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平成十五年 田沼明次の手紙
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五月の風は爽やかで心地よい。熱中症にならぬよう夏になる前に各地の小学校で運動会が行われていた。学校行事の最大イベントである運動会、先生もお友達も一生懸命だ。僕も友達の活躍は嬉しいけど、相変わらず心から楽しむことはできなかった。今年もやっぱり僕はクラスで一番背が低いから一番前だ、開会式、閉会式では校長先生に教頭先生、偉そうな人がいっぱいいて恥ずかしいんだ。
かけっこ、やっぱり僕はビリだったよ、毎年恒例さ。足の速いお友達は一位、二位、三位の旗のもとに行く。僕はそのまま退場門へ直行だ。退場門はカメラを抱えた大人でいっぱいだ。お父さんは一番後ろにいた。お父さんはひときわ背が高い、後ろの方にいても分かる。お父さんはニコニコ笑っている、ごめんね、今年もビリだったよ、僕、遅いんだ。お父さん、笑っているよ、あぁ良かった。お父さんの周りに人がいっぱいいる。今日はひときわ多いような気がする。その中に、田沼君のお父さんがいた。お父さんを見ている・・・。
やっとお昼休み、お昼を食べにお父さんのところに向かった。うっ、斜め後ろに田沼君のお父さんが陣取っている。なんでこんなに近くなの? 後から来たさくらちゃんもびっくりしているよ、なんで?
「良文くん、こんにちは」
僕は咄嗟に頭を下げた。お父さん、どういうこと?
「さくらちゃん、こんにちは。うちの息子がどうしてもさくらちゃんと一緒にお弁当を食べたいからって入れてもらったんだ」
田村君が気まずそうな顔をしている。田沼君とさくらちゃんが仲良くしているところなんて見たことが無い。さくらちゃんはお母さんの袖を引っ張っている。さくらちゃんのお母さん、口を閉ざしている。なんだかぎこちない、大人の事情かなぁ。
「中島さん、あなたのことを調べさせてもらいましたよ」
田沼君のお父さんは僕のお父さんと話したくってしょうがないらしい。
「さくらちゃん、かけっこ、一等賞おめでとう。相変わらず、かっこいいねぇ。私は応援していたよ」
お父さんはさくらちゃんを褒め称える。さくらちゃんは嬉しそうだが、さくらちゃんのお母さんはもっと嬉しそうだ。
「田沼君も頑張っていたね。みんな、偉いよ」
田沼君にも声をかける。僕のお父さんはやっぱり爽やかだなぁ。それをきっかけにさくらちゃんのお母さんとさくらちゃんが話し始めた。さくらちゃんはおしゃべりスイッチが入ったら止まらない。今日までの練習のこと、これからの競技のこと、お昼休み後の全員参加のダンスの位置を話した。ダンスの位置だが、さくらちゃんと僕は最初は入場門近くで踊り、曲の途中でトラックを半周ほど移動し、最後は退場門近くに移動して終わることを事細かに説明した。お父さんは嬉しそうにいい感じで相槌を打ちながらさくらちゃんが話しやすいように仕向けていた。さくらちゃんのお母さんは僕とお父さんを嬉しそうに見ていた。さくらちゃんは田沼君親子をガン無視、全く見ないから僕は心の中で笑ってしまった。さくらちゃんは最強だ、強いなぁ、僕のお父さんをロックオン、他の人の侵入を許さない。田沼君のお父さんが一生懸命割り込もうとするけれど許さない。田沼君のお父さんがそれでも入り込もうとすると、さくらちゃんのお母さんが料理をとりわけ黙らせる、見事な連係プレーだ。いつもは威張りん坊の田沼君が黙っている、尻込みしている。田沼君がいじめっ子になったのはお父さんのせいかな、お父さんには何も言えないんだろうな・・・。
さくらちゃんがしゃべり続けたからあっという間に午後の部の開始時間になった。さくらちゃんに仕切られてホントよかった。
子どもたちが午後の部の競技のため、集合場所に戻っていった、
「中島さん、ちょっといいですか?」
田沼明次は周囲が見えなくなっていた、さくらちゃんの家族や他の見物客のことなどお構いなしだった。
「田沼さん、一緒に子どもたちのダンスを見ましょうよ」
中島孝之は生徒全員参加のよさこいダンスを見るために、見やすい場所へ向かう。
「あなたのことを調べさせてもらいましたよ」
中島は足早に進む。田沼は追いかけながら話しかける。
「あなたは山田村と関係している。あなたのご先祖は山田村にあった山田藩の家老だ」
「今日は私にとって大切な日なんです。息子の成長を確かめる特別な日なんです。言いたいことは手紙に書いて下さい。そして、田沼君から良文に渡してください。必ず読みますから」
中島に睨まれた田沼はようやく口をつぐんだ。中島は足早に観客の中に入った。校庭の中ではちまきを巻いた良文を見つけ、手を振った。逞しくなれ! 欲深きものが攻めてくる。強くなれ!
⚡ ⚡ ⚡ ⚡ ⚡ ⚡ ⚡
謹啓
秋冷の侯、菊の花が香る季節となりました。先日の運動会で中島様にお会いできたことを心より喜んでおります。その際にこの手紙を読んで頂けると約束して頂けたことを幸甚に存じます。
小生の勤務する江戸文化博物館の同僚・有戸が昨年十月に行方不明になりました。ネットニュースには掲載されましたが知っておられますか。
ニュースになる前に警察が博物館にやってきて、関係者への聞き取り調査と手掛かりになりそうな物の没収を行いました。博物館長・穂上が会議室で二時間以上聞き取られていました。私は有戸と同じ居室に席があるため聞き取り対象になりました。聞かれたのは行方不明になる前の有戸の様子と有戸の仕事内容でした。有戸の様子についてはほとんど気に留めておらず変わった様子はなかったと警察に話しました。また、仕事内容については彼の割り当てられたキャビネットの棚のファイルを見せて詳細に話しました。出てきた資料はほとんどが歴代館長の集めた契約書、証文、離縁状など取るに足らぬ古文書で行方不明に関係するものではないことを説明しました。彼の机の調査も立ち会いましたが引き出しの中身は行方不明の理由になるようなものはないと説明しました。その中の一つの書を見た時も、それは江戸時代中期に書かれたもので下級武士の借金の言い訳が書いてあると説明しました。古文書の読めない捜査官は疑うこともなく、行方不明の手掛かりが残ってないとして捜査を終了しました。その一つの書は私の手元に残しました。その書には随所に『あはれ』という単語が書かれていました。『あはれ』と有戸の経緯から推測されることがあります。その推測はあなたに関わっていることなので以下に説明します。
まず、行方不明になった有戸について記載します。有戸の仕事は博物館の所蔵品の保存とその来歴の調査でした。浮世絵によって名を馳せようと野心に溢れる彼にとって与えられた仕事は不本意だったようで時々舌打ちしていました。城南大学で浮世絵に関する研究を行い、語学が堪能であることを武器に数々の論文を英語で発表できたため奨励賞や論文賞を獲得し、優秀な成績を修めたのですが、なにせ学芸員は狭き門で希望していた浮世絵に関する職務の募集はどこにもありませんでした。やっと学芸員の職を得たものの彼に与えられたのは歴代の館長の収集した文字ばかりの資料でした。彼の失望は想像に難くありません。彼は暇を見つけては博物館内の浮世絵の資料を閲覧していましたがそれでは物足りず、自分で貴重な浮世絵を発見しようと試みました。自分の財産を投げうって各地を回って探していたのです。地方の豪商の家屋や蔵に浮世絵が残されているのはたまにあることだからです。彼は密かに笑える浮世絵に魅せられた真のトレジャーハンターでした。
