婚約破棄の現場に遭遇した悪役公爵令嬢の父親は激怒する

白バリン

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第三部

4,武闘大会

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 4月の終わりに新入生たちには親睦を深める合宿があって、アリーシャとカーティスはそちらに出かけていった。二泊三日であり、王都から半日程度の場所にある。これはコース毎に分かれており、魔法使いコースは騎士コースと合同で、一般コースは別である。
 昔はチームを組んで弱い魔物の退治をする、そんなことも行われたが、今はどうだろうか。

「何も問題はなかったか?」

 スープを口に運びながらアリーシャに尋ねた。このスープの中にはアリーシャがお土産として持って帰ってきた食材がある。宿泊施設に併設されている土産物屋があるのだから、半ば観光地化されているとおぼしい。

「はい、みなさまとも仲良くなれました。肝試しも行われたんですよ。最初は戸惑ってしまいましたが、他の方と一緒に魔物を討伐しました」

「…………」

 アリーシャが嬉々として話をしてくれたが、カーティスは疲れた表情をして沈黙状態だった。なんというか、目に見えて姿勢がくたびれている。
 まあ、修学旅行でも先生たちの睡眠時間が減るというから、カーティスにもそういう疲れもあったのだろう。体力よりも気疲れだ。アリーシャの学年はやんちゃな子が多いんだろう。
 肝試しに魔物討伐というのはバカラの時にはなかった。魔物と聞いてぎょっとしたが、危険はなかったらしい。
 
「やはり本ばかり読んでいては駄目ですね」

 アリーシャがつぶやいたことだった。
 半日程度の距離だからそれほど遠くではないが、王都にはあまり見ない動植物や自然の景色があったようだ。土いじりが好きな子だから、この地では育たない新鮮で面白いものもたくさんあったのだろう。
 考えてみれば、アリーシャはそんなに多くの場所に行ったことはない。公爵令嬢という身分がそうさせているとはいえ、好奇心旺盛なこの子にはもっといろいろな場所に行かせた方がよいのではないか、そのことは前々から考えていたことだった。

 ところで、我が邸の食事は私とアリーシャ、カーティスの3人ということの方が多いが、クリスやカミラ、ハートやカレン先生、アーノルドやレイトなどの研究者たちとともに摂ることがある。他家の人間が聞いたら外聞が悪いだろうが、どうせうちの中だけなので問題はない。変人のバカラは、因習やしがらみにとらわれずに自由に振る舞える権利を得るには自ら変人になればいいと看破していたのかもしれない。
 こうした食事はざっくばらんに話ができるし、新たな興味を抱くきっかけになることもある。なんだか会社勤めの時の昼食会のようなものだ。
 この日はカレン先生と医学研究者のアーノルドが同席していた。教科書を共同で著したり、学問的な話を二人はよくしている。
 アリーシャの口から出た言葉に対してカレン先生がやんわりと諭した。

「アリーシャ様、外での経験がすべてだとは思われないことです」

 あやうく私はアリーシャに同意して「そうだな。頭でっかちになっては駄目だ」と言いそうになるところだった。

「外での経験がすべてではない、ということでしょうか」

 カレン先生の言葉をそのまま引用したアリーシャはそう言うと、持っていたナイフとフォークを置き、姿勢を正して聴く姿勢になった。カーティスもまた同じ姿勢になった。

「はい。おそらく経験という言葉のとらえ方の問題になるのかと思います。本は誰かの記述です。もちろん、不完全な人間が書いたものですから間違いや偏見もあります。それでも誠実な書き手というのは言葉を通して自らが目にしたり耳に入れたり、印象的だったことを伝えようと努力をします。どの言葉がいいか、どういう表現だったら過不足なく伝えられるのか、一度でも何かを書いたことのある人だったら必ずぶつかる問題です」

 迂遠な言い回しでそもそもの前提から解きほぐすような講義だが、まさしく教科書作りなどはその典型だった。
 かなり単純化した説明で正確ではないのだが、たとえば「慣性」という言葉の説明の際に、「物体が運動を続けようとする性質」という表現は良くない。
 なぜなら、この記述だと「物体」が「続けよう」ということで、「物体」が意志を持っていることになるからである。「物体」は意志を持たない。だから、この部分は「続ける性質を持つ」のように表現を変える必要がある。
 アーノルドが口を挟んだ。

