吸血鬼のお宿~異世界転生して吸血鬼のダンジョンマスターになった男が宿屋運営する話~

夜光虫

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一章

宿泊者名簿No.2 元花売りの女ドロシー(下)

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「よし、アイツらは寝ているみたいだ。やるぞ」
「ええ」

 夜が明ける前に起床したアタシたちは、家人たちを起こさないようにそっと行動を起こす。

「まずはこの部屋にするか」
「ええ」

 家人が寝ているであろう寝室以外の部屋を巡っていく。そして部屋の中にある売れそうなもの、珍しいものを、片っ端から魔法の鞄に詰め込んでいく。

「珍しい食材が大量だぜ」
「当分は贅沢な食事ができそうね」

 台所からは食材の類を中心に盗んでおく。
 魔法の鞄に入れておけば日持ちするので、当分は贅沢な食事が楽しめることだろう。珍しい食材と香辛料を使いまくった料理なんて、まるで貴族の食事みたいだ。想像するだけで涎が出そうだ。

「家の中は粗方巡ったな。次は外だ」
「ええ」

 家の中のものは盗み終わったので、次は外にあるものを盗むことにする。
 そっと戸を開けて外に移動し、昨日使った裏庭近くにある脱衣所に向かう。

「ひひ、石鹸だ。大量の高級石鹸があるぜ」
「タオルもね。売ればそれなりの金になりそうね」
「無用心な馬鹿夫婦だぜ」
「ホントね」

 脱衣場に置いてあった物を片っ端からパクっていく。
 石鹸、タオルは勿論のこと、風呂桶、脱衣籠の類も全部パクっていく。風呂釜も盗み、燃料の薪も大量にパクっておく。とにかくパクりまくる。

「まだ入りそうだな。あの物置からもパクっていくか」
「そうね」

 続いて作業小屋のような物置に向かう。
 物置には鍵が掛かっていなかった。簡単に侵入できた。

 こんな森の中にあって人が来ないからと、完全に安心しているのだろう。馬鹿な夫婦である。有難く盗ませてもらおう。

「金持ちからのお恵み、有難く頂いておこうぜ」
「そうね」

 スコップ、鍬、農作業具――そういった物置の中にあったものを、片っ端から全部パクっていく。
 そうしていると、どこからともなく一匹の蝙蝠が現れた。戸が開いているのでどこからか迷い込んだらしい。

「キィキィ!」
「うお!」

 一匹の蝙蝠が、アタシたちの行動を咎めるかのように激しく鳴く。

「なんだよ蝙蝠か。驚かすんじゃねえ。あっち行ってろゴミ蝙蝠!」

 スティーブがそう言って邪険に追い払うと、蝙蝠はフラフラと気落ちしたように飛び去っていった。
 蝙蝠が悲しそうな鳴き声を出していたのは気のせいだろうか。きっと気のせいだろう。

「よし、盗みを再開するぞ」
「ええ」

 気を取り直したアタシたちは盗みを再開する。夜が明けぬ内にパクれるものは全部パクる。そして家人が起きてくる前に家を発つことにした。

「それじゃおさらばするぜ」
「そうね」

 魔法鞄の容量が最大になるまで盗みを働いた。不用品を売り払うだけでも一財産築けるだろう。エデンで生活をやり直す軍資金は十分に稼げた。

(ふふ、ちょろいものね)

 スティーブが冒険者を首になって王都を離れなければいけないと聞いた時はどうなることかと思ったが、こんな幸運に恵まれることになるとは思わなかった。道端に落ちていた大金を拾った気分である。馬鹿な金持ち夫婦に感謝だ。内心笑いが止まらない。

 しめしめと思いながら家を離れようとした――そんな時のことだった。

「こんな時間にお帰りですかお客様」
「「っ!?」」

 アタシたちが家から出ようとすると、森の奥から声がかかった。
 黒い人影がスッと現れ、こちらへと近づいてくる。月明かりに照らされて表情が判るようになる。
 どんな化け物が現れたかと思いきや、それはあの血色の悪い若旦那であった。

 病気持ちの若旦那が、こんな時間に森の中で何を?

