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piece9 何にもうまくできないの
母のカモミールティーは心がほどける
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***
急いで髪と身体を洗い、風呂を出る。
鏡すら殆ど見ずに、適当に髪を乾かして、悠里は2階の自室に上がった。
薄暗い部屋に身を滑り込ませ、扉を閉めると、自然と溜め息が零れ落ちる。
長い、1日、だった。
エリカと話して、抱いた希望。
彼と会って、渡された絶望。
希望から絶望への長い長い下り坂を、一気に転がり落ちた。
心が擦り切れて、もう、ボロボロだ。
悠里は、ラグの上まで辿り着くと、ペタリとそこに座り込んだ。
「……駄目だった」
『きっと、元に戻れるよ』
あの、華のような笑顔で、励ましてくれた優しい声を思い出す。
悠里は、笑いとも、嗚咽ともつかない吐息を零した。
「駄目だったの……エリカさん……」
誰かに縋り付いて、大声で泣きたい衝動が、唇をついて出た。
もう駄目だと、心が溢れ出しそうになった、そのときだった。
コンコン、と、優しいノックの音がした。
ハッと悠里は目を上げる。
咄嗟に、声が出なかった。
扉の外から、逡巡する気配が漂ってくる。
しかし、少しの間を置いて、扉はそっと開かれた。
「……お母さん」
悠里を見ると、母はとても、悲しそうな顔をした。
けれど母はすぐに、優しい微笑を浮かべて言う。
「悠里。良かったら、カモミールティーはどう? よく眠れるように、ハチミツも入れたの」
「う、うん。ありがとう」
「電気をつけても?」
「あ、うん大丈夫」
母は小さなトレイに、ティーポットとカップを乗せていた。
電気を付けると、母は部屋に入ってきて、ローテーブルにトレイを置く。
カモミールの甘酸っぱさと、ハチミツの混ざり合った、優しい香りがした。
母が、鼻歌交じりに紅茶を淹れてくれる。
その優雅な動作を見るのが後ろめたいような気持ちになり、悠里は思わず目を伏せた。
電気すら付けずに、暗い部屋で座っていた自分を、母はどう見ただろう。
扉が開いたとき、一瞬見えた母の悲しい顔が、フラッシュのように悠里の脳裏に焼き付いている。
それでも母は何も言わず、何も聞かない。
悠里が話したがらないことを、無理に問い正したりはしない。
ただ隣に座って、紅茶を用意してくれる。
悠里の心に、寄り添おうとしてくれる優しさが、切ない。
「どうぞ、悠里」
「ありがとう。いただきます」
悠里は意識して、にっこりと微笑んだ。
ハチミツの甘さが溶けたカモミールティーは美味しくて、温かくて。
悠里の心の強張りを、幾分和らげてくれた。
「悠里。いつもお家のこと、がんばってくれて、ありがとう」
「そ、そんな。何もしてないよ」
急にお礼を言われ、悠里は慌てて首を横に振る。
すると母は笑って、頭を撫でてくれる。
「今日帰ったら、家中がいつも以上に綺麗に掃除してあって。本当に、どこもピカピカで。お母さん、ビックリしたのよ?」
母に心配かけたくない――何も、気取られたくない。
そう思って、丁寧に掃除をした。
違和感のないようにやったつもりが、むしろ裏目に出たかも知れない。
かえって母に心配をさせる種になったかも知れない……
何と答えて良いかわからず、曖昧な微苦笑を零した悠里に、母は微笑みかけた。
「本当に、いつもありがとう」
「う、ううん。お母さんもお父さんも、お仕事がんばってくれてるから」
明るい声で答えた悠里を、母は優しい瞳で、じっと見つめた。
急いで髪と身体を洗い、風呂を出る。
鏡すら殆ど見ずに、適当に髪を乾かして、悠里は2階の自室に上がった。
薄暗い部屋に身を滑り込ませ、扉を閉めると、自然と溜め息が零れ落ちる。
長い、1日、だった。
エリカと話して、抱いた希望。
彼と会って、渡された絶望。
希望から絶望への長い長い下り坂を、一気に転がり落ちた。
心が擦り切れて、もう、ボロボロだ。
悠里は、ラグの上まで辿り着くと、ペタリとそこに座り込んだ。
「……駄目だった」
『きっと、元に戻れるよ』
あの、華のような笑顔で、励ましてくれた優しい声を思い出す。
悠里は、笑いとも、嗚咽ともつかない吐息を零した。
「駄目だったの……エリカさん……」
誰かに縋り付いて、大声で泣きたい衝動が、唇をついて出た。
もう駄目だと、心が溢れ出しそうになった、そのときだった。
コンコン、と、優しいノックの音がした。
ハッと悠里は目を上げる。
咄嗟に、声が出なかった。
扉の外から、逡巡する気配が漂ってくる。
しかし、少しの間を置いて、扉はそっと開かれた。
「……お母さん」
悠里を見ると、母はとても、悲しそうな顔をした。
けれど母はすぐに、優しい微笑を浮かべて言う。
「悠里。良かったら、カモミールティーはどう? よく眠れるように、ハチミツも入れたの」
「う、うん。ありがとう」
「電気をつけても?」
「あ、うん大丈夫」
母は小さなトレイに、ティーポットとカップを乗せていた。
電気を付けると、母は部屋に入ってきて、ローテーブルにトレイを置く。
カモミールの甘酸っぱさと、ハチミツの混ざり合った、優しい香りがした。
母が、鼻歌交じりに紅茶を淹れてくれる。
その優雅な動作を見るのが後ろめたいような気持ちになり、悠里は思わず目を伏せた。
電気すら付けずに、暗い部屋で座っていた自分を、母はどう見ただろう。
扉が開いたとき、一瞬見えた母の悲しい顔が、フラッシュのように悠里の脳裏に焼き付いている。
それでも母は何も言わず、何も聞かない。
悠里が話したがらないことを、無理に問い正したりはしない。
ただ隣に座って、紅茶を用意してくれる。
悠里の心に、寄り添おうとしてくれる優しさが、切ない。
「どうぞ、悠里」
「ありがとう。いただきます」
悠里は意識して、にっこりと微笑んだ。
ハチミツの甘さが溶けたカモミールティーは美味しくて、温かくて。
悠里の心の強張りを、幾分和らげてくれた。
「悠里。いつもお家のこと、がんばってくれて、ありがとう」
「そ、そんな。何もしてないよ」
急にお礼を言われ、悠里は慌てて首を横に振る。
すると母は笑って、頭を撫でてくれる。
「今日帰ったら、家中がいつも以上に綺麗に掃除してあって。本当に、どこもピカピカで。お母さん、ビックリしたのよ?」
母に心配かけたくない――何も、気取られたくない。
そう思って、丁寧に掃除をした。
違和感のないようにやったつもりが、むしろ裏目に出たかも知れない。
かえって母に心配をさせる種になったかも知れない……
何と答えて良いかわからず、曖昧な微苦笑を零した悠里に、母は微笑みかけた。
「本当に、いつもありがとう」
「う、ううん。お母さんもお父さんも、お仕事がんばってくれてるから」
明るい声で答えた悠里を、母は優しい瞳で、じっと見つめた。
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