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二章

宿泊者名簿No.8 下級貴族ワルイーゾ(下)

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「――ここは?」

 気がつけば、ワシは花宿の一室ではなく、違う場所にいた。エビス教の教会のような場所だ。

 近くには下男共の姿もあったが、デュワの姿はなかった。

「おい下男共、ここはどこだ?」
「わかりません。俺たちもたった今、目が覚めたばかりで、何が何やら……」

 近くに座っていた下男に尋ねてみるのだが、奴らもこんな場所は知らないという。きょろきょろと周囲を見回すだけだ。

「教会? それにこの飾りつけ、まるでこれから結婚式でもやるようだな……」

 周囲には場違いなくらい大量の花飾りが設置されていて、これから誰かが挙式でもするかのようであった。

「いったいどうなっておるのだ?」

 このままでは埒が明かないと思い、席を立って移動しようとした時のことであった。入口の扉が突如としてバタンと開かれたのだった。

「むっ、あの男は!?」

 意識を失う前に花宿で会ったあの男――ヨミトが入場してきた。
 現れたヨミトは何故か神父姿であった。エビス教の神父が着るような服装をしておった。

「おいヨミトと言ったか、貴様、どうなっておる!? ここはどこだ!?」
「皆様、静かに座って席でお待ちくださいませ。間もなく新郎新婦が入場いたします」
「なっ、ふざける――っ!?」

 奴の言うふざけたことなど聞いていられるかと、ワシは怒鳴り声を上げようとした。

(な、何!? 声が出せん! それに身体も言うことを聞かん!)

 だが、ワシも下男たちも、声を出すことができなくなってしまった。奴の言う通り、何もできず、席に座るしかなくなった。

(何をした? 一体何をしたというのだ!?」

 まるで動けない。じっと座っていることしかできなくなった。
 何かしらのスキルを使ったのだと思われたが、確かめる術はなかった。

「まずは新郎のご登場です」

 神父姿のヨミトがそう告げる。

 新郎というからには、これから誰かの結婚式を挙げるのだと思われた。ワシらはその式に強制的に参加させられるらしかった。

「皆様、盛大な拍手でお迎えください」

 ヨミトに命令されると、ワシらはその通り拍手をするしかなくなる。
 ワシらの拍手に促されるようにして、緑色の生き物が三匹、入場してきた。

(なっ、ゴブリンだと!?)

 新郎役として入場してきたのは、三匹のゴブリンであった。ご満悦そうな顔をしたゴブリンたちだった。

 あり得ない。森に住む魔物であるゴブリンが何故こんな所にいる。魔物なのにどうしてワシたちに襲い掛かってこない。

 疑問ばかりが募ったが、誰もその疑問には答えてくれなかった。

(一体どうなっておるのだ!?)

 叫び出したいほど驚いたが、何も声を上げることができない。喉の奥に物が詰まったようで、まるで声が出せなかった。

「続きまして、新婦のご登場です。皆様、盛大な拍手でお出迎えください」

 続いて新婦役の女が入場してくる。

(なっ、デュワ!? それにあやつは失踪したインディスとかいう女ではないか!?)

 新婦役の二人の女は、ワシのよく知るデュワとインディスであった。二人は心底幸せそうな表情で花嫁ドレスを着ていた。

 何故失踪したインディスがここにいる。そして花嫁のドレスを着ている。
 デュワもそうだ。何故こんな茶番に付き合っているのか。

 色々と疑問が湧いてきたが、そんな考えはすぐに吹き飛んだ。

「では誓いの口付けを」

 ヨミトに促され、二人はしゃがみ込むと、三匹のゴブリンたちと次々に誓いの口付けを始めていった。
 それを見て、ワシは戯れでないことがわかった。

(ひいい!? 狂っているぞ! あんな醜悪な底辺の魔物と誓いの口付けをするなんて! おぞましすぎるぅう!)

