凡人は美形悪役に転生するもんじゃない

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9 腹が読めないのは政敵よりもその護衛

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 温泉宿と聞いて俺が想像していたのは趣のある日本の風景だ。
 されど、馬車を降りた俺の視界に広がっていたのはこの世界の例に漏れないなんちゃって西洋風建物だった。

 要するに街中の宿と変わらない石造り建築だ。それも灰色の岩石を建材とした大きな貴族の屋敷風。温泉宿になる前は実際に貴族に使われていたのかもな、別邸とか別荘として。郷土史を紐解けば案外そんな事実が見えてくるかもしれない。
 急斜面を利用して造られた宿建物は一見山に埋もれているとか食われかけているように見えて面白い。逆に言えば建物の方が斜面にめり込んだとも見えるかな。
 五階建てで、建築時に魔法を併用したのかはわからないが、急傾斜に接して安定感ある様子には素直に称賛が湧いた。
 周囲は山林だから貴族屋敷によくある広い平面庭園はない。まぁ小さな花壇くらいならあるだろう。もくもくと宿温泉からだろう上がる湯気が深緑を薄める霧のように立ち込めて、どこか俗世間から隔絶された気分にもなる。オカルトチックに幻想的な雰囲気が、訪れる宿泊客の好奇心を擽るのかもしれない。実際この街の宿人気No.1だそうだ。
 何日貸し切りにするのかは知らないが、アレクサンダーは観光客の恨みを買ったなこりゃ。

 この街リームケーユに来た初日に宿をどこにしようか迷ったものの、この宿は選ばずに結局旅の利便性のみを考慮して街中の宿にしたんだが、それがよもや訪れることになるとは……。

「…………」
「スカイラーどうしたんだい? ボーッとして突ったって。あぁ不思議な宿の空気に中てられた?」
「うん? あーいや……凄い湯気だなと」

 海上なら幽霊船にでも出くわしそうな濃霧だ。日本の温泉街でもここまで湯気が濃いのは珍しいだろう。俺は軽く首を振って小さな違和感を打ち消すと、訝しげに振り返っていたアレクサンダーへと追い付いた。

 アレクサンダーと並んで入った宿玄関では、服装からして従業員だろう者たちが左右に分かれて並んでいたから驚いた。逆に、当初の予定にない俺までいたからか彼らも驚きを見せた。サプライズ成功~なんちゃって。

 ……ん? 表情は歓迎ムードなのに皆顔色が悪いな。我が儘、横暴と定評のあるアレクサンダー皇子が来るとなっての心労かもな。

 それなのに頑張ってこんな風に丁寧にお出迎えされては俺の方も漫然としてはいられず、感謝を込めて左右の列へ交互にウインクした。
 これも最近はもう無意識にでもするくらいに染み付いてきたサービス精神の賜だ。通り過ぎた傍から何人か倒れる音がしていたな、ハハハ。
 アレクサンダーは呆れていたのかその間横でずっと固まったような笑顔を張り付けていた。その後ロビーで支配人だという柔和そうな老紳士から歓迎の挨拶を受け、アレクサンダーはその男性に何かを確認する。

「えぇ、ご用意は出来ております。……はい、畏まりました。すぐにでも」

 玄関に並んでいた従業員たちと同じくどこか疲れた様子の細身の支配人は、深々と腰を折り一歩後ろへ下がってから踵を返すと、部下たちに何かの指示を出す。配膳とか聞こえた。
 うーん、やはりか。アレクサンダーが来店するに当たり気苦労が増えたせいかもな。ただまあ、疲労はそこそこ長く蓄積されたものに見える。
 やり取りからもう食事なのかと予想していると、案の定アレクサンダーからやや早めの昼食の誘いを受けた。
 因みに俺の朝食兼昼食だな。

 貸し切りにしたと言っていた通り、他の宿泊客は見当たらず、アレクサンダーを万歳して出迎えても良さそうな支持組織の人影もない。まあ後者は政敵たる俺の目に入らないように息を潜めているんだろう。会合を開くんだからどこかには居るはずだからな。

 料理の用意がすぐにできるとは、元々到着次第食事の予定でいたのかもな。ひと気がない綺麗な絨毯の廊下をそこそこ歩いて着いた部屋には何と既にテーブルに料理が並んでいて、全部美味しそうだ。温かいものは席に着いてから運ばせるらしかった。

