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二章
宿泊者名簿No.8 下級貴族ワルイーゾ(中)
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国家に奉仕する者のの務めとはいえ、年末まで働くというのは大変だ。まあその分、卑しい民草共では到底手の届かない給与を貰い、到底味わえない楽しい思いが出来るわけであるが。
「そろそろ時間だの。おい、窓口を閉めろ。陳情に来ている民衆を追い出せ」
「はっ、かしこまりました。ワルイーゾ様」
今日も一日が終わる。規定の仕事に加え、馬鹿な民草たちの陳情やらを適当に処理したり無視したりしていると、夕暮れが近づく。
待ちに待った定時である。我々役所の人間にとって、定時とは祝福の時刻だ。女神エビスに感謝を捧げる時である。
「さあ帰った帰った! もう時間だ! 窓口を閉めるぞ!」
「そんなぁ! こんなに待っている人がいるのに、時間ぴったりに窓口を閉めるなんてあんまりだ!」
窓口を閉めようとすると、馬鹿な民草たちが騒ぎ立てる。
「ギルドだって必要があれば延長して営業したりするのに! ワルイーゾ様! なんとかなりませんか!」
「年が越せなくて大変なんですよ!」
「助けてください!」
ピーピーと騒ぎ立てるしか能がない虫けら共め。文句があるなら一人前に税金を払ってから言えというに。税金を碌に納めてないくせに文句だけはいつも一丁前の虫けら共が。虫けらの分際で下級貴族のこのワシに文句を言うとは何様のつもりだ。
「黙れ! ギルドと役所は違う! 延長すればその分無駄な経費がかかる! そうなれば王国の財政が傾く! 貴様らは王国の財政を傾けたいのか! 王家に仇なすというのか! ええい、この売国奴共が!」
「うぅ……そう言われると何も言えねぇ」
一喝すると、馬鹿な民草共は散っていった。
最初から素直に立ち去ればいいものを。そもそも陳情にこなければいいものを。そうすればワシの毎日の仕事も楽になるというのにな。馬鹿な民草共だ。
「流石ですワルイーゾ様」
「本来は下級官吏であるお主たちの仕事だぞ。上級官吏である下級貴族のこのワシの手をあまり煩わせるなよ」
「はは、申し訳ありません!」
「わかればよい。それではワシは帰るぞ。後は頼む」
「はっ、残務はお任せくださいませ!」
部下共を叱咤激励し、勤め先を出る。
(相変わらずこの町は王都と違って洗練されてなくて嫌だのぉ。人間の町のくせしてまるでゴブリンの町のようじゃ。ああ嫌だ嫌だ)
町をぶらりと歩いてみるが、相変わらず雑多な雰囲気だ。王都の街並みを知っている身からすると、ゴブリンの町のように感じられる。
まあゴブリンの町なんて見たことないがの。例え話じゃわい。
(まあ不愉快なことなどどうでもいいわい。今日は神に祝福された日だからな。多少の不愉快は大目に見てやるわい)
ワシは気持ちを切り替えると、軽快な足取りで目的地へと向かう。向かうは自宅ではない。この町の桃源郷、ミッドロウの宵蝶じゃ。
(ふふ、今日は乙女が食えるぞ。久しぶりの乙女じゃ。最高だのう)
昨晩、バッド商会の若き女会頭デュワがワシの家を訪ねてきた。今年一年ミッドロウの町の発展に尽くした愛国者であるこのワシへのご褒美として、慰安の席を用意してくれるとのことだった。
その話を聞いてからというもの、楽しみで仕方ない。全身の血が滾って仕方ない。
(あの冒険者狩りの女、インディスと言ったか。あやつが消息不明と聞いて一時はどうなるかと思ったが、恙無く事業継続できておるようだな)
二月近く前だったか、有能な冒険者狩りだったインディスが消息を絶ってしまった。どこぞの馬の骨とも知らぬ冒険者に連れ去られてしまったのだという。
それからというもの、ずっと乙女を楽しむのはお預けだった。デュワには早く後釜を埋めよと言っていたのだが、ずっと音沙汰なしだった。だがここに来て、それがようやく整ったのだろう。
(ふふ、この調子なら来年も楽しめそうじゃの。重畳重畳)
ワシは浮き立つ心を抑えながら裏通りへと向かう。すると、顔見知りの馬鹿な民草が声をかけてきた。
「ワルイーゾ様、今日もこれですかい?」
下賎な民草は嫌らしい顔をしながら小指を突き立ててきた。下級貴族のワシに向かってなんて無礼な態度だ。
「仕事だ! ワシはミッドロウの町の奴隷の実態調査のためにこの区画を見回っているのだ! 貴重な余暇まで削ってな! 下衆な勘繰りをして舐めた口を聞くでない!」
「へい、すみませんでした!」
下賎な民草は口では悪かったと謝るものの、あまり反省した様子は見られなかった。
ああいう手合いは何を言っても聞かんだろうな。後で下衆な噂でも流すのだろう。ああ忌々しい。
(まあいい。今日は乙女が楽しめるんじゃ。馬鹿な民草のことなど忘れよう。楽しい楽しい年末じゃ! うひょひょ!)