 醜悪な魔物、魔物の中でも下等中の下等の魔物。それがゴブリンという生き物だ。
 そんなゴブリンに嫁入りして喜んでいるなど、人間の女としては異常すぎる。元の彼女たちからしたら考えられない行動だ。

 そう考えた時、ワシの中でピンと閃くものがあった。

(そ、そうか! あやつら、スキル【洗脳】を受けておるのだな!)

 あのスキルを受けた娘を、ワシは数え切れないほど見てきた。だから、今のインディスとデュワの様子を見て、あのスキルを受けているのだということにすぐに気づくことができた。

(あのスキルはインディスだけのもののはずだぞ!? 貴重なスキルのはずなのに、何故あの男がそれを使えるのだ!?)

 インディスが自分で自分に洗脳スキルをかけたとは考えづらい。雇い主であるデュワを裏切って、デュワと自分を貶めるようなことをするとは思えない。

 ということは、このヨミトという男も同じスキルを持っていて、それでインディスたちを洗脳したのだと思われた。

(何者なのだ、この男は!?)

 得体の知れない力を持つヨミト。
 そもそもここはどこなのか。ワシらを瞬く間に気絶させ、こんな場所に運び入れるなど、尋常の仕業ではない。ヨミトは得体の知れない力を持ちすぎている。

(こやつ、化け物なのか? うぅ……)

 恐怖心が湧いてくる。
 それはワシだけでなく、下男たちも一緒だったらしい。皆が皆、表情を凍りつかせて、冷や汗を流していた。

 ワシらは生贄の祭壇に捧げられた哀れな子羊であった。怯え震えて、この場を支配するヨミトの裁断を待つしかなかった。

「インディス、デュワ。タロウたちと共に永遠の時を過ごすことを誓えますか?」
「「はい誓います」」
「我が眷属として、ゴブリン戦力の増強に寄与することを誓えますか? タロウたちの子を産みまくることを誓えますか?」
「私インディスは誓います! 今も孕んでます! 来週もその次の週も、産んで産んで産みまくりまーす! ダンジョンのために、喜んで産む機械になりまーす!」
「私デュワも誓います! バッド商会を運営しつつ、働きながら子を産みまくりますわ! ダンジョンの財政に寄与し、ゴブリン戦力の増強にも寄与する、そんな超高性能な産む機械に、喜んでなりますわ!」

 インディスとデュワの二人は、心底幸せといった表情で、狂ったような戯言を言う。
 ヨミトはそれを聞いて、表情を変えることなく「結構です」と言うのみだった。

「父ちゃん母ちゃん、結婚おめでとう!」
「おめでとー!」
「今日はめでたいねー!」
「やっと未婚の母卒業だね!」

 気づけば、どこからともなく大量のゴブリンたちが湧いて出てきた。チビゴブリンたちであった。五十匹以上いるだろうか。

「わーい!」
「インディス母ちゃんの他にも、もう一人母ちゃんが増えたぞ!」
「嬉しいなぁ!」
「やったね! 家族が増えるぞ!」

 ゴブリンのガキ共がはしゃいでいる。
 とても嬉しそうにしているが、ワシらからしてみれば、恐怖でしかない。身動きがとれないのにモンスターに囲まれているのだから当然だ。

「ではインディス、デュワ。君たちはタロウたちと末永くお幸せに。さあ君たちはもう退場していいよ。別室にウェディングケーキを用意してあるから、みんなで一緒に食べてね。結婚式の主役、お疲れ様でした」

