せるかってんだ。あんたは僕だけのなんだ。僕の体でだろうと他の奴の意識が指一本だって触れるのは我慢ならない。僕たちには入り込める余地なんてないってわからせてやりたい」
「い、言いたいことはわかった。だが、その、本当にいいのか見せ付けて?」
「何で?」
「他の男に俺の恥ずかしい表情とか見られてもいいのか? 俺はお前以外に見られるのは嫌なんだが」
「――っ」
ブラッキーまで一気に真っ赤になった。キッと幽霊を睨み据える。
「おいそこの変態幽霊、さっさとこの部屋から出てけ。僕のスカイラーのあんな顔やこんな顔やあんな声やこんな声を見て聞いて、あと触ってさせて良いのは世界でただ一人の夫たる僕だけだ。嫌なら即浄化消滅させてやる。それと、今度また僕に取り憑いたら秒で消す。わかったな?」
「ははっ過激」
「笑い事じゃないスカイラー」
ブラッキーは明らかに怒っている。え、何かすいません……?
一方、幽霊の方も今すぐ消されては大変だとコクコクと頷き慌てたように部屋を出て、と言うか壁をすり抜けてどこかへと消えた。へぇー、幽霊だと忍者以上に便利そうだなー。
「スカイラー、いつまで壁を見つめてるんだよ。あいつに恋したとか言わないよな?」
「言わない言わない。ただ良いなーっと」
「良い?」
「ああ、だって幽れ――へ?」
ベッドに押し倒されていた。
拗ねた顔のブラッキーが俺の手首すぐ近くの鎖を押さえたからその場から大きくは動けないだろう。まあ既にこいつの手首にもさっき幽霊が巻いた鎖が絡まっているからどの道遠くへは離れられないが、起き上がろうとすれば的確に組み敷かれた。
「ふざけるなって」
「ふざけてなんかない。良いって何だよ良いって! あんな提灯だかカボチャパンツ野郎のどこに魅力があったよ? 僕よりどこが良かった?」
「え……えっ!? 何て極端な! 違うから、良いって言ったのはあの幽霊が好きとかカッコイイって意味じゃない。壁を自由に通り抜けられる性質が便利で羨ましいなって意味だ」
ブラッキーは顔を傾け器用に上目遣いの角度で俺を見下ろす。
「本当に?」
「嘘言ってどうする」
困った奴だなと鎖のない方の手で頭を撫でてやって、次に機嫌を直せと頬をつんつんしてやった。硬かった表情が徐々に柔らかくなる。
「はあぁー良かったぁー。幽霊でももし僕以外の奴に目移りなんてしたら、僕しか見えない感じないように縛っちゃおうかなーなんて一瞬考えた」
何を言い出すんだこいつは。ブラッキーがブラック化って、最早ギャグだろ。
それ以前に拘束を嫌うこいつがこんなことを言うなんてな。
「そこまで重く俺を好きでいてくれて、どうもありがとうな」
「……スカイラーってやっぱ凄いよな」
「当然。何だよ今頃わかったのか?」
「へふっ」
ブラッキーはふにゃっと表情筋を総崩れさせて笑った。
とても可愛く。
だが、その可愛い子ちゃんは小狡くも笑った。
「なあ、昨夜の分、今しても良いよな?」
「いやもう朝」
こういう時、こいつは人の話を聞かない。
沢山キスを降らせてきて、俺も仕方がない少しだけならと甘い顔をしてしまっていたら予想外にエスカレート。熱を帯びてしまった。
「ブラッキー、そろそろこの辺にしろ。もう起きないと」
「嫌だ」
強引に切り上げようとするも、鎖を握られてしまってベッドから、いやブラッキーから離れられない。
「スカイラー観念しろよ、逃げられないぜ。これだけはあの幽霊に感謝だな」
「は? おいっちょっマジで調子に乗るなっ」
「……何か新しい扉を開けちゃいそ」
「なっおいっ!? ――って、アッ……ッ……――」
はい、朝食は抜きになりましたー。
余談だが、何と幽霊は俺たちの濃厚なスキンシップを壁から半分顔を出し、家政婦は見た状態で密かに盗み見ていたようだ。加えて正直者でもあったようで大満足に顔を赤らめて勝手に白状してきて謝罪もされた。究極の羞恥に絶句だったねあの時は、ハハハ……。
ブラッキーは破格な明るい笑顔でしれっと浄化魔法を使おうとしたなー。屋敷ごと天に蒸発しそうだったから止めたが。
空気の読めないエロ幽霊は、その際慰謝料とお礼を兼ねてと屋敷の隠し宝物庫の場所を教えてくれたから多少の救いはあった。後で行ってみようと思う。
それから、幽霊には使用人たちの前には出ないようにも要請した。聞き分けの良い奴で助かった。
実は度々幽霊を目撃していたらしかった使用人たちは、その話を聞くと完全ではないながらも訪れた平穏な日々の始まりに歓喜した。
しかもだ、ゴーストバスターならぬゴーストテイマーしたと俺たちの株が勝手に上がっていた。
そんな日々を過ごす俺とブラッキーの帝都の春。
この先、たとえとんでもないトラブルが待っているとしても、ブラッキーとならどんなピンチも乗り越えて行けるはず。
何しろ俺たちは、最強の主人公とラスボスカップルなんだから。
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