ワシは心の中で自分に言い聞かせるようにそう言って、不快に思う心を必死に慰める。そして目的地へと向かう足を速めた。
「いらっしゃいませ。ワルイーゾ様」
「おうカーネラ、久しいの。バッド商会のデュワから話は聞いておるか?」
「勿論でございます。こちらへどうぞ。大部屋をご用意しております」
「おほっ、大部屋とは豪勢じゃの。では楽しませてもらおうか」
「はい。新しく地下に建設した、特別な部屋へとご案内いたしますね」
「おほほ! それまた素晴らしいの! 儲かっておるようで何よりじゃわい!」
宿に向かうと、カーネラが応対してくれた。年食った厚化粧の化けもんみたいな女じゃ。まあ年食ったその分、気立てはよいがの。
カーネラの素顔は美人だとも聞くが怪しいのう。まあババアだし乙女じゃないので、ワシにとってはどうでもいいがの。ババアの素顔になぞ興味はないわい。
気立ての良いババアのカーネラに促され、ワシは宿の通路を歩いていく。
「今日は客や従業員がやけに少ないのぉ」
「ええ。最近は以前と比べると不景気ですので。新しく投資した分が回収できるか、今からヒヤヒヤしております」
「そうか。世知辛いのう。まったく、馬鹿な民草共が一生懸命働かないせいじゃな」
カーネラと世間話をしつつ、歩いていく。そして新しく作ったという地下の大部屋へと通された。
「ではここでしばしのお待ちを」
「うむ」
一人残されたワシは、娼館利用客の果たすべき義務といえる身体洗いに勤しむ。愚かな民草共の模範たるべき下級貴族の一員として、ちゃんと女と寝る前には身体を洗っておかねばなるまい。前をゴシゴシとやっておく。尻の方もゴシゴシとな。
「ふぅ。極楽じゃのう」
それから部屋に備え付けられた温水を生み出す魔道具を使い、湯船にお湯をためて浸かる。
一日の疲れが一気にとれる。湯船の中で、馬鹿な下級官吏の臭い息がかかって汚れた顔を洗う。
「ふぅ。本当に天に昇る気持ちじゃわい」
最高じゃ。風呂は良い。心まで洗われていく気がするのう。
(今日はどんな乙女が来るのかのう。この宿が宛がわれたからには、相当な美人に違いないぞ。楽しみじゃのお)
湯船に浸かりながら、どんな娘がやってくるか思いを馳せる。近隣の村々で誘拐事案が発生したとは聞かぬし、きっといつもの如く冒険者であろう。
(冒険者といえば、レイラとメリッサが真っ先に思い浮かぶのう。あのような極上の乙女の身体、もう一度味わいたいの)
あの二人は今はこの宿で働いているのだったか。何回か遊びに行ったことがあるが、それっきりじゃの。
まあ乙女じゃなくなったあやつらにさほど興味などないので、まあどうでもいいか。
「ああ、いい風呂じゃったわい――って、何やら騒がしいのぉ。無粋な輩じゃ」
風呂から上がり純白の夜着を着てベッドの上で酒を飲みながら待っていると、戸の辺りが騒がしくなった。ようやく目当ての娘が来たのかと思ったが、やって来たのは意外な連中であった。
「失礼します。ワルイーゾ様」
「お主たち、バッド商会の者たちではないか。どうしたのだこんなところで……」
デュワの手駒として働いているバッド商会の男たちが、ワシの部屋へとやって来たのだった。
みんなこの宿の夜着を着ていることから、この宿に遊びにきていたらしいことがわかる。一介の商人の下男のくせしてこんな高級宿にいるとは良いご身分だな。
「どうしたも何も、本日は本当にありがとうございますワルイーゾ様。ほら、お前たちも礼を言え」
「ワルイーゾ様、このような身分不相応な場所にお招き頂きありがとうございます!」
「俺、こんな場所に生まれて初めて入りました! 嬉しいです! 今日はたっぷり楽しませてもらいます!」
バッド商会の面々はワシに頭を下げてくる。いつも以上に慇懃な態度だ。
わけがわからん。いったいどういうことだ?