「ふふっ、私も医学書を手がけていますが、一文の中にこれまでの先人たちの知恵と実験の歴史を書き残そうと思って書きましたよ。これが本当に大変なことでしたし、読む者が読めば浅い読み取りに終わってしまう危惧もあります。ですが、どんな一文にも意味のないものはないのだと思って丁寧に読むと、見えてこなかった見方が立ち現れてくるものです」

 教科書としては褒められたものではないが、一理あるのだと思う。
 書かれていた文字羅列が読み手の知識や興味、心の持ちようによって変わっていくことはある。アーノルドの医学書は教科書というより専門書に属するが、比較的若い者と従事した年数の多い者が読む場合ではやはり視点が異なっているそうだ。

「そちらも興味深いことですが、話を元に戻しましょう。経験というのは外に出たり、自然に触れたりすると自然に得られると考えがちですが、それは新鮮さがあっていわば感動という形に凝縮されてしまいます。感動は一種の興奮状態ですから、本当にその世界を知るということを意味するのか、本の知識はそれに劣るのか、たとえば部屋の中にこもりきりの人間は外に出入りする人よりも世界のことを知らないのだろうか、まずここが問われなくてはなりません…………ですが、それについてはまた今度確認をいたしましょう。食事時に余計なことを申し上げてしまいました」

「いえ、ありがとうございます」

 私には講義をしてくれないので、どういう話になるのか実は知りたかった。何かの折にでも尋ねてみることにしよう。
 もしかしたら「本ばかり読んで馬鹿になるよ」と言われた経験があるのではないかと感じた。それは一面的な見方であり、そちらに向きがちになりそうなアリーシャに別の方向にも一つの真理があることを指し示そうとしたのではなかったか。
 そして、「部屋の中にこもりきりの人間」というのはかつてのバカラのことだったのではないかとも思えた。バカラは部屋に引きこもりながら、どれだけ世界のことを知っていただろうか。

 インターネットが普及した時代は、家にいながらにして世界を知ることができる、若い頃には簡単に世界につながると夢見た人は多かった。世界が近づいてきたとも言える。
 それがどれほどの知性を磨かせ、劣化させたのか、その判断はできそうにない。おそらくこういうことも経験とは何かという話につながっていくのだろう。
 極端な例だが、安楽椅子探偵というジャンルがある。探偵が現場に赴かずに椅子に座ったままで推理をしていくものである。聡明な探偵なら、断片的な知識や情報だけで真実にたどり着けるというわけだ。優れた知性の持ち主は、そういうことができるのかもしれない。


 さて、合宿から帰ってすぐに学園では行事が行われた。
 毎年の5月のはじめ頃に学園では武闘会が開かれるのだが、こちらにも来賓として参加することになった。
 昨年も見ることがあったが、ここには国王や他の貴族たちも参列し、さらに王都民にも開放されることがある。

 さすがに殺し合いや死刑を観戦するという地球で起きたような闇の歴史は踏襲はしていないので安心した。ボクシングやプロレスなど、そういうイベントに似たものなのだろうと思う。
 今回は学生たちだが、こういう武闘会はこの国以外でも行われており、優勝すると何らかの声がかかって採用される、いわば学生の間に選手としては顔を売る行事である。上位に入賞するとファイトマネーだってある。
 この学園の武闘会でもそういう意味合いはあるのだろうと思う。
 ただ、護衛のハートが入賞してもそんな声がかからなかったことにある種の闇がある。単純な実力主義ではない。

 大会までに予選が行われており、今日ここにいる者たちはみな4月中に行われた予選を勝ち抜いてきた者たちである。

「やはり、ベルハルト様はお強いですね」

「そうだな。なんというか、バランスが良い」

 クリスがベルハルトの試合を見ながら言った。
 クリスやカミラもかつてこの大会に出て、同じく入賞している者である。ちなみにカミラは優勝経験もある。この二人もまた卒園後にあまり良い就職先がなかったのは、本当に世の中間違っているとしか思えない。
 優勝を逃した家の嫌がらせという噂もある。ありえそうな話だ。ただしこの二人の場合は貴族特有の傲慢さはないが、清潔さのようなものがある。下卑た貴族、たとえばゲス・バーミヤンから話があったとしても仕えることはなかっただろう。

 ベルハルトはさすがはマース家と言われるほどに洗練された剣技である。かと思いきや、力任せの一撃必殺もある。明らかに実力差のある相手には手加減もしている。魔法以外にも真面目に剣術の稽古を積み重ねてきたことがわかる動きである。
 合宿から帰ってすぐだというのに体力お化けのようだ。家ではどんぶり飯をどれだけお替わりしているだろうか。卵かけご飯を10杯でも食べていそうだ。

「私としてはもう少し剣術に力を入れてほしいと思っているんですが……」

「ドナンよ、ベルハルトはなかなかじゃないか。それに魔法のタイミングもかなり考えているし、発動も素早い。同年代でああいう戦士を探してもそこまでいないと思うぞ」

「バカラ様にそうおっしゃっていただけるのは嬉しいことなのですが……」

 騎士団長のドナンも私の近くに立って観戦している。貴族たちの護衛である。
 私とクリスが褒めているのに、どうも満足をしていないように思える。ドナンの中では剣術と魔法とでは主と従の関係であり、娘のファラもそう考えている節がある。マース家というのはそういう家なのだろう。
 ベルハルトは最近はドナンと剣を交えていないらしく、姉のファラもそのようだ。学園では同じ学生たちを相手にしているが、元々騎士だった者が講師にいる。この講師や時にはアベル王子、カーティスが時間がある時に相手をしてやっていると聞いている。

「ベルハルト、手加減は無用だよ」

「はい」

 そんな風にアベル王子はベルハルトに言うらしい。この聡明な王子ならそう言うだろう。
 だが、アベル王子の方が手加減をしていないという保証はない。カーティスも二人の力量は測りかねているようだ。したがって、二人が全力で手合わせをしているとは思えない節があるという。

「ドナン様のお力は私はわからないのですが、ベルハルトはかなり力のある学生だと思います」

 カーティスが家で漏らしたことがある。もしかすると、ドナンの力を既に上回っているのではないか、カーティスの声にはそういう含みがある。当然両者には経験の差はあって、それを踏まえるとドナンの方が優勢に見えるが、どうだろう。ポーション作りで私に噛みついてきたシーサスのような熱い魂が同じくベルハルトにないとは言い切れない。
 そのカーティスもまた真の実力はわからない。いつでも子どもは謎が多い生き物だ。世界が変わってもその真理は変わらないものである。それにヒロインと懇意になる貴公子たちだ。弱い者はいないのだろう。シーサスやノルンもおそらく腕を磨いていると想定していた方がいい。


 ドナンの心配はともかくとして、私個人の考えをいえば、強ければそれでいいのだし、実際に勝ち残っているのだから、今のベルハルトの方向性は間違っていないように思っている。だが、納得できないのだろう。この感覚は私には理解ができない。

「それに、ベルハルトは相手が魔法を使う場合には魔法を使っており、剣術の場合は剣のみで戦っている。そういう精神は私は良いと思うぞ」

「そうですか……」

 そう言うと、ドナンは別の場所に移動していった。警備兵から報告を受けているようだ。
 騎士道精神やフェアプレイというものがあるのかどうかはわからないが、予選の段階からベルハルトはそういう戦い方をしてきているようである。そういう性格は私は好ましいと思う。

「しかし、カイン王子も化け物並の強さだな。同年代の中で勝てる戦士がいるとは想像がつかんぞ」

 大きな歓声が会場を満たしている。今見ていた試合はカラルド国の第二王子のカイン王子の試合であり、彼も参加をしていた。賞金狙いでも名誉のためでもないように思う。
 当然、魔法は使っていない。ただ、剣術も体術もベルハルト同様に他の者とは異なっている。

「カラルド国は魔法よりもああいう動きが特徴でな。クラウド王子よりも強いと評判である」

「陛下は御覧になったことがおありですか?」

「……ああ、そうだな。悪魔憑きか」

 私の隣にいる王も観戦しながらちょいちょい解説を交えてくる。カラルド国王たちとの話で二人の剣術の話もあったのだろう。
 それに毎年見ているのだから、それなりの眼も持っているようだ。あのクラウド王子の強さは私も情報で聞いていた。

 クラウド王子は魔法が使えないが、その分を剣術に特化させているようで、カラルド国全体としてそういう流れにあるようである。バラード王国よりも魔法使いは少ないようなのだが、ただ魔法兵団に関してはいろいろな国から呼び寄せて充実させていると聞いている。カラルド国にもダンジョンや魔物が出る場所があって、クラウド王子自ら兵を率いて討伐しているという話である。

 その王子よりも強いこのカイン王子は異常である。
 対戦前から相手が怯えているように見える。あの目は凶器である。やはり彼は闇魔法を使っているのだろうか。確認のしようがないのでなんとも言えないし、使ってはいけないというルールもない。

