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第2話·謀殺の日
しおりを挟む看守兵は私を連れて、ゆっくりと牢獄へと歩いていく。これは正真正銘の牢獄。断罪される前の一時収容の牢獄とはまったく別の存在。
周りを漂う空気さえ、恐怖心を募るほど錆びた鉄と血の匂いがする。歩けば歩くほど病と痛みに苛まれている囚人の悲鳴が聞こえてくる。
数えきれない囚人は、誰も彼も牢獄の鉄の棒に近づいてきて、険しい目で連れられてきたこの若くか弱い貴族の女を見つめている。
彼らにとって、私はきっと特別な存在なのだろう。
大罪を犯した貴族の囚人は少ない。ましてやこのような若い貴族女とは前代未聞。まもなく、欲望に満ちた掛け声と渇き声が聞こえてきた。
凶悪な猛獣に狙われた獲物のような心境で、私は震えを止められない。死刑を免れた私は、果たしてこのような環境で20年間生きていけるのか。もしかしたらここで生き延びることは、死刑よりも100倍苦しいことになるかもしれない。
そんな絶望的な事を考えながら、看守兵に牢獄の深くへと連れられてきた。
不思議なことに、目の前にある牢獄は、 規格外に大きく綺麗で、布団や床などもあきらかに新しい物が揃っている。先ほど見てきた絶望的な団体庶民牢獄とは全く別のもの。
「これは、貴族の・・・牢獄?」あまりにも驚いて私は不意に声を出した。
「 入れ!この恩義知らず!残りの人生で準太子妃殿下に感謝しな!」看守兵は私を乱暴に牢獄へ押入れ、軽蔑の眼差しで私を見ている。
「殿下の要請でもなければ、お前は死刑か先ほどの犯人たちに犯されて死ぬことになっていたはずだ」
「あんなにも善良な殿下に手を出すとは、お前は本当にクズだ!」
侮辱極めた言葉を吐き尽くした看守兵は、 まだ何かを言いながらも私の前を離れていった。
「エリナ・・・なんでそんなことまで・・・」心臓が止まるほどの懺悔が私の心を苦しめている。
今思い出せば、エリナはなにも悪いことをしてはいなかった。
本当に善良で可愛くて活発で天真爛漫で、 最もヒロインにふさわしい人。
私からの非難も黙って一人で乗り越えてきたし、
私に復讐などもしてはいなかった。
他人に私の悪口を言うこともなかった。
まして私に殺されかけて、今になってもなお私を救おうとしている。
それと比べれば、私という者は何という自己中心で、身勝手で傲慢不遜な悪人だったことか。
彼女こそもっと王子の婚約者として相応しい者
彼女こそ最も公爵令嬢としてふさわしい。
彼女こそ最も祝福されるべき。
彼女こそこの物語のヒロインにふさわしい。
けれど、私の悟りがあまりにも遅かった。
私のすべての悪意が、すでに彼女に襲いかかっていたのだ 。
6か月ほど前 、私は王国の盛大な神楽祭りに参加した。それは祭りといっても実は領地管理のテストでもあった。参加者は王の意思によってそれぞれ違う領地へと配属され、領地の何らかの問題を解決するためにしばらく領地を管理することになる。管理した領地の問題を解決するか、または領地をより一層繁栄させれば良い成績となる。
領地管理力を重んじたこの祭りは、女性の参加者が少ないとはいえ、そこで良い成績を取れれば王妃候補に選ばれることもよくある 。
平和に国を治めてきた我が国だからこそ、領地の管理力はなりよりも大事にされている。
私は参加者の中で、唯一学院の学生で、最も若い参加者でもあって、なんとこの祭りで抜きん出た成績を勝ち取り、ついにはトップで賢者の称号を手に入れた。賢者というのはメニア王国の王位継承者以外、もっとも優秀な才能を持つものの証である。
間違いなくそれを勝ち取った私が、未来の太子妃に最もふさわしい。
そんな幸せな幻想に浸りながら、私は王都へと戻ることにした。
長時間をかけるこの旅も、幸せでロマンチックな日々なってしまった。
戻ったらきっと私はカシリア殿下の隣に居られる。
馬車は走り、やがて待ち望んだ王都に辿り着いた。
しかし、運命とは常に薄情であり、期待すればするほど裏切られる。
私の帰りを待っていたのは、カシリア殿下と、エリナとの婚約のお知らせだった。
全ての期待が泡になり、
全ての喜びが呪いになり、
全ての幸せが幻想になった。
なるほど、つまりそういうことか。
