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第1章
第6話 史究会
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水曜の午前中は講義の予定がないので、昼過ぎに家を出て大学へ向かった。午後から学校に行くという状況も、遅刻しているような不思議な感覚になる。
大学に到着し教室に入ると、前の方の席に、浅見、児島、斉藤がバラバラに座っているのが見えた。
声をかけて一緒に講義を受けようかとも思ったが、昨日ほどけた緊張は一晩でリセットされ、その勇気は出ず、教室の中ほどの席へ一人腰を下ろした。
そんな状態のまま、三限と四限の講義を受けた。五限は空き時間になっているので、史究会の活動時間までは二時間近く暇ができてしまう。
どこで時間を潰そうかと考えたが、行くところもなかったので、高校時代に倣い図書館へ向かった。
三階建ての大きな図書館に着き、その大きさとは不釣り合いな小さな出入り口を通って中に入る。
入ってすぐ右手がカウンターで、左手には下のロビーへと続く大きめの階段がある。どうやらそちらが正面玄関だったようだ。
目の前にはまるで電車の改札に似たゲートが待ち構え、『学生証をかざして入館してください』と張り紙がされている。慣れない手つきでカードリーダーに学生証を押し当てると、軽い電子音と共にゲートが開いた。
館内図を見ると、フロアごとに分野が分けられており、歴史学関係は三階にあった。各フロアはとても広く、本を探して歩くだけでも楽しい。
三十分ほど、うろついた後に、面白そうなテーマの本を一冊手に取った。選んだ本を抱えながら、書架の林を抜け、窓際に並んだ読書スペースの一つに腰を落ち着けた。
席に仕切りはなく、とても長く少し弧を描いた机が何列か並び、椅子はすべて窓側を向いて置かれている。
この時間は利用者も多くはないようで、広い読書スペースには数えるほどしか人が座っていない。
高校の図書室のような隠れ家感はないけれど、静かで落ち着ける場所だ。
持ってきた本を読み始め、少し経つと、聞き覚えのある声が小声で話しかけてきた。
「あれ、神原?」
昨日、考古学研究会で一緒だった斉藤だ。
「ああ、斉藤。どうしたの?」
距離感はまだ掴めていないが、相手が呼び捨てだったので、僕も呼び捨てで対応した。
「もしかして、神原も史究会行くの?」
「うん。先輩に行くって言っちゃったから、様子だけでも見てみようかなと思って」
「おー、マジか。俺も。外で時間潰そうかと思ったんだけど、あんま行くとこなくて。なんとなく図書館来てみたら神原いたから」
今は先輩もおらず、リラックスしているのか、昨日よりも強い訛りで話してくれている。
三、四限の講義では、なぜ声を掛けてくれなかったのかと言われたが、僕は気が付かなかったと嘘をついた。気さくに話しかけてきた斉藤に、物怖じして話しかけられなかったとは言えなかった。
少し気まずいまま時間を過ごし、十八時を少し過ぎた頃、「そろそろ、史究会行ってみるか」という斉藤の提案で、史究会の活動場所である三号館へ向かうことにした。
図書館から三号館は、先ほど見た正面玄関から出て、本館前の広場を通り過ぎた先にある。キャンパスの敷地の端で、なんとなく他の建物よりも古ぼけた印象がある場所だ。
もとは白かったのであろう黒ずんだ入口を入り、廊下を進んだ左手に三一〇二教室はあった。
教室の扉は開いていない。斉藤がドアノブを引いてみても、ガチッと硬い音がするだけで開けることができなかった。
「あれ? ここだよな?」
首を傾げながら何度か試しているが、やはり開く気配はない。
「早く着きすぎたか?」
「うーん。でも、もう予定の時間過ぎてるよ?」
不思議に思ったが、開いていないのであればどうすることもできない。
「どうしよ? 連絡先もわからないし、帰るか?」
そう言う斉藤に同意して教室前から立ち去ろうとすると、ガヤガヤと話しながら上級生数人が建物に入ってきた。史究会の勧誘ブースで会った上級生の顔もある。
