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第3章

閑話 ケントルム公爵令嬢エフィーメラ

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 エフィーメラは、レカニス王国にある6つの公爵家のうち、3番目に大きな公爵家の娘として生まれた。
 自分を甘やかしてくれる優しい両親に大切にされ、何でも言う事を聞く使用人と侍女達にはかしずかれ、何不自由なく育ったエフィーメラは、何でも持っていた。

 豪華で綺麗な広い部屋に見合う調度品も、可愛いドレスと装飾品も、ただ一言両親に、「欲しいものがあるの」と言っておねだりすれば、何でも買ってもらえる。
 金銭と引き換えにできるもので、手に入れられないものは何もない。
 それがエフィーメラの『当たり前』だった。

 しかし、そんなエフィーメラにも手に入らないものはあった。
 それは姉だ。自分を都合よく構ってくれる、都合のいい性格の、都合のいい容姿をした、都合のいい姉。
 エフィーメラはそんな姉が欲しかった。
 だが、実際のエフィーメラの姉は、エフィーメラの理想とは真逆の存在で、いつもいつもエフィーメラの神経を逆撫でしてくる。

 2つ年上で母親違いの姉・プリムローズは、同性であるエフィーメラの目から見ても、目の覚めるような美しい容姿をしていた。
 透けるような白い肌。愛らしい小さな顔。ぱっちりとした二重の瞳。ほどよい厚みを持った珊瑚のような唇。
 緩やかに波打つ燃えるような真紅の髪と、宝石のような深緑色の目が、元から整っている容姿を一層華やかに見せ、魔力の高さゆえに持つ黄金色の右目は、いっそ神秘的ですらあった。

 何もかもが、姉の元からの美しさを更に際立たせている。
 父と同じ、地味な焦げ茶色の髪と琥珀色の目しか持っていない自分とは大違い。
 だからエフィーメラは、そんな姉の事をずっと妬ましく思っていた。

 おまけに姉は、エフィーメラと2つしか違わないのに、恐ろしく頭がよかった。
 姉は、普段は父も近付かない屋敷の図書室にいつも入り浸って、挿絵もない、なにが書いてあるのかさっぱり分からないような、難しい本を黙々と読んでいる。

 そんな出来のいい姉が腹立たしくて鬱陶しくて、廊下ですれ違いざまに転ばせてやろうと足を出したが、いとも容易く躱された挙句、射殺すような目で睨まれて、エフィーメラは自分の部屋に泣きながら逃げ帰る羽目になった。
 もし、両親が姉を疎む事なく、エフィーメラと同じように可愛がっていたら、エフィーメラは嫉妬で頭がおかしくなってしまっていたかも知れない。

 エフィーメラが物心ついた時から、姉は屋敷の中で孤立していた。
 自分と違って両親から愛されず、使用人や侍女からも軽んじられ、寄り添ってくれる人間などどこにもいない。
 にも関わらず、姉はいつも涼しい顔で背筋を伸ばして立っている。

 何に媚びる事も臆する事もない、幼くも凛とした淑女の姿がそこにあった。
 そんな姉が、この国で一番偉い王子様の婚約者にまで選ばれた、と聞いた時、エフィーメラがどれほど腸の煮えくり返る思いを抱えたか、きっと姉は欠片も理解できなかっただろう。

 エフィーメラと違って何にも恵まれず、エフィーメラと比べてろくなものを持っていないのに。
 なのに姉は、エフィーメラには逆立ちしても手に入れられないものを幾つも持っている。
 その事実がただ羨ましくて妬ましく、そして憎らしかった。


 そんな毎日に転機が訪れたのは、エフィーメラが8つになった時の事。
 エフィーメラにとって目の上のこぶとも言える姉が、国を滅ぼす悪魔の烙印を捺され、第2王子と共に王都を追放されたのだ。
 しかも、追放された姉の代わりに、自分に第1王子の婚約者としての立場が巡ってきた。

 天にも昇る思いというのは、きっとこういう事を言うに違いない。
 エフィーメラは、これでもっと幸せになれると思ったが、その考えとは裏腹に、その日を境に何もかもが上手くいかなくなった。