「ん? 何の話だ?」
「ハハ、とぼけないでくださいよ。昨日の夜、俺たちの商会に来て話してくれたじゃないですか。我々全員に、ミッドウロウの宵蝶の高級娼婦を奢ってくれるって」
「なっ、何ぃっ!?」
奴らの口から出たのはとんでもない言葉であった。なんと、ワシがこやつらにこの宿の高級娼婦を奢ってやると約束したというのだ。
「そんなことはありえん。ワシはそんなこと、一度も言っておらん。というか、最近はお前たちの商会になぞ顔を出しておらんぞ?」
「ええ? いや来ましたよ昨晩。なあ皆」
「はい。久しぶりに来て何だろうと思ったら、まさかのどっきりでの贈り物だったんですから、驚きでしたよ」
「その場で近所迷惑にも大声出しちまったくらいですよ」
「ワルイーゾ様、そんな俺たちを見て、すっごい良い笑顔でニコニコ笑ってたじゃないすか!」
何を言っているのだこやつらは。
一介の商人に仕える下男風情に、何故ワシが高級娼婦を奢らねばならんのだ。そんなこと、するはずないだろう。金の無駄だもん。
(こやつら、全員でワシを騙そうとしているのか? 今まで受けた恩を仇で返しおってぇ!)
そうとしか思えなかった。怒りがふつふつとこみ上げてくる。
ふざけた下男共だ。人を騙そうとするなんて、とんだ極悪人共だ。
デュワはこんなろくでなし共を飼っているなんて、まったくもって躾がなっとらんぞ。
「さっきワルイーゾ様がいらっしゃったと宿の従業員に伺ったものですから、それで挨拶に参らせてもらったというわけです。本日は有難うございます!」
「知らん! ワシは何も知らんぞ!」
「そんな!? ここまで来ていくらなんでもそれはないですよ!?」
「知らんもんは知らん! お前たち、ワシを騙そうとしているのだろう!」
「そんなことしてませんよ!」
「宿の人たちもワルイーゾ様から話は伺っていると聞きましたよ!」
バッド商会の下男連中と激しい言い争いになる。連中は皆困惑した表情を浮かべておる。
正直、奴らが嘘をついているようには見えん。ワシが無意識の内に約束でもしたというのか? いや、そんなことはありえん。
(とにかく、こやつらをどうにかしないと!)
乙女との逢瀬を楽しみにしてたというのに、とんだ邪魔が入りおったわ。風呂に入ったばかりだというのに、変な汗を掻いてしまったわい。
「これはこれはお客様。どうされました?」
下男たちと言い争っていると、宿の従業員らしき男がやって来た。
冴えない男だ。男娼ではないだろう。今までに見たことない男だから、おそらく新しく雇われたやつかもしれん。
「何だ貴様は?」
「私は最近この宿の経営者になったものですよ。ヨミトと申します」
「経営者? この宿の経営者はカーネラだろうが」
「カーネラは店長になりました。今では俺が経営者ですよ」
「はっ、何を馬鹿なことを」
ヨミトと名乗る男は、わけのわからぬことを言った。
こんな商才もなさそうな若い冴えない男がカーネラの宿を買収するなど、あり得ないことだろう。
男の言葉があまりにも馬鹿馬鹿しかったので、ワシは思わず失笑してしまった。
「それで、どうされたのですか?」
「ああ……それなのだがな。こやつらはワシが女を奢ってくれると言っているそうだが、それはまるでデタラメだ。こやつらの支払いはこやつらに払わせろよ」
「そんな!? そんなのってないですよワルイーゾ様!」
「ええいっ、五月蝿いわい!」
ワシは宿の経営者を名乗るヨミトという男に事情を説明した。怪しい男だが、ここにいるからには従業員の一人には違いないだろうからな。
早めに誤解は解いておかねばならない。ワシはこやつらとは一切関係ないと、カーネラに伝えてもらうことにしよう。
バッド商会の下男たちは激しく騒ぎ立てておるが、知ったことか。
――ガチャリ。
下男たちと言い争っておると、戸が開き、新たなる人物が部屋に入ってくる。それは見知った女であった。
「デュワ!」
「会頭!?」
「ワルイーゾ様? それにアンタたち? 何故ここに?」
新たに部屋に入ってきたのは、デュワであった。