「あー、ごめんごめん。新入生だよね。今、鍵開けるから」
グループの中でも一際大柄な学生が、ポケットからジャラジャラと鍵を探し出し、教室の扉を開けた。
「おまたせ。適当に座ってもらって大丈夫だから」
言われるがまま、上級生たちに軽い会釈をしながら中に入る。
外観からの印象通り、壁や床は色褪せているが、机や椅子、空調といった備品だけが真新しく、ちぐはぐな印象を与える。
ただ、広さは昨日の考古学研究会の教室よりもひと回り以上広く、正面の教壇に向かって、三人掛けの机がずらりと並んでいる。
僕たちは入って右手の適当な席に座り、上級生たちも教壇の目の前あたりに全員が座った。
「さて、じゃあ、今年度最初の会を始めますか」
鍵を開けた学生が教壇に立ち、おもむろに会の開始を宣言した。僕が、学生はこれだけなのかと、少し呆気にとられていると、教壇の学生はとても満足そうな顔で話を続けた。
「いやー、今年は二人も新入生が来てくれて嬉しいな。去年は新入生ゼロだったからな」
その言葉を受けてブースにいた学生が、鼻高々にメガネを直しながら発言した。
「ええ、ええ。今年度の勧誘活動の賜物ですな」
この二人のやり取りをみて、斉藤も驚いた顔をしている。僕も、勧誘時の様子からして、緩い雰囲気なのは予想していたが、ここまでとは思わなかった。
「え、新入生ってこれだけですか? 二年生もいないって……」
不安になったのだろう、斉藤が質問した。
「そうだね。もう時間だし、新入生は君たちだけかな」
教壇の学生が満面の笑みで答え、新入生二人の不安には、全く気付いていないかのように話し始めた。
「今日は初回ということで、簡単に自己紹介をしてもらおうかな。まずは俺から。えーっと。史究会会長の佐伯です。専門は近代ドイツです」
「どうも、久我です。ブースでお会いしているから、覚えてくれている方もいるかな。この会では、一応、副会長の職を拝命しています。専門としているのは古代ローマで、特に軍人皇帝時代は興味がそそられるね。もし、同好の士がいれば語り合いたいな」
どうやら、この調子で全員が自己紹介をする流れのようである。
考古学研究会では人数も多かったので免れたが、自己紹介をするのはとても苦手だ。話すこともないし、人に注目されるのはとても嫌だった。だが、そんな僕の思いとは関係なしに次々に進んでいく。
「私は、会計の村垣です。法学部所属で、書道部の部長を兼任しています」
「えーっとね。僕の名前は小暮です。専門は地理学です。みんな、地理学の講義嫌だっていうけど、僕は好き」
「うん、次は私かな。三年の野間と言います。役職はないけど、まあ、なんと言うか、ご意見番といった感じだな、うん」
一度に、自己紹介をされて、とても情報を覚えきれない。
続いて、やはり新入生も自己紹介をさせられるようだ。会長の佐伯が手で促すと、年長の斉藤が先に立ち上がり、挨拶を始めた。
「新入生の斉藤です。日本の中世城郭について、研究していきたいと思っています。よろしくお願いします」
次は僕の番だ。緊張で息が詰まってくる。
上級生たちのまばらな拍手が止んだ所で立ち上がった。
「新入生の神原です。東洋史を専攻しようと思っています。よろしくお願いします」
必要最低限、斉藤の挨拶に倣う形で自己紹介を乗り切った。
たったこれだけの事なのに、手の震えが止まらない。斉藤には絶対に見られるわけにはいかないと、すぐに、手を太腿と椅子の間に差し込んだ。
「はい、ありがとう。次は、今期の活動についてだけど……、なんかやりたいことある人いますか?」
せっかくの自己紹介にはほとんど触れることもなく、佐伯が会を進行する。
それに、今のところ、会の活動予定は決まっていないようだ。何かやりたいことと言われても、当然手は上がらず、沈黙が続いた。
その様子に副会長の久我が、仕方がないといった様子で沈黙を破る。
「まあ、去年と同じく、基本的には研究報告ということで、いいのではないかと思うな」
