21 / 28
5
ひりつく、疵(きず) 【8】
しおりを挟む「おい、真南。全然、泳いでないじゃないか。せっかくの貸切サービスなのに」
プールサイド寄りでプカプカ浮いてるだけの俺に気づいたらしい先輩が、平泳ぎで近寄ってきて苦笑してる。ゴーグル姿で笑うこの人をこうして見上げるのも何年ぶりだろう。
「すみません。ひさしぶりすぎて、水の感覚が掴めないみたいです」
首を傾げるふりをして目線を外す。
自分が泳ぐことよりも、あなたの泳ぐ姿を目に焼きつけたい願望のほうが勝ってるんだ、なんて言えない。
「まぁ、のんびり泳げばいいけど。貸切りは十時までだからな」
「スポーツクラブ、オープンは十時でしたよね。あと二時間もありますよ。リフレッシュには充分です。俺、どういうわけか、今朝、早起きさせられたんで身体が動かないんです」
「おい。今の、俺への嫌みだろ」
「そんなことないですよ。朝の八時からプールで泳ぐなんて、小学校以来で新鮮だって意味です。せっかくの貴重な休日にっ」
「あ、やっぱり、強引に誘った俺への嫌みじゃないか。こいつめ!」
「あははっ!」
両腕を広げた先輩が俺を捕まえようとしてくるのを、バシャバシャと水を跳ね上げて逃げ回る。
楽しい。楽しい。どんよりした気分で過ごすはずだった休日なのに、こんなにも楽しい。
……ん? あれ? 俺、今の今まで、すっかり忘れてたけど。俺が定休日ってことは……。
「先輩! 今日、月曜日じゃないですか! 仕事っ……整骨院のお仕事はっ?」
「あ? 何だよ。今頃、気づいたのか? 俺、今日は仕事休みー」
「え?」
「実は、何回か休日に往診に行ってたのを社労士の先生に注意されてさ。今日、強制的に休みになったんだ。振休みたいなもん?」
「あ、そうですか。振替休日……でも、月曜日って普段より患者さんが多くて忙しいと聞いてましたが」
「いーの、いーの。俺が居なくても、早宮に任せとけば全然大丈夫! あいつ、めっちゃ頼りになるんだぜ?」
「……っ」
和やかに交わしてた会話に挟まれた“あの女性”の名に、一瞬で顔が強張る。
追い打ちをかけるように、ニカッと笑った先輩が、「昨日、会わせたろ?」と尋ねてきた。
『俺の女はどうだった?』とでも言いたげな、悪びれない笑顔が胸を抉る。
「はい。確かに、しっかり者って印象の方でした。それなら、有能なスタッフに恵まれたグータラな院長は、今日一日、俺の専属ドライバー決定ですね」
笑顔には笑顔を。多少、強張っていても、不審がられないように笑みを貼りつける。
「何か引っかかる言い方だけど、専属決定でいいよ。俺が真南と地元に帰りたかったんだし。さて、少し休憩するか?」
笑ってプールサイドに上がった先輩に続いて、俺も水から上がる。そこで、声をかけることにした。
もう言おう。言ってしまおう。
「先輩、いい機会なので報告しときます。俺、恋人が出来ました」
「……え?」
勢いよく振り向いた先輩と目が合う。大きく見開いた、切れ長の瞳と。
「恋人? それって……例の片想いの相手、か?」
ふふっ。すごく驚いてる。そうだよな。俺、叶わない恋だって言ってたもんな。そりゃ驚くか。
恋人が出来たなんて大嘘だけど、これで、今日みたいに俺を構うことをやめてくれれば……そしたら俺、先輩を諦められる。
無理でも諦める。もともと、ただの先輩と後輩だ。『パティシエと客』としての繋がりだけあればいい。
愛してる人が幸せなら、それでいい。先輩にとって最高のパティシエになる。昨日、そう決めた。
諦めきれずにずっと引きずってきたけど、プライベートの繋がりさえ無くせば、少しずつでも諦められるんじゃないかな。
先輩のことが大好きだから、俺も前向きに変わらなきゃ。笑って『おめでとう』って言えるように。この人の幸せを心から祝えるように――。
「はい、その人です。先輩には、その……つらい時に慰めてもらったり……色々ありましたけど。もう俺は大丈夫なんで、お気遣いなく! ということで、こんな風にふたりで過ごすのも、これを最後にしてもらっ……痛っ!」
