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第4章 精霊狩り
第33話 新薬の効能
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そもそも、人と精霊の均衡というのは、細い糸でできたつり橋のように危ういものだ。そのつり橋が国や町という形でいくつもつくられ、増え、それによって、この世界自体が絶妙な状態を保っている。
「この薬は、世界中の人間を救う一歩になるはずなんだ」
フォッサ王は疲れ切ったような顔をしながらも、ニケにそう話していた。結局ニケはその場から逃げられないまま、話を聞くことしかできない。
「聞いたかもしれないが、これを摂取した人間は、身体の傷や疲れの回復が著しい。このまま改良を加えていけば、〈竜の患い熱〉の患者にだって、効果が出るかもしれないんだ」
「試したの?」
それに王はうなずく。ニケは身を乗り出した。
「一時は回復した。身体から熱が引き、意識も戻った。しかし、それでも救えなかった」
「でも、可能性はある……」
それは、すこぶる良い知らせだ。不治の病とされる〈竜の患い熱〉の治療法は、十年以上たった今でも効果がある薬の開発が進まず、いまだに人の心に暗い影を落としている。
その薬が精霊の生命を脅かしてでないと造れないのが難解だが、一つのとっかかりとしては大いに進展があった。
「薬師よ、精霊になぜ、〈竜の患い熱〉が効かないと思う?」
ニケは、そんなこと考えたこともなかったと、目を瞬かせた。
「そこに立つ薬師のウァールの受け売りだがな、精霊には元々、〈竜の患い熱〉に対する免疫があるんじゃないかという仮説だ。体の中に、その抗体か何かがあれば、精霊は罹らない。しかし、人間にはそれがなかったとしたら……?」
「人間にしか、罹らないってことね。だから、精霊から薬を造って試したの?」
ニケは、王ではなくて隣に佇んでいるウァールという薬師に向き直った。
「そうだ。今まで誰もして来なかったことをするしか、もう治療法は無いんだと俺は思っている。精霊の持つどの成分に病に対抗する力があるか分からない。けれども、精霊自体を身体に取り込めば、それが抗体になる可能性がある」
ウァールは気の弱そうな見た目とは裏腹に、その心の中には何か黒いものが渦巻いているような感覚をニケは感じた。
「これが事実だとしたら、人はこれより先、精霊を多く狩るようになるだろう」
王の言葉に、ニケは心臓を氷の刃で削がれたような気分になった。
「実際に、〈竜の患い熱〉が流行して以来、人と精霊の断交が増えた。精霊を恐れる人間が増えたんだ。そういう人間は、私も含めてだが、この病が精霊による人殺しだと考えている」
「そんな、精霊が人を殺すなんてことありえない!」
ニケの叫びに、「でも実際に人は死んでいる」と王の静かな声が覆いかぶさった。
「精霊のせいで患うと断言できるのであれば、人はそれらを排除しようとして、争いが起きるだろう。精霊によって殺される人々を救わず、その原因となる精霊を、それでも君は薬師として救おうと思うのか?」
ニケは急に不安になった。考えたこともないようなことが、目の前で次々と起きている。理解はできたのだが、気持ちが追いついていかなかった。
「そんな……」
「精霊は増えすぎたんだ。人間が今ここで、力を蓄えなくては、いずれ精霊たちに殺される。そうなる前に、薬の開発さえできれば、それは争いの抑止力にもつながる」
伝聞師のハミルが、政治的な問題も絡んでいそうだと言っていたのが、ニケの頭をよぎった。ハミルが言っていたよりも、ニケの想像よりもはるかに大きな流れの中に、今ニケは放り込まれていた。
「今ここで造れれば、無駄な争いも起きなくて済む。何かを得るためには、それ相応の犠牲が必要だ。それが、今回は精霊の命だというだけだ。これが失敗すれば、精霊殺しの王として私は後世に名を刻むことになる。しかしうまくいけば、人々を救った王と呼ばれる」
ニケは唾をごくりと飲み込んだ。
「君は知りすぎてしまった。もう手を引くことは許されない。ここで逃げるようなら、行先は牢屋になる。新薬の製造に成功すれば陽の光の中に戻れるが、失敗したときは一生暗闇の中で過ごしてもらうことになる。そうならない唯一の選択は、私たちに力を貸すことだ。分かったね?」
「最初から、そのつもりだったんでしょ?」
王はふ、と表情を緩めた。そこに浮かぶのは、強い使命感だった。
「そうだ。ウァールが、これほどよく見える魔力の子は珍しいというもんだからね」
ニケは黙って知らんぷりをしているウァールをにらんだ。そうにらむなよとでも言いたそうに、ウァールはニケを見下ろしながら肩をすくめる。
「明日、一緒に来てもらう。拒否権はない」
二人はその場を後にした。