 それにしても、王が最後に小さくつぶやいた「悪魔」という言葉の方に驚かされた。この声は私にしか聞こえていなかった。
 神もそうだが、悪魔という存在もいるとされている。文献にはほとんど出てこず、伝承の類であるが、魔法や精霊がいる世界だ、悪魔が出てきても何ら不思議ではない。
 有史以来、多くの国ができたが、王の乱心によって自ら国は滅びた、そんな国は数多く伝えられている。その中に悪魔が裏で暗躍していたのではないか、そう言われている。傾国の美女のように、亡国には悪魔がいる、そんな話だ。
 カイン王子のように肉体を強化する、そういう悪魔もいるようだ。
 まあ、これは王なりの冗談のつもりだったのかもしれない。

 この世界に作った小学校で見たことなのだが、子どもたちが「勇者ごっこ」をして勇者と魔物になっていた。たまに魔王も出てくる。聖女も出てくる。仮面ライダーやウルトラマンみたいなものだろう。その中に悪魔役も出てきていた。魔物と魔王と悪魔、つながりがあるようで判然としない。
 いずれにせよ、「俺は悪魔だぞ」となりきっていた子どもの様子からだと、とてつもなく強い力を持った存在の例として認識されている。だから、カイン王子の力を悪魔だと評するのは間違っていない。
 ただ、一国の王子を悪魔呼ばわりするのはちょっとした外交問題になりそうだ。王にしてはうかつな発言だったように思える。

 それにしても悪魔か。
 王家は私の立場でも閲覧ができない特殊な文書を保管している。特殊な本であり、開くことができる人間は限られている。というより、王以外は見ることができない。どういう原理か知らないが、血を垂らし、魔力を流すと本が開くという。
 ソーランド家も王家の血は薄く流れているが、おそらく開くことはできない。
 しかし、世代が代わってもどうして本自体がその者を王だと認識できているのか、それも不思議だ。後継者がアクセスできるように今の王が次代の王へと移譲しているという話だ。王しか知らない悪魔の情報もきっとある。

 ただ、他国にまで手を伸ばすと悪魔の情報はある。それらの情報から推測する限りでは、悪魔は実在する。これは推測というよりは事実である。生物の負の感情を食糧にしているという報告もあるが、これははっきりとわかっていない。人語を介する存在であるようで、悪魔と契約をすることもある。
 モグラや白蛇にも訊ねたことがあるが、敵対しているわけではないようだ。精霊が悪魔を知っているのだから存在するのは間違いないのだろう。

「じゃあ、天使もいるのですか?」
 
 モグラに訊いたら、「うんうん、天使くんたちもいるよ」と返ってきた。「ちなみに堕天使もいるわよ」と白蛇が付け加えた。

「彼らは悪い存在じゃないんだけどね、うん」

「そうねぇ、忌み嫌われているのよねぇ。人間って不思議よねぇ」

 この世界の人々は漠然と勇者や聖女がいて、世界を支配する魔王がいると考えている。対立しているともいわれる。この世界に魔王が何人かいるのは間違いないようで、魔王軍との戦いというのも確かにあった。精霊たちに言わせれば、それはもう大昔のことである。ただ、昔の人々が語り継いだことがそのまま魔王への恐怖となって人々の心の中に残っている。一方で悪魔とともに生活をしていた人間もいるようだ。
 アポロ教会はこの悪魔を根絶するために動いているのだが、悪魔と契約をしている人間は異端審問にかけて処罰をしたという話もある。

 魔王や悪魔たちがどういう思考の持ち主なのかはわからないが、彼らの視点は私たちとは真逆なのだろう。人間が多数のこの世界では人間基準の正義が常識となる。人間の中にも悪魔としかいえないような者が定期的に生まれるのだから、この常識も疑った方がいいかもしれない。桃太郎と鬼の関係も、鬼視点から眺めれば桃太郎は単なる虐殺者である。
 そんな魔王や悪魔に高度な知性があるのなら、交渉することはできる可能性はある。
 世界は広い。世界地図だってまだないのだから、この大陸以外には魔王や悪魔のような存在がありふれているのかもしれない。とりあえず害がないのなら、放っておくのが吉だろう。