 喜び勇んで城へ行けば、肝心の婚約者の王子には全く会えず、ようやく顔を合わせられたかと思えば、理不尽に殴られる。
 それを理由に屋敷へ泣いて帰っても、母と父は病に倒れて構ってくれなくなり、いつもは姉の後ろについていく形で参加していた、よその家のお茶会でも、1人で参加した途端、あっという間に爪弾きにされ、それ以降、お茶会の招待状は届かなくなった。

 エフィーメラはただ、よその家の令嬢や令息達に色々な事を話しただけだ。
 これまで姉と付き合いがあったらしい何人かに、姉がいかにろくでもない人間なのか教えてあげようと思い立ち、盛りに盛った姉の悪口雑言を並べ立て、嫌味でずるい姉が、悪魔呼ばわりされて王都から追い出されて清々した、という事を、ニコニコ笑って楽しく話しただけだったのに、一体なにが悪かったのか。

 疎外される理由が分からないエフィーメラは、きっとみんな、第1王子の婚約者になった自分を妬んで、仲間外れにしているのだろうと、内心で憤慨するばかりだった。

 そこから更に悪い事は続く。
 病から快復したはずの両親は、得体の知れない包帯まみれの姿で現れ、その後、早朝に起こされて馬車に乗せられたかと思えば、暴徒達に襲撃されて両親とはぐれ、ふと目覚めれば、どことも知れない場所に転がされていた。
 薄暗くカビ臭い、冷たい石畳と石壁、金属の檻で囲われた気味の悪い場所だ。
 そこでエフィーメラを待っていたのは、人の心をどこまでも容赦なく踏みにじる、残酷な悪党達だった。

 少しでも口答えすれば、蹴られ、殴られ、鞭打たれる。
 その合間に浴びせられるのは、理不尽な嘲笑と暴言。
 無理矢理押さえ付けられ、遊び半分で首を締められた事さえある。
 この世の地獄がそこにあった。

 その後、やっとの思いで奴隷商の元から逃げ出し、貧民街に身を寄せたが、すぐにそこも追い出され、居場所がなくなったエフィーメラは、他の奴隷仲間や貧民街の元の住民達と共に、やむなく王都を離れた。

 寒さと疲労、空腹に苦しみながら、それでも互いに励まし合い、支え合いながら、ひたすら歩き続けること数日。
 やがて、以前話に聞かされていた北の国境近くの山――恐らく姉が最後を迎えたであろう山のふもとに到達した所で、エフィーメラはついに倒れて意識を失った。
 ああ、自分はここで死ぬのだと、内心で覚悟しながら。


 倒れたエフィーメラは、夢の中で何かに追われていた。
 それは、母のドレスと父の服を着た、全身が赤黒いイボのようなもので覆われている醜悪な『何か』だ。
 あまりの恐ろしさに声も出ないまま、エフィーメラは必死に逃げたが、すぐに追いつかれてしまう。

 ――こっチへ来なサい、エふィーメら。いイ子だカら。

 ――そウだ、お前も堕ちテ来い。オ前は、私達ノ娘ダろう。

 ――ソうよ、お前ダけ助かるナんて、認メなイわ……!

 その『何か』は父と母の声を借り、恐ろしい事を言いながらエフィーメラの手足を掴んで、どこかへ引きずって行こうとする。

(嫌! 助けて! 誰か……っ、お姉様……!)

 エフィーメラが思わずそう願った瞬間。
 正面から眩しい光の波が一気に押し寄せてきて、もがくエフィーメラと、エフィーメラの手足を掴む『何か』を飲み込んだ。

 ――ぎゃアああァあぁアあッ!

 ――グあぁあアあァああアッ!

 エフィーメラは何ともなかったが、父母の姿をした『何か』にとっては耐えがたいものだったのだろう。その『何か』は、聞き苦しい悲鳴を上げながら光の波に呑まれて攫われ、そのままどこかへと消えていった。
 その様を茫然と見ていると、また意識が遠くなって、勝手に瞼が閉じていく。

 一度水底に沈んだ身体が浮き上がるように、急激に意識が覚醒する。
 まだ重い瞼をノロノロと開けた直後。
 エフィーメラは目の前に懐かしい顔を見た。

 かつてはあれほど嫌っていた、綺麗で妬ましい姉の顔。
 だが、なぜか今のエフィーメラにはその姉の顔が、何より尊く麗しい、光を纏う清廉な女神のように見えた。

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