何だ? 肩を掴まれてる。ものすごい力だ。
「先輩、い、痛いです……肩っ……」
長い指が皮膚にギリッと食い込んで、痛みを与えてきてるんだ。
それに、先輩のこの表情、何だろう。驚愕だけじゃないような……。
10
あなたにおすすめの小説
邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ
零
BL
鍛えられた肉体、高潔な魂――
それは選ばれし“供物”の条件。
山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。
見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。
誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。
心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。
【完】君に届かない声
未希かずは(Miki)
BL
内気で友達の少ない高校生・花森眞琴は、優しくて完璧な幼なじみの長谷川匠海に密かな恋心を抱いていた。
ある日、匠海が誰かを「そばで守りたい」と話すのを耳にした眞琴。匠海の幸せのために身を引こうと、クラスの人気者・和馬に偽の恋人役を頼むが…。
すれ違う高校生二人の不器用な恋のお話です。
執着囲い込み☓健気。ハピエンです。
消えることのない残像
万里
BL
最愛の兄・大貴の結婚式。高校生の志貴は、兄への想いが「家族愛」ではなく「恋」であったと、失恋と同時に自覚する。血の繋がりという境界線、そして「弟」という役割に縛られ、志貴は想いを封印して祝福の仮面を被る。
しかし数年後、大貴の息子が成長し、かつての兄と瓜二つの姿となったとき、止まっていた志貴の時間は歪な形で動き出す。
志貴(しき):兄・大貴に長年片思いしているが、告げることなく距離を置いていた。
大貴(だいき):志貴の兄。10歳年上。既婚者で律樹の父。無自覚に人を惹きつける性格。志貴の想いには気づいていない。
律樹(りつき):大貴の息子。明るく素直だが、志貴に対して複雑な感情を抱く。
窓のない部屋の、陽だまりみたいな君
MisakiNonagase
BL
都心の高層ビル、その「内臓」とも言える地下一階のメール室。
そこで働く山﨑智之は、目立たず、期待されず、淡々と郵便物を捌く「透明人間」のような毎日を愛していた。自分は低スペックで、華やかな地上には居場所がない。そう、諦めていた。
そんな彼の静寂を破ったのは、二十二階の住人、若きエース・風巻隼人だった。
完璧なルックス、圧倒的な成果、羨望の眼差しを一身に浴びる彼が、なぜか地下のメール室に足繁く通い始める。
「五分だけ、ここにいさせてくれないか」
一通の郵便物から始まった、五分間だけの秘密の共有。
次第に剥き出しになっていく隼人の孤独と、それを無自覚に包み込んでしまう智之の温度。
住む世界が違う二人が、窓のない部屋で見つけたのは、名前のつかない「救済」だった。
【完結】言えない言葉
未希かずは(Miki)
BL
双子の弟・水瀬碧依は、明るい兄・翼と比べられ、自信がない引っ込み思案な大学生。
同じゼミの気さくで眩しい如月大和に密かに恋するが、話しかける勇気はない。
ある日、碧依は兄になりすまし、本屋のバイトで大和に近づく大胆な計画を立てる。
兄の笑顔で大和と心を通わせる碧依だが、嘘の自分に葛藤し……。
すれ違いを経て本当の想いを伝える、切なく甘い青春BLストーリー。
第1回青春BLカップ参加作品です。
1章 「出会い」が長くなってしまったので、前後編に分けました。
2章、3章も長くなってしまって、分けました。碧依の恋心を丁寧に書き直しました。(2025/9/2 18:40)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる