甘く蕩けて、スイーツ男子

冴月希衣@商業BL販売中

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ひりつく、疵(きず) 【8】

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「おい、真南。全然、泳いでないじゃないか。せっかくの貸切サービスなのに」

 プールサイド寄りでプカプカ浮いてるだけの俺に気づいたらしい先輩が、平泳ぎで近寄ってきて苦笑してる。ゴーグル姿で笑うこの人をこうして見上げるのも何年ぶりだろう。

「すみません。ひさしぶりすぎて、水の感覚が掴めないみたいです」

 首を傾げるふりをして目線を外す。

 自分が泳ぐことよりも、あなたの泳ぐ姿を目に焼きつけたい願望のほうが勝ってるんだ、なんて言えない。

「まぁ、のんびり泳げばいいけど。貸切りは十時までだからな」

「スポーツクラブ、オープンは十時でしたよね。あと二時間もありますよ。リフレッシュには充分です。俺、どういうわけか、今朝、早起きさせられたんで身体が動かないんです」

「おい。今の、俺への嫌みだろ」

「そんなことないですよ。朝の八時からプールで泳ぐなんて、小学校以来で新鮮だって意味です。せっかくの貴重な休日にっ」

「あ、やっぱり、強引に誘った俺への嫌みじゃないか。こいつめ!」

「あははっ!」

 両腕を広げた先輩が俺を捕まえようとしてくるのを、バシャバシャと水を跳ね上げて逃げ回る。

 楽しい。楽しい。どんよりした気分で過ごすはずだった休日なのに、こんなにも楽しい。

 ……ん? あれ? 俺、今の今まで、すっかり忘れてたけど。俺が定休日ってことは……。

「先輩! 今日、月曜日じゃないですか! 仕事っ……整骨院のお仕事はっ?」

「あ? 何だよ。今頃、気づいたのか? 俺、今日は仕事休みー」

「え?」

「実は、何回か休日に往診に行ってたのを社労士の先生に注意されてさ。今日、強制的に休みになったんだ。振休みたいなもん?」

「あ、そうですか。振替休日……でも、月曜日って普段より患者さんが多くて忙しいと聞いてましたが」

「いーの、いーの。俺が居なくても、早宮に任せとけば全然大丈夫! あいつ、めっちゃ頼りになるんだぜ?」

「……っ」

 和やかに交わしてた会話に挟まれた“あの女性”の名に、一瞬で顔が強張る。

 追い打ちをかけるように、ニカッと笑った先輩が、「昨日、会わせたろ?」と尋ねてきた。

 『俺の女はどうだった?』とでも言いたげな、悪びれない笑顔が胸を抉る。

「はい。確かに、しっかり者って印象の方でした。それなら、有能なスタッフに恵まれたグータラな院長は、今日一日、俺の専属ドライバー決定ですね」

 笑顔には笑顔を。多少、強張っていても、不審がられないように笑みを貼りつける。

「何か引っかかる言い方だけど、専属決定でいいよ。俺が真南と地元に帰りたかったんだし。さて、少し休憩するか?」

 笑ってプールサイドに上がった先輩に続いて、俺も水から上がる。そこで、声をかけることにした。

 もう言おう。言ってしまおう。

「先輩、いい機会なので報告しときます。俺、恋人が出来ました」

「……え?」

 勢いよく振り向いた先輩と目が合う。大きく見開いた、切れ長の瞳と。

「恋人? それって……例の片想いの相手、か?」

 ふふっ。すごく驚いてる。そうだよな。俺、叶わない恋だって言ってたもんな。そりゃ驚くか。

 恋人が出来たなんて大嘘だけど、これで、今日みたいに俺を構うことをやめてくれれば……そしたら俺、先輩を諦められる。

 無理でも諦める。もともと、ただの先輩と後輩だ。『パティシエと客』としての繋がりだけあればいい。

 愛してる人が幸せなら、それでいい。先輩にとって最高のパティシエになる。昨日、そう決めた。

 諦めきれずにずっと引きずってきたけど、プライベートの繋がりさえ無くせば、少しずつでも諦められるんじゃないかな。

 先輩のことが大好きだから、俺も前向きに変わらなきゃ。笑って『おめでとう』って言えるように。この人の幸せを心から祝えるように――。

「はい、その人です。先輩には、その……つらい時に慰めてもらったり……色々ありましたけど。もう俺は大丈夫なんで、お気遣いなく! ということで、こんな風にふたりで過ごすのも、これを最後にしてもらっ……痛っ!」

 何だ? 肩を掴まれてる。ものすごい力だ。

「先輩、い、痛いです……肩っ……」

 長い指が皮膚にギリッと食い込んで、痛みを与えてきてるんだ。

 それに、先輩のこの表情、何だろう。驚愕だけじゃないような……。


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