伊勢山田奉行所物語

克全

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第1章:出会い

第12話:願い事と御恩

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「先ずは一献、ゆう、お酌を」

「はい、柘植様、どうぞ」

「うむ、頂こう」

 祖父である檜垣屋の隠居に言われて、孫娘のゆうが酒を勧める。
 柘植定之丞は遠慮せずに悠々と杯に灘の名酒を受ける。
 定之丞の前には伊勢山海の珍味がこれでもかと並べられている。

「柘植様、届出を御裁可にまで導いてくださった事、改めてお礼申し上げさせていただきます、ありがとうございました」

「俺は少し知恵を出しただけで、実際に動いてくださったのは、父上と始めとした支配組頭七人衆の方々だ。
 世話役は父上と決まったが、他の方々にも手落ちにないようにしろ。
 隠居なら分かっているだろうが、男の嫉妬ほど汚いものはないぞ」

「はい、心得てございます。
 お頭衆の皆さまには、既に息子と一緒にご挨拶に伺わせていただいております。
 もう一度改めでご挨拶に伺わせていただく所存です」

「そうしておけ。
 三方年寄衆が巻き返しに動くはずだ。
 番頭の与力を抱き込むのはもちろん、支配組頭七人衆の方々を切り崩そうとするに違いない
 油断していると足元をすくわれるぞ」

「御忠告、肝に銘じます。
 息子の富徳にも厳しく言い聞かせておきます」

「うむ」

「ところで柘植様、何かご入用の物はありませんか。
 この度の御助言は、並大抵のお礼ではお返ししきれません。
 何なりとお申し付けください」

「欲しいものか、では一つ聞いてもらいたい事がある」

「はい、何でしょうか」

「私が絡んでいるとは絶対に漏らさず、噂を広めてもらいたい」

「はぁ、噂でございますか。
 役目に必要な御用金でも物でもなく、単なる噂でございますか」

「単なる噂ではない。
 出所が知られてしまったら、厳しいお咎めがある危険な噂だ」

「そのような危険な噂を私に任せてくださるのですか」

「これでも柘植の跡継ぎだ、生まれた時から鍛えられている。
 武芸百般だけでなく観相術も極めている」

「あ、柘植様は伊賀のご出身でございましたな」

「先祖が北畠に仕えたのでな、その縁で寛永の頃にここに派遣される事になった。
 それで、恩を返す気があるのか」

「はい、恩返しをさせていただく気は十分にございます。
 しかしながら、恩を仇で返す事になってはいけません。
 どのような噂なのかを教えていただくまでは、容易く広めるとは申せません」

「そうか、ならば聞かせてやろう。
 私が流して欲しい噂は、癩病を船に乗せたら豊漁になるというものだ」

「は、癩病を船に乗せたら豊漁になる、ですか」

 余りに突拍子もない話に、隠居は無礼になりかねない驚きの声をあげた。
 酌をするために定之丞の側に侍っていたゆうも、驚愕の表情で固まっていた。

 一番最初にゆうが願って小林海太郎に動いてもらった事なので、その驚きはとてつもなかった。

「東国の誰かが、哀れな癩病を救うために流したのが、お伊勢様に詣でたら癩病が治ると言う噂だ。
 それは人として素晴らしい事だが、神領には迷惑でしかないし、奉行所にとっても取り締まるしかない事だ。
 その両方を何とかするには、神領に入らなくても癩病が生きていける仕組みを作るしかない」

「それが、漁船に乗せれば豊漁になると言う噂なのですね」

「そうだ、奉行所の役目は鳥羽湊の警備と船改めだけではない。
 伊勢南海沖に異国船が近づかないようにするのはもちろん、江戸への下り船が抜け荷をしていないように改める事も役目の一つだ。
 一旦豊漁になると言う噂を聞いて乗せた癩病を、不漁だからと言って、殺して海に捨てる事の無いように、取り締まることができる」

「そこまで考えておられるのでしたら、間違っても柘植様が疑われないようにして、噂を流させていただきます。
 一つだけお聞かせ願いたいのですが、この知恵は、癩病を救いたいと言った孫娘のために考えてくだあったのでしょうか」

「正しく尊い願いだったのでな」

 固まっていたゆうの目が大きく見開かれた。

「それでは先にお借りしたお知恵のお礼とは申せません。
 本当に何か欲しいものはないのですか。
 どのような事でも叶えさせていただきます」

「では貸しにしておくから、何かあった時に手を貸してくれ」

「承りました。
 伊勢乞食の取り締まりだけでなく、新たな檀家を手に入れる知恵まで授けてくださり、更に孫娘の願いにまで知恵を授けてくださったご恩は末代まで忘れません」
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