壱人複名 船宿鯛仙捕物帳

克全

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第1章

第15話:仇と裏工作

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「今の月番は北町だから、一緒に届け出に行こう」

 衣服を火付け盗賊改め方与力に相応しく整えた勝三郎が、助けた姉妹に言う。
 影供が南町奉行所佐久間与力家に駆けて集めて来た、馬と供侍を従えて言う。

「何から何まで御世話いただき、御礼の言葉もございません」

 姉妹の姉、鶴が心から御礼を言う。
 妹の亀の方は恥ずかしそうに黙っている。

「礼には及びません、人として当然の事をしているだけです」

 そう言った勝三郎は悠々と馬上の人となって北町奉行所に向かう。
 鶴と亀の姉妹の為に辻駕籠を雇って供侍に守らせる。

「火付け盗賊改め方与力、佐久間陣十郎が一子、啓次郎と申す。
 捕物の係わりで仇討ちを願う姉妹と知り合い、御連れ申した。
 係の方に御取次願いたい」

 火付け盗賊改め方の手柄は、競争相手である北町奉行所では良く知られていた。
 その手柄が、全て与力佐久間陣十郎の力で成し遂げられている事も知られていた。

 今日取り締まられた増上寺の一件も、北町の同心が使っていた岡っ引きが火付け盗賊の疑いで捕らえられたので、奉行所中に知られていた。
 北町の同心を取り調べる建前かと思った門番は、慌てて上役に知らせた。

 門番に事情を聞いた与力が慌てて現われ、下手に出て勝三郎に要件をたずねる。
 同心への取り調べではなく、本当に仇討の届出であった事に安堵した。
 だが油断はせず、普通なら見習同心にやらせるような手続きを自ら行う。

「三河大浜藩水野出羽守様家臣、中根十次郎殿が長女鶴殿と次女亀殿で間違いありませんね?」

 姉妹は普通では考えられないくらい丁寧に案内された。
 北町の与力は常に勝三郎の表情を伺いながら姉妹に応対する。

「「はい、間違いありません」」

「仇の相手は同じ三河大浜藩水野出羽守様の家臣だった、磯部宗次郎徳正で間違いありませんね?」

「「間違いありません」」

 勝三郎が鶴と亀の姉妹から聞いた通りだった。
 鶴と亀の生まれた中根家は、水野家が七万石の大名だった時からの家臣だ。
 だが、六代藩主の水野忠恒が松の廊下で毛利師就に斬りつけ改易となった。

 改易にはなったが、三河以来の名門水野家だったので、水野忠恒の叔父である水野忠穀が七千石の旗本として跡を継ぐことを許された。

 多くの家臣が召し放ちになったが、永代家老だった中根家は、旗本水野家に家臣として残る事を許された。

 時は流れ、水野忠穀の嫡男である水野出羽守は順調に出世して、若年寄となった時に三河で六千石を加増されて大名に復帰したが、それが中根家には不幸だった。
 水野出羽守は、改易された時に召し放った元家臣達を再び召し抱えようとした。

 主君として人として立派な事なのだが、召し放たれた者達は、召し放たれずに残れた者を深く激しく恨んでいたのだ。
 特に召し放つ者を選んだ家老の中根家は誰よりも恨まれていた。

 そんな状態なのに、水野出羽守が多くの元藩士を召し抱えようとした。
 一万三千石で七万石だった時の家臣を全員召し抱えようとしたので、再び召し抱えられた藩士の切米や金給が極限まで切り詰められてしまった。

 ようやく主持ちに戻れたのに、浪人の時より生活が厳しくなった。
 そんな状態で中根十次郎に失態を注意された磯部宗次郎は、激高して中根十次郎を斬り殺し、逐電してしまったのだ。

「水野出羽守様から幕府に届けられた仇討願い、確かにここにございます」

 与力が北町奉行所に届けられた仇討願いの写しを確認して明言した。
 これで仇さえ見つけられたら御府内で討つ事ができる。

「与力殿直々の案内感謝いたします」

 勝三郎は丁寧な礼を言って姉妹と共に北町奉行所を後にした。
 北町奉行所を出ると、待っていた供侍が門前で合流する。

 勝三郎が与力家の当主ではなく嫡男を演じているのと、公式ではなく私事での訪問なので、供侍は小者を合わせて五人だけだが、こういう格式が武家では必要だった。

「今からお二人の仮住まいとなる屋敷に案内します。
 私の親戚が南町奉行所の与力をしているので、安心してください」

 ★★★★★★

「それで、姉妹を実家の佐久間家に案内したのか?」

 勝三郎から報告を受けた老中の田沼意次が確認する。

「はい、大浜藩邸に寝泊まりすると殺されるかもしれないと言う、姉妹の言葉が心配のし過ぎとは思えません」

「出羽守殿の家中がそのような事になっているとは知らなかった。
 金弥を養子にする約束をしたが、早まったかもしれぬ」

「金弥様とは、御老中の御子息なのですか?」

「そうじゃ、余の四男じゃ、家中に争いのある家に送るのは心配だ」

「出羽守様に助言され、悪臣を取り除かれないのですか?」

「金弥を養子に送るとはいえ、他家の家政に口出しはできぬよ」

「では、今回の仇討ちを利用して、金弥様の害になりそうな家臣を取り除かれてはいかがですか?」

「余が表立って動くのは何かと不味い。
 勝三郎にやってもらう事になるが、頼めるか?」

「元々可哀想な姉妹の仇討に助太刀をする心算でした。
 卑怯者な仇に力を貸す、性根の腐った者共を一緒に斬るだけでございます。
 最初から殺す心算でしたので、お気になされる事ではありません」