その発言に上級生たちが頷く中、野間一人が、釈然としない顔をしていた。
「せっかく新入生もいるというのに、研究報告という名の雑談ばかりで、代わり映えがないねぇ」
野間の嫌味な言い方に、和やかだった上級生たちの雰囲気に緊張が走った。提案した久我が野間の方を振り返り、言葉を返す。
「それでは、野間さんには、良い活動案があるということですかね?」
「うん? いやいや、そういう事は、役員である君らの仕事だ。私を頼られても困るよ」
初日から何とも嫌な雰囲気だ。普通、新入生という来客がある日に、こんなやり取りをするだろうか。
その様子を見かねて佐伯がすぐに仲裁に入る。
「まあまあ、当面は研究報告ということでいいんじゃないかな。また、なにか案があればいつでも提案してもらえばいいし。野間さんも、もし何かあれば提案してもらえたらありがたいです。」
野間は他の四人の三年生と比べると、何か腫れ物のように扱われているような気がする。先程の発言を見ても、この会のトラブルメーカーなのは間違いないだろう。
僕がそんなことを考えていると、佐伯はさらに話を進めた。
「じゃあ、会の活動についてはこれくらいにして、入会の手続きについてだけど、学友会へ提出する入部届を書いてもらいます。書類を渡すので、そこに名前を書いてください」
よくわからないうちに佐伯から書類を渡され、急に入部手続きを進める話になってしまった。
様子見のつもりだったので、困惑しながら「あ、あの、まだ、他のサークルと悩んでて……」と伝える。
「あー、大丈夫、兼部で構わないよ。それに、神原くんたちが入会してくれないと、この会が廃部になっちゃうからさ。別のところに主軸をおいていてもいいから、入会の手続きだけでもしてくれないかな?」
「……はい、……わかりました」
仕方なく入部届に名前を書いて佐伯に渡した。
「ありがとう。助かるよ。斉藤くんも書けた?」
「あ、いや、俺はちょっと保留にしてもいいですか? まだ、他も見てみたいので」
「うーん。じゃあ、その紙はあげるから気持ちが決まったら持ってきて」
やられたと思った。流されて名前を書いた自分も悪いのだが、斉藤が入会を断るとは思わなかった。つまり、現状は二年生が一人もおらず、新入生は僕一人ということになってしまった。
「では、新入生も入会したことだし、夕食にでもいきますか。神原くんは奢ってあげるから安心してね。もちろん斉藤くんも」
新入生が入会し、嬉しげな顔をした佐伯が提案する。他の上級生もすぐに同意し、夕食へ向かうことになった。
三号館からは、正門を通らずに坂の下に出られる脇道があるらしく、皆はそちらへ進んだが、僕は自転車があるので駐輪場へ向かった。
一人静かに駐輪場への道を歩きながら、大きな失敗を犯したように心が落ち着かない。自転車を取って、坂の下で皆と合流してから斉藤に小声で言われた。
「神原、よく入会したな。俺は考研だけでいいな」
僕だって本当はそうしたかった。考古学研究会には同級生も多いし、運営もしっかりしてそうだ。
「俺もそのつもりだったけど、断れなくて……。」
「今からでも撤回すれば?」
「そんなことできないよ。先輩に申し訳ないもん」
斉藤も断らないかと思っていた。でも、それを口に出す気にはなれなかった。彼は彼の判断をしたのだ。それは斉藤の自由だし、僕が断れなかったのがいけないのだから。
店は『十王』というつけ麺屋だった。昨日の『陳記』とは、道を挟んで斜向かいの場所にある。
佐伯に続いて店へ入ると、薄暗い雰囲気の店内には十五席ほどのカウンターのみ。客は一人もいなかった。扉のすぐ左手に食券機があり、佐伯が千円札を入れ「好きなの選んで」と促した。
僕は佐伯に礼を言い、一番安いつけ麺のボタンを押した。出てきた食券取り、入口付近の席に座りながら、券を店員に渡す。つけ麺の場合には、特盛りまで無料で量を増やせるらしいので大盛りを頼んだが、僕以外は皆つけ麺の特盛にしたようだ。
「神原くん大盛りでいいの?」
書道部の村垣が消え入りそうなか細い声で聞いてきた。
