4 / 8
弐
白露 【一】
しおりを挟む「あぁ、どうしましょう。もうすぐ丘に着いてしまいます。それに、皇子様は本当においでになられるのでしょうか」
翌朝、丘に向かう道すがら、漏れ出る声を抑えることができない。
『あなたの笑顔を見るためだけに、明日また来る』
昨日、別れ際に皇子様から告げられた言葉。
あの高貴な皇子様が、こんな鄙(ひな)びた場所まで本当にもう一度おいでになられるのか。しかも――。
「わ、私に会うため、だなんて……そんなことっ」
信じられない。
凛々しくも涼やかな、あの御方が。
大君様の覚えもめでたいと、こんな私の耳にまで届いてくるようなあの御方が。
皇家(こうけ)の本流の方々からは既に忘れ去られた傍流の血筋である自分のために、など。
「とても信じられない、のです」
ひとりごちながら萩の花をかき分け、それでも歩を進める。
あの眼差しを、涼やかな笑みを、もう一度受けとめたいと願うのも、私の本心。
あの御方が纏う温かな空気に、もう一度包まれたいと思ってしまうのも本心。
おこがましいと思いつつ、心は乱れてしまう。
かき分ける萩の花が途切れたところで、無意識に足が止まった。俯いたまま、ぽろりと想いが零れていく。
「皇子様……」
「来てくれて、ありがとう」
「……っ!」
自分ひとりだと思っていた場に、記憶にある慕わしい声が飛んできた。鼓動が跳ねた胸を押さえ、弾けるように顔を上げる。
「皇子様っ?」
声の主を探せば、朝焼けを背後に従えた眩しい立ち姿が、坂の上から私に微笑みかけていた。
「あっ、あの……え? こんなに早く? 私、いつもよりも早く邸を出てきましたのに……」
その続きは、言えなかった。
楡の木に手をかけて立っていたその方が風のように駆けおりてきて、喉の前で組み合わせていた私の手を取ったから。
「良かった、会えて。来てくれてありがとう。待ちきれずに、夜が明ける前に来てしまった」
「あなたに会いたくて、どうにも気が急いて」と続け、端整なお顔をくしゃりと崩して苦笑されるさまに、思わず泣きそうになる。
私もです。皇子様。私も、なのです。
つらつらと様々なことを考えておりましたが、こうしてあなたの温もりにもう一度包まれたいと、身の程もわきまえず、実は願っておりました。
包み込まれた両手から伝わる温もりが、染み入るように身を温めてくれるのが、こんなにも嬉しいのです。
「昨日と同じ表情をなさっている。もしや迷惑だったのだろうか?」
……え?
「私が来てほしいと頼んだから、か? 無理に約束を取りつけたこと、迷惑だったか?」
沈んだ声が落ちてきた途端に、すっと両手が離れていく。
「あ……」
違います。そう伝えたいのに、言葉が出ない。
「悪かった。少し、強引すぎたようだ。私は、こういうのが初めてで。どうすれば良いのか、何もわかっていないんだ。ただ――」
いったん言葉を切った皇子様が、真っ直ぐに目線を合わせてくる。
「ただ、もう一度会いたかった。あなたと」
ほんの少し、語尾が震えているように聞こえたのは、私の勘違いでしょうか。
それとも、私の心が震えてしまったから、そう感じてしまったのでしょうか。
10
あなたにおすすめの小説
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった
王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
【完結】ジュリアはバツイチ人生を謳歌する
ariya
恋愛
エレン王国の名門貴族・アグリア伯爵家に嫁いだジュリア・アグリア(旧姓ベルティー)。
夫のアベル・アグリア伯爵は、騎士として王妃の護衛任務に没頭し、結婚翌日からほぼ別居状態。
社交界のパーティーでは妻のエスコートを代理人に任せ、父の葬儀にも顔を出さず、事務的な会話と手紙のやり取りだけの日々が続く。
ジュリアは8年間の冷遇に耐え抜いたが、ある朝の食事中、静かに切り出す。
「私たち、離婚しましょう」
アベルは絶句するが、ジュリアは淡々と不満を告げる。
どれも自分のしでかしたことにアベルは頭を抱える。
彼女はすでに離婚届と慰謝料の用意を済ませ、夫の仕事に理解を示さなかった「有責妻」として後腐れなく別れるつもりだった。
アベルは内心で反発しつつも、ジュリアの決意の固さに渋々サイン。
こうしてジュリア・アグリアは、伯爵夫人としての全てを置き去りにし、バツイチ人生を開始する。
【完結】婚約破棄はお受けいたしましょう~踏みにじられた恋を抱えて
ゆうぎり
恋愛
「この子がクラーラの婚約者になるんだよ」
お父様に連れられたお茶会で私は一つ年上のナディオ様に恋をした。
綺麗なお顔のナディオ様。優しく笑うナディオ様。
今はもう、私に微笑みかける事はありません。
貴方の笑顔は別の方のもの。
私には忌々しげな顔で、視線を向けても貰えません。
私は厭われ者の婚約者。社交界では評判ですよね。
ねぇナディオ様、恋は花と同じだと思いませんか?