「スカイラー、さあ遠慮せずにどうぞ召し上がれ」
「……」

 いやな、ぶっちゃけ腹は減っていたが素直に喜べるかってんだ。

 ここに来た目的かつ気掛かりはグリーンなんだから。

「兄上、グリーンを解放する約束だろう?」
「あーあ、あれね、ゴメンゴメンつい忘れてたよ~」

 つい? 絶対わざとだろ。
 あ~ぁそうか、何だかんだと引き延ばすつもりだな?
 けっ、そうは問屋が卸すかよ。こうなりゃ家捜し上等だ。宿の隅から隅まで捜してやんよ。探索や索敵系魔法をすぐにでも使ってやろうかと意気込む。

 俺の想定じゃあ、宿到着→首にナイフを当てられた人質グリーンが連れて来られる→政治的服従を条件にグリーンを解放すると言われる→グリーンは反対して抵抗→間一髪で助ける→メテオロスとの戦闘開始→俺の勝利。

 と、そんな展開すらあると踏んでいた。
 だがしかし、現実の蓋を開けてみれば全く微塵も掠ってすらいなかった。
 何故なら、このすぐ後に何とメテオロスがえっほえっほとグリーンを担いで入ってきてあっさり床に下ろしたんだよ。縛られている様子もなかったグリーンはメテオロスから慌てて離れ俺の方に避難してきた。
 ……えぇと、マジ? あっさりし過ぎていて逆に勘繰る。例えばこのグリーンはダミーとか。

「約束は果たしたからね~、さあさあ食事を楽しもうよ弟よ~」

 アレクサンダーはからからとして言ったが、すんなり解放されてグリーン本人も腑に落ちないのかまだ目を白黒させていた。かと思えば俺を見てうるうるすると「スカイラー様怖かったですよおーう!」とどさくさ紛れに飛び付いてこようとした。あ、良かった本物だ。鼻水付きそうだったし手で押し返して阻止したよ。
 その後は白けた目でグリーンを見ていたアレクサンダーから再度急かされ食事開始となった。

「ほらほらスカイラー、ここの名物はとっくに食べただろうけれど、ここの料理人の調理方は一味違うようだよ。何これ初めて~食感だから早く君も食べてみなよ、ね?」

 改めて、俺の目の前に並んだ豪勢な料理の数々は食器や銀器の影響だけじゃなく色彩的にも鮮やかで目を瞠るものがあった。香りも良いしきっと舌が蕩ける美味しさだろう。
 染み一つない白いテーブルクロスの四角い食卓には俺とアレクサンダーの席しかない。グリーンとメテオロスはそれぞれ立って壁際に控えていて、二人は後で摂ると事前に宣言していた。
 攫った相手と近付きたくないのは道理で、グリーンは警戒して一応はメテオロスとは反対側の壁にいる。
 テーブルは過度に長い物じゃなく一般家庭にもあるような大きさだからか、二人分の料理しか用意されていない割にもう他の皿を置く所がなかった。正面に座るアレクサンダーが身を乗り出して腕を伸ばせば俺に届くだろう。

 ブラッキーは馬車と同時に辿り着いていたようだが、周辺を探りに行くと言い置いて姿を消していた。食事も含め奴のことだから心配はしていない。そのうちひょっこり姿を見せるだろう。

 ところで、えーっと、これは一体全体どんな状況よ?
 そもそも何で俺はめちゃ歓待されてんの?
 一応は敵だよ? あ、そうかこの料理に毒が盛られているパターン? それか銀器で暗殺してくるパターン? あ、もしや部屋ごと爆破とか?

「あっお~いし! これスカイラーの方にもあるけれど、食べやすく切った私のを半分あげるよ~。はいあーん?」
「え、……え!?」

 兄弟でするの? 仲良しこよしならわかるが、俺たちの間でさすがにそれはないだろ、なあ?

 あ、そうか油断させてそこのメテオロスにグサッとやらせるパターン? 銀縁眼鏡の奥の紫瞳はまるで停止しているロボットみたいに揺らがず静かだ。それが逆に不気味だが。

「んも~スカイラー? お兄ちゃんのあーんを受けてくれないの~? 安心して、毒なんて盛ってないし~」

 えー……。毒も嫌だが、それ以前にぺろぺろしたわけじゃないだろうが仮にも使った銀器でえー?