二年前の夏、商売に失敗した大阪の古物商が蔵の中身を大放出したことがありました。その蔵で目新しいものが見つかると思った有戸は大阪に行きました。その古物商は先祖が江戸時代、長期に渡り浮世絵師たちと交流があったことで浮世絵蒐集家や研究者の中ではそれなりに有名でした。残り物には福があると期待していったものの金になるような浮世絵はとっくに出来の悪い子孫に売り払われていました。そこに残っているのは雇人の名簿や商売の台帳など文字ばかりの取るに足らぬものばかりでした。しかし、運命の徒でしょうか、肩を落とす有戸の目に飛び込んできたのは『あはれ』の文字でした。それは一人の僧の残した書でした。その僧は兼行といい、京都の有名な寺院に勤めておりました。その寺院は公家や大名と交流がありました。芸術に理解の深い寺院で優秀な仏絵師を抱えていたと記録に残っています。書を残した僧侶・兼行は感受性が高かったのでしょう。推測でしかないのですが、兼行はあなたのご先祖に恋をしました。その兼行の文の中に、三年ぶりに会ったあなたのご先祖のことが書いてありました。あなたのご先祖はその有名な寺院に三年ごとに来訪していました。美術品に造詣が深いあなたのご先祖は来訪者の中でも特別な扱いでした。その寺院は京都の真言宗御室派総本山仁和寺です。仁和寺は誰もが学ぶ『徒然草』『方丈記』に出てきており、古典と日本史において最も重要な寺院です。数々の素晴らしい文化財を所蔵する素晴らしい寺院であることより、一九九四年には世界遺産にも登録されています。芸術文化の中心であった仁和寺の僧侶と当時の一流の文化人であるあなたのご先祖は趣味が合い、交流を深めていました。お気に入りの浮世絵師に描かせる肉筆画を話し合い、書の奥深さを語り、江戸幕府の芸術に対する無粋さを笑い合っていたのでしょう。兼行の書では、広間で特別な美術品が披露されたと書いてあります。その美術品に縁のある仁和寺で山田藩の家老、かつ屈指の美術品の蒐集家としてその筋では知れ渡っていたあなたのご先祖は特別な美術品を見せて貰える事が出来たのでしょう。あなたのご先祖は供の者に筆を執らせてその美術品を模写させました。その美術品は全長が十メートル以上にもなる絵巻物でした。膨大な量のため、あなたのご先祖が仕切って模写をさせたのでしょう。
今よりももっと緩い時代で、今よりもずっと同性愛に寛容でした。武家社会においては精神的な絆を結ぶための関係であるとも考えられています。仁和寺の僧侶・兼行が残した書には、男ばかりの大寺院で美しい家老と逞しい供の者に恋焦がれる僧侶、稚児がいたと記録されていました。あなたのご先祖はさぞかし素敵でしたのでしょう。その容姿、振舞いに僧侶たちは『あはれ』と呟いたと書いてあります。美しい老中に想いを寄せる僧侶や稚児の気持ちが痛いまで伝わってきました。あなたのご先祖は逞しく美しい供の者を自慢しながら引き連れていました。二人は常に仲良しで割り込む隙がなく、兼行は供の者に嫉妬をしています。その供の者にも恋焦がれる僧侶や稚児も多くいたと記録に残っています。
良文君が学校に持ってきたお手紙には蛙が描いてあったと私の息子は言いました。蛙のキャラクターなんてこの世の中にごまんとあります。しかし、息子に聞くと非常に変な蛙だったと言います。その上、その左にはひっくり返って笑う良文君とお友達が描かれていたと言います。博物館の学芸員である私はすぐに思い当たり、息子にそのレプリカを見せたところ、そっくりだと言いました。そのレプリカは『鳥獣戯画』の甲巻の第一七、一八紙です。小学三年生の良文君に送ってきた書道の紙に描かれていたのは『鳥獣戯画』の一番有名なところの模写でした。
あなたのご先祖は書のうまい供の者を従えて、仁和寺に行きました。山田藩の藩主・神山山田守は譜代大名、寺社奉行の権力を利用できる上、一流の風流人として有名でした。仁和寺は『徒然草』『方丈記』で教科書に掲載されるほど古来より有名で僧侶も多く、公家の子弟もいました。芸術品も逸品が多く、昔からとても豊かでした。優れた絵師に朝廷が授ける名誉称号を得て出世したい浮世絵師にとって、仁和寺は朝廷に推挙してもらえる魅力的な寺院でした。
仁和寺と『鳥獣戯画』を所有する高山寺は同じ真言宗ということもあって昔から繋がりがありました。仁和寺であなたのご先祖は面白い絵巻物を見せて貰うことになったのでしょう。その美しい容姿と振舞い、機知に富んだ話をする家老と逞しい供の者は男ばかりの僧房で話題となり、広間を覗き見る僧が絶えなかったと書いてあります。江戸城で開かれる会議の極秘情報をいち早く知る地位にあり、情勢に対し見通しが良い上に勘が鋭く、当代きっての蒐集家であったあなたのご先祖は仁和寺の大僧正に気に入られ、『鳥獣戯画』を模写することを許されました。事あるごとに倹約倹約と騒ぎ立てたり、出版統制など文化を理解しない難しい役人に対し、あなたのご先祖は美しく優雅で江戸幕府が大嫌いというスタンスを貫いていたからでしょう。仁和寺の洒落と『あはれ』の分かる僧侶たちに大人気だったのでしょう。仁和寺に関わる僧侶や稚児たち、みんなあなたのご先祖に見惚れていました。供の者は美しく逞しく、仁和寺の二王門の金剛力士のような肉体を持っていたと書き残されています。絵巻物を広げ、気の知れた供の者、そして自ら筆を執り、『鳥獣戯画』を模写したと考えられます。
現在、残されている『住吉家伝来模本』『長尾家旧蔵模本』のように、私は『中島家摸本』があると思われます。芸術品をこよなく愛するあなたの先祖のことですから、その当時の『鳥獣戯画』を完璧に模写していると推測されます。現存する国宝の『鳥獣戯画』では残っていない、失われた絵があると思われます。
現在、あなたは東京で静かに過ごしていらっしゃられますが、あなたの営んでいる会社は山田藩の江戸屋敷があった場所です。何をやっているか分かりませんから私は余計に惹かれます。息子たちの通う学校は伝のない人間には入学しづらい学校です。私は多額の寄付をして同窓会の役員になり、学校の図書館に入り調査すると、過去のアルバムの中にあなたがいました。あなたのお父上も卒業生でした。名門校ゆえ進学先も載っておりました。あなたの欄には城南大学・医学部と書かれておりました。あなたのお父上も同じでした。昔からずっと医師の家系でとても優秀です。あなたは美術品蒐集家ではないが、継続することを得意とする家系であることよりご先祖の中島コレクションを残していると思われます。
現在、中島家が仕えた山田藩の山田城はなくなってしまっています。ご先祖が集めた書や浮世絵は焼失してしまったのでしょうか? いや、私はどこかに隠している、あなたと山田藩の残党がどこかに隠していると思っているのです。
仁和寺の僧侶たちはあなたのご先祖を一目見た途端、恋に落ちました。僧侶の残した書に『山田藩』『中島』の単語は出てきませんが、『あはれ』が何度も繰り返し出てきます。平均身長が百五十五センチだった江戸時代で頭一つ飛びぬけており、さらに供の者はもう一回り大きくて豊かだと書に残されております。女性を思わせる美しい家老、守護神を思わせる供の者、みんながその姿に見惚れ、恋をしたと綴られています。