ワシたちがいるとは思わなかったのだろう。デュワはワシたちの姿を見て、豪奢な扇を口に当てて驚いておった。
「デュワ、どうなっているのだ? 今日は新しい女を宛がってくれるという話だっただろう? それにこやつらは何だ!? ワシに集ろうとして、どういう躾をしておる!?」
「新しい女? 何のことでしょうか? 私はこの花宿の主から素晴らしい商品が手に入ったのでお譲りしたいと誘われて、それでここに足を運んだだけなのですが?」
「なに? お主、昨晩、ワシの所に来ただろうが!」
「いえ、私は昨晩ずっと家にいましたが……。それにワルイーゾ様に献上する娘は未だ見つかっておりませんが……。何かの間違いではありませんか?」
下男たちと同じく、デュワも食い違うような話をするばかりであった。まるで話がかみ合わない。
酷く困惑している表情を見るに、デュワは嘘は言っていないようだった。そんな彼女の様子を見ていると、ワシが間違っているのかと思いもする。
だがそんなはずはない。ワシが昨晩会った人物は間違いなくデュワであった。なのにデュワは、ワシと会っていないという。そんな約束をした覚えがないという。
(一体どうなっておるのだ!? 頭がおかしくなりそうじゃ!)
どういう状況なのか皆目見当もつかず、ワシは戸惑うばかりであった。
そうしていると、あのヨミトという男が徐に口を開いた。
「さて、これで役者は揃いましたね。これからお客様ご一行を素晴らしい場所にご案内いたしましょう。片道切符の素晴らしい場所にね」
「は? お主、何を言って――うっ!?」
男に見つめられた途端、気が遠くなっていく。
「あううああ……」
「な、なんですのこれぇ……」
「くぅっ、こ、これは……何かのスキルか……」
まず下男たちの様子がおかしくなり、次にデュワの様子がおかしくなる。ワシは最後まで耐えたが、ついには意識を手放すことになった。
「そろそろ時間だの。おい、窓口を閉めろ。陳情に来ている民衆を追い出せ」
「はっ、かしこまりました。ワルイーゾ様」
今日も一日が終わる。規定の仕事に加え、馬鹿な民草たちの陳情やらを適当に処理したり無視したりしていると、夕暮れが近づく。
待ちに待った定時である。我々役所の人間にとって、定時とは祝福の時刻だ。女神エビスに感謝を捧げる時である。
「さあ帰った帰った! もう時間だ! 窓口を閉めるぞ!」
「そんなぁ! こんなに待っている人がいるのに、時間ぴったりに窓口を閉めるなんてあんまりだ!」
窓口を閉めようとすると、馬鹿な民草たちが騒ぎ立てる。
「ギルドだって必要があれば延長して営業したりするのに! ワルイーゾ様! なんとかなりませんか!」
「年が越せなくて大変なんですよ!」
「助けてください!」
ピーピーと騒ぎ立てるしか能がない虫けら共め。文句があるなら一人前に税金を払ってから言えというに。税金を碌に納めてないくせに文句だけはいつも一丁前の虫けら共が。虫けらの分際で下級貴族のこのワシに文句を言うとは何様のつもりだ。
「黙れ! ギルドと役所は違う! 延長すればその分無駄な経費がかかる! そうなれば王国の財政が傾く! 貴様らは王国の財政を傾けたいのか! 王家に仇なすというのか! ええい、この売国奴共が!」
「うぅ……そう言われると何も言えねぇ」
一喝すると、馬鹿な民草共は散っていった。
最初から素直に立ち去ればいいものを。そもそも陳情にこなければいいものを。そうすればワシの毎日の仕事も楽になるというのにな。馬鹿な民草共だ。
「流石ですワルイーゾ様」
「本来は下級官吏であるお主たちの仕事だぞ。上級官吏である下級貴族のこのワシの手をあまり煩わせるなよ」
「はは、申し訳ありません!」
「わかればよい。それではワシは帰るぞ。後は頼む」
「はっ、残務はお任せくださいませ!」
部下共を叱咤激励し、勤め先を出る。
(相変わらずこの町は王都と違って洗練されてなくて嫌だのぉ。人間の町のくせしてまるでゴブリンの町のようじゃ。ああ嫌だ嫌だ)
町をぶらりと歩いてみるが、相変わらず雑多な雰囲気だ。王都の街並みを知っている身からすると、ゴブリンの町のように感じられる。