「ねーえースカイラー?」

 悩んでいる間も小悪魔君は引かない。グリーンなんて拳を握り締めギリギリと歯軋りを始めた。メテオロスは至って無。たぶん異次元に意識があるんだろう。

「はあ、わかったよ」

 たぶん地球のコモドドラゴンみたいに口に独自の毒があるとかはないだろう。毒があったらまあその時は即刻毒消しアイテムを飲もうと半ば覚悟してパク付いた。敵からの物を食べた無警戒とも取れる俺へとグリーンが愕然とするのがわかった。
 俺としてはアレクサンダーの機嫌を無駄に損ねてまたお前が危ない目に遭う展開はなるべく避けたいんだ。今のあーんだって俺の中でもかなりの譲歩なんだ。側近ならわかれよな。ぅぷ。正直吐きそうなんだからなっ。

「ふぅ、はぁ、グリーン、そう怒るな。俺はお前が無傷で何よりなんだから」
「スカイラー様……っ」

 そうなんだ、メテオロスはグリーンに酷いことはしていなかった。ただ運んだだけ。グリーンも状況を見極めて暴れたりはしなかったんだろうな。

 不可解にも、今はメテオロスからは闇魔法の気配がしない。

 あ、動いていないとしないとか? この場ではマジに微動だにしないからうっかり彫像かと見間違うレベルだしな。

 身体強化とかの魔法を使っていないからと言えばそうかもしれないが、何かが引っ掛かるんだよな。

 人に無関心なのか、眼鏡の奥の濃紫の静かな眼差しは彼の仕える主人アレクサンダーにも向けられていない。虚空を見つめて……って精神的に大丈夫なのかあいつ? 主人の命令は聞いてサッと動くのにな。

 不躾にもジロジロと見ていたせいかもしれない。こっちの視線に気付いたメテオロスが顔は動かさず視線だけでジロリと俺を捉える。

 目と目が合って……やっぱり無感動。

 よ、良かった、スカイラーはタイプじゃないらしい。あの筋肉モリモリの様子だと腕力では勝てないだろうからな。ってあふぉか俺はっ、迫られる前提で考えてどうするっ。

 あー、最近あの二人のせいで感覚がおかしくなっている気がしなくもない。

 これもどうしてかオナゴと自然に親しくなれないせいだな。友人ポジですら未だに女子いにゃい……。イケメン過ぎて直視できない、過呼吸になって会話にならない等々、この容姿で王道アイドルっぽく愛想を振り撒いた弊害が大きく出ていた。
 以前の無愛想スカイラーになら媚び媚びで寄ってきていた女性たちとは帝都を出たから顔を合わせていないのもある。彼女たちならむしろ俺版スカイラーをチョロいと歓迎してくれそうだ。しかし正直そんな腹黒女は嬉しくない。くっ、世界は広いんだしきっといつか俺の美貌にも倒れない純粋でまともな女性が現れるはずだ。希望を捨てずそれまで頑張れ俺! 近くの美形青年たちにほだされるなよ俺!
 アレクサンダーは俺の胸中なんて露知らずと終始上機嫌だった。

「ふふっ、後で一緒に温泉入ろうねスカイラー? 屋上に街の夜景を見下ろせる広い露天風呂があるんだよここ。勿論泉質は美肌効果ありだしね~」

 もう何だかな。再会した時の人を食ったような感じは薄れて甘えんぼ小悪魔炸裂だな。それも温泉一緒入ろって?

 ……まさかのブラコン?

 いやいやいやどうせ演技だろ。こいつはスカイラーが邪魔で殺したいと思っているはずだ。水と火はたまた水と油みたいに生涯相容れないんだよな。本来のスカイラーにしても皇帝を幽閉し宮殿の実権を掌握するに当たり皇后共々異母兄の命を奪っている。ゲームじゃ結局関係修復なんてしないままだった。

 と、まあ基本ストーリーはそうなんだが、ホントに何このにこにこの笑顔? 

「ね~スカイラー良いよね~?」
「……わかった」

 内心辟易とする俺は仕方がなく異母兄の我が儘に付き合うことにした。油断させてのぼせたところを攻撃する気ならそうはさせないぜ。
 奴の真意はまだ量りかねるが出方を見たいし、奇跡的にこれが切っ掛けで俺たちの関係が良好になるのなら頭から拒絶ぜず歩み寄ってみても損はない。
 おそらく温泉中もグリーンは安全だろう。俺の心を抉るのにこの幼馴染みを傷付けるつもりならここに至るまででとっくにやっている。

 ちらとメテオロスを見やった。

 ……おっとぉ~?

