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第1章
第4話 甘い
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「手を洗いたいのだが」
オーダーを席に届け終わった芽生の目の前に、鬼社長が突如現れた。切れ長二重の整った顔立ちが目前に現れたのに、別の意味で芽生は思わず心臓が止まりそうになった。
「あ、お化粧室ならこちらの奥です……」
「ありがとう」
(うっわ、びっくり! あんなにきれいな顔だったのね)
女子社員が騒ぐのも分かる、と芽生は一人納得していた。スマートな聞き方、上質なスーツ、革の靴はピカピカに磨かれている。まるで一つも隙のない大人の男という感じだった。
「ま、大丈夫よね。私、会社では地味だし」
芽生が片付いたテーブルを布巾とアルコールで拭いていると、大きな影が現れる。振り返ると、鬼社長の涼音が立っていた。
「あ……と、どうされました? ご注文の品まだでしたか?」
芽生が慌てると、顎を急につかまれる。ぐい、と顔を寄せてくると、ふさふさで長いまつ毛の奥の瞳がじっと芽生を見つめた。
「――お前、うちの会社の人間だな?」
「えっと……」
芽生は目を泳がせる。
「名前は確か、折茂芽生。総務部だ」
(……あ、もう完全にばれてるこれ)
名前を、しかもフルネームで言い当てられてしまっては、逃げ場が全くない。芽生は泳がせていた視線を、涼音に戻した。
「俺が、社員の顔と名前を覚えていないとでも思ったか? ――甘いな」
冷や汗を垂らす芽生を見て、ふと、涼音が勝気な笑顔を見せた。芽生はそれを見ると、逃げ出そうとするのをやめて、顎を持たれた手を外した。
「そうです……折茂です」
時刻は、閉店の三十分前。ラストオーダーを取りにまわるところだった。店には涼音たちの一行と、もう一組カップルがいるだけで、この様子に気がついている者は誰一人としていない。
「折茂芽生、なんで、ここで働いているんだ?」
「後で話しますから。今は仕事中なので……。ラストオーダー伺いますね」
「今、言え。俺を後回しにするなんていい度胸だなお前」
(何この人、めっちゃ上から目線!)
芽生は涼音のその言い方にカチンときた。
「仕事優先なんです、私は」
「へえ、会社の規定を知っていてそれを言ってるなら、命知らずだな。俺の会社を優先せずに、このバイトを優先するっていうのか?」
「そんなこと言っていません。それに、会社の仕事はきちんとやっています」
それは知っている、と涼音はあっさりとうなずいた。それに芽生は驚く。なんで、と顔に書いてあったのが丸見えなのか、涼音が面白そうに笑った。
「早川からの報告書はきちんと読んでいるからな。お前が優秀だということくらい分かっている。その優秀なお前が、ここで働く理由はなんだ?」
芽生がどうしようかと迷っていると、二人に気がついた真鍋が心配して駆けつけてきた。
「あの……お客様。何かありましたか?」
「ああ……いや。なんでもないよ」
涼音はにやりと笑うと、席に戻っていく。真鍋が芽生を心配そうに見た。この居酒屋では、芽生のダブルワークが禁止なのは誰もが承知の事実だった。
「鍋ちゃん、大丈夫。有紀君にはまだ言わないでね。自分で、対処できるところまではやってみるから」
「わかりました……でも、無理しないでくださいよね」
「うん。ラストオーダー取りに行ってくるから、八番テーブル行ってきてくれる?」
「はい」
芽生は、気を引き締めると、ラストオーダーを聞きに向かった。
オーダーを席に届け終わった芽生の目の前に、鬼社長が突如現れた。切れ長二重の整った顔立ちが目前に現れたのに、別の意味で芽生は思わず心臓が止まりそうになった。
「あ、お化粧室ならこちらの奥です……」
「ありがとう」
(うっわ、びっくり! あんなにきれいな顔だったのね)
女子社員が騒ぐのも分かる、と芽生は一人納得していた。スマートな聞き方、上質なスーツ、革の靴はピカピカに磨かれている。まるで一つも隙のない大人の男という感じだった。
「ま、大丈夫よね。私、会社では地味だし」
芽生が片付いたテーブルを布巾とアルコールで拭いていると、大きな影が現れる。振り返ると、鬼社長の涼音が立っていた。
「あ……と、どうされました? ご注文の品まだでしたか?」
芽生が慌てると、顎を急につかまれる。ぐい、と顔を寄せてくると、ふさふさで長いまつ毛の奥の瞳がじっと芽生を見つめた。
「――お前、うちの会社の人間だな?」
「えっと……」
芽生は目を泳がせる。
「名前は確か、折茂芽生。総務部だ」
(……あ、もう完全にばれてるこれ)
名前を、しかもフルネームで言い当てられてしまっては、逃げ場が全くない。芽生は泳がせていた視線を、涼音に戻した。
「俺が、社員の顔と名前を覚えていないとでも思ったか? ――甘いな」
冷や汗を垂らす芽生を見て、ふと、涼音が勝気な笑顔を見せた。芽生はそれを見ると、逃げ出そうとするのをやめて、顎を持たれた手を外した。
「そうです……折茂です」
時刻は、閉店の三十分前。ラストオーダーを取りにまわるところだった。店には涼音たちの一行と、もう一組カップルがいるだけで、この様子に気がついている者は誰一人としていない。
「折茂芽生、なんで、ここで働いているんだ?」
「後で話しますから。今は仕事中なので……。ラストオーダー伺いますね」
「今、言え。俺を後回しにするなんていい度胸だなお前」
(何この人、めっちゃ上から目線!)
芽生は涼音のその言い方にカチンときた。
「仕事優先なんです、私は」
「へえ、会社の規定を知っていてそれを言ってるなら、命知らずだな。俺の会社を優先せずに、このバイトを優先するっていうのか?」
「そんなこと言っていません。それに、会社の仕事はきちんとやっています」
それは知っている、と涼音はあっさりとうなずいた。それに芽生は驚く。なんで、と顔に書いてあったのが丸見えなのか、涼音が面白そうに笑った。
「早川からの報告書はきちんと読んでいるからな。お前が優秀だということくらい分かっている。その優秀なお前が、ここで働く理由はなんだ?」
芽生がどうしようかと迷っていると、二人に気がついた真鍋が心配して駆けつけてきた。
「あの……お客様。何かありましたか?」
「ああ……いや。なんでもないよ」
涼音はにやりと笑うと、席に戻っていく。真鍋が芽生を心配そうに見た。この居酒屋では、芽生のダブルワークが禁止なのは誰もが承知の事実だった。
「鍋ちゃん、大丈夫。有紀君にはまだ言わないでね。自分で、対処できるところまではやってみるから」
「わかりました……でも、無理しないでくださいよね」
「うん。ラストオーダー取りに行ってくるから、八番テーブル行ってきてくれる?」
「はい」
芽生は、気を引き締めると、ラストオーダーを聞きに向かった。
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