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1 番犬は、不機嫌
#3
しおりを挟むしかし、結局――。
思いっきり怒鳴りつけてみたものの、この人にとことん甘い自分のほうが折れて、向かいの喫茶店に頼んで卵サンドを出前してもらい、一緒に食べているところだ。
「で? その本、次の新作用の資料なの?」
テーブルに積まれた数冊の本。サンドイッチを食べてる最中の壱琉の前にある、さっきから気になっていたそれについて尋ねてみた。
開店までにはまだ余裕があるから、少しだけでも壱琉とのお喋りタイムを満喫したい。
壱琉は、普段はこの上ないほどの無愛想。さらに、人を人とも思わない不遜な態度で繰り出す毒舌とで、本来なら作らなくてもいいはずの敵を作りやすいタイプだ。
そんな彼の職業は、小説家。しかも、著書のジャンルはラノベファンタジーだったりする。
時空を越えた転生恋愛ものやら、魔法世界のドタバタラブコメ。腐女子な美貌の王女が滅亡した王国を再建する王道逆ハーものやらを、ぶすっとした人を寄せつけない無表情でドンドコ書いちゃって、それが出版のたびに増刷。
つまり、結構売れちゃってる。いわゆる、人気作家というヤツだ。
ペンネームは、宮城京。
本名の宮城壱琉の『壱』からかけ離れた数字の単位なら何でもいいという、ごくごく安直な理由でテキトーにつけられたペンネームである。
「えーと、『ギリシャ神話集』に『幻獣辞典』、それからヘシオドスの『神統記』? ギリシャ神話に出てくる幻獣? いっちゃん、何を調べてんの?」
「ケルベロスだ」
「ケルベロス? へぇ、面白そう! ちょっと読んでもいい?」
が、ペンネームは超テキトーでも、こと創作に関してはいっさいの妥協を許さない。手間暇を惜しまず、周到な準備がモットーの壱琉である。
それを知っているから、彼が次回作のために集めた資料の内容はとても気になる。
「えーと、なになに? 『ケルベロスは冥府の入り口を守護する、番犬である。冥界から逃げ出そうとする死者、冥界へ侵入する生者を捕らえ、貪り食う怪物として伝えられる』
ふんふん、なるほどー。貪り食っちゃうんだー。それで?
『〈三つの頭を持つ犬〉と呼ばれ、その姿は、竜の尾と蛇のたてがみを持つ巨大な犬。三つの頭が交代で眠るが、音楽を聴くと全ての頭が眠ってしまう』
へぇー、三つが交代で寝るなんて器用なんだねぇ。それから?
『竪琴の名手であるオルフェウスが、蛇に咬まれて死んだ妻エウリュディケを追って冥界まで行った時、ケルベロスはオルフェウスの竪琴の美しい音色に酔い、眠らされている』
あっ! チカ、この話、知ってるー。これ、ギリシャ神話だよね。これ読んだ小学生のチカ、せつない結末に泣いたよ。あれ? まだ解説あるね。えーとぉ……。
『黒い双頭の犬の怪物、オルトロスとは兄弟である』
ふーん、三つの首の犬と、二つの首を持つ犬が兄弟なんだね。どっちがお兄ちゃんなんだろ?
『また、ケルベロスは甘いものに目がなく、蜂蜜と芥子の粉を練って焼いた菓子を与えれば、それを食べている間に目の前を難なく通過することが出来る』
わぁお! スイーツ好きの怪物なんだ! 可愛いーっ! いっちゃんみたーい!」
「あ? ふざけんな。俺は、甘いモンがこの世で一番嫌いだ。つか、怪物に例えんな」
「ちぇっ、いっちゃんのケチ。ここは、流れに軽く乗ってくれるトコでしょ? ほんと、ノリが悪いなぁ。ま、いっか。ところで、サンドイッチ美味しかった?」
「味? 別に普通。お前が作ったわけじゃねぇし」
「……っ」
食後のコーヒーを口にしながら無表情で淡々と言われた感想に、思いがけず顔が紅潮する。
チカが作ったサンドイッチなら旨いのに、と言われたも同然だからだ。
スイーツが苦手なのに店に来てくれることと合わせて、嬉しい赤面が止まらない。
もうもう! いっちゃんってば、こういうトコがずるいんだから。
こういうことをサラッと天然で言けってのけたりするから、チカの『大好き』が止まらなくなっちゃうんだよ。
もう、ほんと、ずるいっ!
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