 いつからこっちを見ていたのか、今度はバッチリ目が合った。いやん。





 昼食を終えると、アレクサンダーは後で絶対一緒に温泉に入ろうと言い置いてメテオロスを引き連れて退室した。
 後でっていつだよ。はー、と肩の力を抜いて背凭れに寄り掛かって長い溜息をついていると、アレクサンダーに言われたのか早速宿の人間が来て俺とグリーンはそれぞれ同じフロアにある豪華な部屋へと案内された。
 食事の席で部屋のタイプの希望をアレクサンダーに聞かれたので、それならと仲間と同じフロアにするよう要望を出したのはすんなり通ったらしい。駄目なら帰ると一言付け足したからかもしれないが。
 一応グリーンの部屋の刺客の有無をチェックして安全を確かめてから、俺は自分の部屋に入った。グリーンには食事を終えたら俺の部屋に来るように言ってある。あと魔法護身具の携帯も念押しした。念には念をと食事で万一があると大変なので毒消しも。杞憂ではあったが。

 暫くして幸い何事もなく俺の部屋にやってきたグリーンは、意外にもブラッキーを伴っていた。

 ブラッキー曰く、外を歩いていたら職務熱心な宿の老支配人に見つかって、いかなるお客様をも持て成すのが至上で使命だとか熱く語られて、気付けば丁重に部屋まで案内されていたという。グリーンと共に食事も摂らされたそうだ。ベテラン家令か執事みたいだな支配人。ブラッキーに有無を言わせずとは有能過ぎて恐るべし。……いつか俺の陣営に招かれてくれないだろうか。優秀な人材はいくらいたっていい。
 昼食の場にいなかったブラッキーだったが客人としてのカウントには入っていたようで、グリーンとの相部屋を用意されていたらしい。
 両人ともかなり不満そうだが俺のせいじゃない。お前らそんな目で見るなっ。

 気を取り直し、費用は異母兄持ちだからと遠慮なく宿に飲み物と菓子を用意してもらった俺は、それらを抓みながら二人と今後の方針について改めて相談した。アレクサンダーにも解除に協力してもらうという馬車の中で思ったことを伝えて意見を仰いだんだ。他者の意見を聞いて自分を客観視したかったのもある。

 二人の意見は綺麗に割れた。
 グリーンは賛成。
 ブラッキーは反対。

「こちらの労力が減るなら歓迎するべきですよ。どうせ大事な秘密はバレませんよ。私たちの誰もその点については不用意に口外しないでしょうから」
「あんたは僕より宮殿事情をよく知るだろうに楽観的だな。悪用されないとも限らないって。政敵を陥れようとスカイラーが犯人だって言い出して、結果として意図せずも真相を広めるかもだろ。まだ慎重に見極めるべきだと思う」

 グリーンはブラッキーの考えも理解はできるようで真っ向反論はしない。

「私が賛成する理由はそれだけではありません。もうスカイラー様の人気は十分と考えていますので、今以上に派手に立ち回る必要はないと思うからですよ。それに仕掛けの中には解除に手こずった危険な物もあったでしょう? いくら帝国のためだとしても、その危険をスカイラー様だけに背負わせるのは嫌なのです」
「いや全部そもそも俺が……」
「それはそれです」

 グリーンは珍しくピシャリと言って俺をしかと見つめた。
 いつになく真剣で深刻とも見えるそんな眼差しで。

「グリーン?」
「今のスカイラー様には、責任はないでしょう?」
「……グリーン、お前……?」

 俺は思わず息を呑んでいた。この物言いはまるで俺が前任者じゃないのを悟っている風じゃないか。

「何年の付き合いだと思っているんですか。私があなたの言い訳に納得して、何も気が付かないとでも? 記憶の欠如はあるにしても明らかに性格が別人ですしね」

 俺の読みは当たっているらしい。ならどうしてこれまで何も言ってこなかったんだよ……。

「ああけれど心配しないで下さいね。私のスカイラー様への忠義も、お慕いする気持ちも何も変わりはございません」

 何も言えずに固まるしかない俺へとグリーンは優しげに微笑んだ。

「自分でも不思議なのですけど、どちらのスカイラー様にも通じる何かこう根っこの部分での重なりのようなものを感じるんですよね。説得力ないですけど」

 説得力とかそういうことじゃないと思うが、スカイラーが大事に思うのはこいつがこういう奴だからだろうなあ。何か和む。

「スカイラー様、私はあなたに何人どのような人格があろうと傍で支えますからね!」
「うん? ……えっ?」

 人格? おいおいこいつはスカイラーが多重人格者だと思っているのか? そうなのか?