 大量のチビゴブリンたちに囲まれながら、インディスたちはその場を後にしていった。彼女たちは至極幸せそうだった。

 そして、残されるのは、ワシと下男たちのみ。

「さあて。お次は君たちの処分かな。結婚式は終わり、次は懺悔式といこうか。いや、洗礼式かな?」
「ひぃっ!?」

 ヨミトはゆっくりと下男たちに近づいていく。下男たちは酷く震えていた。

「君たちには引き続き、バッド商会の下男として働いてもらおうか。デュワの下で、死ぬまで働いてもらおう。他者に奉仕し続ける善良な人間としてね」
「あぁ……」

 ヨミトに目を合わされて命令されると、下男たちの目の色が変わっていく。そして人格が入れ替わったかのように豹変していく。

「はい……残りの人生……全て、ヨミト様とミッドロウの町のために尽くします……余暇も私財も全て投げ打ちます……そうやって罪を償います」
「よろしい。なら君たちはこれで解放してあげよう」
「はい」

 バッド商会の男たちは、スキル【洗脳】によって人格を塗り替えられた上で解放されていった。

「さて。残るは貴方ですね、ワルイーゾさん」
「ひぃっ、何をっ、ワシを洗脳する気か! やめろ! ワシは下級貴族だぞ! こんなことをしていいと思っているのか!」

 喋れるようになったので、ワシはここぞとばかりに抵抗した。

「金か!? 金が欲しいのか!? お主、魔物を操り他者を支配下に置く素晴らしい力を持っておるな? インディス以上の逸材だ! よし、ワシの部下になれ! 悪いようにはせんぞ!」

 ワシはそう言って懐柔しようとしたのだが、ヨミトは薄笑いを浮かべるばかりであった。

「だってさ。ノビル、どうする?」
「決まってんだろ、そんなのさ」

 ヨミトの言葉に反応し、小柄な一人の少年が入場してくる。その少年は、まるで処刑人のように手に斧を携えていた。

「貴様は!? 昨日の狼藉者のガキ!?」
「よう、昨日ぶりだなクソ野郎」

 その少年には見覚えがあった。昨晩、ワシの屋敷の庭に現れた狼藉者だ。

 勝手に気絶したので、配下の者共に手足の骨を折らせた上でゴミ捨て場に捨てさせた。今頃はスライムの餌になっているはずなのに、それが何故ピンピンした状態でここにいるのか。

「貴様、何故ここにおる!? 死んだはずでは!?」
「ああ死ぬところだったさ。ここにいるヨミトのおかげで命拾いしたがな」

 この少年、ほぼ死にかけ状態の所を、ヨミトに救われたらしい。

 ヨミト、ヨミト、ヨミト。一体何者だ。またしても異常なほどの力の片鱗を見せつけてくる。死にかけのガキを一日で元の状態に戻すなどあり得ない。まるで神の御業だ。

 何なのだ。何者なのだ。ヨミトという男は一体何者なのだ。

「このクソ野郎はぶちのめさなきゃ気が済まねえ。罪を償って社会復帰なんてさせたくねえ。レイラたちも後でぶちのめしたいって言ってたしなぁ」
「そっか。じゃあダンジョンで飼うことにしよっか。ストレス解消用の玩具にしよう。福利厚生のレクリエーション用品にしようね」

 ヨミトはわけのわからぬことを言っていた。だが一つだけ、ワシの耳にも聞き取れたことがあった。
 ヨミトは、「ダンジョン」とはっきりと口にしていた。

(ダンジョンだと!?)

 ここは伝説で謳われるダンジョンなのか。だとすればヨミトは伝説の魔王、ダンジョンマスターだとでもいうのか。
 そんなことはあり得ないだろう。はったりに決まっている。

「ひっ、ワシに手を出していいと思っているのか!? ワシは下級貴族だぞ! 王家に仇なすつもりか! 王国の敵になるぞ!?」
「ふっ、貴族ね」

 ワシの言葉を聞き、ヨミトは邪悪に笑った。それがどうしたと言わんばかりの態度であった。

「王国、王家、貴族、社会、法律――そんなものは俺には関係ないよ。俺は何者にも囚われない、外法の存在。人理の埒外にある迷宮の主。夜を統べる貴族。傲慢で狡猾で凶悪な、人類の敵さ」

 そう呟きながら、ヨミトはワシに近づいてくる。

「今、俺の真の姿を明かしてあげるよ」

 得体の知れなかった男ヨミト。
 奴の正体が明らかになる。仮初の姿が解かれ、強烈な魔力の圧が吹き荒ぶ。

「ひぃいいい!? 吸血鬼だとぉおおお!?」

 間違いない。これほどの力を持った魔物。
 ヨミトという男は、人類の敵、あの伝説のダンジョンマスターだったのだ!