「そうですね、食べきれないかもしれないので」
「最初はね。でも俺でも食べ切れるくらいだから、足りないかもよ」
確かに、村垣はかなりの細身だ。いかにも書道部といった雰囲気の線の細さをしている。この村垣が言うのであれば、特盛でも食べ切れる量なのだろうが、変更は面倒なのでそのままにした。
しばらくして、僕たちの目の前につけ麺が置かれていった。
カウンターの一段高い部分からつけ麺を下ろし、村垣に「食べな」と進められ、食べ始める。他の皆も食べ始め、あまり喋らず麺をすすった。
昨日のような盛り上がりはなかったが、意外と居心地は悪くなかった。段取りも悪く、個性が強そうな先輩たちではあったが、僕も元来はこちら側の人間なのだなと感じてしまった。
そんなことを考えながら無言で食べていたので、さほど時間がかからずに食べきった。
隣の村垣もほぼ同時に食べ終わり、僕に「スープ割りは?」と聞いて来た。
何のことか分からなかったので、村垣に説明を受け、一緒に注文してもらうと、すぐに店員がスープを持って来て、つけ汁の器に注いでくれた。
「ありがとうございます。ほら、神原くんもどうぞ」
つけ汁の器を受け取り、汁をすすった。冷たい麺で冷めていた汁が、すっかり温かくなっており、その温度が体に染み渡っていった。
「美味しいでしょ。これが飲みたくて、ここのつけ麺食べてるみたいなところあるから」
「そうですね、すごく美味しいです」
そう答えて、また静かに汁をすすった。
全員が食事を終え、「そろそろ行きますか」という佐伯の言葉で順番に外に出た。
僕が「ごちそうさまでした」と佐伯に礼を伝えると、
「全然いいよ。大学でできた初めての後輩だから、先輩らしいことさせてもらわないと」
と、嬉しそうに笑った。
そのまま店の前で解散となり、先輩たちはバス停へ、斉藤は坂の上にそれぞれ歩いていった。
一人になって自転車を漕いでいると、入会を決めてしまったことへの後悔と、一年生が自分ひとりというプレッシャーがじわじわと胸にのしかかってきた。
それでも──本当は史究会の方が、自分にはしっくり来るのかもしれない。
どこかそんな気がしていた。
大学に到着し教室に入ると、前の方の席に、浅見、児島、斉藤がバラバラに座っているのが見えた。
声をかけて一緒に講義を受けようかとも思ったが、昨日ほどけた緊張は一晩でリセットされ、その勇気は出ず、教室の中ほどの席へ一人腰を下ろした。
そんな状態のまま、三限と四限の講義を受けた。五限は空き時間になっているので、史究会の活動時間までは二時間近く暇ができてしまう。
どこで時間を潰そうかと考えたが、行くところもなかったので、高校時代に倣い図書館へ向かった。
三階建ての大きな図書館に着き、その大きさとは不釣り合いな小さな出入り口を通って中に入る。
入ってすぐ右手がカウンターで、左手には下のロビーへと続く大きめの階段がある。どうやらそちらが正面玄関だったようだ。
目の前にはまるで電車の改札に似たゲートが待ち構え、『学生証をかざして入館してください』と張り紙がされている。慣れない手つきでカードリーダーに学生証を押し当てると、軽い電子音と共にゲートが開いた。
館内図を見ると、フロアごとに分野が分けられており、歴史学関係は三階にあった。各フロアはとても広く、本を探して歩くだけでも楽しい。
三十分ほど、うろついた後に、面白そうなテーマの本を一冊手に取った。選んだ本を抱えながら、書架の林を抜け、窓際に並んだ読書スペースの一つに腰を落ち着けた。
席に仕切りはなく、とても長く少し弧を描いた机が何列か並び、椅子はすべて窓側を向いて置かれている。
この時間は利用者も多くはないようで、広い読書スペースには数えるほどしか人が座っていない。
高校の図書室のような隠れ家感はないけれど、静かで落ち着ける場所だ。
持ってきた本を読み始め、少し経つと、聞き覚えのある声が小声で話しかけてきた。
「あれ、神原?」
昨日、考古学研究会で一緒だった斉藤だ。
「ああ、斉藤。どうしたの?」