 ぶはーっとそれまで神妙な顔で黙って聞いていたブラッキーが盛大に噴いた。

「ちょっとブラッキー? 私はスカイラー様と真面目な話をしているんですよ。茶化すなら出て行きなさい」

 この様子を見るとグリーンは本気だ。俺、こいつの敬愛するスカイラー様の別人格だと思われているとか……っ。
 訂正するか? いやそっとしておこう。きっとその方がこいつも精神的負担が少ないだろうしな。スカイラーと全く関係ありましぇーんなんて知ったら世を儚みそうだ。

 ところで、ブラッキーはどう思って聞いていたんだろう?

「聞くが、お前もそう思って……?」
「んー、いつかは飛んだ記憶がきちんと戻れば良いとは思うけど、まっ無理すんなよ? 今のあんたはあんたでほっとけないしな~」
「いやほっとけ」
「ほら釣れないの。へへっこういうとこは似てるんだから不思議だよなあ。だからこっちも時々混乱するんだよ」
「は? どういう意味?」

 ブラッキーは問いには答えず俺の菓子を見つめて食べたそうにした。その赤い瞳がふと夢での黒猫を彷彿とさせたからかもしれない。俺は手に取ったばかりだったのもありその菓子を奴の方に差し出してしまった。

 一瞬きょとんとしたブラッキーがにやりとしたのを認識してあっと思った時にはもう遅い。

 ブラッキーはかぷっと菓子ごと俺の指に噛み付いていた。

 少し痛くて咄嗟に手を引いて指先を見れば、深くはないが奴の歯の跡が付いている。クッソーこの野生児め!

「お前な~~っ」
「ききき貴様はまた~~っ」

 三人旅を始めてブラッキーのこんなやらかしは割とある。最初の頃より頻度も上がっているから厄介だ。ふう、だがまあグリーンが俺より怒ってくれたから俺は溜飲を下げるとするか。グリーンは不衛生だのとガミガミと一頻り説教を垂れ始める。

 ブラッキーは拗ねたようにして不満さを顔に露骨に出していたが、まあいつも逃げずに説教を食らうって潔さは評価する。しかしなあ、だったら再犯するな、少しは反省しろと言いたい。

 夢を思い出したのもあり、グリーンが落ち着いたのを見計らって俺は忘れないうちにと一つ質問を投げることにした。

 あの夢にはグリーンも出てきたから、もしあの酷い出来事を彼も覚えているとすれば、やっぱり本当にあの夢はスカイラーの記憶ってことになる。俺自身ほとんどそう捉えてアレクサンダーと接していたし、白黒きっちり確定する方が良い。冤罪だったらちとあの異母兄に悪いしな。

「なあグリーン、ところでちょっと話は変わると言うか変なことを聞くが、昔宮殿の庭でアレクサンダーが猫を池に放り込んで溺れさせたことってあった、よな?」
「池に猫を……?」

 唐突だったにもかかわらず、グリーンは素直に思い出そうとするように視線を斜めに上げて顎に手を当てた。程なく一人頷いたグリーンのその表情はとても痛ましそうだった。

「ええ、ありましたね。スカイラー様が必死に池を捜すようにと訴えておられたあの件ですよね。三日間独房に入れられていた間もずっと主張されていましたよね。その節は申し訳ありませんでした。皇后陛下の嫌がらせで邪魔をされてろくに捜せずじまいでしたから」

 ビンゴ~! 予想通りあれは実際にあったことだったんだな。

 ただし、そこを認めるのは例の黒猫を思うと胸が痛い。本当に死んだってことだから。夢で見ただけだしスカイラーでもない俺にはどうにもできなかったが、何か助けてやれなくてゴメンなって改めてそう思ってしまった。
 頼む、天の審判所よ、あのにゃんこの来世はとても良いものにしてやってくれ。例えば愛する相手と末永く幸せに過ごせる最っ高の人生とかさ!