浮世絵の歴史の中に山田藩の名前はありませんが、浮世絵を研究したことのある学芸員ならだれでも知っています。尾張藩、熊本藩などは後世の人間が地元の藩主を褒め称えるために表立つことが多いのですが、山田藩は後世の人間が誰も表立たせることはありません。博物館や美術館に寄贈がないし、文化財として鑑定を受けたという記録もありません。全く現れてこないのです。しかし、今回の僧侶・兼行、江戸時代の大手出版社である版元、浮世絵師の遺した書にはあなたのご先祖を『あはれ』と表現して書き残しています。美しい文化人として、褒め称えています。当時の文化人たちはあなたのご先祖を愛していました。みんな揃ってあなたのご先祖の心に入ろうと立ち回ったのですが、心は別のところにあったと書き残しています。あなたのご先祖は殿と家臣、山田藩民をこよなく愛していた、と。
あなたの供の者は気心が知れた大僧正や絵仏師に、仁王像のモデルになって欲しい、とお願いされたのではないでしょうか。浮世絵師の弟子の一人が供の者は逞しい肉体にも関わらず、とても優しい面立ちだったと書き残しています。供の者の鍛え抜かれた体と優しい面立ちのギャップに僧侶たちは心を射抜かれたのでしょう。日頃は静かな修行生活を送る僧侶たちが熱に浮かされたのは想像に難くありません。
あなたのご先祖は供の者といつも笑っていて、面白いもの、美しいもの、豊かなものをこよなく愛していました。とりわけ、人間の交わりを丁寧に描いた肉筆画を愛し、『あはれ』と感嘆している姿が名もない僧侶や絵師たちによって描き残されています。
版元や浮世絵師の記録から推測される山田藩のコレクションは有戸の心を射止めました。有名な浮世絵師の肉筆画を蒐集している上、その肉筆画が青少年保護育成条例に引っかかりそうなきわどい作品が多そうだからでしょう。大人が見たら大笑いするものばかりなのです。その稀有なコレクションの中に国宝の『鳥獣戯画』の摸本があったと知ったときの有戸の喜びは格別だったのでしょう。自分の名を馳せるには十分すぎる価値があるからです。そのため、中島家と縁のある山田村を調べ始めました。
日本の文化は開示が出来ないものが多くて困りますね。性的描写があるとどうしても嫌がるお偉いさんが多い。青少年の育成に対し、書の内容の全部又は一部に著しく性的感情を刺激し、青少年の健全な育成を阻害するものがあるとして閲覧を許していません。自分たちはこっそり楽しんでいるのですがね。私もその愛好者ですから、自分の好きなものはみんなに教えたいような、でも秘密にしたいような、なんとももどかしい気持ちを持ち続けているのですよ。
浮世絵、それも肉筆画を蒐集している藩としては前述の尾張藩、熊本藩などが有名で、美術館で特別展が開催されることがあります。また、メディアに公開してパトロンとしての藩主を称賛しています。それに対し、浮世絵コレクターの中では有名なのですがそのコレクションが全く開示されていないのが山田藩です。僧侶、絵師、版元の遺した書に『あはれ』『家老』『供の者』の単語が所々に現れているのに『山田藩』は出てきません。葛飾北斎はもちろんのこと、菱川師宣、鈴木春信、月岡雪鼎を好み、東洲斎写楽まで関係しているのにどれも表に出てきません。海外のコレクターに渡ることなく、それらが全て現存していれば、凄まじい国の宝となりましょう。しかし、山田藩のあった山田村には美術館に相当する建物がありません。山田城とともに消えてしまったと考えるのが筋だと思われます。しかし、有戸はそうは思っておらず、きっと残っていると確信して山田村に調査に出かけました。有戸の携帯電話の位置情報により、〇△県山田村に入ったことは警察から聞いております。その後、新宿区で位置情報が消えたそうです。私は有戸が山田村の秘密に関わって山田村の誰かに消されたのではないかと思っています。
良文君が学校に持ってきたお手紙に描かれていた蛙の左でひっくり返って笑う良文君の隣にいるお友達が家老・中島の供の者の子孫と推測しております。この供の者の子孫が『鳥獣戯画』の摸本を持っているのではないかと推測しております。他に摸本を持っているところがあっても秘宝ということで世に現れないでしょう。良文君のお友達の持っている摸本こそが世に現れることができる最後の摸本だと思っております。
私も学芸員の端くれ、中島家の浮世絵コレクションには深い敬意を払います。そして、文芸の復興を夢見ております。国宝『鳥獣戯画』の摸本が新たに見いだされれば、日本中が興味を示すことでしょう。なにせ『鳥獣戯画』は漫画の原典であるのですから。この推測通りでしたらお見せ頂くことは可能でしょうか? これを機に日本の美術界に新しい風を吹かせてみませんか?
これからも親子ともども末永くお付き合い願いますようよろしくお願いします。
謹白
⚡ ⚡ ⚡ ⚡ ⚡ ⚡ ⚡
夜も深い時間、一人の男性が中島邸を訪れた。キャベツやホウレン草など山田村産の野菜をいっぱい詰めたコンテナを両手に持った桐間貫太郎だった。
「夜遅くにすみません」
「いえいえ、いつもすみません」
中島孝之は快く桐間を迎え入れた。そして、コンテナの野菜に手を取った。
「いいですねぇ、山田村の食材は。生き生きしている。大地の力が漲っている」
「春キャベツは柔らかくて甘くて生でも炒めても美味しいですよ。きっと喜んで頂けることでしょう。今朝、掘り当てた筍も持ってきました。私の母が米糠で湯がいたので中島さんが食べて下さいな」
「ありがとうございます。桐間さんのお母さんには頭が上がりません。健康でおられますか?」
「えぇ、とても元気です。この筍も中島さんと良文君に食べさせたいと言って張り切って湯がいていましたよ」
「小さい頃から本当にお世話になっています」
「こちらこそ中島さんのおかげで母は達者に暮らしていますよ。ちなみに明日の取引は明尊寺ですよ」
「明尊寺は禅寺でしたよね。禅寺の提供する精進料理ゆえ素材の良し悪しが味を決めますからね。あそこの僧侶は洒落が分かっていいですね。それにしても、いつの時代も僧侶は美食家ですね」
二人ともクスクス笑う。山田村産の農産物は出回らない。中島と桐間が営む会社の取引先は『あはれ』を理解し、秘密が守れるところだけだ。契約農家と紹介するだけで産地は隠している。世の中の美食家、有名料理長が産地を探るが表に出ない。
中島はお茶を煎れた。山田村産の新茶はなんとも懐かしい味がする。宮本の先祖が山の斜面を切り開いて作った茶畑、今もなお栽培されており秘密の名産品となっている。とても香しい。八十八夜、乙女たちが歌う茶摘み歌、美味しさの成分になっている。化学肥料特有の臭みがない。
「いただきます」
二人とも幸せそうだ、優しい味、懐かしい味、しみじみする。桐間が持ってきた温泉水は鉄分を始めミネラルが多い。特別なお茶が二人を豊かにした。一段落したところで、中島は桐間に、
「桐間さん、宮本村長に渡して頂きたい手紙があります」
と言って田沼の手紙のコピーを渡した。桐間はその手紙を開いた。
「そうですか・・・。蛙ね、引っくりかえっちゃいますね、ケロケロ~」
二人は笑い出した。桐間は笑いすぎて涙目だ。
「あなたのご先祖は目立ち過ぎるんですよ。ほんとにもう」
「ですよねー、ほんと困りますね」
「あなたも良文君も目立つから、ほら、気付かれちゃったじゃないですか」
くっくっくっ、笑いが止まらない。
「僧侶に想われるならまだしも、田沼親子に目を付けられるなんてうんざりですよ。最悪です。親も親なら子も子、見るからに意地悪な面立ちですよ」
「あはは、相変わらず、同性にモテモテですね。あなたの心はしんいちろう君にしか向いてないのにね」
