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第1章 嘘つきニケ

第10話 出立

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 慌てて夜中に荷物をまとめたニケだったが、思った以上に何も持っていなかった。

 半人前の薬師なので自分専用の薬箱も無く、服も誰かのおさがりを二着くらいしか持っていない。

 時計を見ると、とっくに真夜中を超えていた。

 子どもたちの寝顔をもう一度見て、その隣で布団に横になると、どっと疲れが押し寄せてくる。目をつぶると、一瞬のうちに眠ってしまった。

「ニケー! 起きろよ!」

「んーうるさいなぁ、今日は薬所お休みでしょ。もう少し……」

「あっ、シオン様だ!」

 その声にニケは飛び起きた。

「えっ、シオン!?」

「はっはー! ニケのばか、だまされてやんのー!」

 子どもたちはそう言ってぎゃーぎゃー騒ぎはじめる。ニケはだまして起こしてきた子どもをとっ捕まえると、くすぐり攻撃をした。

 朝からニケと子どもたちの楽しそうな声が薬所に響いた。

「あっ、シオン様だ!」

「今度はだまされないんだからね。捕まえた!」

 くすぐっていると、他の子たちがニケの服を引っ張る。「シオン様、本当!」と言われて入り口を見ると、そこにはシオンが立っていた。

「あっ……と、えっとこれはその……」

 ニケはその場で固まる。

「ずいぶんと楽しそうだな。準備できたら行くぞ。あと、ノックはしたからな」

 シオンはふと笑うと、部屋から出て行った。

 ニケは恥ずかしくて顔を真っ赤にして、そしてそれをまた子どもたちに散々からかわれた。

 朝食はいつも通りにぎやかで、食べ終わると、ニケは荷物を確認する。

 ニケが唯一大事に持っていたものは小さな日記で、そこに今まで学んだことが全部書いてあった。

 それをしっかりと鞄に入れると、ニケは精霊の森まで走っていった。

「――チイ、ビイ!」

 走ってくるニケを待っていたかのように、二人はそこにすでにいた。手を伸ばすと飛んできてニケにじゃれつく。

 視線を感じて見ると、そこには昨日、毒キノコにあたってしまった精霊もいた。

「あ。元気になった? もう大丈夫? お腹痛くない?」

『ニーケー。この町の守護精霊様だぞー』

 チイが意地悪な声でそう伝えてくる。守護精霊とは、精霊樹を守る役目のある一番力の強い精霊だ。

 ニケは「え?」と口をぽかんと開けたまま、狸のような姿の精霊を見つめて固まった。

『良いのだよ。この少女は救ってくれたからの。少女よ、行くのか?』

 守護精霊《しゅごせいれい》が、ニケの前に進み出て座った。ニケも思わず正座をして向かい合う。

「あ、はい。シオンと一緒に行きます」

『ニケ行っちゃうの、寂しいよ』

『また戻ってくる?』

 チイとビイがニケの膝の上で首をかしげる。ニケは、たまらなくなって二人を掴むと、ぎゅっと抱きしめた。

『わ、ニケ苦しい!』

「チイ、ビイ、友達でいてくれてありがとう」

 ニケは大きく息を吸い込んで、太陽と森の香りがする二人に頬を寄せた。二人も、目をつぶって、ニケにほおずりする。

『僕たちはずっと一緒だ』

 二人がするりとニケの腕から抜ける。そして、守護精霊の頭の上にとまりなおした。

『少女よ、祝福を授けよう。わしの角に両手で触れよ』

 ニケは言われた通り、守護精霊の古びた一本角に恐る恐る触れた。

 ――瞬間。

 精霊三人からとつじょ猛烈な勢いで草花が伸びだして、ニケの肘まですっぽりと包み込まれる。ぐんぐんと成長したそれは、見る見るうちに花を咲かせて光る粉を散らして爆ぜた。