距離感はまだ掴めていないが、相手が呼び捨てだったので、僕も呼び捨てで対応した。
「もしかして、神原も史究会行くの?」
「うん。先輩に行くって言っちゃったから、様子だけでも見てみようかなと思って」
「おー、マジか。俺も。外で時間潰そうかと思ったんだけど、あんま行くとこなくて。なんとなく図書館来てみたら神原いたから」
今は先輩もおらず、リラックスしているのか、昨日よりも強い訛りで話してくれている。
三、四限の講義では、なぜ声を掛けてくれなかったのかと言われたが、僕は気が付かなかったと嘘をついた。気さくに話しかけてきた斉藤に、物怖じして話しかけられなかったとは言えなかった。
少し気まずいまま時間を過ごし、十八時を少し過ぎた頃、「そろそろ、史究会行ってみるか」という斉藤の提案で、史究会の活動場所である三号館へ向かうことにした。
図書館から三号館は、先ほど見た正面玄関から出て、本館前の広場を通り過ぎた先にある。キャンパスの敷地の端で、なんとなく他の建物よりも古ぼけた印象がある場所だ。
もとは白かったのであろう黒ずんだ入口を入り、廊下を進んだ左手に三一〇二教室はあった。
教室の扉は開いていない。斉藤がドアノブを引いてみても、ガチッと硬い音がするだけで開けることができなかった。
「あれ? ここだよな?」
首を傾げながら何度か試しているが、やはり開く気配はない。
「早く着きすぎたか?」
「うーん。でも、もう予定の時間過ぎてるよ?」
不思議に思ったが、開いていないのであればどうすることもできない。
「どうしよ? 連絡先もわからないし、帰るか?」
そう言う斉藤に同意して教室前から立ち去ろうとすると、ガヤガヤと話しながら上級生数人が建物に入ってきた。史究会の勧誘ブースで会った上級生の顔もある。
「あー、ごめんごめん。新入生だよね。今、鍵開けるから」
グループの中でも一際大柄な学生が、ポケットからジャラジャラと鍵を探し出し、教室の扉を開けた。
「おまたせ。適当に座ってもらって大丈夫だから」
言われるがまま、上級生たちに軽い会釈をしながら中に入る。
外観からの印象通り、壁や床は色褪せているが、机や椅子、空調といった備品だけが真新しく、ちぐはぐな印象を与える。
ただ、広さは昨日の考古学研究会の教室よりもひと回り以上広く、正面の教壇に向かって、三人掛けの机がずらりと並んでいる。
僕たちは入って右手の適当な席に座り、上級生たちも教壇の目の前あたりに全員が座った。
「さて、じゃあ、今年度最初の会を始めますか」
鍵を開けた学生が教壇に立ち、おもむろに会の開始を宣言した。僕が、学生はこれだけなのかと、少し呆気にとられていると、教壇の学生はとても満足そうな顔で話を続けた。
「いやー、今年は二人も新入生が来てくれて嬉しいな。去年は新入生ゼロだったからな」
その言葉を受けてブースにいた学生が、鼻高々にメガネを直しながら発言した。
「ええ、ええ。今年度の勧誘活動の賜物ですな」
この二人のやり取りをみて、斉藤も驚いた顔をしている。僕も、勧誘時の様子からして、緩い雰囲気なのは予想していたが、ここまでとは思わなかった。
「え、新入生ってこれだけですか? 二年生もいないって……」
不安になったのだろう、斉藤が質問した。
「そうだね。もう時間だし、新入生は君たちだけかな」
教壇の学生が満面の笑みで答え、新入生二人の不安には、全く気付いていないかのように話し始めた。
「今日は初回ということで、簡単に自己紹介をしてもらおうかな。まずは俺から。えーっと。史究会会長の佐伯です。専門は近代ドイツです」
「どうも、久我です。ブースでお会いしているから、覚えてくれている方もいるかな。この会では、一応、副会長の職を拝命しています。専門としているのは古代ローマで、特に軍人皇帝時代は興味がそそられるね。もし、同好の士がいれば語り合いたいな」
どうやら、この調子で全員が自己紹介をする流れのようである。