まあゴブリンの町なんて見たことないがの。例え話じゃわい。
(まあ不愉快なことなどどうでもいいわい。今日は神に祝福された日だからな。多少の不愉快は大目に見てやるわい)
ワシは気持ちを切り替えると、軽快な足取りで目的地へと向かう。向かうは自宅ではない。この町の桃源郷、ミッドロウの宵蝶じゃ。
(ふふ、今日は乙女が食えるぞ。久しぶりの乙女じゃ。最高だのう)
昨晩、バッド商会の若き女会頭デュワがワシの家を訪ねてきた。今年一年ミッドロウの町の発展に尽くした愛国者であるこのワシへのご褒美として、慰安の席を用意してくれるとのことだった。
その話を聞いてからというもの、楽しみで仕方ない。全身の血が滾って仕方ない。
(あの冒険者狩りの女、インディスと言ったか。あやつが消息不明と聞いて一時はどうなるかと思ったが、恙無く事業継続できておるようだな)
二月近く前だったか、有能な冒険者狩りだったインディスが消息を絶ってしまった。どこぞの馬の骨とも知らぬ冒険者に連れ去られてしまったのだという。
それからというもの、ずっと乙女を楽しむのはお預けだった。デュワには早く後釜を埋めよと言っていたのだが、ずっと音沙汰なしだった。だがここに来て、それがようやく整ったのだろう。
(ふふ、この調子なら来年も楽しめそうじゃの。重畳重畳)
ワシは浮き立つ心を抑えながら裏通りへと向かう。すると、顔見知りの馬鹿な民草が声をかけてきた。
「ワルイーゾ様、今日もこれですかい?」
下賎な民草は嫌らしい顔をしながら小指を突き立ててきた。下級貴族のワシに向かってなんて無礼な態度だ。
「仕事だ! ワシはミッドロウの町の奴隷の実態調査のためにこの区画を見回っているのだ! 貴重な余暇まで削ってな! 下衆な勘繰りをして舐めた口を聞くでない!」
「へい、すみませんでした!」
下賎な民草は口では悪かったと謝るものの、あまり反省した様子は見られなかった。
ああいう手合いは何を言っても聞かんだろうな。後で下衆な噂でも流すのだろう。ああ忌々しい。
(まあいい。今日は乙女が楽しめるんじゃ。馬鹿な民草のことなど忘れよう。楽しい楽しい年末じゃ! うひょひょ!)
ワシは心の中で自分に言い聞かせるようにそう言って、不快に思う心を必死に慰める。そして目的地へと向かう足を速めた。
「いらっしゃいませ。ワルイーゾ様」
「おうカーネラ、久しいの。バッド商会のデュワから話は聞いておるか?」
「勿論でございます。こちらへどうぞ。大部屋をご用意しております」
「おほっ、大部屋とは豪勢じゃの。では楽しませてもらおうか」
「はい。新しく地下に建設した、特別な部屋へとご案内いたしますね」
「おほほ! それまた素晴らしいの! 儲かっておるようで何よりじゃわい!」
宿に向かうと、カーネラが応対してくれた。年食った厚化粧の化けもんみたいな女じゃ。まあ年食ったその分、気立てはよいがの。
カーネラの素顔は美人だとも聞くが怪しいのう。まあババアだし乙女じゃないので、ワシにとってはどうでもいいがの。ババアの素顔になぞ興味はないわい。
気立ての良いババアのカーネラに促され、ワシは宿の通路を歩いていく。
「今日は客や従業員がやけに少ないのぉ」
「ええ。最近は以前と比べると不景気ですので。新しく投資した分が回収できるか、今からヒヤヒヤしております」
「そうか。世知辛いのう。まったく、馬鹿な民草共が一生懸命働かないせいじゃな」
カーネラと世間話をしつつ、歩いていく。そして新しく作ったという地下の大部屋へと通された。
「ではここでしばしのお待ちを」
「うむ」
一人残されたワシは、娼館利用客の果たすべき義務といえる身体洗いに勤しむ。愚かな民草共の模範たるべき下級貴族の一員として、ちゃんと女と寝る前には身体を洗っておかねばなるまい。前をゴシゴシとやっておく。尻の方もゴシゴシとな。
「ふぅ。極楽じゃのう」
それから部屋に備え付けられた温水を生み出す魔道具を使い、湯船にお湯をためて浸かる。
一日の疲れが一気にとれる。湯船の中で、馬鹿な下級官吏の臭い息がかかって汚れた顔を洗う。