「そぉっ! その通り!」
山田村の人はよく笑う。中島も桐間もケロケロ笑う。
「それにしても、『鳥獣戯画』にまで辿り着きましたか。これはちょっと気を付けないといけませんねぇ」
「そうですね。『鳥獣戯画』は好きな人が多いですからね。日本の漫画の原点ですからね。浮世絵、それも肉筆画を愛するような人間は執拗で貪婪ですからね、有戸のように」
「とにかく、宮本村長に話して下さい。合併の話があってから柳沢知事や酒井市長から送られる密偵に警戒を強めていますが、また、厄介なのが加わった、と」
「分かりました」
桐間はすかさず返事をする。中島はさらにしんいちろうが良文に送った手紙のコピーを渡した。
「ほらっ、すごいでしょう」
「あの子はやっぱりすごいですねぇ」
二人は目を細める。そこには息を吐く蛙、それを見て大笑いする良文、しんいちろうが描かれていた。墨しか使用していないのに濃淡により色があるかのよう、柔らかい筆致で躍動感に溢れている。
「上手に模写している。すごいですねぇ」
「あの子こそ山田村の本当の宝ですから守らねば」
二人は見つめ合う。
「決戦の時が近づいていますね」
「良い準備をしましょう」
「えぇ」
二人はお茶を飲み干し、別れた。
二日後、桐間は東京での取引を終え、山田村へ向かった。東京と山田村を頻繁に行き来する桐間の自動車にはETCは付いていない。桐間はスマートフォンを持っていない。足取りを追われないために位置を知られるようなものは一切持たなかった。常に盗聴器・盗撮カメラ・GPS発信機発見器を持ち歩いていた。
流通していない山田村の農産物による収益は大きかった。販路を拡大するよりは大切な人に届けるというような直接商売だった。山田村を知られないように密かに取引していた。
村役場に自動車を止め、空になった農産物のコンテナを下ろした。山田村は気のいい人が多い。桐間が作業をしているとどこからともなく人が集まってきて手伝いをした。桐間の真面目さと優しさが人を引き寄せる。
「あれっ、宮本さん。お忙しいところすみませんね」
いつの間にか次期村長の宮本啓一郎が倉庫にコンテナを運ぶのを手伝っていた。現在は村役場の村民課で働いている。
「桐間さん、遠距離運転ご苦労様です」
宮本はちょっと強面だが、その分笑うと爽やかさが増す。昔から平和で静かに過ごそうとする山田村に情報化の波が押し寄せてくる。宮本さんはきっと難しい局面に対峙せねばならないだろう。負けられぬ、侵略者に負けるわけにはいかぬ、桐間は常に思うのだった。
「お茶にしましょう」
宮本は桐間を誘い、村役場の給湯室に向かった。桐間は早速、
「村長はいますか?」
と尋ねる。
「あぁ、今、町の巡回に行ってますよ」
と、さらっと言った。自治体のトップが走り回っているなんて山田村だけだ。山田村は優しい、人のふれあいを大切にしている。目の届く範囲しか自治しない。二人は煎れたお茶を持って会議室に行った。
「まぁ、これを見て下さい」
桐間は宮本に田沼の手紙のコピーを渡した。その場で手紙を読み始めた。表情は変わらない。読み終える。
「中島さんの先祖は相変わらずですねぇ」
「あなたのご先祖の供の者もですよ」
「桐間さんのご先祖も一緒だったかもしれませんよ」
「ほんと、揃いも揃って何やってんだか」
二人はケロケロ笑い出した。
「目立たないようにといいながら目立っちゃって、ねぇ、困った、困った」
大柄な宮本が笑う。大らかな人、未来の首長に相応しい人だ。
「中島さんが、決戦の時が近づいていると言ってましたよ」
「そうですか・・・、合併に絡んでいるのですね」
「えぇ、山田村を侵略するもの達が集まってきているようです」
二人は溜息を付く。
「村長には話しておきますよ。私から。桐間さんも村長に会ったら声掛けをお願いします」
「了解です」
「大岡さんにも耳に入れておきましょう。なにかあったときに出動してもらわないといけませんからね」
「大岡さん、ほんと、頼りになりますからね。いつでしたっけ? 立入禁止区域に入る前に止めたんですよね。睨んだだけですごすごと帰っちゃったって言ってました。疚しい心をもった人間は大岡さんに圧倒されちゃうんでしょうね。あの人、正義感に満ち溢れているから」
「立入禁止って書いてあるのに入ろうとする悪人は大岡さんに成敗されちゃいますからね」
二人はケロケロと大笑いした。よそ者はみんな大岡さんに取り押さえられる。いい気味だ。
お茶を飲み干し、二人は自分の仕事へ戻った。
「中島さんの先祖はホントにどうしようもありませんな」
翌日、農産物の管理室に村長・宮本恒一郎が現れた。
「わざわざ、お越しくださって有難う御座います」
桐間は笑いながら、隣の机の席を勧めた。
「しんいちろうの絵のうまさも困ったもんですな」
「いや、ほんとすごいですよ。素晴らしい絵師ですよ」
「中島さんが喜ぶからこんな大事になっちゃって」
「中島さんも宮本さんも僧侶を誑かすから」
「先祖です! 私は品行方正です!」
二人ともケロケロ笑う。
「柳沢知事と酒井市長が絡むと碌な事がない。ほんとに今も昔も欲が深いものが多すぎる」
「それだけここが魅力的ってことですよ」
「そうですね。絶対死守しなければなりません。よそ者の手に落ちないように、先祖の土地、財産を守らねば」
「宮本さん、あなたが村長で本当に良かった」
「そう言って頂けると嬉しいです」
二人は嬉しそうに見つめ合う。
「ちょっと監視を強化しますか。『鳥獣戯画』は人気が高いし、蛙好きの人間はいっぱいいますからね」
「なにか調達するものはありますか? 東京で仕入れてきますよ」
「精度の良い監視カメラですかね。あー、設置したくないっ!」
「全くですね。ほんと、自由を奪われるようで嫌ですね」
安全のためという名の監視、自由のはく奪。
「立入禁止の札が掛けてある木の影に設置しましょう。あー、やだやだ」
ハンサムな宮本は膨れっ面になってもかっこいい。
「私、一応、地主じゃないですか。時々見に行きますからカメラに写んなきゃなんないんですよ。最悪です。犯人みたいで」
村長、面白―い。自由をこよなく愛する村長、いい人だ。
「あはは、それでは落石注意、熊出没、マムシに注意とか注意案内を増やしますか」
「そんなので撤退する輩だったらいいんですけど、欲の皮の突っ張った集団ですからね。効き目のあるものでないと」
「この山田村には昔から欲深きものがやってきますからね」
二人はおじい様から聞いた話を思い出す。宝を狙い山田村にやってきた欲深きもの、いつも蹴散らせてきた先祖たち。私たちも侵入させないようにしなければ。決戦が近づいている、負けるわけにはいかぬ。
二人はそれぞれの役目を果たすべく、仕事に戻った。
かけっこ、やっぱり僕はビリだったよ、毎年恒例さ。足の速いお友達は一位、二位、三位の旗のもとに行く。僕はそのまま退場門へ直行だ。退場門はカメラを抱えた大人でいっぱいだ。お父さんは一番後ろにいた。お父さんはひときわ背が高い、後ろの方にいても分かる。お父さんはニコニコ笑っている、ごめんね、今年もビリだったよ、僕、遅いんだ。お父さん、笑っているよ、あぁ良かった。お父さんの周りに人がいっぱいいる。今日はひときわ多いような気がする。その中に、田沼君のお父さんがいた。お父さんを見ている・・・。
やっとお昼休み、お昼を食べにお父さんのところに向かった。うっ、斜め後ろに田沼君のお父さんが陣取っている。なんでこんなに近くなの? 後から来たさくらちゃんもびっくりしているよ、なんで?
