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2 上機嫌な客

#1

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「――こんばんは。まだ開いてますか?」

 閉店間際、ひとりの男性客が来店した。

「いらっしゃいませ。はい、大丈夫ですよ」

「贈り物を選びたいんです」

 アンティーク調のドアチャイムの優しい鈴の音と同じ、落ち着いた声色の持ち主。柔らかそうな髪は少し毛先が跳ねていて、にこにこと人好きのする笑顔が、興味深そうに店内を見回してから、こちらに向けられてきた。

「あれ? 宮城先生、おられないんですか?」

「え?」

「宮城けい先生ですよ。小説家の。今日、こちらのお店にいらしてるでしょう?」

 誰だろう、この人。初めて会う人だ。

「あの、失礼ですが、どちら様ですか? いっちゃん……宮城壱琉のお知り合いの方でしょうか」

 尋ねてから、はっと気づいた。

 もしかしたら出版社の方かもしれない。いっちゃんのことを『先生』って呼んでるし。

 うわわっ。もしそうなら、失礼な尋ね方をしちゃったんじゃないかな。どうしよう。チカのせいでいっちゃんに恥をかかせ……。

「はぁーいっ! よくぞ尋ねてくれたね。僕は、伊織いおりまこと。31歳。職業は医師でーすっ」

 一瞬のうちに高速で考えを巡らせてサァッと青ざめてしまったけれど、相手の答えは意外性抜群のものだった。

 しかも、それまでは、いかにも大人の男らしい落ち着いた声色で話していたのに。いきなり敬語を崩して、きゃぴきゃぴ調でウキウキと自己紹介を始めたから、すごくびっくりした。

 てゆうか『職業は医師』って言う時、バチンって音がしそうなくらい見事なウインクかまされちゃって、さらにびっくり。

「えーと、伊織、さん? あの、ドクター……お医者様でいらっしゃるんですか?」

 ますます、わけがわからない。意外性抜群の自己紹介を聞いて、この客の謎が、さらに深まった。

 壱琉のペンネームを口にして、最近開店したばかりのこの店に名指しで訪ねてきてるからには、知り合いなんだろうとは思う。

 でも、このお医者様といっちゃん。どんなお知り合いなんだろ。

「うん、そうそう。僕、お医者さんだよぉ。あ、それから僕のことはお気軽に『いおりん♪』って呼んでね」

「そうなんですね。あの、いっちゃんは今、近くのコンビニに煙草買いに行ってて、そこで一服してから戻ってくるんです。ですので、お急ぎでなければ、そちらでお待ちください」

 初対面の相手に、お気軽に『いおりん♪』なんて絶対呼べないけれど。この人は、壱琉を訪ねてきたお客様だ。

「急ぎじゃないよー。大丈夫」という返事を得たことで、イートインコーナーの椅子をすすめて腰掛けてもらい、急いでコーヒーの準備を始めた。

 店内は禁煙だ。だから、ヘビースモーカーの壱琉は煙草を吸いたくなったらいつもコンビニへと出かける。

 そして、きっと一服どころでは済まない。

 『帰る時は一緒だ』と言ってくれたけど、自分が明日の仕込みを終える時間を見計らって、ゆっくり煙草を吸ってくるに違いない。

 だから、その間、自分がおもてなししなくては。

 大事ないっちゃんのお客様だもん。チカがちゃんとおもてなしして、帰りをお待ちいただかないとっ。


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