恋知らずの聖女は結婚のために竜を殺せとは言っていない!

丸みそ

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 肯定になるらしかった。

 ヴァールハイトが邪竜を斃したという噂はその日のうちに国中を駆け巡り、気づけばエレオラは彼と結婚することになっていた。

 神に仕えるべき聖女が結婚するなど許されない、というエレオラの抗弁は、神官や貴族たちの「でも竜殺しの騎士だしなあ……」というなんとも曖昧な理由によって却下された。

 幸いだったのは結婚式が催されなかったことだ。そんなものを盛大に開いてしまったら本当に後戻りできない。竜殺しの騎士と聖女の結婚は、第一王子のノインを証人として神殿で結婚契約書を取り交わして終わった。

 しかし正式な式典を開いたとて、互いに家族から祝福を受けることはできなかったかもしれない。叔父のアレンは話を伝えると「エッ⁉︎」と白目を剥いて叫んだきり昏倒してしまい、とても参列できるような状態ではなかった。

 ヴァールハイトの方も、母親はすでに他界し、ブラン伯爵家の当主である彼の父親は現在肺炎で入院中とのことだった。

 エレオラは呆然としたまま荷物をまとめ、鳥籠を抱え、神殿の人々に涙ながらに見送られて、ヴァールハイトの住むブラン伯爵家のタウンハウスの一つに移り住むことになった。

 王都の一角に建つタウンハウスは歴史をまとってそびえる石造りの大邸宅で、花々の咲き乱れる庭もあり、神殿の簡素な相部屋に慣れたエレオラを圧倒した。

 一歩足を踏み入れた玄関ホールは舞踏会でも開けそうなほど広く、床には幾何学模様を描くモザイクタイルが端正に敷き詰められている。大広間の天井からは水晶のシャンデリアが吊り下がり、光の粒を集めたようにきらめいていた。バルコニーの大理石の手すりは磨き込まれていて、使用人がどれほど真面目に仕えているかを感じさせる。

 いちいち感嘆の声をあげるエレオラに、案内してくれたメイド長のハンナは不思議そうに首をひねった。

「エレオラ様はエレオノーレ公爵家のご令嬢でしょう。これくらいの邸は見慣れたものでは?」

「まさか。私は九歳のときに神殿に入ってから、一度も公爵家と関わったことがないのです。だから見るもの全てが綺麗で、ついはしゃぎすぎてしまいました」

「あらまあ。そうしていると、聖女様も年頃の娘っ子みたいですねえ。それじゃ、お部屋も気に入ってもらえるといいんですが」

 横幅のある体を揺らし、ハンナが階段をのぼっていく。その背を慌てて追いながら、エレオラは訊ねた。

「お部屋とは?」
「聖女様のお部屋ですよ。ヴァールハイト様がずいぶん熱心に整えていらしてね。聖女様に喜んでもらえれば、苦労して家具を運んだこっちも報われるってもんです」
「ヴァールハイト様が……」

 エレオラは呟いて、唇を引き結ぶ。まだ彼の思考を掴みきれていなかった。太古の竜を殺して聖女を娶った騎士。そんな男が、たかだか花嫁の部屋一つを自ら整えたという。一体どんな心境でそうしたのだろう。そしてどんな部屋が待ち構えているのだろうか。今度は悪魔の首でも飾ってあったらどうしよう、と顔を曇らせる。もしくは魔獣の血で壁一面が塗られているとか。

 不安に駆られるエレオラをよそに、ハンナはすたすたと廊下を歩いていく。それから、一番奥の扉を指し示した。

「ほら、こちらですよ」

 大きな黒檀の扉だった。真鍮のドアノブはよく磨かれていて、覗き込むエレオラの顔が映るほど。扉に近づいて耳をそばだてても変な呻き声は聞こえないし、くんくん鼻を動かしても妙なにおいはしない。とりあえずは安全そうだ。ハンナがそんなエレオラに訝しげな目を向けた。

「聖女様? 扉をお開けしましょうか?」
「いえ、危険かもしれないので下がっていてください。私が開けます」
「はあ……」

 不審そうなハンナを下がらせ、エレオラはドアノブに手を置く。少しひんやりしていた。それをぎゅっと握りしめ、何が出てきても対応できるように、扉を盾にするように部屋に押し入った。

 そして、立ち尽くした。

 目の前にあるのは、広々とした居心地の良さそうな部屋だった。

 片側の壁際にライティングデスクが据えられ、その上にガラスの花瓶が置いてあった。満開の白い薔薇が一輪だけ挿してある。繊細なレースカーテンのかかった窓辺には猫脚のティーテーブルと椅子が設られていて、ぽかぽかと日を浴びながらお茶をするにも本を読むにもちょうど良さそうだった。かたわらには鳥籠を吊るすためのスタンドが立てられている。天井のシャンデリアは百合の花を模した形で、夜になって明かりを灯せば白百合が咲き群れたように映るだろう。