「良文くん、こんにちは」
僕は咄嗟に頭を下げた。お父さん、どういうこと?
「さくらちゃん、こんにちは。うちの息子がどうしてもさくらちゃんと一緒にお弁当を食べたいからって入れてもらったんだ」
田村君が気まずそうな顔をしている。田沼君とさくらちゃんが仲良くしているところなんて見たことが無い。さくらちゃんはお母さんの袖を引っ張っている。さくらちゃんのお母さん、口を閉ざしている。なんだかぎこちない、大人の事情かなぁ。
「中島さん、あなたのことを調べさせてもらいましたよ」
田沼君のお父さんは僕のお父さんと話したくってしょうがないらしい。
「さくらちゃん、かけっこ、一等賞おめでとう。相変わらず、かっこいいねぇ。私は応援していたよ」
お父さんはさくらちゃんを褒め称える。さくらちゃんは嬉しそうだが、さくらちゃんのお母さんはもっと嬉しそうだ。
「田沼君も頑張っていたね。みんな、偉いよ」
田沼君にも声をかける。僕のお父さんはやっぱり爽やかだなぁ。それをきっかけにさくらちゃんのお母さんとさくらちゃんが話し始めた。さくらちゃんはおしゃべりスイッチが入ったら止まらない。今日までの練習のこと、これからの競技のこと、お昼休み後の全員参加のダンスの位置を話した。ダンスの位置だが、さくらちゃんと僕は最初は入場門近くで踊り、曲の途中でトラックを半周ほど移動し、最後は退場門近くに移動して終わることを事細かに説明した。お父さんは嬉しそうにいい感じで相槌を打ちながらさくらちゃんが話しやすいように仕向けていた。さくらちゃんのお母さんは僕とお父さんを嬉しそうに見ていた。さくらちゃんは田沼君親子をガン無視、全く見ないから僕は心の中で笑ってしまった。さくらちゃんは最強だ、強いなぁ、僕のお父さんをロックオン、他の人の侵入を許さない。田沼君のお父さんが一生懸命割り込もうとするけれど許さない。田沼君のお父さんがそれでも入り込もうとすると、さくらちゃんのお母さんが料理をとりわけ黙らせる、見事な連係プレーだ。いつもは威張りん坊の田沼君が黙っている、尻込みしている。田沼君がいじめっ子になったのはお父さんのせいかな、お父さんには何も言えないんだろうな・・・。
さくらちゃんがしゃべり続けたからあっという間に午後の部の開始時間になった。さくらちゃんに仕切られてホントよかった。
子どもたちが午後の部の競技のため、集合場所に戻っていった、
「中島さん、ちょっといいですか?」
田沼明次は周囲が見えなくなっていた、さくらちゃんの家族や他の見物客のことなどお構いなしだった。
「田沼さん、一緒に子どもたちのダンスを見ましょうよ」
中島孝之は生徒全員参加のよさこいダンスを見るために、見やすい場所へ向かう。
「あなたのことを調べさせてもらいましたよ」
中島は足早に進む。田沼は追いかけながら話しかける。
「あなたは山田村と関係している。あなたのご先祖は山田村にあった山田藩の家老だ」
「今日は私にとって大切な日なんです。息子の成長を確かめる特別な日なんです。言いたいことは手紙に書いて下さい。そして、田沼君から良文に渡してください。必ず読みますから」
中島に睨まれた田沼はようやく口をつぐんだ。中島は足早に観客の中に入った。校庭の中ではちまきを巻いた良文を見つけ、手を振った。逞しくなれ! 欲深きものが攻めてくる。強くなれ!
⚡ ⚡ ⚡ ⚡ ⚡ ⚡ ⚡
謹啓
秋冷の侯、菊の花が香る季節となりました。先日の運動会で中島様にお会いできたことを心より喜んでおります。その際にこの手紙を読んで頂けると約束して頂けたことを幸甚に存じます。
小生の勤務する江戸文化博物館の同僚・有戸が昨年十月に行方不明になりました。ネットニュースには掲載されましたが知っておられますか。
ニュースになる前に警察が博物館にやってきて、関係者への聞き取り調査と手掛かりになりそうな物の没収を行いました。博物館長・穂上が会議室で二時間以上聞き取られていました。私は有戸と同じ居室に席があるため聞き取り対象になりました。聞かれたのは行方不明になる前の有戸の様子と有戸の仕事内容でした。有戸の様子についてはほとんど気に留めておらず変わった様子はなかったと警察に話しました。また、仕事内容については彼の割り当てられたキャビネットの棚のファイルを見せて詳細に話しました。出てきた資料はほとんどが歴代館長の集めた契約書、証文、離縁状など取るに足らぬ古文書で行方不明に関係するものではないことを説明しました。彼の机の調査も立ち会いましたが引き出しの中身は行方不明の理由になるようなものはないと説明しました。その中の一つの書を見た時も、それは江戸時代中期に書かれたもので下級武士の借金の言い訳が書いてあると説明しました。古文書の読めない捜査官は疑うこともなく、行方不明の手掛かりが残ってないとして捜査を終了しました。その一つの書は私の手元に残しました。その書には随所に『あはれ』という単語が書かれていました。『あはれ』と有戸の経緯から推測されることがあります。その推測はあなたに関わっていることなので以下に説明します。
まず、行方不明になった有戸について記載します。有戸の仕事は博物館の所蔵品の保存とその来歴の調査でした。浮世絵によって名を馳せようと野心に溢れる彼にとって与えられた仕事は不本意だったようで時々舌打ちしていました。城南大学で浮世絵に関する研究を行い、語学が堪能であることを武器に数々の論文を英語で発表できたため奨励賞や論文賞を獲得し、優秀な成績を修めたのですが、なにせ学芸員は狭き門で希望していた浮世絵に関する職務の募集はどこにもありませんでした。やっと学芸員の職を得たものの彼に与えられたのは歴代の館長の収集した文字ばかりの資料でした。彼の失望は想像に難くありません。彼は暇を見つけては博物館内の浮世絵の資料を閲覧していましたがそれでは物足りず、自分で貴重な浮世絵を発見しようと試みました。自分の財産を投げうって各地を回って探していたのです。地方の豪商の家屋や蔵に浮世絵が残されているのはたまにあることだからです。彼は密かに笑える浮世絵に魅せられた真のトレジャーハンターでした。