 訝るアタシたちであったが、そんなことなどこの際どうでもよかった。
 一刻も早くこの家から離れねばならない。若旦那が家に戻って物が盗まれたことに気づき騒ぎ始めたら不味い。

「これ以上迷惑かけられないし、目的地に早めに着きたいんで、早めに出ることにしたのよ。ごめんなさいね。家にいなかったみたいだったから、声かけられなくて悪いとは思ったけど」
「ああドロシーの言うとおりだ。急ぎの用事があってな。あっそうそう、これ、お礼だ。少なくて悪いけどさ」
「そうですか。これはこれはどうも」

 スティーブは若旦那にカプコン銅貨を数枚握らせてやっていた。
 盗んだ品物に比べれば些細な金額だ。心証を良くしておいて、盗みだと騒ぎ立てるまでの時間稼ぎが少しでも出来ればいいと思ったのだろう。

「それじゃ世話になったわね」
「達者でなご主人」
「ええ」

 若旦那はすっかり騙されたようで、家の方へと歩いていく。アタシたちは足早にその場を去ろうとする。

「ああ――皆さん。忘れ物がございますよね?」
「「ひっ!?」」

 家の方に戻ったはずの若旦那が、何故かアタシたちの進路方向上にある森の中から再び現れた。
 いったいどんな手品を使ったのか。アタシたちはビックリして変な声を出すこととなった。

「わ、忘れものだと?」
「ええ忘れ物ですよ」
「そんなもんねえよ。あったらそっちで処分してくれや」

 忘れ物などないに決まっている。アタシたちは忘れ物が大嫌いなのだ。
 他人が忘れ物を置いていってくれるのは得するので大歓迎であるが、自分たちが忘れ物をして損をするのは大嫌いだ。だから絶対に忘れ物などしない。だというのに――。

「いえ確かに忘れていますよ」
「忘れ物なんてしてねえって言ってるだろ!」
「いえ忘れています。大量に忘れています」

 若旦那はアタシたちが忘れ物をしていると言い張る。そして進行方向を塞ぎ、家の敷地から出られないようにする。忘れ物を返すまで帰さないのだという。

 そもそも若旦那はどうやってアタシたちが忘れ物をしたと知ることができたのだろう。今の今まで森の中にいて家の中に帰っていないはずなのに。

 不気味な若旦那の行動に、アタシたちの焦燥は募る一方となった。やがて若旦那は徐に口を開く。

「枕、枕カバー、ベッド、ベッドシーツ、布団、椅子、テーブル、花瓶、カーテン、壁絵、水差し、コップ、灰皿、スリッパ、メモ帳、ペン、ボードゲーム、ハンガー、ランプ――――」
「「っ!?」」

 若旦那がブツブツと呟く単語を聞き、アタシたちの心臓は跳ね上がる。アタシとスティーブの顔色はみるみる悪くなっていった。

「塩、砂糖、胡椒、酢、醤油、味噌、トマト、ジャガイモ、タマネギ、ニンジン、ピーマン、ブロッコリー、アスパラ、キャベツ、リンゴ、ナシ、メロン、スイカ、ワイン、日本酒、ブランデー、箸、箸立て、ナイフ、フォーク、スプーン、フライパン、鍋、お玉、トング、コップ、皿――――」

 若旦那は淀みなく次々に単語を読み上げていく。読み上げられるその単語は間違いない。

「石鹸、ボディーソープ、シャンプー、リンス、バスタオル、バスマット、脱衣籠、タワシ、シャンプーハット、ヘアブラシ、カミソリ、歯ブラシ、掃除用ブラシ、洗剤、風呂桶、風呂釜、形の良い庭石、薪、炭――――」

 若旦那が読み上げている単語は間違いない。アタシたちでは名称がわからないものもあったが間違いないだろう。

「スコップ、鍬、鎌、鋏、縄、如雨露、作物の種、手袋、肥料、除草剤、七輪、三輪車、トイレ用芳香剤、蚊取り線香、蝙蝠の餌――」

 若旦那が読み上げているもの――それは、アタシたちが盗んで魔法の鞄に入れたものに違いなかった。

 どういう仕組みかはわからないが、どうやら全て見られていたようだった。アタシたちが盗みを働いていたことは全部筒抜けだったらしい。

「――以上のもの、忘れ物です。返すのを忘れています。お返し頂いてませんよね?」
「し、知らねーよそんなのっ!」
「お返し頂けますか?」
「知らないって言ってるだろ! そんな大量のもん、どうやって俺らが盗んだって言うんだよ⁉ 持てるわけねえだろうが⁉」
「その鞄。魔法の鞄ですね。驚きました。家にあるもの、次々に盗んでいけるんですから」

 若旦那は鬼気迫る表情で、魔法の鞄を指差しながら指摘してくる。

 もはや言い逃れはできない。どうしたものかと、アタシはスティーブの方を伺う。

「知るかよ! 変な因縁つけてんじゃねえぞこの野郎! 人を泥棒扱いしやがって! 許せねえ!」

 スティーブは剣を抜くと、それを若旦那の首元に近づけた。
 どうやら強引に押し通るつもりらしい。事後強盗になってしまうが仕方ない。

 こんな森の中だ。強盗したってバレやしない。アタシたちの身元が割れているわけではない。エデンに逃げればどうとでもなるだろうと思った。

「盗んだもの、お返し頂けますか?」

 凶器を近づけられているというのに、若旦那は冷静そのものだった。相変わらず顔色の悪い顔で淡々と同じ言葉を繰り返すのみだ。

「お返し頂けますか?」
「知らないって言ってんだろがぁああ! もう殺してやるぅう!」

 凶器で脅せばビビッて引くと思ったが引かないので埒が明かないと思ったのか、スティーブは剣を握り締めて若旦那へと向かっていった。
 どうやら殺すつもりのようだ。まあ殺した方がアタシたちが盗みをやったという証人が消せるのでいいだろう。

