壱人複名 船宿鯛仙捕物帳

克全

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第1章

第16話:手料理

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 田沼意次は勝三郎から得た話と献策を使って寺社に対応した。
 家治将軍が胸を痛め、幕閣が頭を悩ましていた浄土真宗公称問題を解決した。

 博徒から賄賂を取り女犯を行う破戒僧に、幕府に訴える資格などないと断言して、二度と訴える事罷り成らぬと切り捨てた。

 今後同じように罪を重ねたら、増上寺も両本願寺も同じように、浄土真宗を名乗ることを禁ずると厳しく言い渡した。

 更に今回の取り締まりで、博徒との係わりで僧や神官が一人でも捕らえられた寺社は、最高位の僧神官が更迭され、罪を犯した僧は非人手下に落とされた。
 もちろん増上寺と東西の本願寺も厳しく罰せられた。

 増上寺門前町の博徒に家屋敷を貸していた名主と地主と家主は、五年間家屋敷を取り上げられ、店賃が幕府に納められる事になり、幕府の勝手向きが少し良くなった。

 博徒が沽券を持っていた家屋敷は、今回手柄を立てた事になっている佐久間陣十郎与力に全て下賜されたが、田沼意次が言い含めていたので全て勝三郎に譲られた。

 勝三郎は手に入れた表店に水茶屋や楊枝屋だけでなく、鯛仙のような船宿や高級会席料理屋、蕎麦屋や煮売酒屋を始めた。

 南町奉行所与力の伝手を使って優秀な人を集め、店を任せた。
 与力同心の部屋住みで行き場のない者は、武士を捨てて働くようになった。
 ただ、主だった店は佐久間家の密偵に任せた。

 江戸の町は四方の道に沿って表店が並び、その内側に裏長屋が建っている。
 その裏長屋に、岡場所で働いていた女達が住む事になった。

 器量の良い女、気働きの出来る女が表店で働く。
 器量が良くなく、気働きの苦手な女は振売や下女奉公をする。
 そんな女達が新たな人生を始めたのとは真逆に、過去の囚われる姉妹がいる。

「鶴様、亀様、今日は浅草の方まで足を延ばしてみましょう」

 剃刀のお園が鶴亀姉妹に優しく声をかける。
 二十歳のお園から見れば、武家娘とはいえ十六歳と十三歳でしかない鶴亀姉妹はまだまだ子供で、父親を闇討ちされたと聞けば手助けしてやりたいと思う。

「はい、御任せします」

 姉妹の父親は、水野家が旗本の時代には領地の用人を務めていて、水野家が陣屋大名になった時に国家老に登用されたので、鶴亀姉妹は江戸を全く知らなかった。

 鶴亀姉妹は佐久間武太夫の与力屋敷で寝起きしながら、毎日朝から晩まで江戸の町を歩きまわり、仇の磯部宗次郎を探した。

「お園殿、仇の磯部が藩の屋敷に出入りしていると言うのは本当なのでしょうか?」

 妹の亀が哀しそうに聞く。

「さあ、私には分かりませんが、心配いりませんよ。
 勝三郎様が手先を使って見張ってくれています。
 鶴様と亀様は自分で確かめたいでしょうが、駄目ですよ。
 お二人が顔を見せたら仇が出入りしなくなりますからね。
 鶴様と亀様が屋敷以外の場所を歩き回るから、仇が屋敷に逃れるのです」

「……はい、わかってはいるのですが……」

「気が晴れないのならぱっと遊びませんか?
 若旦那からたくさんお小遣いをいただいているのです」

「いけません、もう十分以上のお世話になっております。
 これ以上佐久間家の方々に迷惑をおかけする訳にはいきません」

 姉の鶴の方が強く遠慮する。

「大丈夫ですよ、若旦那は一日で十両も二十両も稼ぐ凄腕の槍使いですから」

「そんな、一日で十両も二十両も稼ぐなんて信じられません」

「でしたら一度旦那の槍裁きを見てみられますか?」

 本当は勝三郎の側にいたいお園が言う。

「勝三郎様の槍さばきは増上寺で見させていただきましたが、どれほど武芸が秀でていても、それで日に二十両も手に入れられるとは思えません」

「では若旦那の所に行って見させていただきましょう、見れば鶴様にも分かります」

「ですが、勝三郎様から江戸中を歩いて仇を見つけるように言われています」

「大丈夫ですよ、鶴様と亀様に扮した女達が江戸中を歩いていますから。
 鶴様と亀様が少し休まれても、仇には分かりませんから」

 年増と言われる年上の女性、それも恩人の配下の勧めなので、鶴亀姉妹も強く否定できず、半ば無理矢理勝三郎が新しく出した船宿鯛徳に行くことになった。

 鯛徳のある芝湊町は、多くの町とは少し違う場所になる。
 鯛仙と同じように町の二面が道に接しておらず、川と海に接している町割りだ。

 芝湊町は金杉橋よりも川下、川と海に面した場所にあり船を使うのに最適だった。
 更に川魚だけでなく海の魚も獲れる勝三郎好みの場所だった。

「「「まあ!」」」

 勝三郎が槍を振るって魚を獲る姿に、三人が思わず声をあげる。
 生き死にの修羅場ではなく、鍛錬を兼ねた槍漁の姿は凛々しかった。
 勝三郎の槍で気絶させた魚を亥之助が網ですくい続けている。