二年前の夏、商売に失敗した大阪の古物商が蔵の中身を大放出したことがありました。その蔵で目新しいものが見つかると思った有戸は大阪に行きました。その古物商は先祖が江戸時代、長期に渡り浮世絵師たちと交流があったことで浮世絵蒐集家や研究者の中ではそれなりに有名でした。残り物には福があると期待していったものの金になるような浮世絵はとっくに出来の悪い子孫に売り払われていました。そこに残っているのは雇人の名簿や商売の台帳など文字ばかりの取るに足らぬものばかりでした。しかし、運命の徒でしょうか、肩を落とす有戸の目に飛び込んできたのは『あはれ』の文字でした。それは一人の僧の残した書でした。その僧は兼行といい、京都の有名な寺院に勤めておりました。その寺院は公家や大名と交流がありました。芸術に理解の深い寺院で優秀な仏絵師を抱えていたと記録に残っています。書を残した僧侶・兼行は感受性が高かったのでしょう。推測でしかないのですが、兼行はあなたのご先祖に恋をしました。その兼行の文の中に、三年ぶりに会ったあなたのご先祖のことが書いてありました。あなたのご先祖はその有名な寺院に三年ごとに来訪していました。美術品に造詣が深いあなたのご先祖は来訪者の中でも特別な扱いでした。その寺院は京都の真言宗御室派総本山仁和寺です。仁和寺は誰もが学ぶ『徒然草』『方丈記』に出てきており、古典と日本史において最も重要な寺院です。数々の素晴らしい文化財を所蔵する素晴らしい寺院であることより、一九九四年には世界遺産にも登録されています。芸術文化の中心であった仁和寺の僧侶と当時の一流の文化人であるあなたのご先祖は趣味が合い、交流を深めていました。お気に入りの浮世絵師に描かせる肉筆画を話し合い、書の奥深さを語り、江戸幕府の芸術に対する無粋さを笑い合っていたのでしょう。兼行の書では、広間で特別な美術品が披露されたと書いてあります。その美術品に縁のある仁和寺で山田藩の家老、かつ屈指の美術品の蒐集家としてその筋では知れ渡っていたあなたのご先祖は特別な美術品を見せて貰える事が出来たのでしょう。あなたのご先祖は供の者に筆を執らせてその美術品を模写させました。その美術品は全長が十メートル以上にもなる絵巻物でした。膨大な量のため、あなたのご先祖が仕切って模写をさせたのでしょう。
今よりももっと緩い時代で、今よりもずっと同性愛に寛容でした。武家社会においては精神的な絆を結ぶための関係であるとも考えられています。仁和寺の僧侶・兼行が残した書には、男ばかりの大寺院で美しい家老と逞しい供の者に恋焦がれる僧侶、稚児がいたと記録されていました。あなたのご先祖はさぞかし素敵でしたのでしょう。その容姿、振舞いに僧侶たちは『あはれ』と呟いたと書いてあります。美しい老中に想いを寄せる僧侶や稚児の気持ちが痛いまで伝わってきました。あなたのご先祖は逞しく美しい供の者を自慢しながら引き連れていました。二人は常に仲良しで割り込む隙がなく、兼行は供の者に嫉妬をしています。その供の者にも恋焦がれる僧侶や稚児も多くいたと記録に残っています。
良文君が学校に持ってきたお手紙には蛙が描いてあったと私の息子は言いました。蛙のキャラクターなんてこの世の中にごまんとあります。しかし、息子に聞くと非常に変な蛙だったと言います。その上、その左にはひっくり返って笑う良文君とお友達が描かれていたと言います。博物館の学芸員である私はすぐに思い当たり、息子にそのレプリカを見せたところ、そっくりだと言いました。そのレプリカは『鳥獣戯画』の甲巻の第一七、一八紙です。小学三年生の良文君に送ってきた書道の紙に描かれていたのは『鳥獣戯画』の一番有名なところの模写でした。
あなたのご先祖は書のうまい供の者を従えて、仁和寺に行きました。山田藩の藩主・神山山田守は譜代大名、寺社奉行の権力を利用できる上、一流の風流人として有名でした。仁和寺は『徒然草』『方丈記』で教科書に掲載されるほど古来より有名で僧侶も多く、公家の子弟もいました。芸術品も逸品が多く、昔からとても豊かでした。優れた絵師に朝廷が授ける名誉称号を得て出世したい浮世絵師にとって、仁和寺は朝廷に推挙してもらえる魅力的な寺院でした。
仁和寺と『鳥獣戯画』を所有する高山寺は同じ真言宗ということもあって昔から繋がりがありました。仁和寺であなたのご先祖は面白い絵巻物を見せて貰うことになったのでしょう。その美しい容姿と振舞い、機知に富んだ話をする家老と逞しい供の者は男ばかりの僧房で話題となり、広間を覗き見る僧が絶えなかったと書いてあります。江戸城で開かれる会議の極秘情報をいち早く知る地位にあり、情勢に対し見通しが良い上に勘が鋭く、当代きっての蒐集家であったあなたのご先祖は仁和寺の大僧正に気に入られ、『鳥獣戯画』を模写することを許されました。事あるごとに倹約倹約と騒ぎ立てたり、出版統制など文化を理解しない難しい役人に対し、あなたのご先祖は美しく優雅で江戸幕府が大嫌いというスタンスを貫いていたからでしょう。仁和寺の洒落と『あはれ』の分かる僧侶たちに大人気だったのでしょう。仁和寺に関わる僧侶や稚児たち、みんなあなたのご先祖に見惚れていました。供の者は美しく逞しく、仁和寺の二王門の金剛力士のような肉体を持っていたと書き残されています。絵巻物を広げ、気の知れた供の者、そして自ら筆を執り、『鳥獣戯画』を模写したと考えられます。
現在、残されている『住吉家伝来模本』『長尾家旧蔵模本』のように、私は『中島家摸本』があると思われます。芸術品をこよなく愛するあなたの先祖のことですから、その当時の『鳥獣戯画』を完璧に模写していると推測されます。現存する国宝の『鳥獣戯画』では残っていない、失われた絵があると思われます。
現在、あなたは東京で静かに過ごしていらっしゃられますが、あなたの営んでいる会社は山田藩の江戸屋敷があった場所です。何をやっているか分かりませんから私は余計に惹かれます。息子たちの通う学校は伝のない人間には入学しづらい学校です。私は多額の寄付をして同窓会の役員になり、学校の図書館に入り調査すると、過去のアルバムの中にあなたがいました。あなたのお父上も卒業生でした。名門校ゆえ進学先も載っておりました。あなたの欄には城南大学・医学部と書かれておりました。あなたのお父上も同じでした。昔からずっと医師の家系でとても優秀です。あなたは美術品蒐集家ではないが、継続することを得意とする家系であることよりご先祖の中島コレクションを残していると思われます。
現在、中島家が仕えた山田藩の山田城はなくなってしまっています。ご先祖が集めた書や浮世絵は焼失してしまったのでしょうか? いや、私はどこかに隠している、あなたと山田藩の残党がどこかに隠していると思っているのです。
仁和寺の僧侶たちはあなたのご先祖を一目見た途端、恋に落ちました。僧侶の残した書に『山田藩』『中島』の単語は出てきませんが、『あはれ』が何度も繰り返し出てきます。平均身長が百五十五センチだった江戸時代で頭一つ飛びぬけており、さらに供の者はもう一回り大きくて豊かだと書に残されております。女性を思わせる美しい家老、守護神を思わせる供の者、みんながその姿に見惚れ、恋をしたと綴られています。
浮世絵の歴史の中に山田藩の名前はありませんが、浮世絵を研究したことのある学芸員ならだれでも知っています。尾張藩、熊本藩などは後世の人間が地元の藩主を褒め称えるために表立つことが多いのですが、山田藩は後世の人間が誰も表立たせることはありません。博物館や美術館に寄贈がないし、文化財として鑑定を受けたという記録もありません。全く現れてこないのです。しかし、今回の僧侶・兼行、江戸時代の大手出版社である版元、浮世絵師の遺した書にはあなたのご先祖を『あはれ』と表現して書き残しています。美しい文化人として、褒め称えています。当時の文化人たちはあなたのご先祖を愛していました。みんな揃ってあなたのご先祖の心に入ろうと立ち回ったのですが、心は別のところにあったと書き残しています。あなたのご先祖は殿と家臣、山田藩民をこよなく愛していた、と。