―――水をやらなければ枯れてしまうのですよ。
※ゆるゆる設定です。
※名前変更しました。元「踏みにじられた恋ならば、婚約破棄はお受けいたしましょう」
※多分誰かの視点から見たらハッピーエンド
あなたが後悔しても、私の愛はもう戻りません
藤原遊
恋愛
婚約者のアルベルトは、優しい人だった。
ただ――いつも、私より優先する存在がいただけで。
「君は分かってくれると思っていた」
その一言で、リーシェは気づいてしまう。
私は、最初から選ばれていなかったのだと。
これは、奪われた恋を取り戻す物語ではない。
後悔する彼と、もう戻らないと決めた私、
そして“私を選ぶ人”に出会うまでの、静かな恋の終わりと始まりの物語。
【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない
くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、
軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。
言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。
――そして初めて、夫は気づく。
自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。
一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、
「必要とされる存在」として歩き始めていた。
去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。
これは、失ってから愛に気づいた男と、
二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。
――今さら、遅いのです。
15年目のホンネ ~今も愛していると言えますか?~
深冬 芽以
恋愛
交際2年、結婚15年の柚葉《ゆずは》と和輝《かずき》。
2人の子供に恵まれて、どこにでもある普通の家族の普通の毎日を過ごしていた。
愚痴は言い切れないほどあるけれど、それなりに幸せ……のはずだった。
「その時計、気に入ってるのね」
「ああ、初ボーナスで買ったから思い出深くて」
『お揃いで』ね?
夫は知らない。
私が知っていることを。
結婚指輪はしないのに、その時計はつけるのね?
私の名前は呼ばないのに、あの女の名前は呼ぶのね?
今も私を好きですか?
後悔していませんか?
私は今もあなたが好きです。
だから、ずっと、後悔しているの……。
妻になり、強くなった。
母になり、逞しくなった。
だけど、傷つかないわけじゃない。
あの素晴らしい愛をもう一度
仏白目
恋愛
伯爵夫人セレス・クリスティアーノは
33歳、愛する夫ジャレッド・クリスティアーノ伯爵との間には、可愛い子供が2人いる。
家同士のつながりで婚約した2人だが
婚約期間にはお互いに惹かれあい
好きだ!
私も大好き〜!
僕はもっと大好きだ!
私だって〜!
と人前でいちゃつく姿は有名であった
そんな情熱をもち結婚した2人は子宝にもめぐまれ爵位も継承し順風満帆であった
はず・・・
このお話は、作者の自分勝手な世界観でのフィクションです。
あしからず!
すべてはあなたの為だった~狂愛~
矢野りと
恋愛
膨大な魔力を有する魔術師アレクサンダーは政略結婚で娶った妻をいつしか愛するようになっていた。だが三年経っても子に恵まれない夫妻に周りは離縁するようにと圧力を掛けてくる。
愛しているのは君だけ…。
大切なのも君だけ…。
『何があってもどんなことをしても君だけは離さない』
※設定はゆるいです。
※お話が合わないときは、そっと閉じてくださいませ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる