甘いカラダのつくり方~本物の恋の仕方教えます~

恵喜 どうこ

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第八話 これはなんの罰ゲーム?

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――これは一体なんの罰ゲーム?

 あの男、星野龍星と出会ってから悪夢が続いている。
 振り返ってみれば、あの男と出会う前の日常のなんと平和だったことか。
 そう思わずにはいられないほど劇的に自分の人生というか、生活というかが一変しようとしていた。
 目の前の壁に貼り出された紙に、私の目は釘付けになっている。

『辞令』

 そう書かれた張り紙には部署異動者の名前が大きく載っていた。
 そして、その異動者の名前というのがそう、私だったんだから。

「広報第二事業部……?」

 大手化粧品メーカーの末端事務職の私がなぜ、四月でもなんでもない六月という時期外れに異動になるのか?
 それに加えて『広報事業部』ならともかく広報事業部に第二があるなんて話は入社以来この方聞いたことも見たこともない。
 仕事で大きなミスをやらかした覚えもない。
 入社して5年目になると周りが数年で入れ替わっていくけれど、寿の噂も可能性的なものも特になしだし、可もなく不可もなく日々を過ごして中堅ポジションになってきたというのに、だ。

 もしや、昨日の一件が原因なんだろうか?
 いや、仮に取締役までその話が広まっていたとしよう。
 問題の因子とされたんなら、もっと仕事に絡まない雑務部署に配属されるのがいいところだと思うんだけど?
 もしくは辞職してくれとかなんとか話があってもよさそうなのに。
 とはいえ、昨日の一件くらいで仕事を辞めさせられるというのはあまりに理不尽極まりない。
 どう考えても左遷ではなくて、どちらかというと栄転といえるものなのではなかろうか?

 ――やだよお。

 転勤も昇級もしたくないから一般職の事務職の面接を受けたというのに、どうしてよりによって総合職の巣窟に行かねばならないんだろう。

 ――めっちゃやだよお。

 周りに人だかりができている。
 私を盗み見ながら、皆ひそひそひそひそ好き勝手につぶやいてくれている。

『あの子よ、あの子』
『昨日のあれってなにかのパフォーマンスだったんじゃないの』

 そんなひそひそ、こそこそ話から逃げるようにその場を後にする。
 部署に戻っても視線が突き刺さる。
 中でも一際鋭い視線を投げかけてきたのが美波だった。

「なにしに来たのかしら、藤崎さん。ここにはもうあなたの席はないわよ?」

 今までは『愛希ちゃん』と人懐っこく呼んでいた美波の口調は掌を返したように他人行儀なものに変わっていた。
 たった一日でここまで変われるもの? と疑問を抱くほうがおかしいんだろうか?
 女の恨みは恐ろしい。

「さっさと広報第二事業部とやらに行きなさいよ。それとも自慢しに来たのかしら? 本当、やな女」

 そう言って美波が私をなじって、同時に周りの女子社員に同意を求めた。
 すると周りの女子社員も同じように嫌な顔つきして大きくうなずく。

「ご……めんなさい。そんなつもり……なかったんだけど……」

 精一杯の笑顔を作ってくるりと背中を向ける。
 扉を開けたところでまた美波の嫌味が聞こえてくる。

「大人しそうな顔をしておいて、こんなことしれっとできちゃうんだから、こわぁい女」

 男子のいない部署というのは恐ろしい。
 被っていた皮をばっさり脱ぎ捨て女の本性が剥き出しになる。
 怖いのはどっちだよ……と言いかけて、それも飲み込んだ。

 争っても意味がない。
 傷口を広げてどうする?
 これ以上、自分の嫌な噂が出回るのはごめんこうむりたい。
 平和に暮らしたい。
 平和な日々を送りたい。
 プライベートはとにかく、職場くらいは穏やかであってほしい。
 だから余分なことは言うな。
 それが火種になって、火のないところにも火が立つ結果になってしまうのはどうしたって避けたほうがいい。
 これは利口な処世術。

 今まで5年間お世話になっていた部署を静かに後にして、新しい所属部署に向かう。
 すれ違う人が皆こちらを見る。
 立ちどまる人。
 すれ違い様に嫌な視線を差し向ける人。
 様々あれど、どうにも目立って仕方ない。
 地味な事務職ユニフォームが明らかに悪目立ちしている。
 だけど、私服に着替えたところでそれなりに目立ってしまうことは間違いない。
 洗練されたキャリアウーマンファッションは自分とは無縁なわけだし、そんな格好もしたことがない。

 だからそのまま地味な事務職ユニフォームで目標の場所を探す。
 広報事業部の扉の前を通りすぎ、さらに奥へと歩を進める。
 ここから先は会議室ばかりな気がするが、その中でも一番小さな部屋――広さにして6畳ほどの大きさしかない会議室の扉に吊るされた『広報第二事業部』の扉を不審に思いながらもノックする。