残されたニケは、どうしようもできなくて、ただただそこでじっと座ったまま考え込んでいた。
「どうしよう。シオン、師匠」
ニケのつぶやきは、空高く上がった月の光にさらさらと消えてしまった。
「この薬は、世界中の人間を救う一歩になるはずなんだ」
フォッサ王は疲れ切ったような顔をしながらも、ニケにそう話していた。結局ニケはその場から逃げられないまま、話を聞くことしかできない。
「聞いたかもしれないが、これを摂取した人間は、身体の傷や疲れの回復が著しい。このまま改良を加えていけば、〈竜の患い熱〉の患者にだって、効果が出るかもしれないんだ」
「試したの?」
それに王はうなずく。ニケは身を乗り出した。
「一時は回復した。身体から熱が引き、意識も戻った。しかし、それでも救えなかった」
「でも、可能性はある……」
それは、すこぶる良い知らせだ。不治の病とされる〈竜の患い熱〉の治療法は、十年以上たった今でも効果がある薬の開発が進まず、いまだに人の心に暗い影を落としている。
その薬が精霊の生命を脅かしてでないと造れないのが難解だが、一つのとっかかりとしては大いに進展があった。
「薬師よ、精霊になぜ、〈竜の患い熱〉が効かないと思う?」
ニケは、そんなこと考えたこともなかったと、目を瞬かせた。
「そこに立つ薬師のウァールの受け売りだがな、精霊には元々、〈竜の患い熱〉に対する免疫があるんじゃないかという仮説だ。体の中に、その抗体か何かがあれば、精霊は罹らない。しかし、人間にはそれがなかったとしたら……?」
「人間にしか、罹らないってことね。だから、精霊から薬を造って試したの?」
ニケは、王ではなくて隣に佇んでいるウァールという薬師に向き直った。
「そうだ。今まで誰もして来なかったことをするしか、もう治療法は無いんだと俺は思っている。精霊の持つどの成分に病に対抗する力があるか分からない。けれども、精霊自体を身体に取り込めば、それが抗体になる可能性がある」
ウァールは気の弱そうな見た目とは裏腹に、その心の中には何か黒いものが渦巻いているような感覚をニケは感じた。
「これが事実だとしたら、人はこれより先、精霊を多く狩るようになるだろう」
王の言葉に、ニケは心臓を氷の刃で削がれたような気分になった。
「実際に、〈竜の患い熱〉が流行して以来、人と精霊の断交が増えた。精霊を恐れる人間が増えたんだ。そういう人間は、私も含めてだが、この病が精霊による人殺しだと考えている」
「そんな、精霊が人を殺すなんてことありえない!」
ニケの叫びに、「でも実際に人は死んでいる」と王の静かな声が覆いかぶさった。
「精霊のせいで患うと断言できるのであれば、人はそれらを排除しようとして、争いが起きるだろう。精霊によって殺される人々を救わず、その原因となる精霊を、それでも君は薬師として救おうと思うのか?」
ニケは急に不安になった。考えたこともないようなことが、目の前で次々と起きている。理解はできたのだが、気持ちが追いついていかなかった。
「そんな……」
「精霊は増えすぎたんだ。人間が今ここで、力を蓄えなくては、いずれ精霊たちに殺される。そうなる前に、薬の開発さえできれば、それは争いの抑止力にもつながる」
伝聞師のハミルが、政治的な問題も絡んでいそうだと言っていたのが、ニケの頭をよぎった。ハミルが言っていたよりも、ニケの想像よりもはるかに大きな流れの中に、今ニケは放り込まれていた。
「今ここで造れれば、無駄な争いも起きなくて済む。何かを得るためには、それ相応の犠牲が必要だ。それが、今回は精霊の命だというだけだ。これが失敗すれば、精霊殺しの王として私は後世に名を刻むことになる。しかしうまくいけば、人々を救った王と呼ばれる」
ニケは唾をごくりと飲み込んだ。
「君は知りすぎてしまった。もう手を引くことは許されない。ここで逃げるようなら、行先は牢屋になる。新薬の製造に成功すれば陽の光の中に戻れるが、失敗したときは一生暗闇の中で過ごしてもらうことになる。そうならない唯一の選択は、私たちに力を貸すことだ。分かったね?」
「最初から、そのつもりだったんでしょ?」
王はふ、と表情を緩めた。そこに浮かぶのは、強い使命感だった。
「そうだ。ウァールが、これほどよく見える魔力の子は珍しいというもんだからね」
ニケは黙って知らんぷりをしているウァールをにらんだ。そうにらむなよとでも言いたそうに、ウァールはニケを見下ろしながら肩をすくめる。
「明日、一緒に来てもらう。拒否権はない」
二人はその場を後にした。
残されたニケは、どうしようもできなくて、ただただそこでじっと座ったまま考え込んでいた。
「どうしよう。シオン、師匠」
ニケのつぶやきは、空高く上がった月の光にさらさらと消えてしまった。
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