考古学研究会では人数も多かったので免れたが、自己紹介をするのはとても苦手だ。話すこともないし、人に注目されるのはとても嫌だった。だが、そんな僕の思いとは関係なしに次々に進んでいく。
「私は、会計の村垣です。法学部所属で、書道部の部長を兼任しています」
「えーっとね。僕の名前は小暮です。専門は地理学です。みんな、地理学の講義嫌だっていうけど、僕は好き」
「うん、次は私かな。三年の野間と言います。役職はないけど、まあ、なんと言うか、ご意見番といった感じだな、うん」
一度に、自己紹介をされて、とても情報を覚えきれない。
続いて、やはり新入生も自己紹介をさせられるようだ。会長の佐伯が手で促すと、年長の斉藤が先に立ち上がり、挨拶を始めた。
「新入生の斉藤です。日本の中世城郭について、研究していきたいと思っています。よろしくお願いします」
次は僕の番だ。緊張で息が詰まってくる。
上級生たちのまばらな拍手が止んだ所で立ち上がった。
「新入生の神原です。東洋史を専攻しようと思っています。よろしくお願いします」
必要最低限、斉藤の挨拶に倣う形で自己紹介を乗り切った。
たったこれだけの事なのに、手の震えが止まらない。斉藤には絶対に見られるわけにはいかないと、すぐに、手を太腿と椅子の間に差し込んだ。
「はい、ありがとう。次は、今期の活動についてだけど……、なんかやりたいことある人いますか?」
せっかくの自己紹介にはほとんど触れることもなく、佐伯が会を進行する。
それに、今のところ、会の活動予定は決まっていないようだ。何かやりたいことと言われても、当然手は上がらず、沈黙が続いた。
その様子に副会長の久我が、仕方がないといった様子で沈黙を破る。
「まあ、去年と同じく、基本的には研究報告ということで、いいのではないかと思うな」
その発言に上級生たちが頷く中、野間一人が、釈然としない顔をしていた。
「せっかく新入生もいるというのに、研究報告という名の雑談ばかりで、代わり映えがないねぇ」
野間の嫌味な言い方に、和やかだった上級生たちの雰囲気に緊張が走った。提案した久我が野間の方を振り返り、言葉を返す。
「それでは、野間さんには、良い活動案があるということですかね?」
「うん? いやいや、そういう事は、役員である君らの仕事だ。私を頼られても困るよ」
初日から何とも嫌な雰囲気だ。普通、新入生という来客がある日に、こんなやり取りをするだろうか。
その様子を見かねて佐伯がすぐに仲裁に入る。
「まあまあ、当面は研究報告ということでいいんじゃないかな。また、なにか案があればいつでも提案してもらえばいいし。野間さんも、もし何かあれば提案してもらえたらありがたいです。」
野間は他の四人の三年生と比べると、何か腫れ物のように扱われているような気がする。先程の発言を見ても、この会のトラブルメーカーなのは間違いないだろう。
僕がそんなことを考えていると、佐伯はさらに話を進めた。
「じゃあ、会の活動についてはこれくらいにして、入会の手続きについてだけど、学友会へ提出する入部届を書いてもらいます。書類を渡すので、そこに名前を書いてください」
よくわからないうちに佐伯から書類を渡され、急に入部手続きを進める話になってしまった。
様子見のつもりだったので、困惑しながら「あ、あの、まだ、他のサークルと悩んでて……」と伝える。
「あー、大丈夫、兼部で構わないよ。それに、神原くんたちが入会してくれないと、この会が廃部になっちゃうからさ。別のところに主軸をおいていてもいいから、入会の手続きだけでもしてくれないかな?」
「……はい、……わかりました」
仕方なく入部届に名前を書いて佐伯に渡した。
「ありがとう。助かるよ。斉藤くんも書けた?」
「あ、いや、俺はちょっと保留にしてもいいですか? まだ、他も見てみたいので」
「うーん。じゃあ、その紙はあげるから気持ちが決まったら持ってきて」
やられたと思った。流されて名前を書いた自分も悪いのだが、斉藤が入会を断るとは思わなかった。つまり、現状は二年生が一人もおらず、新入生は僕一人ということになってしまった。