「ふぅ。本当に天に昇る気持ちじゃわい」
最高じゃ。風呂は良い。心まで洗われていく気がするのう。
(今日はどんな乙女が来るのかのう。この宿が宛がわれたからには、相当な美人に違いないぞ。楽しみじゃのお)
湯船に浸かりながら、どんな娘がやってくるか思いを馳せる。近隣の村々で誘拐事案が発生したとは聞かぬし、きっといつもの如く冒険者であろう。
(冒険者といえば、レイラとメリッサが真っ先に思い浮かぶのう。あのような極上の乙女の身体、もう一度味わいたいの)
あの二人は今はこの宿で働いているのだったか。何回か遊びに行ったことがあるが、それっきりじゃの。
まあ乙女じゃなくなったあやつらにさほど興味などないので、まあどうでもいいか。
「ああ、いい風呂じゃったわい――って、何やら騒がしいのぉ。無粋な輩じゃ」
風呂から上がり純白の夜着を着てベッドの上で酒を飲みながら待っていると、戸の辺りが騒がしくなった。ようやく目当ての娘が来たのかと思ったが、やって来たのは意外な連中であった。
「失礼します。ワルイーゾ様」
「お主たち、バッド商会の者たちではないか。どうしたのだこんなところで……」
デュワの手駒として働いているバッド商会の男たちが、ワシの部屋へとやって来たのだった。
みんなこの宿の夜着を着ていることから、この宿に遊びにきていたらしいことがわかる。一介の商人の下男のくせしてこんな高級宿にいるとは良いご身分だな。
「どうしたも何も、本日は本当にありがとうございますワルイーゾ様。ほら、お前たちも礼を言え」
「ワルイーゾ様、このような身分不相応な場所にお招き頂きありがとうございます!」
「俺、こんな場所に生まれて初めて入りました! 嬉しいです! 今日はたっぷり楽しませてもらいます!」
バッド商会の面々はワシに頭を下げてくる。いつも以上に慇懃な態度だ。
わけがわからん。いったいどういうことだ?
「ん? 何の話だ?」
「ハハ、とぼけないでくださいよ。昨日の夜、俺たちの商会に来て話してくれたじゃないですか。我々全員に、ミッドウロウの宵蝶の高級娼婦を奢ってくれるって」
「なっ、何ぃっ!?」
奴らの口から出たのはとんでもない言葉であった。なんと、ワシがこやつらにこの宿の高級娼婦を奢ってやると約束したというのだ。
「そんなことはありえん。ワシはそんなこと、一度も言っておらん。というか、最近はお前たちの商会になぞ顔を出しておらんぞ?」
「ええ? いや来ましたよ昨晩。なあ皆」
「はい。久しぶりに来て何だろうと思ったら、まさかのどっきりでの贈り物だったんですから、驚きでしたよ」
「その場で近所迷惑にも大声出しちまったくらいですよ」
「ワルイーゾ様、そんな俺たちを見て、すっごい良い笑顔でニコニコ笑ってたじゃないすか!」
何を言っているのだこやつらは。
一介の商人に仕える下男風情に、何故ワシが高級娼婦を奢らねばならんのだ。そんなこと、するはずないだろう。金の無駄だもん。
(こやつら、全員でワシを騙そうとしているのか? 今まで受けた恩を仇で返しおってぇ!)
そうとしか思えなかった。怒りがふつふつとこみ上げてくる。
ふざけた下男共だ。人を騙そうとするなんて、とんだ極悪人共だ。
デュワはこんなろくでなし共を飼っているなんて、まったくもって躾がなっとらんぞ。
「さっきワルイーゾ様がいらっしゃったと宿の従業員に伺ったものですから、それで挨拶に参らせてもらったというわけです。本日は有難うございます!」
「知らん! ワシは何も知らんぞ!」
「そんな!? ここまで来ていくらなんでもそれはないですよ!?」
「知らんもんは知らん! お前たち、ワシを騙そうとしているのだろう!」
「そんなことしてませんよ!」
「宿の人たちもワルイーゾ様から話は伺っていると聞きましたよ!」
バッド商会の下男連中と激しい言い争いになる。連中は皆困惑した表情を浮かべておる。
正直、奴らが嘘をついているようには見えん。ワシが無意識の内に約束でもしたというのか? いや、そんなことはありえん。
(とにかく、こやつらをどうにかしないと!)