「ノビル。こいつの後始末は任せたよ。レイラたちと一緒に仲良く遊んでね」
「ああ。来いよオラァア!」
「ひぃいい! お許しを! 助けて!」

 ワシはノビルというガキに引きずられ、ダンジョンの拷問部屋へと移送された。そこでワシは凄惨なる拷問を受けることになるのである。死ぬまでずっと。

「よう、おはようございますクソ貴族様。本日もご機嫌麗しゅう。さて、早速だが本日一発目だ。覚悟はいいな?」
「やめっ、やめろっ、いや、やめてください、ノビル様やめて!」
「いくぞオラァア!」

――ドゴブシャッ。

「ひぎがぁあああああ!」

 ノビルが振り下ろした斧によって、ワシの大事な部分が破壊される。数々の乙女をヒイヒイ言わせてきた、大事な大事なものが破壊される。

「ひぐひぃひぃ――ぎゃあああ!」

 あまりの痛みによって気絶するが、水をぶっかけられて強制的に復活させられる。そんなことが幾度と繰り返され、あまりの痛みによって感覚が麻痺してきた頃、ノビルは次なる手を打ってくる。

「痛いだろう。そら、直してやるよ」

 ノビルはポーションを使い、ワシの破壊された大事なものを修復してくれる。貴重なポーションを使って治癒してくれる。

 一見、優しい奴に見えるが、そうではない。

「これでまたぶっ壊せるな。アハハハ!」
「嫌じゃああ! 許してくれえええ! ワシの男として大事なものを何回も壊さないでくれええ!」
「そう言った女たちをお前は許したのかよ! 許してねえだろが! そらぁっ、本日二発目だ!」
「ひぐうっ、ぎぐがあああああああ!」

 そんな感じの拷問を、ワシは延々と受け続けることになった。
 何日、何ヶ月過ぎたかわからない。時間の感覚がなくなるくらいの長い間、地獄を味わった。

「あう、あぅ……」

 髪は真っ白になり、歯は全て抜け落ちる。もう自分が何者かもよくわからなくなる。早く地獄が終わることだけを考えるようになる。

「こ、殺してくれ……」
「ノビル、そろそろいいんじゃない? 壊れてレクリエーション用品としてはもう面白くないよ。修理にも出せないし、ダンジョンマナに変えちゃおうよ」
「ああ。レイラたちも満足したって言ってたしな。おらっ、クソ野郎、楽にしてやるよ! ありがたく思いやがれ!」
「あぁ……やっと……」

 ノビルが振り下ろした斧は、ワシの下半身ではなく、首元に向かっていた。
 永遠にも感じられた地獄の時間がやっと終わりを迎えるのだと、ワシは悟った。

(まさか、こんな終わり方を迎えるとはの……)

 ミッドロウで我が世の春を味わっていた時は、死ぬ時は最高の達成感を感じながら死ぬと思っておった。数多の乙女と過ごしたあの甘い日々を思い、夢見心地のまま、充実感と共にあの世に逝けると思っておった。

(何も思い出せぬ……何も……)

 今際のワシの脳裏には、痛みの記憶しかなかった。乙女たちと過ごした快楽の記憶はすっかり塗り替えられ、消え失せていた。
 下半身の感覚と言えば、斧を振り下ろされるあの感触。あの激痛しか思い出せなかった。

(せめてもう一度……思い出したい……乙女を……乙女を……)

 そう心の中で呟いたところで、ワシの意識は闇に沈んでいった。
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