 また歓声があがった。カイン王子と同じように他国からの留学生も参加している。
 ところで、来年度の予算の検討に際して、カラルド国との合同軍事演習が行われることが決まった。今年は無理だが、来年度にカラルド国で、再来年度にバラード王国で合同で行う。
 これはもちろん他国を攻めるというわけではなく、魔物の活動が活発になってきたことに多くの国々が危惧を抱き、国王とカラルド国の王とが話し合った結果だった。小国同士ならこれまであったが、大国同士ではなかったことのようだ。
 まあ、他国や教会への牽制の意味合いもある。この二国が友好関係を築ければ、良いことの方が多いのである。
 来年のちょうどこの時期に行われるそうだ。軍備の拡張はこの世界でもリアルな問題である。
 このべらぼうな予算をもっと別の目的で使えればいいのだが、現実はなかなか割り切れないことが多いものだ。

 さて、ベルハルトとカイン王子が順調に勝ち進んでいって、終に決勝戦となった。ほとんどお互い無傷であるため、回復することはなかった。


 武闘会には回復ポーション、つまりあの毒薬ポーションが過去に使われることがあった。今でこそドジャース商会のポーションだが、一昨年まではあのポーションの世話にならなければならなかった。
 過去には中級ポーションを使うことが何度かあったようだが、いろいろとルールも改定され、審判の判断で決着がつけられることもある。悪趣味だが、明らかに決着がついているのに弱者をいたぶる、そういうことがあったという。
 今年は回復役にはヒロインの光魔法があるので、怪我の心配はない。

 私も興味があったので戦って負傷した選手たちにかけられた光魔法を観察していた。
 情報通り、怪我の治りは発動してから一瞬といってもよいほどであり、タイムラグがない。だが、魔法の発動には少しばかり時間がかかっている。これはまだヒロインにも修行の余地があるということなのだろう。話では契約を結んでからも熱心に練習をしているという。
 負傷者の多くは打撲が多く、出血を伴うことはあまりないが、それでもヒロインにとっては気持ちのよいものではないと思う。


 ヒロインが回復役として武闘会で働くことについて、学園がお伺いを立ててきた。光魔法をむやみやたらに使うことがいいのか、そういう理由だ。
 当初、私はこの武闘会でヒロインが回復する役目を担うことに反対をしていた。ヒロインは日本から来た高校生だ、怪我人の治療は精神的な負担が大きい。学園行事なのであまり口を挟むのもどうかと思ったが、そういう問題でもないと思ったのだった。なによりも光魔法を使うヒロインを見世物にしたいという教会側の思惑が透けて見えた。
 だから、これまで通りポーションで回復をするように言ったが、何人かの人間が「ドジャース商会のポーションですか?」と、痛いところを突いてくることがあった。
 売り込みだと勘ぐったらしい。

 馬鹿馬鹿しい。
 武闘会で消費されるポーションの量などたかがしれている。それに評判だってもうある程度定着している。
 そんなあぶく銭を稼ぐために意見したわけではない。今さらそんなことをする必要などないだろうと思った。だが、周りはそうは見なかった。
 案の定、光魔法が貴重だからこそみなにも見せなければならない、そういう理由だった。いったい光魔法の担い手をサーカスの劇団員か何かだと思っているのだろうか。
 とはいえ、生きている間に見られないかもしれない光魔法である。好奇心で見たいと思う貴族たちが多かった。
 日本から来たなどということは言えないし、何よりも当のヒロインが承諾したのでこれ以上は何も言えなかった。結局、ヒロインが回復の役目を引き受けた。


「ほう、この度の聖女様はなんと可憐であることか」

 私の席から離れた場所には、アポロ教会の大司教メフィストが座っている。これまで教会関係者が来ることはほとんどなかったようなのだが、この男は今回はヒロインがいるということで見物しに来たのだろう。

「あのように惜しみなく魔法を使われるとは、本当に尊いお方だ」

 そんなことを周りの人間にも言っている。私のいる席にも汚い声が聞こえてくる。あのゲスとも懇意にしているというメフィストは、どうやら他の貴族たちともつながりがあると見える。

「ふん、何が惜しみなくだ」

 忌々しいと言わんばかりの声が小さく聞こえる。

「ザマス殿?」

 ザマスの顔が不快なものに変わっている。いつもの嫌みのザマスの口調ではない。

「いや、今のは一人言ですよ、お気になさらず」

 ザマスがメフィストを一瞬睨みつけていた。やはりザマスは教会の人間には手厳しいように思う。


 教会が最後に聖女を擁立していたのは10年ほど前になる。
 すでに聖女は40代だったというが、その聖女の最期に何があったのかは明らかにされていない。ロータスやキャリアの情報網でもわからない。ただ、何かしらのことがあっただろうとは言われているくらいである。
 カーサイト公爵家と教会との溝が何なのかも探らせているが、はっきりしたことはわかっていない。

