伊勢山田奉行所物語

克全

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第2章:ハンセン氏病

第14話:恋心

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「よくぞおいでくださいました。
 さあ、こちらえ、どうぞ遠慮なさらず、此方にいらしてください」

 顔を紅潮させた檜垣屋のゆうが、手を触れんばかりに裏庭の茶庵に案内するのは、山田奉行所で見習支配組頭を務める柘植定之丞だった。

 二人は行き倒れになった癩病の一件から急速に仲良くなり、檜垣屋の隠居と当主は、ゆうを柘植家の嫁に出すのか、定之丞を婿に向かえるのか頭を悩ませていた。

 だが祖父と父親の悩みなど関係なく、ゆうは柘植定之丞に心を奪われていた。
 先に恋心を抱いた小林海太郎は、仲が良くなるに従って言動に欲が現われた。

 恋している時には分からなかったが、今思えば最低の男だった。
 何かにつけて町衆から付け届けを要求する。
 お伊勢参りの参詣者にも横柄に振るまう、御師宿には相応しくない人間だった。

 一方定之丞は、自ら町衆に金銭を要求したことは一度もなかった。
 むしろ自分ではなく他所に持って行くように助言してくれる人柄だった。

「定之丞様、この築山から見る夕日がきれいなのですよ」

 柘植定之丞の手を引かんばかりに急いで裏庭に案内したゆうは、息を弾ませて低い築山に駆けのぼった。

 汗を光らせ息を弾ませる少女の表情は光り輝いていた。
 御師宿の娘として身嗜みを整えているゆうは、他の女達とは大きく違う。

 普通の少女たちは月に一度か二度しか髪を洗わない。
 日本髪を一度壊してしまうと結い直すのが大変なのだ。

 だがゆうは、巫女として神楽を舞う事が多く、毎朝冷水を浴びる斎戒沐浴をかかさないのだ。

 流石に古式通りに外宮の禊川、宮川では禊をしない。
 夜明け前に、八日市場小町と言われるゆうが人気のない所で水浴びでもしようものなら、誰が劣情をもよおして襲ってくるか分からない。

「本当だな、泉水に夕日が映えてとても美しい」

「今日はこの夕日を肴に、東屋の方でお飲みになりますか」

「そうだな、陽が沈んだら月を見ながら酒を飲むのも良いだろう」

 少し離れた場所から二人の様子を見ていた女中が、急いで茶庵の方に用意していた懐石と酒を東屋に運ぼうとした。

「食事は茶庵でとるから酒と肴だけでいい。
 まだ夜は冷える日がある、炉に火を入れておいてくれ。
 ゆうが身体を冷やして寝込みでもしたら大変だ」

「私は大丈夫でございます」

「私の言う通りにしなさい。
 ゆうは少々熱が出ても神楽を舞うと聞いた。
 私達は、神宮はもちろん、神宮に仕える人たちを護るのが役目だ。
 私をもてなすのに風邪をひかせるわけにはいかん」

「ありがとうございます」

 女中が急いで酒と肴だけを茶庵から東屋に移した。
 今日用意されている酒も灘から運ばれてきた名酒だ。

 幕府が造り酒屋にかける税は、作った酒の量による。
 だから造り酒屋はできるだけ酒精の強い酒を造る。

 それが樽廻船で運ばれ江戸で小売りされるまでに三倍にも四倍にも水増しされ、間に入った問屋や小売り酒屋の利益となる。

 原酒の酒精は二十パーセントなのに、小売り酒屋で売られている酒の酒精は五パーセント強だったりする。

 原酒のままだと琥珀色をしており、旨味、酸味、糖分の全てがあまりにも強く、美味しく飲める者は限られている。

 柘植定之丞はその限られた一人なのだが、どうしても酒が飲みたい中毒ではないので、勧められない限り無理に飲んだりはしない。

「ゆうも偶には御神酒を頂いたらどうだ。
 私も同じものを頂くから、遠慮には及ばない。
 いや、独りで飲むのも味気ないから、付き合ってくれ。
 女中、ゆうが飲み易いくらいの御神酒はあるか」

 最初の一献をグイと飲み干した定之丞は、少し離れた場所に控えている女中に声をかけた。

「はい、直ぐに」

 台所から遠く離れている裏庭にまで料理や酒を運ぶには少々時間がかかる。
 その間二人きりになった定之丞は、冷たくなったゆうの手を握って温めてやる。
 夢心地になったゆうの頭が、自然と定之丞の肩にかかる。

「柘植様、お待たせしてしまって申しわけありません」

 隠居は孫娘が定之丞の肩に頭を預けるのを見ても全く動じない。
 淡々と遅れた事の詫びを口にする。

「いや、ゆうにもてなしてもらっていた。
 隠居が来たのなら、抜け参りの人間を何人檀家にできたのか聞かせてもらおう。
 此方も網元に抱えられた癩病がどのような扱いを受けているか話そう」
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