あなたの供の者は気心が知れた大僧正や絵仏師に、仁王像のモデルになって欲しい、とお願いされたのではないでしょうか。浮世絵師の弟子の一人が供の者は逞しい肉体にも関わらず、とても優しい面立ちだったと書き残しています。供の者の鍛え抜かれた体と優しい面立ちのギャップに僧侶たちは心を射抜かれたのでしょう。日頃は静かな修行生活を送る僧侶たちが熱に浮かされたのは想像に難くありません。
あなたのご先祖は供の者といつも笑っていて、面白いもの、美しいもの、豊かなものをこよなく愛していました。とりわけ、人間の交わりを丁寧に描いた肉筆画を愛し、『あはれ』と感嘆している姿が名もない僧侶や絵師たちによって描き残されています。
版元や浮世絵師の記録から推測される山田藩のコレクションは有戸の心を射止めました。有名な浮世絵師の肉筆画を蒐集している上、その肉筆画が青少年保護育成条例に引っかかりそうなきわどい作品が多そうだからでしょう。大人が見たら大笑いするものばかりなのです。その稀有なコレクションの中に国宝の『鳥獣戯画』の摸本があったと知ったときの有戸の喜びは格別だったのでしょう。自分の名を馳せるには十分すぎる価値があるからです。そのため、中島家と縁のある山田村を調べ始めました。
日本の文化は開示が出来ないものが多くて困りますね。性的描写があるとどうしても嫌がるお偉いさんが多い。青少年の育成に対し、書の内容の全部又は一部に著しく性的感情を刺激し、青少年の健全な育成を阻害するものがあるとして閲覧を許していません。自分たちはこっそり楽しんでいるのですがね。私もその愛好者ですから、自分の好きなものはみんなに教えたいような、でも秘密にしたいような、なんとももどかしい気持ちを持ち続けているのですよ。
浮世絵、それも肉筆画を蒐集している藩としては前述の尾張藩、熊本藩などが有名で、美術館で特別展が開催されることがあります。また、メディアに公開してパトロンとしての藩主を称賛しています。それに対し、浮世絵コレクターの中では有名なのですがそのコレクションが全く開示されていないのが山田藩です。僧侶、絵師、版元の遺した書に『あはれ』『家老』『供の者』の単語が所々に現れているのに『山田藩』は出てきません。葛飾北斎はもちろんのこと、菱川師宣、鈴木春信、月岡雪鼎を好み、東洲斎写楽まで関係しているのにどれも表に出てきません。海外のコレクターに渡ることなく、それらが全て現存していれば、凄まじい国の宝となりましょう。しかし、山田藩のあった山田村には美術館に相当する建物がありません。山田城とともに消えてしまったと考えるのが筋だと思われます。しかし、有戸はそうは思っておらず、きっと残っていると確信して山田村に調査に出かけました。有戸の携帯電話の位置情報により、〇△県山田村に入ったことは警察から聞いております。その後、新宿区で位置情報が消えたそうです。私は有戸が山田村の秘密に関わって山田村の誰かに消されたのではないかと思っています。
良文君が学校に持ってきたお手紙に描かれていた蛙の左でひっくり返って笑う良文君の隣にいるお友達が家老・中島の供の者の子孫と推測しております。この供の者の子孫が『鳥獣戯画』の摸本を持っているのではないかと推測しております。他に摸本を持っているところがあっても秘宝ということで世に現れないでしょう。良文君のお友達の持っている摸本こそが世に現れることができる最後の摸本だと思っております。
私も学芸員の端くれ、中島家の浮世絵コレクションには深い敬意を払います。そして、文芸の復興を夢見ております。国宝『鳥獣戯画』の摸本が新たに見いだされれば、日本中が興味を示すことでしょう。なにせ『鳥獣戯画』は漫画の原典であるのですから。この推測通りでしたらお見せ頂くことは可能でしょうか? これを機に日本の美術界に新しい風を吹かせてみませんか?
これからも親子ともども末永くお付き合い願いますようよろしくお願いします。
謹白
⚡ ⚡ ⚡ ⚡ ⚡ ⚡ ⚡
夜も深い時間、一人の男性が中島邸を訪れた。キャベツやホウレン草など山田村産の野菜をいっぱい詰めたコンテナを両手に持った桐間貫太郎だった。
「夜遅くにすみません」
「いえいえ、いつもすみません」
中島孝之は快く桐間を迎え入れた。そして、コンテナの野菜に手を取った。
「いいですねぇ、山田村の食材は。生き生きしている。大地の力が漲っている」
「春キャベツは柔らかくて甘くて生でも炒めても美味しいですよ。きっと喜んで頂けることでしょう。今朝、掘り当てた筍も持ってきました。私の母が米糠で湯がいたので中島さんが食べて下さいな」
「ありがとうございます。桐間さんのお母さんには頭が上がりません。健康でおられますか?」
「えぇ、とても元気です。この筍も中島さんと良文君に食べさせたいと言って張り切って湯がいていましたよ」
「小さい頃から本当にお世話になっています」
「こちらこそ中島さんのおかげで母は達者に暮らしていますよ。ちなみに明日の取引は明尊寺ですよ」
「明尊寺は禅寺でしたよね。禅寺の提供する精進料理ゆえ素材の良し悪しが味を決めますからね。あそこの僧侶は洒落が分かっていいですね。それにしても、いつの時代も僧侶は美食家ですね」
二人ともクスクス笑う。山田村産の農産物は出回らない。中島と桐間が営む会社の取引先は『あはれ』を理解し、秘密が守れるところだけだ。契約農家と紹介するだけで産地は隠している。世の中の美食家、有名料理長が産地を探るが表に出ない。
中島はお茶を煎れた。山田村産の新茶はなんとも懐かしい味がする。宮本の先祖が山の斜面を切り開いて作った茶畑、今もなお栽培されており秘密の名産品となっている。とても香しい。八十八夜、乙女たちが歌う茶摘み歌、美味しさの成分になっている。化学肥料特有の臭みがない。
「いただきます」
二人とも幸せそうだ、優しい味、懐かしい味、しみじみする。桐間が持ってきた温泉水は鉄分を始めミネラルが多い。特別なお茶が二人を豊かにした。一段落したところで、中島は桐間に、
「桐間さん、宮本村長に渡して頂きたい手紙があります」
と言って田沼の手紙のコピーを渡した。桐間はその手紙を開いた。
「そうですか・・・。蛙ね、引っくりかえっちゃいますね、ケロケロ~」
二人は笑い出した。桐間は笑いすぎて涙目だ。
「あなたのご先祖は目立ち過ぎるんですよ。ほんとにもう」
「ですよねー、ほんと困りますね」
「あなたも良文君も目立つから、ほら、気付かれちゃったじゃないですか」
くっくっくっ、笑いが止まらない。
「僧侶に想われるならまだしも、田沼親子に目を付けられるなんてうんざりですよ。最悪です。親も親なら子も子、見るからに意地悪な面立ちですよ」
