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挿話 山田医院
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山田村唯一の診療所・山田医院は江戸時代に建てられた古い建物で看板がないから知らない人にとっては診療所だとはとても想像できない。
医療費の負担を減らすために『健康第一』を宮本村長は村民に直々にお願いしていた。入学式、運動会などの挨拶で、
「健康でいて下さい!」
と頼んでいた。高齢者の住む家には日頃、自警団や見守り隊が巡回して様子を窺っていた。その巡回に村長もひょっこり参加していることがあった。夜に出歩く場所もなく早寝早起きが村民に浸透していた。そんな風だから病気になることが少なく、急患は数えるほどだった。
多恵は隣接する〇△市の大病院で受けた人間ドックの結果を見せに山田医院にやって来た。古い建物の中の受付と待合室はずっと前から変わらない。時間が止まっているかのようだ。他に誰もいない。受付を済ませるとすぐに診察室に通された。やっぱりここも以前と変わらない。一人の痩せた老人が座っていた、この山田村のただ一人の医師、山田医院の院長だ。
「先生、お忙しいところすみません」
「忙しいなんてとんでもない。常にガラガラ、皆さんが健康で何よりです。医者と警察は暇が一番ですよ」
多恵は黙って人間ドックの結果を渡す。院長は受け取って眺める。
「問診で言われましたよね」
「えぇ、すぐに入院して手術を受けるように言われました」
「そうですか・・・」
多恵は院長を静かに見ている。院長の眼差しは優しい。
「残念ながら私はやぶ医者なのでこれ以上は多恵さんを診察できません。頑張って治療に専念して下さい」
多恵は中島を見つめる。
「先生、先生にはもう診て頂けないのでしょうか?」
多恵の目には涙が溜まっている。
「やぶ医者なのでね、これ以上は無理ですね」
院長は微笑む。
「先生に私の孫を取り上げてもらいました。娘も先代の中島先生に取り上げて頂きました。そして、母は先代の中島先生に看取って頂きました。私も先生に看取って欲しいです」
「治療すれば治るかもしれませんよ」
「入院してしまったらここに戻れないんじゃないでしょうか?」
「それはなんとも言えません。私はやぶ医者なのでね」
「治らなかったら、私はもうここに戻れませんよね」
院長・中島良明は何も言わない。
「私はここを離れたくないです。ずっとここにいたい。みんなと一緒にいたい」
「少し現実的な話をしましょう。家にいるということは、家族の肉体的疲労、精神的負担は計り知れません。お母さまの時を思い出して下さい。大変だったでしょう。外部に頼ることも考えてみましょう」
「はい・・・」
多恵は静かに答える。二十五年前を思い出す。母の弱っていく姿を見て泣き、動けなくなった時の身の回りの世話は大変だった。
「母は幸せそうでした。母は山田村で生涯を終えることを喜んでいました。母はずっと雷山に御座す雷様を信じていました。雷様が迎えに来てくれる、そしてずっと一緒にいて下さると」
中島は多恵の話を聞いていた。いつも聞く言葉『ずっと一緒』。
「母は先代の中島先生に看取って頂きました。とても安らかな顔でした。家族とともに過ごせた日々、なんと素晴らしい人生だったことでしょう。私もそうなりたいのです」
「あはれ・・・」
「母の時は自警団や見回り隊の人が来てくれました。宮本村長も来てくれました。なんと励みになったことでしょう」
中島は静かに微笑む。多恵を始め、この村の人は『あはれ』を感じている。世の中はいろいろ代わっているようだが、この村は変わらず『ずっと』が続いている。先祖が大事にしてきた人を想う気持ち。
「分かりました。しかし、娘さんの家族と話し合って決めて下さい。お孫さんにも聞いて下さい。あなたとご家族の決めたことをできる限り尊重します」
「中島先生はいつも素敵です。おばあちゃんも母も私も娘も孫も大切に診て下さった」
「ずっとここにいますからね」
「私もずっとここにいたいです。薬で自分が分からなくなるより、自分の意思でここにいて幸せを噛みしめて終わりたいです」
中島は溜息を付く。
「私は痛みを和らげてあげるくらいしかできませんよ」
「十分です」
中島は目頭を押さえる。一緒だ、母の時もそうだった、歴史は繰り返す。みんな自分で最期を決める。私の役目はみんなの意思を尊重すること、自由を愛すること、人を愛すること。
「多恵さん、あなたはまだお若いんですよ。治療に挑んでもいいんですよ」
「家族と話し合いますね。今日はお騒がせして申し訳ありませんでした」
多恵は嬉しそうに山田医院を後にした。
中島は目を閉じていた。
「しんいちろう」
「はい」
隣の部屋からしんいちろうが入ってきた。
「聞いていたかい?」
「はい」
「どう思う?」
「多恵さんの気持ちを尊重したいと思います」
「そうか、お前もそう思うか」
「はい」
「お前は優しいねぇ・・・」
中島はしんいちろうを抱き寄せた。
「私もいつかお前と孝之に看取ってもらう日が来る。それまでは頑張って希望する人を看取ってあげるつもりさ」
