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弐
白露 【三】
しおりを挟む「では、白露は普段は染め物や縫い物をして過ごしているのか?」
「はい。私に出来るのは、それくらいですので」
萩の君に尋ねられるまま、自身の身の上について話していた。少しだけ。
幼少期に両親を相次いで亡くしたこと。それからは、家人の老夫婦とともに暮らしていること。老夫婦には、真古奈(まこな)という私よりもふたつ年上の孫娘がおり、姉妹のように仲良く育ち、頼りにしていることなど。話せる範囲で伝えた。
昨日と同じ泉のほとりで、萩の君の愛馬が美味しそうに水を飲んでいる姿を眺めながら。
「『麒白(きはく)』とは、何とも美しい名前ですねぇ」
萩の君の愛馬の名は、麒白。獣類の王とも呼ばれる伝説の聖獸、麒麟(きりん)にちなんで名づけられたのだとか。
「ははっ。誇張しすぎと思われるだろうが、こいつは実際に良く走ってくれるからな。決して、名前負けではないのだぞ?」
「まぁ! うふふっ」
あぁ、こんないたずらめいた、楽しげな笑みを見せられると、もっとあなたを知りたくなってしまう。
*
「女王(ひめみこ)様。どちらに行かれておいでだったのですか? お戻りが遅く、丘にも泉にもおられなかったので心配しておりましたよ」
邸に戻るなり、慌てた様子の真古奈が駆け寄ってきた。
「あ、探してくれたの? ごめんなさい。今日は峠まで行っていました」
素直に詫びた。明るいうちに戻らなかったことで心配をかけてしまったのだから。
「そんなに遠くまで……馬で行かれたのでしょう? 大丈夫ですか? 乗馬など、慣れておられませんのに」
真古奈に隠し事など、できない。
萩の君のことは、初めて白露と名乗った日に、正直に伝えてあった。自らの素性を伏せていることも。
「大丈夫ですよ。麒白は、本当にいい子なの。萩の君が、『気難しいこいつが、白露にだけは最初から良く懐いている』と苦笑されたくらいなんですから」
「……楽しかったですか? 今日も」
馬に乗ることを心配している真古奈に大丈夫だと明るく笑ってみせると、明らかにそれとは違う意味の問いが、真剣な表情で向けられた。
「ええ、楽しかったですよ――――とても」
「そう、ですか。良かったですね、女王様」
『とても』に込めた私の想いを汲んでくれたとわかる穏やかな笑みに、じわりと心が温かくなる。
素性を明かすことはできないけれど、萩の君にお会いしたい気持ちは抑えられない。
そんな私の浅ましい想いを真古奈は黙って見守り、今日も送り出してくれた。
「ですが、暗くなってからのお戻りは心配です」
「ごめんなさい。峠から見える夕陽と紅葉を是非見せたいと言われて、断りきれなくて」
「そうでしたか。そんな風にお誘いくださるということは、さぞかし美しい景色だったのでしょうね」
「ええ、見事でした。燃え立つという言葉が、あれほどに似合う光景はないと思えるほどに」
本当に、美しかった。
山の峰を埋め尽くしていた『紅』の競演は、こうして目を閉じるだけでも浮かんでくる。かの人のお姿とともに――。
「――まぁ! なんと見事な」
「美しいだろう? 良かった。連れてくることが出来て。どうしても、白露に見せたかったから。いや、違うな。私が、ともに眺めたかったのだ――――あなたと」
「萩の君……」
振り仰げば、並び立つその人の熱のこもった眼差しとぶつかる。それ以上の言葉はなく、ただ指先が絡められ、くっと力が込められた。
照柿(てりがき)色の落日が無言になったふたりを包み、燃える紅葉の濃淡を背後に従えた萩の君が唇の動きだけで私の名を紡ぐ。
そうして、声にならない言葉は優しい吐息となり、私の唇にそっと舞い降りてきた。
萩の君――。
そこは、峰々を覆う紅葉の葉ずれだけが聞こえる世界。
降り注ぐ夕光の熱が、私の頬だけに集まったような錯覚に陥った。
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