乙女との逢瀬を楽しみにしてたというのに、とんだ邪魔が入りおったわ。風呂に入ったばかりだというのに、変な汗を掻いてしまったわい。
「これはこれはお客様。どうされました?」
下男たちと言い争っていると、宿の従業員らしき男がやって来た。
冴えない男だ。男娼ではないだろう。今までに見たことない男だから、おそらく新しく雇われたやつかもしれん。
「何だ貴様は?」
「私は最近この宿の経営者になったものですよ。ヨミトと申します」
「経営者? この宿の経営者はカーネラだろうが」
「カーネラは店長になりました。今では俺が経営者ですよ」
「はっ、何を馬鹿なことを」
ヨミトと名乗る男は、わけのわからぬことを言った。
こんな商才もなさそうな若い冴えない男がカーネラの宿を買収するなど、あり得ないことだろう。
男の言葉があまりにも馬鹿馬鹿しかったので、ワシは思わず失笑してしまった。
「それで、どうされたのですか?」
「ああ……それなのだがな。こやつらはワシが女を奢ってくれると言っているそうだが、それはまるでデタラメだ。こやつらの支払いはこやつらに払わせろよ」
「そんな!? そんなのってないですよワルイーゾ様!」
「ええいっ、五月蝿いわい!」
ワシは宿の経営者を名乗るヨミトという男に事情を説明した。怪しい男だが、ここにいるからには従業員の一人には違いないだろうからな。
早めに誤解は解いておかねばならない。ワシはこやつらとは一切関係ないと、カーネラに伝えてもらうことにしよう。
バッド商会の下男たちは激しく騒ぎ立てておるが、知ったことか。
――ガチャリ。
下男たちと言い争っておると、戸が開き、新たなる人物が部屋に入ってくる。それは見知った女であった。
「デュワ!」
「会頭!?」
「ワルイーゾ様? それにアンタたち? 何故ここに?」
新たに部屋に入ってきたのは、デュワであった。
ワシたちがいるとは思わなかったのだろう。デュワはワシたちの姿を見て、豪奢な扇を口に当てて驚いておった。
「デュワ、どうなっているのだ? 今日は新しい女を宛がってくれるという話だっただろう? それにこやつらは何だ!? ワシに集ろうとして、どういう躾をしておる!?」
「新しい女? 何のことでしょうか? 私はこの花宿の主から素晴らしい商品が手に入ったのでお譲りしたいと誘われて、それでここに足を運んだだけなのですが?」
「なに? お主、昨晩、ワシの所に来ただろうが!」
「いえ、私は昨晩ずっと家にいましたが……。それにワルイーゾ様に献上する娘は未だ見つかっておりませんが……。何かの間違いではありませんか?」
下男たちと同じく、デュワも食い違うような話をするばかりであった。まるで話がかみ合わない。
酷く困惑している表情を見るに、デュワは嘘は言っていないようだった。そんな彼女の様子を見ていると、ワシが間違っているのかと思いもする。
だがそんなはずはない。ワシが昨晩会った人物は間違いなくデュワであった。なのにデュワは、ワシと会っていないという。そんな約束をした覚えがないという。
(一体どうなっておるのだ!? 頭がおかしくなりそうじゃ!)
どういう状況なのか皆目見当もつかず、ワシは戸惑うばかりであった。
そうしていると、あのヨミトという男が徐に口を開いた。
「さて、これで役者は揃いましたね。これからお客様ご一行を素晴らしい場所にご案内いたしましょう。片道切符の素晴らしい場所にね」
「は? お主、何を言って――うっ!?」
男に見つめられた途端、気が遠くなっていく。
「あううああ……」
「な、なんですのこれぇ……」
「くぅっ、こ、これは……何かのスキルか……」
まず下男たちの様子がおかしくなり、次にデュワの様子がおかしくなる。ワシは最後まで耐えたが、ついには意識を手放すことになった。
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