「はい」
「しんいちろうがいてくれて私は本当に幸せだよ」
「中島様は歴史の中で繰り返し現れる良い人『よっちゃん』です」
二人はしばらくそのまま体を寄せ合っていた。
医療費の負担を減らすために『健康第一』を宮本村長は村民に直々にお願いしていた。入学式、運動会などの挨拶で、
「健康でいて下さい!」
と頼んでいた。高齢者の住む家には日頃、自警団や見守り隊が巡回して様子を窺っていた。その巡回に村長もひょっこり参加していることがあった。夜に出歩く場所もなく早寝早起きが村民に浸透していた。そんな風だから病気になることが少なく、急患は数えるほどだった。
多恵は隣接する〇△市の大病院で受けた人間ドックの結果を見せに山田医院にやって来た。古い建物の中の受付と待合室はずっと前から変わらない。時間が止まっているかのようだ。他に誰もいない。受付を済ませるとすぐに診察室に通された。やっぱりここも以前と変わらない。一人の痩せた老人が座っていた、この山田村のただ一人の医師、山田医院の院長だ。
「先生、お忙しいところすみません」
「忙しいなんてとんでもない。常にガラガラ、皆さんが健康で何よりです。医者と警察は暇が一番ですよ」
多恵は黙って人間ドックの結果を渡す。院長は受け取って眺める。
「問診で言われましたよね」
「えぇ、すぐに入院して手術を受けるように言われました」
「そうですか・・・」
多恵は院長を静かに見ている。院長の眼差しは優しい。
「残念ながら私はやぶ医者なのでこれ以上は多恵さんを診察できません。頑張って治療に専念して下さい」
多恵は中島を見つめる。
「先生、先生にはもう診て頂けないのでしょうか?」
多恵の目には涙が溜まっている。
「やぶ医者なのでね、これ以上は無理ですね」
院長は微笑む。
「先生に私の孫を取り上げてもらいました。娘も先代の中島先生に取り上げて頂きました。そして、母は先代の中島先生に看取って頂きました。私も先生に看取って欲しいです」
「治療すれば治るかもしれませんよ」
「入院してしまったらここに戻れないんじゃないでしょうか?」
「それはなんとも言えません。私はやぶ医者なのでね」
「治らなかったら、私はもうここに戻れませんよね」
院長・中島良明は何も言わない。
「私はここを離れたくないです。ずっとここにいたい。みんなと一緒にいたい」
「少し現実的な話をしましょう。家にいるということは、家族の肉体的疲労、精神的負担は計り知れません。お母さまの時を思い出して下さい。大変だったでしょう。外部に頼ることも考えてみましょう」
「はい・・・」
多恵は静かに答える。二十五年前を思い出す。母の弱っていく姿を見て泣き、動けなくなった時の身の回りの世話は大変だった。
「母は幸せそうでした。母は山田村で生涯を終えることを喜んでいました。母はずっと雷山に御座す雷様を信じていました。雷様が迎えに来てくれる、そしてずっと一緒にいて下さると」
中島は多恵の話を聞いていた。いつも聞く言葉『ずっと一緒』。
「母は先代の中島先生に看取って頂きました。とても安らかな顔でした。家族とともに過ごせた日々、なんと素晴らしい人生だったことでしょう。私もそうなりたいのです」
「あはれ・・・」
「母の時は自警団や見回り隊の人が来てくれました。宮本村長も来てくれました。なんと励みになったことでしょう」
中島は静かに微笑む。多恵を始め、この村の人は『あはれ』を感じている。世の中はいろいろ代わっているようだが、この村は変わらず『ずっと』が続いている。先祖が大事にしてきた人を想う気持ち。
「分かりました。しかし、娘さんの家族と話し合って決めて下さい。お孫さんにも聞いて下さい。あなたとご家族の決めたことをできる限り尊重します」
「中島先生はいつも素敵です。おばあちゃんも母も私も娘も孫も大切に診て下さった」
「ずっとここにいますからね」
「私もずっとここにいたいです。薬で自分が分からなくなるより、自分の意思でここにいて幸せを噛みしめて終わりたいです」
中島は溜息を付く。
「私は痛みを和らげてあげるくらいしかできませんよ」
「十分です」
中島は目頭を押さえる。一緒だ、母の時もそうだった、歴史は繰り返す。みんな自分で最期を決める。私の役目はみんなの意思を尊重すること、自由を愛すること、人を愛すること。
「多恵さん、あなたはまだお若いんですよ。治療に挑んでもいいんですよ」
「家族と話し合いますね。今日はお騒がせして申し訳ありませんでした」
多恵は嬉しそうに山田医院を後にした。
中島は目を閉じていた。
「しんいちろう」
「はい」
隣の部屋からしんいちろうが入ってきた。
「聞いていたかい?」
「はい」
「どう思う?」
「多恵さんの気持ちを尊重したいと思います」
「そうか、お前もそう思うか」
「はい」
「お前は優しいねぇ・・・」
中島はしんいちろうを抱き寄せた。
「私もいつかお前と孝之に看取ってもらう日が来る。それまでは頑張って希望する人を看取ってあげるつもりさ」
「はい」
「しんいちろうがいてくれて私は本当に幸せだよ」
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