 ぐるりと部屋を見回したエレオラの唇から、ほう、とため息が漏れる。

「素敵……」

 毛織りの絨毯を踏み、部屋の真ん中まで歩を進める。入り口では、ハンナが子供を見るような目で優しく笑った。

「気に入っていただけたようで何よりです」
「ええ、とっても過ごしやすそうで……これを全部、ヴァールハイトさまが?」
「そうですよ。聖女様は何がお好きか、どんなふうに過ごされるか、ひどく悩んでおられましたねえ。ノイン殿下とあれこれ相談されたり、商人を呼んで色々見繕ったり」

 それは想像もつかない姿だった。エレオラの知っているヴァールハイトは、いつも不機嫌そうで、睨み殺してきそうで、自分を嫌っているとしか思えない素っ気なさだった。そしてなぜか、急に邪竜を弑して求婚してきた。

 そんな男が、花嫁に心を砕くなんて。まるで歓迎されているかのように思い違いをしてしまう。

(ヴァールハイトさまが一体何を考えているのか……きちんと話して、確かめてみたい。神殿での求婚以降、お話しできていないし)

 竜殺しはもはや古の文献に残るのみの偉業で、それを果たしたヴァールハイトは社交界や王立研究院などに引っ張りだこになっているようだった。エレオラはエレオラで邪竜の血で汚染された神殿の浄化に忙しい。ヴァールハイトは、ティオール山から神殿まで、邪竜の首を荷馬車で運ぶという理性は残っていたようで、汚穢が町中に広がっていないのだけは幸いだった。

 ハンナが眩しそうにエレオラを見つめる。

「散々悩んで一度決めても、やっぱり違うとか言い出して。何が違うもんかと思ってましたが、こうして聖女様がこの部屋にいるのを見ると、確かにそうなんだと思いますよ。この部屋は、聖女様のためだけに作られたみたいにぴったりですもの」

「……ありがとうございます」

 胸の底がこそばゆくなって、エレオラははにかんで俯く。
 ハンナが窓辺を指差した。

「そこの鳥籠立てなんかもねえ、あたしたちは聖女様が鳥を飼ってらっしゃることも知らなかったから用意してなかったんですがね。ヴァールハイト様が気づかれて、特注で作らせたんですよ。せっかくだから吊るしてみてくださいな」
「まあ……」

 エレオラの顔が引きつった。鳥を飼っていることは神殿の人間しか知らない。それをどうしてヴァールハイトが知っているのだろう。部屋を整えるために身辺調査を行ったのだろうか。背中を嫌な汗が流れる。

 ハンナが笑顔で促すので、エレオラは窓際に歩いていってスタンドに鳥籠をかけた。簡素な鳥籠も、優美な線を描くスタンドに吊るされると、まるでそこが終の住処であるかのようにしっくりと馴染んだ。

 籠の中で鳥がチチッと鳴く。ハンナが覗き込み、おやと眉を上げた。

「この子、翼が片方ないんですねえ」

 ハンナの言葉に、エレオラは仄かに笑う。この籠を見たものは一様に同じ反応をする。もう慣れていた。

「ええ、この子は私が聖女になる前に拾ったんですが、そのときから片翼だったんですよ。怪我をしているわけでもなく……生まれつきみたいです」

 これを聞いたあとの反応はだいたい二つに分かれる。大げさに可哀想がるか、聖女エレオラの優しさを褒めたたえるか。エレオラはどちらの反応にも息苦しさを覚えた。

 片翼の鳥は止まり木に乗り、機嫌良さそうにピィと声をあげる。ハンナはそれを見ながら、口を大きく開けて、

「まあ、そんなに長く一緒にいるなんて仲良しで良いですねえ。名前はなんていうんです?」

 あっけらかんとした返事に、エレオラは言葉に詰まった。

「……ドーナツです。羽がふかふかして茶色くて、ちょっとまだらに白っぽくなってるでしょう? 粉砂糖をまぶしたみたいに」
「うーん、聖女様はお子様の名付けはなさらない方がよろしいかもしれませんね」
「なぜ⁉︎」

 狼狽えるエレオラに、ハンナが腰に手を当てて笑う。それでエレオラはハンナのことがいっぺんに好きになってしまった。

(それにしても……子供って!)

 予想外に飛び出てきた単語に鼓動が速まる。もちろん夫婦になったのだからそういうこともあるのだろうが、エレオラにはまだ想像もつかない遠い未来のことだった。

 そうしてふと気づいて、ハンナに問う。

「そういえば、ベッドは?」
「まあ」

 ハンナが悪戯っぽく歯を見せる。子供に当たり前のことを教える軽やかさで、あっさりと答えた。

「夫婦の寝室は、別にあるに決まっているじゃないですか」
「……はいっ?」

 エレオラの口から、悲鳴じみた声が漏れ出た。
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