「では、新入生も入会したことだし、夕食にでもいきますか。神原くんは奢ってあげるから安心してね。もちろん斉藤くんも」
新入生が入会し、嬉しげな顔をした佐伯が提案する。他の上級生もすぐに同意し、夕食へ向かうことになった。
三号館からは、正門を通らずに坂の下に出られる脇道があるらしく、皆はそちらへ進んだが、僕は自転車があるので駐輪場へ向かった。
一人静かに駐輪場への道を歩きながら、大きな失敗を犯したように心が落ち着かない。自転車を取って、坂の下で皆と合流してから斉藤に小声で言われた。
「神原、よく入会したな。俺は考研だけでいいな」
僕だって本当はそうしたかった。考古学研究会には同級生も多いし、運営もしっかりしてそうだ。
「俺もそのつもりだったけど、断れなくて……。」
「今からでも撤回すれば?」
「そんなことできないよ。先輩に申し訳ないもん」
斉藤も断らないかと思っていた。でも、それを口に出す気にはなれなかった。彼は彼の判断をしたのだ。それは斉藤の自由だし、僕が断れなかったのがいけないのだから。
店は『十王』というつけ麺屋だった。昨日の『陳記』とは、道を挟んで斜向かいの場所にある。
佐伯に続いて店へ入ると、薄暗い雰囲気の店内には十五席ほどのカウンターのみ。客は一人もいなかった。扉のすぐ左手に食券機があり、佐伯が千円札を入れ「好きなの選んで」と促した。
僕は佐伯に礼を言い、一番安いつけ麺のボタンを押した。出てきた食券取り、入口付近の席に座りながら、券を店員に渡す。つけ麺の場合には、特盛りまで無料で量を増やせるらしいので大盛りを頼んだが、僕以外は皆つけ麺の特盛にしたようだ。
「神原くん大盛りでいいの?」
書道部の村垣が消え入りそうなか細い声で聞いてきた。
「そうですね、食べきれないかもしれないので」
「最初はね。でも俺でも食べ切れるくらいだから、足りないかもよ」
確かに、村垣はかなりの細身だ。いかにも書道部といった雰囲気の線の細さをしている。この村垣が言うのであれば、特盛でも食べ切れる量なのだろうが、変更は面倒なのでそのままにした。
しばらくして、僕たちの目の前につけ麺が置かれていった。
カウンターの一段高い部分からつけ麺を下ろし、村垣に「食べな」と進められ、食べ始める。他の皆も食べ始め、あまり喋らず麺をすすった。
昨日のような盛り上がりはなかったが、意外と居心地は悪くなかった。段取りも悪く、個性が強そうな先輩たちではあったが、僕も元来はこちら側の人間なのだなと感じてしまった。
そんなことを考えながら無言で食べていたので、さほど時間がかからずに食べきった。
隣の村垣もほぼ同時に食べ終わり、僕に「スープ割りは?」と聞いて来た。
何のことか分からなかったので、村垣に説明を受け、一緒に注文してもらうと、すぐに店員がスープを持って来て、つけ汁の器に注いでくれた。
「ありがとうございます。ほら、神原くんもどうぞ」
つけ汁の器を受け取り、汁をすすった。冷たい麺で冷めていた汁が、すっかり温かくなっており、その温度が体に染み渡っていった。
「美味しいでしょ。これが飲みたくて、ここのつけ麺食べてるみたいなところあるから」
「そうですね、すごく美味しいです」
そう答えて、また静かに汁をすすった。
全員が食事を終え、「そろそろ行きますか」という佐伯の言葉で順番に外に出た。
僕が「ごちそうさまでした」と佐伯に礼を伝えると、
「全然いいよ。大学でできた初めての後輩だから、先輩らしいことさせてもらわないと」
と、嬉しそうに笑った。
そのまま店の前で解散となり、先輩たちはバス停へ、斉藤は坂の上にそれぞれ歩いていった。
一人になって自転車を漕いでいると、入会を決めてしまったことへの後悔と、一年生が自分ひとりというプレッシャーがじわじわと胸にのしかかってきた。
それでも──本当は史究会の方が、自分にはしっくり来るのかもしれない。
どこかそんな気がしていた。
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