「あんなにたくさんの魚を次々と……」

「分かられましたか、あれは鯉と鰡です。
 一匹で銀百五十匁、金なら二両二分で売り買いされます。
 若旦那が一日に二十両手に入れられると言うのがお分かりになられましたか?」

「はい、わかりました、本当だったのですね」

「お園、何かあったのか?」

「いえ、特に何かあった訳ではないのですが、お二人が水野様の屋敷を気にしておられたので、気晴らしにお連れしたのです」

「そうか、時分時だし、売り物にするには大き過ぎる鰡もある。
 仇討に向けて英気を養うのも大切だ、手料理を振舞ってやろう」

「ありがとうございます、若旦那」

「若旦那はお前に言っているじゃない、お二方に言っておられるんだ」

 亥之助がお園に咬みつくが……

「亥之助は帳場に行って空いている部屋を確かめて来てくれ。
 私と亥之助も一緒に食べるから、五人がゆったりと過ごせる部屋が良い。
 鯛徳に部屋がないのなら、裏長屋でも良いから空いている部屋を探してくれ。
 ああ、そうだ、手の空いている者がいるなら一緒に食べよう。
 何人食べる者がいるか聞いて来てくれ」

 勝三郎はそう言いながら手早く料理する鰡を選んでいく。
 選び終えるとさっさと調理場に向かっていくので、亥之助は何も言えない。

「鶴様と亀様はお園と一緒に行ってください、ああなった若旦那は止められません」

 僅かな間に勝三郎の料理好きを思い知った亥之助が言う。
 お園は勝三郎の後について行きたそうにしていたが、何も声をかけられていないのに、直々に頼まれた鶴亀姉妹を放っておけず、二人と一緒に行った。

「板長、悪いが調理場を貸してもらうぞ」

「へい、どうぞご自由にお使いください」
 
 船宿鯛徳の調理場に入って板長に声をかけた勝三郎が、手早く鰡を捌いて行く。

「若旦那、粗汁の用意をいたしましょうか?」

 調理場の板長が勝三郎に声をかけながら熾してあった火を強くする。

「悪いが頼む、白子はポン酢にして、切り身は塩焼きにする。
 煮付けと幽庵焼きも作りたい。
 味噌漬けを仕込んでおきたいし、卵があるなら唐墨も作りたい。
 酢と昆布でしめて芋膾の下拵えもしておきたい」

「分かりやした、おめえたちも手伝え、良い勉強になるぞ」

「「「「「へい」」」」」

 勝三郎と板長のやり取りを黙って見ていた若い衆がそろって返事をする。
 一方部屋を確保しろと言われた亥之助は帳簿で番頭に掛け合っていた。

「分かりました、楊枝屋の二階が開いていますから、そちらで食べていただきます」

 亥之助に事情を聞いた番頭が即座に答えた。
 裏長屋、特に棟割り長屋は、九尺二間に四畳半の板の間と一畳半の土間しかない。
 表長屋で一階しかない所は、間口が二間で奥行きが三間から四間半が多い。

 密偵の兄貴分である番頭が手配してくれた表店の二階は、普段は密偵達が寝泊まりや見張りに使っている十二畳の一間だった。

「本当に何のお手伝いもしなくてよろしいのでしょうか?」

 船宿の番頭にまで勧められ、迷いながらも楊子屋の二階に上がった姉の鶴だったが、少し待っている間に不安になり、お園ではなく亥之助に聞いた。

「勝三郎の若旦那は料理がお好きなので大丈夫ですよ」

「失礼します、此方でごはんを食べるように言われました」
「どちら様も失礼いたします」

 亥之助が答えるのとほぼ同時に、勝三郎に助けられた女達が二階に上がって来た。

「お、お前さん達も食べるように言われたのかい?」

「はい、若旦那が手料理をふるまってくださると言うので参りました」
「交代でお昼を頂けるなんて、今までなら考えられませんでした」
「交代どころか、お昼ご飯が食べらられない方が多かったわ」

「待たせたね、お腹一杯食べな」

 同じように昼休憩に入った水茶屋の女が膳を抱えて二階に上がって来た。

「「「「「うわあああああ!」」」」」

 盆と正月が一緒に来たような、豪華な鰡尽くしの膳に歓声が上がった。
 岡場所で働くしかないような女は、正月でも白米が食べられればいい方で、出世魚が並ぶような豪華な膳など、生まれてこの方食べた事がないからだ。
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