 返事がない。
 どうしたものかと一考した後、致し方なく扉を開いて伺うように部屋の中へ入る。
 部屋には二つ机が置かれていた。
 そのひとつに人が座っている。
 デスクに深々と腰を下ろした人物がゆっくりと視線を寄越した。

「キミが藤崎君? ずいぶん地味だな」
『予想はしていたけれど、予想以上だな』

 といらない一言まで付け加えて、真っ黒なサラサラのストレートの短髪の端正な顔立ちの男性がこぼした。
 真っ黒な黒縁眼鏡が印象的な男性は眼鏡の奥の切れ長の瞳を光らせてこちらを見つめている。
 ダークスーツをかっちりと着こなした厳しい顔の主には見覚えがある。
 すぐさま卓上に備え付けられたネームプレートに目を走らせて納得した。

『広報第二事業部長』

「高嶺《たかみね》亨《とおる》……常務?」

 高嶺という名をこの会社に入った人間は誰もが知っている。
 取締役常務であり、この会社の社長の御子息。
 もっと言ってしまえば未来の社長様。
 非情にクールで頭が切れて、おそろしくルックスもいいというそんなお方が目の前にいて、緊張しないほど太い神経はしていなかった。

「も……申し訳ありません……」

 なにに対して謝っているのかもわからないけど、とりあえず頭を下げる。
 地味な自分か。
 地味な服装しかしていない自分か。
 まともな挨拶ができない自分か。
 とにもかくにも私、残念すぎる。

「急な辞令で驚いたと思うが、そういうことだ。理解しろ」

 初対面の末端社員に対して、なんという威圧的なモノの言い方なんだろうか?
 末端ゆえか?
 社長のご子息だからか?
 未来の社長様だからか?
 いや、これ単なるパワハラ上司?

「あの……」
「キミは『星野龍空』と知り合いだそうだな。しかも『特別な関係』だとか。間違いないか?」

 やはりあの男が絡んだ結果がこれなのか――と、ため息が出そうになるのを必死でこらえる。
 がしかし、この質問にはどう答えるべきなのか。
 知り合いだと言えるから、これはYES。
 特別な関係ではないから、これはNO。

 しかし、それをどうやってこの威圧的な上司に説明したらいいんだろう?
 ちらりと高嶺を見る。

 ――目力ありすぎ!

 肉食獣ばりの目力に、すぐさま目をそらす。
 そのまま事実を説明したところで納得してもらえそうな雰囲気は皆無そのものだ。
 だけど、ここで変にウソをついたとして、後でそれを突かれたら自分の立場が危うい。

 どうする?
 どうする?
 どうする、愛希!?

 すると返答にまごついている私に、返事はいらないというような答えが高嶺から発せられた。

「答えがないということは事実だということとしてこちらは捉えさせてもらう。まあ、キミの答えなどこちらには関係ないからな」

 ――それならわざわざ聞かなくてもいいじゃない!

 しかし今はそんなことは言えない。
 言った瞬間に即死レベルの返答が来ることが予想できる。
 今どころか、後になってもそれは言わないほうがいいだろう。
 本能的にそう思う。

「キミの役目を言い渡す」

『役目』という言葉が恐ろしい。
 いや、『役目』なるものがなかったらおそらくこの部署への転属なんかなかったとは予想できるけど。
 できればその『役目』とやらが至極簡単なものでありますようにと願ってやまない。
 どうか神様――と心の中で祈ろうとしてやめる。
 最近の神様は信用できない。

 鬼上司っぷりを発揮している高嶺は両手を顎のところで組んで、こちらを見据えながら続けた。

「星野龍空を口説き落とせ」
「は?」
「もう一度だけ言う。一か月以内に星野龍空を口説きおとせ、いいな」
「なんで……ですか?」

 高嶺は答えない。
 口答えするな。
 権利はない。
 と、目が訴えている。

 ――なんでそうなるのよ!

『星野龍空』という名のあのバカホストを『一か月以内』に『口説き落とす』?
 なんで?
 どうして?
 これ、なにかの間違いだよね?

「あの……できなかったら?」

 恐る恐る聞いた問いに、高嶺は顔色一つ変えずに告げた。

「辞職してもらう」

 辞職?
 できなかったら辞職?
 それ、完全にパワハラじゃん!

「強制的な辞職は冗談だ。とりあえず地方の我が社の工場ラインで働いてもらう。その後の自主退社については自由だ。好きにしてもらって構わない」

 思わず見開いてしまった目で高嶺を見つめ返す。
 だけど高嶺の顔は真顔そのもので、冗談を言っている様子はかけらもない。

「拒否権はない。地方出向が嫌ならば死ぬ気でやれ」

 そう言ってニヤリと意地悪くほほ笑む高嶺の顔に、なぜか龍空の顔が一瞬重なって見えた。
 雰囲気も言葉遣いもなにもかもが真逆なのに嫌なくらい似ている。

 ――バカホスト! 覚えてろよ!

 星野龍空という名の悪魔とは別の悪魔が降臨した不運を嘆く暇もなく、私の人生は想像もしない波乱の渦中へと容赦なく飲み込まれようとしていた。

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