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しおりを挟む辺境伯領は竜の棲家の入り口にある。
とはいえ、その竜の棲家の深部は人の立ち入ることのできない領域だと聞かされた。竜騎士たちが騎竜としている竜たちは、広大なその棲家の、定められた谷に降りてきているのだという。そこまでも、人の足では7日間を要する。訓練された騎士の足で、だということを考えると、どれほどの道のりなのだろう。
当然、馬などは使えない。竜を恐れずに歩むことができる馬は訓練された限られた馬だけだ。それも、人里で訓練された竜のみを相手にすれば、のこと。
竜騎士になれば、竜の背に乗ってそこまで行くことはできるが、その奥に踏み込むことは禁忌とされている。らしい。
辺境伯領の竜が降り立つ囲いにもまだ騎士と絆を繋いでいない竜が降り立っており、運が良ければ、そこで出会うこともある、のだとか。
そんな話を、フォスの番竜のところに行くと決めた後で聞かされた。
自分の足では、何日かかるのだろう。その間の食料を運ぶことを考えると、荷物の重みでなおさら時間がかかりそうだ。途中に人が雨風を凌いだり食料を貯蔵しておくような小屋の設置も許されていない。本来、人の立ち入ることのできない領域ということだろう。
そんなことを考えていると、アメリアが不思議そうに首を傾げているのに気づく。
「?」
「トワ、何を考え込んでいるの?…お兄様、フォスと行くのでしょう?」
「当たり前だろう」
「あたりまえ…」
「第一、深部に行くことになる。竜が一緒でなければまず辿り着かないぞ」
「ヴィクター様、それ、今初めておっしゃいましたよ?」
「そうか」
…。なんか、言い返す気にもならない。
複雑な心境なのに、なぜかこちらを見ている、この見目麗しい兄妹は目を細めている。何がそんなに嬉しいのかと訝しんでいると、控えていたラウルが軽く咳払いをする。
このヴィクターの側近も竜騎士として遠征に付き従っていた。帰還した当初は他の隊員と同じように騎竜の世話や遠征の事後処理でヴィクターから離れていたが、まるで日本人のような勤勉さと彼が優秀であることの証左か、さほど経たずに見慣れた距離に戻ってきていた。
「お二人とも、心中はお察ししますが、トワ嬢には伝わりませんよ」
この人は、呼び捨てで良い、と言っても最初の不審者として警戒していた段階を過ぎると敬称をつけて呼ぶようになった。主人の客人だから、と。それに見た目と違って歳も上なのでしょうと言われてしまえば、そういった感覚はとても同調できるので強く言うこともできない。
「心中、ですか?」
「トワは、だいぶ表情が出るようになった」
「…最初から、顔に出やすいとおっしゃってませんでしたか?」
「考えていることが読み取りやすいのとは違う。感情が出るようになった。そういう、不服そうな顔は全く見せなかったぞ。ずっと、戸惑った、申し訳なさそうな顔をしていた」
言われてみれば、そうかもしれない。
どんな顔をしているかなんて分からないけれど、全く知らない世界で、戸惑いばかりだった。不安や恐怖が少なく、ほとんどなかったのはひとえにこの人たちのおかげだ。
最初に見知らぬ誰かたちに取り囲まれ、何の話かも分からないまま一瞬でその場から弾き出された。
それが転移魔法、というものだということは今はわかる。
あの時は訳も分からず、弾き飛ばされる感覚に、痛みに備えた。痛みを感じる前に意識を飛ばしてしまったけれど。
きっと、召喚術を使った王宮の誰かが、余計なものを呼び込んでしまった事実をなくすために即座に行ったことなのだろう。
そのおかげで、こうして今ここで不自由なく絶対的な安心感の中で過ごせていると思えば、何がどう転ぶか分からない。
「ヴィクター様やアメリア様、皆様のおかげで安心して過ごさせていただいていますから」
なぜここにいるのか、これからどんな話を聞いて、何を期待されているのか。それを聞くことに不安はある。けれど、そこに少し、楽天的な自分が顔を出しているのもわかる。
たった1人で、そこに放り出されないだろうという、妙な自信。
この人たちは見捨てないで、見放さないでいてくれるだろうという。そんな妙な自信。
だから、それがどんな話だったとしても、それがこの人たちのためになるのであれば、受け入れようと漠然と思っている。だからきっとこんな、そわそわして落ち着かないけれど、怖さはあまりないんだろう。
これはすごいことだ。と思う。
もともといた世界でだって、こんな風に誰かを信じて妙な自信は持てなかった。
ヴィクターやアメリアだけじゃない。
みんな、信じられるし頼れる。
前も、信じて頼っている友人は多かった。ただ、こんな無条件なものだったかと言われると分からない。
ここでは分からないことだらけで、変に取り繕う余裕もなかった。それがかえって良かったのかと思う。
「フォスの番竜のところには、皆さんで向かうのですか?」
「人が立ち入らない領域まで行くことになる。俺とお前だけだ。竜騎士隊は数日中に王都に帰還するように言ってある。レイ殿下はこれ以上竜の棲家に近づくわけにはいかない」
そういえば、そんな話もあった。
一体、竜族全てを相手どって王家はどなたが何をしてしまったのか。それでも竜騎士隊を傘下に置くことでかろうじてつながりを保っているというところか。
それも、辺境伯家の匙加減という印象もある。
「今日はゆっくり休め。明日出発する」
「それではヴィクター様、今日はわたしが夕食の準備をしてもよろしいですか?」
言った途端、顔を顰められる。
それで一度魔力枯渇を起こしたことで警戒されているのだ。
苦笑いをして、アメリアが助け舟を出してくれる。
「お兄さま、トワの料理はとても美味しいのですよ。お兄さまだけ味わっていないなんて……」
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