「あはは、相変わらず、同性にモテモテですね。あなたの心はしんいちろう君にしか向いてないのにね」
「そぉっ! その通り!」
山田村の人はよく笑う。中島も桐間もケロケロ笑う。
「それにしても、『鳥獣戯画』にまで辿り着きましたか。これはちょっと気を付けないといけませんねぇ」
「そうですね。『鳥獣戯画』は好きな人が多いですからね。日本の漫画の原点ですからね。浮世絵、それも肉筆画を愛するような人間は執拗で貪婪ですからね、有戸のように」
「とにかく、宮本村長に話して下さい。合併の話があってから柳沢知事や酒井市長から送られる密偵に警戒を強めていますが、また、厄介なのが加わった、と」
「分かりました」
桐間はすかさず返事をする。中島はさらにしんいちろうが良文に送った手紙のコピーを渡した。
「ほらっ、すごいでしょう」
「あの子はやっぱりすごいですねぇ」
二人は目を細める。そこには息を吐く蛙、それを見て大笑いする良文、しんいちろうが描かれていた。墨しか使用していないのに濃淡により色があるかのよう、柔らかい筆致で躍動感に溢れている。
「上手に模写している。すごいですねぇ」
「あの子こそ山田村の本当の宝ですから守らねば」
二人は見つめ合う。
「決戦の時が近づいていますね」
「良い準備をしましょう」
「えぇ」
二人はお茶を飲み干し、別れた。
二日後、桐間は東京での取引を終え、山田村へ向かった。東京と山田村を頻繁に行き来する桐間の自動車にはETCは付いていない。桐間はスマートフォンを持っていない。足取りを追われないために位置を知られるようなものは一切持たなかった。常に盗聴器・盗撮カメラ・GPS発信機発見器を持ち歩いていた。
流通していない山田村の農産物による収益は大きかった。販路を拡大するよりは大切な人に届けるというような直接商売だった。山田村を知られないように密かに取引していた。
村役場に自動車を止め、空になった農産物のコンテナを下ろした。山田村は気のいい人が多い。桐間が作業をしているとどこからともなく人が集まってきて手伝いをした。桐間の真面目さと優しさが人を引き寄せる。
「あれっ、宮本さん。お忙しいところすみませんね」
いつの間にか次期村長の宮本啓一郎が倉庫にコンテナを運ぶのを手伝っていた。現在は村役場の村民課で働いている。
「桐間さん、遠距離運転ご苦労様です」
宮本はちょっと強面だが、その分笑うと爽やかさが増す。昔から平和で静かに過ごそうとする山田村に情報化の波が押し寄せてくる。宮本さんはきっと難しい局面に対峙せねばならないだろう。負けられぬ、侵略者に負けるわけにはいかぬ、桐間は常に思うのだった。
「お茶にしましょう」
宮本は桐間を誘い、村役場の給湯室に向かった。桐間は早速、
「村長はいますか?」
と尋ねる。
「あぁ、今、町の巡回に行ってますよ」
と、さらっと言った。自治体のトップが走り回っているなんて山田村だけだ。山田村は優しい、人のふれあいを大切にしている。目の届く範囲しか自治しない。二人は煎れたお茶を持って会議室に行った。
「まぁ、これを見て下さい」
桐間は宮本に田沼の手紙のコピーを渡した。その場で手紙を読み始めた。表情は変わらない。読み終える。
「中島さんの先祖は相変わらずですねぇ」
「あなたのご先祖の供の者もですよ」
「桐間さんのご先祖も一緒だったかもしれませんよ」
「ほんと、揃いも揃って何やってんだか」
二人はケロケロ笑い出した。
「目立たないようにといいながら目立っちゃって、ねぇ、困った、困った」
大柄な宮本が笑う。大らかな人、未来の首長に相応しい人だ。
「中島さんが、決戦の時が近づいていると言ってましたよ」
「そうですか・・・、合併に絡んでいるのですね」
「えぇ、山田村を侵略するもの達が集まってきているようです」
二人は溜息を付く。
「村長には話しておきますよ。私から。桐間さんも村長に会ったら声掛けをお願いします」
「了解です」
「大岡さんにも耳に入れておきましょう。なにかあったときに出動してもらわないといけませんからね」
「大岡さん、ほんと、頼りになりますからね。いつでしたっけ? 立入禁止区域に入る前に止めたんですよね。睨んだだけですごすごと帰っちゃったって言ってました。疚しい心をもった人間は大岡さんに圧倒されちゃうんでしょうね。あの人、正義感に満ち溢れているから」
「立入禁止って書いてあるのに入ろうとする悪人は大岡さんに成敗されちゃいますからね」
二人はケロケロと大笑いした。よそ者はみんな大岡さんに取り押さえられる。いい気味だ。
お茶を飲み干し、二人は自分の仕事へ戻った。
「中島さんの先祖はホントにどうしようもありませんな」
翌日、農産物の管理室に村長・宮本恒一郎が現れた。
「わざわざ、お越しくださって有難う御座います」
桐間は笑いながら、隣の机の席を勧めた。
「しんいちろうの絵のうまさも困ったもんですな」
「いや、ほんとすごいですよ。素晴らしい絵師ですよ」
「中島さんが喜ぶからこんな大事になっちゃって」
「中島さんも宮本さんも僧侶を誑かすから」
「先祖です! 私は品行方正です!」
二人ともケロケロ笑う。
「柳沢知事と酒井市長が絡むと碌な事がない。ほんとに今も昔も欲が深いものが多すぎる」
「それだけここが魅力的ってことですよ」
「そうですね。絶対死守しなければなりません。よそ者の手に落ちないように、先祖の土地、財産を守らねば」
「宮本さん、あなたが村長で本当に良かった」
「そう言って頂けると嬉しいです」
二人は嬉しそうに見つめ合う。
「ちょっと監視を強化しますか。『鳥獣戯画』は人気が高いし、蛙好きの人間はいっぱいいますからね」
「なにか調達するものはありますか? 東京で仕入れてきますよ」
「精度の良い監視カメラですかね。あー、設置したくないっ!」
「全くですね。ほんと、自由を奪われるようで嫌ですね」
安全のためという名の監視、自由のはく奪。
「立入禁止の札が掛けてある木の影に設置しましょう。あー、やだやだ」
ハンサムな宮本は膨れっ面になってもかっこいい。
「私、一応、地主じゃないですか。時々見に行きますからカメラに写んなきゃなんないんですよ。最悪です。犯人みたいで」
村長、面白―い。自由をこよなく愛する村長、いい人だ。
「あはは、それでは落石注意、熊出没、マムシに注意とか注意案内を増やしますか」
「そんなので撤退する輩だったらいいんですけど、欲の皮の突っ張った集団ですからね。効き目のあるものでないと」
「この山田村には昔から欲深きものがやってきますからね」
二人はおじい様から聞いた話を思い出す。宝を狙い山田村にやってきた欲深きもの、いつも蹴散らせてきた先祖たち。私たちも侵入させないようにしなければ。決戦が近づいている、負けるわけにはいかぬ。
二人はそれぞれの役目を果たすべく、仕事に戻った。
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