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ひりつく、疵(きず) 【7】

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――ピンポーン

「……うーん」


――ピンポーン

 んー?

「まだ、六時……」

 来客みたいだけど、寝ぼけまなこで確認した時刻は、朝の六時過ぎ。

 誰だよ。こんな時間に非常識な。無視だ、無視っ。


――ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン!

「ええぇっ、連打? 嘘だろっ?」

 居留守を決め込んでベッドに潜り込んだ瞬間のドアホンの連打に、飛び起きる羽目になった。

「何回押すんだよ。近所迷惑だろ!」

 つか、俺は今日、定休日なんだぞ。誰だっ!

「はいっ!」

「おはよう、真南」

「……っ! せっ、先輩っ?」

 うわ、しまった。驚きすぎて、直接、玄関ドアを開けてしまってた。ドアホンのボタン対応で良かったのに!

 というか、なんで先輩が? 何の用か知らないけど、まだ顔を合わせるのは、ちょっとつら……。

「真南、出かけるぞ」

「え?」

「ほら、早く支度しろ。ドライブに連れてってやる。来週からクリスマスまで休みなしなんだろ? 繁忙期前にリフレッシュしに行こう。ほら、早く!」

 え? リフレッシュのドライブ? 確かに来週からは休みなしだけど。でも、だからって昨日の今日で先輩と出かけるのは……。

「ひさしぶりに、地元に帰ろうぜ」

「……っ……は、はい」

 おかしい。変だ、俺。

 逡巡していたくせに、あっさり了承してしまってる。

 『地元』というワードに、心動かされてしまったんだ。

 だってそこは、俺にとって“特別”な場所だから。先輩と出逢って、一緒に笑い合えてた“特別”な思い出が詰まってる土地――――大切な場所。

 だから、先輩と行きたい。





「――おい、何してんだ。早く済ませろよ」

「でも、先輩。こんなこと、いきなり言われても」

「ん? サイズは合ってるだろ? なら、グズグズするな。ほら、脱げ。全部、脱げ。さっさと脱げ。手伝ってやろうか?」

「あーっ! 自分で出来ます。やりますから! 手ぇ、離して!」

 俺、やっぱりおかしい。先輩と普通に喋ってるんだ。先輩とは、もう二度とこんな風に話せないって思ってたのに。すごく自然に笑えてる。

 先輩が笑顔だから、かな。かもしれない……うん、きっとそうだ。

「よし、着替え終了。準備万端だな」

「はい」

 連れてこられたのは、先輩の実家。

 の、隣にある温水プール施設。

 先輩のご両親はスポーツクラブを経営していて、実は俺もそうとは知らずに幼稚園の頃、ここのスイミングスクールに通っていたことがある。

「さーて、泳ぐか。真南も来いよ」

「はい」

 返事をしたけれど、俺は先輩には続かずにプールサイドに残る。

 飛び込み台に立つ長身の人を、黙って見つめるんだ。昔のように。


――バシャッ!

 綺麗な飛び込みのフォームから一転、豪快に腕が上がる。

 しなる身体。指先、足先までが美しい。

 俺が知ってる、昔の先輩の姿そのままだ。数年ぶん、一気に時が巻き戻されたかのような錯覚に陥った。

 懐かしい。懐かしくて、嬉しい。そして、胸が温まると同時に、どこか切ない。

「……ほぅ……」

 知らず、溜め息が零れる。

「先輩……」

 どんどん、胸が熱くなる。

 なぜか込み上げてきそうになる涙をどうすることも出来ず、数歩、前に進む。

 勢いをつけず、歩く延長で足先から静かにプールに入り、そのまま、ゆっくりゆっくり平泳ぎ。

 プールって便利だ。うっかり溢れそうになった涙も、水に顔をつけるだけで誤魔化せるんだから。


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