「ゴブリンスレイヤーと恐れられた、この俺様の剣の錆びになりやがれぇええッ!」

 スティーブは元鉄等級冒険者の名に恥じない鋭い一撃を放つ。
 人殺しの瞬間なんて見たくないので、アタシは目を瞑り、その瞬間が過ぎるのを待った。

「――へぶしっ」

 ドゴンッと鈍い音が鳴り、人の唸り声が聞こえてくる。
 恐る恐る目を開けると、そこにはアタシの想像と違う光景が広がっていた。

「かひゅっ、あぁ……」

 地面に、トマンの実が弾けたかのような赤い血が広がっている。最初、それは若旦那の血かと思った。だが違った。

「うぁぁ……」

 愛するスティーブが地面に頭から叩き落されていたのだ。頭の割れたスティーブがそこに転がっていた。

「あぅあぅっ……」

 スティーブは声にならない声を上げると、その後はまったく動かなくなった。

 愛する旦那が目の前で死んだ。紛れもない事実。
 だがまったく実感が湧かず、アタシは呆けていた。悪い夢を見ている気分だった。

「お客様は神様だ。だがアンタらはお客様じゃない。ただの薄汚い盗っ人だ。ゴミクズだ。害虫だ。俺のダンジョンを荒らしやがって。挙句の果ては俺のお気に入りの庭石まで盗みやがって。エリザが森の中で見つけてきてくれた大事な大事な庭石を……もう許せねえっ、俺たちのおもてなしの心をっ、ぶっ、侮辱しやがってぇえええ! クソがああぁあああああッ!」
「ひっ、ひぃいいいい!?」

 若旦那は狂ったように叫び始める。何を言っているかわからない言葉を叫びながら地面を踏み鳴らす。青筋が立ち、完全に激怒していた。

「許して頂戴! 全部旦那が計画したの! アタシは付き従ってただけなんだから!」
「知るかぁああ! クズがクズがクズがぁああ! 日本人のおもてなしの心をっ、ぶっ、侮辱したらぁっ、もう殺すしかねえだろうがああッ! 男だろうが女だろうが関係ねえっ、殺すぅううううッ!」
「ひっ、ひぃいいぃいい⁉」

 木々を揺らすような激しい怒気と人間とは思えないようなプレッシャーを前に、アタシはへたり込んで粗相をしてしまった。地面に染みが広がっていく。

「許して許してゆる――っ、ぎゃあああああッ⁉」

 許しを乞う言葉を連発していると、首筋に激しい痛みが走った。

(うそっ、なんでこの男がっ!? 血をっ、吸っているの!?)

 首筋に噛み付いていたのは、なんと若旦那だった。

「クソがぁああ! クソがぁあああ! 日本人のおもてなしの心を侮辱しやがってぇええ!」

 目の前で怒り狂って地面を踏み鳴らして暴れているのも若旦那だ。若旦那が二人いる。

 意味のわからない状況に、アタシは置かれていた。

(そうかっ、こいつらっ、噂に聞く吸血鬼!)

 血を吸う化け物。人間に化けられる化け物。混乱する頭を一生懸命働かせ、一つの答えを出すことができた。

 アタシたちは知らずの内に吸血鬼の館に滞在していたのだ。そして大変な無礼を働いてしまっていたのだ。

(もうっ、無理ね。どうあがいても。ここで終わるんだわ……)

 吸血されているせいか、ほとんど身動きできなかった。
 もう死は免れないだろう。一流の冒険者が相手にするような魔物、元冒険者のスティーブがまったく相手にならなかった化け物。それが二体も。そんな相手から素人のアタシが逃げられるはずもなかった。

(酷いものね……)

 自分の手を見れば、徐々にしわくちゃになっていた。
 吸血されて生命力を吸われている。このままやがてはミイラになって死んでしまうのだろう。

(まあ、アンタとここで死ねるなら悪くないか……)

 エデンには行けなかった。クソみたいな人生だった。
 けれど、愛する旦那と出会うことができ、同じ場所で死ねるのなら、それほど悪くはなかった人生なのかもしれない。

(朝日が綺麗ね……)

 静かな森に朝日が昇っていく幻想的な光景と、近くで横たわる愛する者の亡骸を横目に、アタシは意識を手放していくのであった。
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