壱人複名 船宿鯛仙捕物帳

克全

文字の大きさ
19 / 36
第1章

第19話:罠2

しおりを挟む
「御家老、田沼様から、金弥様婿入りについて話があるとの事でございます」

 磯部宗次郎が火付け盗賊として捕らえられたという報告受けた、江戸家老の天野弥九郎利兼が慌てふためいている所に、殿について登城していた藩士が報告に来た。

「どういう事だ、何が起こっているのだ?!」

「何がとは、どいう言う事でございますか?」

 聞かれた使者は、早朝に殿の供侍とし登城して大手門前の広場で待っていたので、磯部宗次郎が捕らえられた事を知らなかった。

「えええい、よい、それよりも金弥様の話だ」

「はい、金弥様の婿入りの相談をしたいので、田沼様の上屋敷に参るようにと、殿と田沼様が申されておられます」

「儂が、今から、田沼様の上屋敷に行くのか?!」

「御家老は金弥様の婿入りに賛成だったのではありませんか?」

「賛成だ、賛成している、賛成はしているが、今は……」

「体調が御悪いのでしたら、殿に伝えさせていただきますが?」

「いや、よい、行く、行った方が色々都合がよい」

 天野弥九郎は、徳川家治将軍の寵臣、老中田沼意次と親戚になれたら、これまで以上の賄賂が手に入ると考えていたのだ。
 愚かな天野弥九郎は、自分なら田沼意次でも騙せると思っていたのだ。

「都合でございますか?」

「その方には関係のない事だ、直ぐに支度をするから待っておれ」

「はっ」

 江戸家老の天野は、磯部宗次郎達の事をどう言い訳するか必死で考えた。
 磯部宗次郎だけならばどうとでもなるが、一緒に捕えられた藩士が問題だった。

 水野出羽守だけなら言い包められるが、老中まで言い包めるのは難しいと考えて、必死で辻褄が合う話を考えていた。

 中根姉妹が身体を張って佐久間一族を篭絡して、無実の者を陥れたのだと言い張って押し通すのに、田沼家の家臣に賄賂を渡せば何とかなると考えた。

 必死で言い訳を考えている間に田沼家の上屋敷に着いた。
 若年寄水野家の家老として老中田沼家に公式訪問するので、権門駕籠に乗って言い訳を考えながら田沼家上屋敷の門をくぐり、玄関の式台に駕籠がつけられたのだが。

「天野弥九郎、中根十次郎を闇討ちさせた罪で捕らえる、神妙にせよ!」

 天野弥九郎は、鎧兜に身を包んだ田沼家の藩士に捕らえられた。
 水野家の屋敷内で襲われたのなら、一味同心の者達と手向かい出来た。
 だが、田沼家の上屋敷に誘い込まれては手向かいのしようがなかった。

 水野家が若年寄りになってから屋敷替えされた桜田門前の上屋敷と、大手門前にある田沼意次の上屋敷はとても近い。

 殿と老中に呼び出されているのに時間稼ぎなどできない。
 逃げる決断が即座にできるのなら違っていたのだろうが、今の生活を続ける事しか考えていなかった天野弥九郎には、言い訳を考える事しかできなかった。

 天野弥九郎の供をして来た水野家の藩士は、磯部宗次郎達から一味同心だと名指しされた者が、田沼家の藩士に捕らえられた。
 捕らえられなかった無関係の藩士も、田沼家上屋敷に軟禁された。

「御老中と若年寄の手を煩わせてしまい、申し訳ございません」

 勝三郎が老中田沼意次と若年寄水野出羽守に深々と頭を下げる。

「いや、いや、よくぞ内々に納めてくれた、心から礼を申すぞ」

 老中田沼意次がにこやかに礼を言う。

「余も礼を申す、よくぞ獅子身中の虫を退治してくれた」

 厳しい表情をした水野出羽守も礼を言う。

「お褒め頂き、恐悦至極でございます」

「それで勝三郎、これからの手筈はどうなっているのだ?」

「このまま水野様の藩邸に巣食う悪臣共を罰します。
 御老中の御家中に扮した我が家の手の者を、水野様の屋敷に送ります。
 上意に従って神妙にする者には切腹を許し、手向かう者は斬ります。
 中根十次郎を闇討ちした者は生け捕りにして、仇討を行います。
 真犯人や黒幕を炙りだすために、出羽守様が磯部を泳がしていた事にします」

「うむ、好き思案だが、余の願いもかなえてくれないか?」

「どのような事でございましょう?」

「どうせなら金弥に経験を積ませたい。
 出羽守殿の藩士達が金弥を畏怖するようにしたいのだが、どうであろうか?」

「それでしたら、水野様の上意を伝える役目を金弥様にしていただきましょう。
 金弥様に付き従って水野家に行く家臣の方々が決まっているのでしたら、その方々に悪臣を取り押さえ罰していただきましょう」

「おお、おお、おお、それは良い、それなら金弥が蔑ろにされる事はない。
 出羽守殿、どうであろうか?」

「侍従殿の申される通りで好いと思います。
 侍従殿が密かに手配りしてくださらなければ、大恥をかいて若年寄を返上するしかありませんでした、そのようにお願い申す」

 水野出羽守が納得したので、田沼家の家臣も水野家の屋敷に行くことになった。
 成り上がりの田沼家には、名門譜代子弟から家臣になる者が少なく、意次も無能な者を召し抱える気がなかったので、平民や浪人だった家臣が多い。