「面倒をかけるな、何か必要な物はあるか?」

「以前御願いしていた岡場所で働いていた女達ですが、増上寺前で水茶屋や楊枝屋、鯛仙の姉妹店を開いて女中として使いたいのですが、宜しいでしょうか?」

「勝三郎は優しいのう、恵まれない女達を救うか。
 とはいえ、吉原の楼主達も幕閣に頼み込んでおる。
 増上寺周辺の名主や地主を処分する事も、反対する者が多い。
 余の一存だけではどうにもならないが、何か思案があるのか?」

 楼主や増上寺の賄賂攻勢の中で、勝三郎の願いを聞くのは難しいと遠回しに言う。

「増上寺には、幕府の御定法を破って貯めた悪銭が山のようにございます。
 それを全て吐き出させて、御政道に使うべきかと愚考いたします。
 門前町の仕切りを佐久間家の密偵に御任せ頂ければ、これまでは悪事に使われていた利を、運上金として納める事ができます」

「うむ、運上金が手に入るのはいいが、岡場所や賭場は御法度だぞ」

「もちろんでございます、そのような事をしなくても大きな利が得られます。
 身体を売るのではなく、芸を見せる女を料理茶屋に送らせていただきます」

「ほう、芸を見せる女なら御定法には触れぬな」

「それと、町方には内々で済ませる揉め事が数多くございます。
 そのような折には、世話になった与力や同心を料理茶屋で歓待するのが慣例になっているのですが、金公事、特に貸し借りの訴えが特に多いのです」

「それは余も知ってる。
 法親王や御三卿が金主となった金公事では、一割が礼金であったな?」

「はい、他の方々の礼金も一割ですが、その場で金銀を頂くのは流石に問題があり、盆暮れに料理茶屋の切手で受け取るのが慣例になっております」

「普通の料理茶屋なら、与力や同心が持って来た切手を割り引いて買い取るのだな。
 だが佐久間家が営む料理茶屋なら、割り引かれる分まで手に入ると言う事だな」

「はい、岡場所や賭場などをやらなくても、これまで通り運上金をお納め出来ます」

「分かった、問題は増上寺から悪銭を徴収する件だ。
 悪事を働いたとはいえ、増上寺は徳川家の菩提寺だ。
 内々に済むように幕閣に賄賂を贈るだろうし、上様も心を痛めておられる」

「とは申しましても、僧が人殺しに加わっていたのです。
 何より江戸中に今回の件が広まっております。
 手緩い処分で済ましますと、幕府の威信が地に落ちてしまいます。
 全ての僧を非人手下に落とせとは申しませんが、豊譽霊応法主を更迭し直接かかわった僧を非人手下に落とさなければ、切腹させられた幕臣達の怒りが収まりません」

「そうだな、上様の家臣を切腹させておいて、僧に甘い処分はできぬな。
 上様には余から話そう、幕閣の方々にも分かってもらえるまで話す」

「御老中、京の両本願寺と増上寺の間で浄土真宗公称の争いがあるのでしたね?」

「うむ、よく知っておるな、幕府にも訴えがあり、頭を痛めている」

「では、今回の件を理由に一切の訴えを受け付けないと申されたらどうでしょう。
 増上寺だけでなく、江戸の本願寺も寺社奉行所が多くの僧を捕らえております。
 何でしたら、築地本願寺と浅草本願寺の門前町も取り締まりますが?」

「分かった、そう言って訴えを取り下げさせ、更に幕府に運上金を納めさせろと申すのだな」

「はい」

「勝三郎は強かじゃのう、良き思案じゃ、それでいこう」

「御老中に御褒め頂いたので、今少し御願いしたい事がございます」

「少しなら聞いてやろう、なんじゃ?」

「見目好い女なら水茶屋や楊枝屋などで看板娘として働けるのですが、それほどでもない女や年老いた女は、他に仕事を探してやらなければなりません。
 そこで、振売の鑑札を与えてやりたいのですが、宜しいでしょうか?」

「構わぬが、老女が重い品を天秤棒で担いで売り歩くのは無理なのではないか?」

「振売の中には、女子供や老人、体の不自由な者しか商ってはならない品がございますので、大丈夫でございます」

「なんと、寡聞にして知らなかった、女子供が商う品とは何なのだ?」

「糊や針のような軽い品は、老婆が商うのが慣例になっております。
 慣例を破って商う大の男もおりますが、奉行所で厳しく取り締まっております」

「老婆は分かったが、女子供は何を商うのだ?」

「肴、たばこ、塩、飴おこし、下駄足駄、味噌酢醤油、豆腐こんにゃく等でございますが、某が捕らえる鯉や鮒、鱸や鰡も商わせる心算でございます」

「そうか、ならば我が家の屋敷にも売りに来させるが良い」

「宜しいのでございますか?
 藩出入りの商人や藩士の方々が懇意にしている振売がいるのではありませんか?」

「構わぬ、やり直そうとする女に手を差し伸べる事ができるのだ。
 それに、女子供が商う品なら藩の勝手向きには影響しないであろう。
 藩士が日々の使う物ならば、袖の下をもらっている家臣達も文句は言うまい」
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