桜のように散りゆく君へ

桜蛇あねり

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「美桜、危ない。落ちるぞ」

 俺の口から出る言葉は、自分でも驚くほどに穏やかだった。今まさに飛び降りようとしている彼女を目の前にしているのに、だ。

「散りたいの。今日、ここで。最高に綺麗な私のまま」

 そして美桜もまた、穏やかな声音でそう言った。荒れ狂う桜吹雪とは裏腹に、俺と美桜の周りだけは不思議と静かで落ち着いた空気が流れていた。

「悩みがあるわけじゃないんだろ?どうして」

 俺の言葉に、美桜は優しくほほ笑んだ。そして変わらない穏やかな声で言った。

「怖いからだよ」

「怖い?」

「そう、怖いの」

 美桜はそのまま続ける。

「何もかもうまくいってて、たくさんの人に愛されてて。最高に幸せなの。........だから、この幸せが終わってしまうのが怖い。いつか来るこの幸せの終わりを待ちながら生きるよりも、最高に幸せなまま、終わりたいの」

「........この幸せがずっと続く、とは思わないのか」

「思ってた。私はずっと幸せなままで生きていくんだって、思ってた。でもね。就活の時、上手く生き続けることはないんだって思い知らされた。だからきっと、これからの長い人生も、何度も何度も困難があるんだろうなって思って。普通の人ならそれを乗り越えて行けるんだろうけど、私は乗り越えられないと思う」

 ゆっくりと美桜は両手を広げた。風が強く吹き、彼女の髪を後ろへとなびかせる。

「だから今、終わりたいの」

 その言葉はやはり穏やかで、何の苦しさも感じられない、むしろ希望に満ちたような声だった。美桜はここで散るのが最高だと心の底から信じているのだろう。

「美桜」

 だけど。それは違う。美桜、今が最高なんて、満足しないでくれ。

「大樹。私を幸せにしてくれてありがとう。............さよなら」

 美桜はそっと目を閉じる。そのまま後ろへ倒れこもうとする彼女に、

「待って。美桜、まだ散るときじゃない」

 俺もまた、変わらない穏やかな声で制した。美桜は目を開け、俺へと視線を向ける。

「どうして?」

「まだだよ。俺はまだ、美桜が最高に綺麗だとは思わない」

 少しだけ、穏やかだった自分の鼓動が早くなっていくのを感じた。飛び込もうとしている美桜にハラハラしているわけじゃない。今から告げようとしていることに対する、緊張と決意。

「最高に幸せだよ、私は」

「俺はまだ、美桜の最高に綺麗な姿を見ていない。............俺が思う、最高の美桜」

「今じゃないの?」

 そのまま俺の鼓動は加速していく。今日、美桜に言おうと思っていたことを、俺は意を決して告げた。


「ウェディングドレスを着て、笑っている美桜が見たい」


「えっ........」


「結婚しよう、美桜。美桜はまだまだ幸せになれるから。幸せにするから」

 目を大きく見開いて驚きの表情を浮かべる美桜に、俺はポケットから、用意していた指輪を差し出した。

「だから、今はまだ散らないでくれ」

「大樹..........」

 美桜は手すりから身体を離し、差し出された指輪を見つめる。美桜のために選んだ、桜をモチーフにした婚約指輪。

「受け取って。この桜を見ながら言おうと思っていたんだ」

「............まだこれ以上の幸せってあるんだね。........どうしよう、大樹........嬉しい........」

 それまで、穏やかな笑顔だった美桜は、少し泣きそうな表情になって、そっと指輪を手に取った。そのまま、左手の薬指にそっと指輪をはめる。

「よく似合ってる。やっぱり美桜には、桜が一番似合うよな」

 俺が笑うと、美桜は涙を拭い、

「うんっ!ありがと、大樹!」

 最高の笑顔で笑い返してくれた。

「美桜に影響されて、俺も桜が1番好きになった。だから、俺たちの結婚式、少し先になるけど、来年の桜が咲く頃にしよう」

「うん!うん!それがいい!桜の咲く時期に式を挙げたい!」

 俺の提案に、美桜は大きくうなずき、その勢いで抱き着いてきた。あまりの勢いに倒れそうになるのをなんとかこらえ、俺は美桜をしっかりと受け止める。

「そうしよう。これからもよろしくな。愛してるよ、美桜」

 幸せの中にいる俺と美桜を祝福するかのように、強い風が一瞬だけさぁっと吹いた。その風に乗った桜の花びらが、まるで雪のように頭上から降り注ぐ。
 何度も見た、この景色。だけど今ここで見るこの桜吹雪は、いつもと違ってキラキラと輝いて見えた。
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