 ただ、どちらかと言えば筆算に優れた者が多く、武辺者は少なかった。
 一方勝三郎が集めた者達は元盗賊がほとんどで、海千山千の者達が多かった。
 加えて、横須賀藩西尾家の指南役に推挙した剣客と弟子達がいた。

「勝三郎殿には指南役に推挙してもらった恩がある。
 西尾家の方々に認めていただく為にも、目に見える武功が欲しかった所だ」

 勝三郎に助太刀を頼まれた指南役達は全員快諾した。
 指南役当人だけでなく、腕に覚えのある仕官希望の浪人門弟も全員参加した。
 あわよくば、西尾家、田沼家、水野家に仕官がかなうかもしれなのだ。

 七人の指南役と三十八人の弟子が仕官を目指して集まった。
 勝三郎は佐久間家独自の密偵を三十六人集めた。
 田沼家の家臣は、金弥に付き従う者を含めて四十三人が集められた。
 六名だが、江戸家老に加担していない水野家の藩士もいた。

「出陣じゃ!」

「「「「「おう!」」」」」

 戦う覚悟はしたが、鎧兜をつける訳にも火事装束を着る訳にも行かない。
 水野家に汚点をつけないためには、悪臣達を取り押さえるまでは、内々で済ませなければいけない。

 なので、田沼意次が養子の件で水野家を訪れると言う体裁をとった。
 田沼意次に扮した金弥と水野出羽守に扮した勝三郎が、駕籠に乗って行った。
 
「上意である、天野弥九郎は捕らえた、中根家老の暗殺に加わった者は仇討に応じよ、天野に従っていた者は召し放ちにする、神妙に縛につけ」

 水野家の上屋敷、中屋敷、下屋敷に入った捕縛隊は厳しく命じた。
 本当は切腹させるのだが、抵抗しないように召し放ちだと偽る。
 田沼家と養子縁組の話をすると思っていた水野家の藩士は、不意を突かれた。
 
「戦え、戦わないと皆殺しにされるぞ!」

 少数の水野家藩士は自分達の立場をよくわかっていた。
 絶対に許されないと分かっていて、田沼家の捕縛隊を斬り殺して逃げようとした。

「逃げろ、殺されるぞ、逃げろ!」

 しかし江戸家老一派全員が腕に覚えがあった訳ではない。
 斬り抜けるのではなく、隙を見て逃げようとする者もいた。

「抵抗するな、抵抗したら殺されるぞ」

 だが大半の者は闇討ちに直接関係がなかったので、素直に捕らえられた。

「うぉおおおおお、死にやがれ、ぎゃっ」

 自分では剣の腕が立つ思っている水野家の悪党が、最前列に立つ剣術指南役や弟子達に斬りかかって来るが、簡単に叩きのめされて地に這う。

 「どけ、どけ、どけ、どかないと斬るぞ、ぎゃっ」

 斬ろうというのではなく、囲みの少ない場所を突破して逃げようとした者も、指南役子弟や勝三郎の密偵達に叩き伏せられる。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)

三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。 佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。 幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。 ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。 又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。 海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。 一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。 事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。 果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。 シロの鼻が真実を追い詰める! 別サイトで発表した作品のR15版です。

立見家武芸帖

克全
歴史・時代
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。 南町奉行所同心家に生まれた、庶子の人情物語

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

『大人の恋の歩き方』

設楽理沙
現代文学
初回連載2018年3月1日~2018年6月29日 ――――――― 予定外に家に帰ると同棲している相手が見知らぬ女性(おんな)と 合体しているところを見てしまい~の、web上で"Help Meィィ~"と 号泣する主人公。そんな彼女を混乱の中から助け出してくれたのは ☆---誰ぁれ?----★ そして 主人公を翻弄したCoolな同棲相手の 予想外に波乱万丈なその後は? *☆*――*☆*――*☆*――*☆*    ☆.。.:*Have Fun!.。.:*☆

無用庵隠居清左衛門

蔵屋
歴史・時代
前老中田沼意次から引き継いで老中となった松平定信は、厳しい倹約令として|寛政の改革《かんせいのかいかく》を実施した。 第8代将軍徳川吉宗によって実施された|享保の改革《きょうほうのかいかく》、|天保の改革《てんぽうのかいかく》と合わせて幕政改革の三大改革という。 松平定信は厳しい倹約令を実施したのだった。江戸幕府は町人たちを中心とした貨幣経済の発達に伴い|逼迫《ひっぱく》した幕府の財政で苦しんでいた。 幕府の財政再建を目的とした改革を実施する事は江戸幕府にとって緊急の課題であった。 この時期、各地方の諸藩に於いても藩政改革が行われていたのであった。 そんな中、徳川家直参旗本であった緒方清左衛門は、己の出世の事しか考えない同僚に嫌気がさしていた。 清左衛門は無欲の徳川家直参旗本であった。 俸禄も入らず、出世欲もなく、ただひたすら、女房の千歳と娘の弥生と、三人仲睦まじく暮らす平穏な日々であればよかったのである。 清左衛門は『あらゆる欲を捨て去り、何もこだわらぬ無の境地になって千歳と弥生の幸せだけを願い、最後は無欲で死にたい』と思っていたのだ。 ある日、清左衛門に理不尽な言いがかりが同僚立花右近からあったのだ。 清左衛門は右近の言いがかりを相手にせず、 無視したのであった。 そして、松平定信に対して、隠居願いを提出したのであった。 「おぬし、本当にそれで良いのだな」 「拙者、一向に構いません」 「分かった。好きにするがよい」 こうして、清左衛門は隠居生活に入ったのである。

処理中です...