 視線を動かすと観戦席にアリーシャの姿が見える。隣にはカーティスとハートが座っており、エリザベスがいる。シーサスとローラの姿はなかった。シーサスが出場しないのにザマスが来たのはよくわからない。ゲス・バーミヤンが来てないのでこの武闘会への参加は強制ではない。ザマスなら不参加のように思えたがそうではなかった。


 さて、ベルハルトとカイン王子の試合だが、途中、大雨が降って一時中断となった。このまま中止になるかと思ったが、二人は戦うつもりでいる。そしてそのまま試合が始められた。

 10分間くらい互いに磨いてきた剣技を競い合っており、拮抗していた。一つの油断も許されない、そういう試合である。どちらかの集中が途切れたら、勝負は決まるだろう。存外、二人の表情に笑みらしきものが浮かんでいる。

「あれはもう観客のことは見えてないですね」

 クリスがつぶやいた。目の前の敵をいかに倒すか、その点にのみ力を、呼吸を集中させている。

「クリス、戦いたいんじゃないのか?」

「ははっ、まさか」

 そう言いつつ、クリスは頭の中で自分の動きをシミュレートしているようだ。時折握り拳を作っている。カミラの方が好戦的かと思ったが、クリスの心にもそれはある。

 動きがあった。二人が木剣をぶつけたらカイン王子の木剣が折れたのである。この木剣は特別な剣で、木材なのに金属並の堅さである。一種の魔道具と呼んでもいい代物だ。
 これ幸いにとベルハルトがカイン王子に木剣を向けると、なんと今度はカイン王子がベルハルトの木剣を素手でボキッとたたき割った。
 そんな馬鹿な、誰もがそう思ったに違いない。私もそう思った。二人が同時に木剣を無造作に投げ捨てた音がカランコロンと聞こえてきそうだ。次は拳での戦いになる、ベルハルトが魔法を使うかもしれない、誰もがそう感じた。

 雨がさらに強くなり、雷鳴までも聞こえてくるようになった。空が光を放ち叫んでいる。

「両者、それまで!!」

 残念なことに審判の判断でこの試合は中止となり、両者引き分けということになった。
 結果がつかないことに不完全燃焼の二人だったが、会場内はそうでもなく、盛大な歓声と拍手によって幕が閉じられた。近年まれにみる戦いだったようだ。

 これまでにも天候により試合続行が不可能になって引き分けという先例があったようなので、審判の判断自体は間違っていないと思う。もうこの席から二人の姿を目視するのが難しい状況だったので、やむなしであろう。
 ただ、引き分けとなってすぐに雨の勢いが弱くなってしまった。
 なんともタイミングが悪かったが、すでに二人の闘志も収まってきており、今からまた試合が開始できそうというものではなかった。続きは来年度ということになった。同じ学年だから手合わせすることは何度もあるだろう。

「ベルハルトが魔法を使っていたら早くに決まっていただろうか」

「どうでしょう。カイン王子殿下には魔法など些細な問題のように見えました。雨も降っていますし火の魔法の効果も薄いかもしれません。ただ、両者にはまだゆとりがあるように感じられました」

 クリスが二人の力量を比べていた。カラルド国は魔法使い対策として、魔法潰しの剣術がある。それは地面の土や石を巧みに蹴って相手の集中力を断ち切ったり、間合いに入りこんで魔法の発動を中断させるものである。ただ、それをベルハルトが許すだろうか。

「ゆとり? まだ力を隠しもっているということか」

「はい。どちらが強いかはまだわかりませんが」

 貴公子たちには侮れない力がやはりあるのだろう。
 舞台から降りた二人にヒロインがかけよって、それぞれに回復魔法をかけていった。それまでは無傷だったが、この試合では双方に傷がある。

 カイン王子は相変わらず仏頂面であるが、ベルハルトはいつものようなへらへらとした笑顔にはなっておらず、かなり真面目な顔つきになって、ヒロインに何か話しかけている。
 その二人の様子を遠くから見つめている金髪の少女が会場にいるのを発見した。
 ローラ・バーミヤンだった。
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