最初の最初から全てが嘘だったのか。私という邪魔者を追い払うための言い訳か。
ならば最初から全て素直に言ってくれればいいじゃないか。
期待なんか、させなくてもいいじゃないか。
私のことが嫌いとか、一言言ってくれさえすれば、私はおとなしく消えていたのに・・・・・
どうしてこんなにもひどいことを・・・・
どういう心境で婚約締結の宴会に行ったのか、もう忘れてしまった。
ただ微笑みを作り出しながら、 知り合いの貴族と太子殿下と準太子妃の幸せを祈り、酒を飲み尽くす。
乾杯と言ってぶつかり合うグラスは、
幸せな幻想を潰し、起きようとも起きられない夢から私を呼び覚ました。
過去の欠片は心に刺し込み、痛みと苦しみに満ちたこの心臓に
わずかな血と肉を抉り出した。
すべてはワインに溶け込み、
私に飲み干されてしまった。
やがて少し酔ってしまい、崩れた夢を完璧な笑顔と真摯な祝福にしようとする。
普段あまり酒を飲まない私でも
今宵だけは酒に浸りたい。
今の私はもう公爵令嬢失格だった。
全てはエリナに奪われてしまった。
貴族達からの注目を奪われ、
カシリア殿下からの愛を奪われ、
準太子妃の地位を奪われ、
父上からの関心さえ奪われてしまった。
全てが知らずに知らずに少しずつ消えてしまった。
気がつけばもう自分には何も残っていなかった。
エリナ・・・・
全てはあなたのせいよ
あなたさえいなければ
私が幸せになれるというのに
あなたをこのまま生かすわけにはいかない
もう私はおしまいだ
ならば、最後まで私と共に地獄へ行ってもらおう
きっと私は狂ってしまったのだ。
闇の市場で私は毒薬を購入した。
飲めば朽ち果てるまで永遠に眠り続ける毒薬、眠り姫になるには最高の薬だ。
毒殺するために、私はそれを事前にワインの瓶に入れておいた。
準太子妃になったエリナは、間違いなく数え切れない宴会に招待される。その時自然に一杯飲ませれば、終わりだ。
今はただ二人きりになるタイミングを待つだけ。
エリナを殺して自分一人で生き残ることは考えていない。
ただ、私のこの特に生きていく意味を失った人生で、エリナの余生を奪おうと思っていたのだ。
待ちに待ったある日、エリナと父上、継母と一緒にある貴族の宴に参加した。けどなぜかエリナ一人が先に家に帰った。
きっとこれは神に授けられた二人きりになれるチャンスだ。
「エリナ、準太子妃おめでとう!私も祭りから帰ったばかりだから婚約宴会以外に、二人きりで飲むことはなかったようね。今日はまだ早いから二人だけで一杯飲みましょう」
私は優しく笑いエリナに誘うように声をかけた。
「あっ・・・ええ、うん、そうね」少し顔色が悪いようだけど、善良なエリナは断ることはしなかった。
邪魔が入らないように、私は事前にわざと使用人たちを立ち退かせた。
最後の舞台は庭園に設置されていた。
毒を入れたワインの瓶から私が二つのグラスに人生最後の酒を入れ、 朧月に照らされたグラスは血のような鮮やかな赤色を映した。
「さすがエリナ、前からあなたなら絶対にできると思っていたわ」完璧な笑顔を作り出した。
「ありがとう、リリス、私もこんなに幸せになれるなんて、思ってもいなかった」
「そうよ、これからもみんなで幸せに暮らしていきましょう」完璧な嘘をついた。
「ええ!みんな幸せで!」
「乾杯!」完璧の祝福を口にした。
軽くぶつかり合ったグラスは、 弔いの鐘を鳴らすように、庭園に響き渡る。
そして二人一緒にワインを口にし、一気に飲み干した。
完璧な謀殺だった。
これで私も、死ぬことになる。
けれど最後の最後まで見届けるために、私は口に含んだワインを半分しか飲み込まず、残りの半分はこっそりと服の袖に吐き出した。
間もなく、エリナは目まいでもしたかのように頭を手で支え、眠そうに目を閉じはじめた。
「ごめん、私、酔っちゃったかもしれ・・・」話の途中、エリナは気を失い、 テーブルに倒れた。
「さようなら、エリナ・・・」エリナの最後を見届けた私はふと安心した。
「怖がらないで、私もついて行ってあげるから」
もう少し酒を飲もうと思っていたけど、めまいがひどくて、テーブルに倒れて気を失ってしまった。
ごめんね。
エリナ。
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