 手を離していいと言われて、見ると、光る粉がまだキラキラとニケの腕についている。その一つが右手の甲に入り込むと、蔦模様を描いて光って消えた。

『道中、気を付けてな』

 守護精霊が、笑うかのように目を細めた。

『ニケ、大好きだよ』

 チイとビイが、名残惜しそうにニケに近寄って、身を擦り寄せてきた。

「私も大好きだよ。二人とも大好き。守護精霊《しゅごせいれい》様、ありがとう。私、行ってくる。立派な薬師《くすし》になってくる」

 ニケは、チイとビイともう一度抱き合うと、森を後にした。

 *

 薬所《やくしょ》に戻ると、入り口の外にはすでに荷物を背負ったシオンがいて、子どもたちが見送りのために彼の周りを囲っていた。

「ニケ、どこ行って」

「ごめんロン、ちょっと森に! シオン、ごめんお待たせ!」

 そう言うと、ロンのげんこつがニケの頭に飛んでくる。

「シオン様、だろニケ。まったく、お別れ前なのに怒らせるなよ」

 ロンは困ったやつだと笑いながら、ニケに手紙を差し出す。昨晩見た、師匠が書いた手紙だった。

「え、いいの、これもらって?」

「うん。ニケのことを知る手掛かりになるかもしれないから。気を付けて行ってくるんだぞ。くれぐれも、シオン様のいうことを聞いて、人にも患者にも優しく自分には厳しく……」

 分かったよ、とニケがそのロンを止めた。もう何百回となく聞いたロンのそのセリフが懐かしい。

 ニケは、ロンに飛びついた。ロンも、一瞬驚いた顔をした後に、彼女を抱きしめた。すると、小さい子たちが「ニケ!」と言いながらいっせいにニケに飛びついてきた。

 ニケはかがみこむと一人ひとりを抱きしめて頭を撫でる。

「みんな、元気でね。風邪ひかないでね。お腹出して寝ちゃだめだからね。あれ、なんか私ロンみたいに口うるさいこと言って……痛いっ! ロン、げんこつ嫌だってば!」

 みんながそのやりとりに笑う。ニケは立ち上がると、服を正した。そして、シオンを見る。シオンは行こう、とほほ笑んだ。

 みんなが薬所の前で大きく手を振っていた。ばいばーいという声が追ってくる。見えなくなるまで手を振って、そして、角を曲がると、本当にその姿が見えなくなった。

 しばらく、ニケはシオンと並んで、黙って歩いた。

 町の出口まではすぐそこで、そこに一人の人物が立って腕組みをしていた。

「……ビビ?」

 ニケは足を一瞬止めて、そしてビビに駆け寄った。

「ビビ、見送り来てくれたの?」

「勘違いしないでよ。あんたの事なんか大っ嫌いなの。本当なら私が行くはずだったのになんでニケなんかが……」

 ビビはニケをにらんだ。思わずニケが一歩後ずさる。

「あ、えっとごめん、色々」

「ふん。いいわよ、別に」

 それよりこれ。そう言って、ビビが差し出したのは、師匠が身に着けていた大きな魔法石が埋め込まれた首飾りだった。

「これ、持ってきちゃったの!?」

「あんたが一番師匠と長くいたんだから、これくらい持って行ってもいいんじゃないの。薬所《やくしょ》には形見はいっぱいあるけど、あんたは出て行っちゃうから見れないし」

 ニケはそれを見つめてぎゅっと握ると、首から掛けた。

「ありがとう、わざわざ」

「いいわよ。ニケが勝手に持ち出したって言うから」

 ニケはそれには困った顔をしたが、気を取り直すとビビに抱きついた。

「わ、ニケ恥ずかしいから離れなさいよ!」

「ビビ、ありがと。またね」

 ふん、とビビは鼻を鳴らす。ニケはビビから離れると、大きく手を振った。

「また帰ってくるね、元気でね!」

 ビビはもう一度ツンとした顔で笑った。ニケは、シオンに向き直って「お待たせ」と言うと、二人で歩きだした。

 町を出て、新しい世界の広がる道をニケは歩き始めた。
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