「あのなあ、顔を上げろグリーン。別に謝ってほしいわけじゃない。むしろ妨害されるとか大変な思いをさせた俺の方こそお前に謝らないとだろ」

 独房でのことも夢にあったが、まさか妨害されていたとは知らなかった。スカイラー視点だけじゃ把握できなかった情報だ。
 顔を上げたグリーンが首を傾げた。

「ですけど、急に昔のことを尋ねてきてどうされたのです? もしや曖昧だった記憶が戻りつつあるんですか?」
「へ? ああいや、えーとほら当事者のアレクサンダーと会ったせいで何か思い出してなー、ハハハ。よく衝撃的なことは忘れないって言うだろ? まさにそれ」
「ああ、そうでしたか。私も当時のことは今でも腹に据えかねております。機会がございましたらアレクサンダー殿下を池にブチ込んで差し上げたいですよね」
「同感だが、少なくともお前は実行するなよ。平民が王族を殺したら問答無用で死罪だろ。罪に問われたら庇えないかもしれない。だからやるなら俺がやる。俺なら減刑も望めるからな。しかしなぁ、マジにホント……あの子猫には今でも悪いことしたなって思う。俺といたから巻き込まれたんだ。毛並みは悪かったが目なんてくりくりしていて可愛かったんだぞ? 残念ながらグリーンには見せられなかったがな」

 苦いものを飲み込んで微苦笑する俺に、共感したようにグリーンも眉尻を下げる。

「スカイラー様のせいではありませんよ。ですけどやはりアレクサンダー殿下には一度沈んで頂きましょう。水上にテレポートする魔法罠を仕掛けるのはどうでしょうか」
「おっいいなそれ~。なら実行はいつどこにするか……」

 机上で物騒な計画が立てられている横では、ブラッキーがらしくなく深く俯いたまま無言だった。

 普段陽気な男の不可解な静けさに、かえって俺とグリーンは冷静さを取り戻す。

 揃って一歩引いてブラッキーを窺い見ていると奴がようやく顔を上げた。更には素早く立ち上がると「僕もあんたは悪くないと思う!」とだけ叫ぶように言って後はもう何も言わずに足早に部屋を出て行った。

「え……えと? 何だあれ? あー、そうだ本題はまだ終わっていないってのに」

 ブラッキーには関係ない雑談に脱線したのが悪かったんだろうか。
 俺とグリーンは困った顔で互いを見やる。しかしながら追いかけようとは思わなかった。少し一人にしてやった方が良いだろうと思ったからだ。

 ブラッキーの表情は初めて見る種類のものだった。

 何かとても悲しい話でも聞いてこの上なく泣きそうなのに涙を我慢したような、それでいて心の別の片隅が救われたかのような、何とも言い難い面持ちだった。

「あいつ、一体どうしたんだろうな」
「うーん、もしかすると彼は物凄い猫好きなのかもしれませんね」
「なるほど、それでかあの顔は」

 だとすれば不用意に聞かせない方が良かったよな。酷だったに違いない。

「後で謝っておくか」
「ですね」

 それから俺とグリーンは、まだ議論途中だった議題をブラッキー抜きで話し合った。
 その結果、仕掛けの存在はやはりアレクサンダーに明らかにしようとなった。
 だってなあ、ブラッキーが懸念するような悪用をされたとしても、アレクサンダーには一生掛かったってスカイラーがやったって決定的証拠は見つけられないだろう。

 魔法に精通しその道に関しちゃ緻密な思考ができ、尚且つ光魔法使いでもレアな光魔法使いなブラッキーにしか、スカイラーも知らずに残した微細ながらも個人特定可能な魔力は感じ取れない。暴けない。

 唯一スカイラーに傷を負わせられる稀有な存在だからってだけじゃなく、ブラッキー・ホワイトホールはだからこその主人公なんだ。

 たださ、ゲームじゃ到底知り得ない人間的な脆い部分も俺はこの世界で見ることができて、さっきはぶっちゃけるとちょっと……いやかなりびっくりした。
 だからかな、泣きそうな奴の顔が頭から離れない。グリーンのビービー泣くのだって俺は見ているはずなのに、ブラッキーのは何かが違った。

 慰めて撫でてやって、もっと色んな顔を見てみたいなんて思ってしまった。

 ……あと、不本意にも可愛い、なんても。
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