江雲記―六角定頼に転生した舐めプ男の生涯―

藤瀬 慶久

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箕浦河原の合戦(1)

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 ・大永八年(1528年) 七月  近江国坂田郡 鎌刃城  蒲生高郷


 いよいよ朝倉との開戦を明日に控え、平井加賀守殿(平井高安)、三雲新九郎殿(三雲資胤)と共に酒を飲んでいる。何とはなしに声を掛けたが、二人共喜んで応じてくれた。
 今宵も月は雲に隠れて薄らと辺りを照らすだけだ。

 室内の灯明は魚油を使っているが、菜種油に比べてやはり匂いが気になる。
 だが、この魚油のおかげで庶民にも灯明が広く行き渡るようになった。菜種油に比べて格段に安いから、これなら気兼ねなく使えるというものだ。

「やはり匂いが気になりますな」

 三雲殿が顔をしかめて鼻に指を当てる。

「左様ですな。安くて気兼ねなく使えるのは良いのですが、やはり匂いがちと……」

 平井殿も同じように鼻を抑える。皆気持ちは同じようだな。

「ふふふ。明日死ぬかもしれぬというのに、今宵の油の匂いが気になる。人とは不思議なものですな」

 儂の一言に三人で笑う。思えばこの三人で笑い合う日が来るとは、若い頃には想像もしていなかった。

「不思議なものですな。昔は散々に戦いあった我らが、今はこうして隅立て四ツ目結の旗の元で共に陣中で酒を飲んでいる」
「左様ですな。いや、蒲生殿を相手にするといつも儂ら平井は及び腰で矢を放っておりました。何せ、矢を三つ四つ放つ間に接近されてしまう。あれほど速い戦はないと胆を冷やしたものでござる」
「それを言うならば、儂も平井と相対すると盾が手放せなんだ。いつどこから矢が飛んで来るか冷や冷やしながら進んだものでござるよ」

「お二方とも甲賀にとっては目の前の壁になっておりましたからなぁ」

 三雲殿もにこやかにほほ笑みながら話に加わる。

「いやいや、甲賀衆に山中に入られると尻尾を巻きたくなっておったものでござる。何せ、木の上から突然石や矢が降って来る。木々の中をキョロキョロしながら進むのは我ながら臆病なと自嘲したものだが、それでもそうせざるを得ませんでしたからな」

「お互いに、年を取ったものでございますな」

 平井殿が少ししんみりと話す。

 ……そうだな。平井殿も御子息は既に二十八。戦の采配も大部分は任せておられる。
 三雲殿も御子息が御屋形様のお側で良く働いているし、我が倅ももう嫁を迎える年になった。
 我らも年を取るわけだな。御屋形様の御父君の六角高頼公とも時には敵として戦い、時には協力者として共に戦うという関係だった。今のように六角の旗の元で戦うことになろうとは夢にも思っていなかった。

「そういえば美濃の斎藤が近江に侵入した時以来ですかなぁ。このように近江が一丸となるのは。いや、あの時も京極は京極家中で、六角は六角家中で内紛を抱えておりましたか」
「左様ですな。近江は長い間一つになることが無かった。南北に分かれ、さらにその中で小さく争うことが常であった。この戦に勝てば、今度こそ御屋形様の元に近江が一つにまとまりましょう」

 近江だけではない。今は天下のあらゆる国が相争っておる。近江は良き守護様を得たものだ。
 それに、息子たちも頼もしくなってきている。ゆめ、簡単に朝倉に敗れることなどあるまい。

「さて、そろそろ明日の出陣に備えますか」
「いやいや、もう一献」
「はっはっは。参りましたな」

 これでは明日の出陣に障ってしまうかもしれん。若い頃はこのくらいの酒で何ということも無かったのだが今は……
 まったく、年は取りたくないものだな。



 ・大永八年(1528年) 七月  近江国坂田郡 箕浦河原  蒲生定秀


「父上、大事ありませんか?」
「うむ。大事無い。うっぷ」

 やれやれ、戦を前に酒を過ごすとは父上らしくもない。まあ、戦が始まれば俺が止めても前線に出て槍を振るうだろうが……

 東の空が紫色から青い空に変わって来た。そろそろ開戦の時間だな。


 突然太尾山の本陣から法螺貝が吹き鳴らされる。顔戸の朝倉本陣からも同様だ。
 始まったな。

「始めるぞ!矢を放て!」

 お互いの矢が天野川を挟んで行き来する。しばらくは矢戦だ。

「む!藤十郎、太鼓の音が聞こえんか?」
「そう言えば……」
「押し太鼓だ!朝倉は早速槍合わせに移るようだぞ!」

 早い!早すぎる!
 こんなに早く槍戦に入れば、朝倉とて息切れしてしまうのではないのか?

「何にせよ、こちらも長柄を出さねばならん!長柄隊!整列だ!」

 父の大音声が響く。戦場を圧する大声というのは便利なものだ。伝令の必要が少ない。
 ……どうやら父上も酒はすっかり抜けたようだな。いつもの厳しい顔つきに戻っている。

「者共!いくぞ!えい!えい!」
「おう!」

 両軍の鬨の声を合図にお互いの長柄隊がが天野川に進む。このままいけば川中で槍を突き合うことになるな。
 俺も騎馬を前に進める。長柄の突き合いで隙を見せればそこから陣を崩される。
 隊列の乱れた箇所は素早く後詰を出さねばならん。

「藤右衛門!将監!俺の声を聞き逃すなよ!」
「ハッ!」

 原藤右衛門と町野将監の二人も配下五十人づつを与えて後詰役を任せるようにしてある。我ら藤十郎隊が前線の穴を埋めて行かねばならん。

 ……うむ。まだまだ長柄は互角に戦えているな。

 左右の戦場はまだ開戦していないようだ。朝倉め。早速正面に仕掛けて来たか。

「将監!右側に穴が空きそうだ!塞ぎに行ってくれ!」
「ハッ!」

 いける。いけるぞ。
 始まったばかりだが、朝倉の進軍はそれほど苛烈な物じゃない。この程度なら蒲生は充分に持ちこたえられる。
 蒲生の『対い鶴むかいづる』は朝倉相手にも充分に戦えているぞ。

 

 ・大永八年(1528年) 七月  近江国坂田郡 太尾山六角本陣  六角定頼


 もう槍合わせに入るのか?
 いくら何でも早すぎる。開幕からまだ十分も経ってないぞ。

 ……宗滴、一体何を考えている?

 いくら包囲される前の正面突破だとしても、いきなりそんなに飛ばせば勝負所で兵達が息切れするはずだ。
 越前兵が勇猛だと言ったって、同じ人間なんだから全力で動ける時間は限られているはず。

 先陣を交代しながら休息させるつもりか?しかし、二陣目に矢の雨を降らせている。交代だって簡単じゃないはずだ。

 ……

「使番!後藤隊に二町(約二百メートル)前進!乱戦が始まれば蒲生の応援に出す!」
「ハッ!」

 兵数はこちらが多いんだ。単純な乱戦の力押しならこちらが有利だぞ。

 左に視線を移すと、左翼先頭がようやく天野川に差し掛かったところだ。
 当然だろう。中央がこんなに早く仕掛けて来るなんて予想していなかった。このままじゃ、左翼の主力が浅井に攻めかかる頃には中央が乱戦になってしまう。

 右翼の先頭はここからだと視界に入らない。ちょうど岩脇山の反対側を迂回する形になるからな。
 しかし、後尾はまだ岩脇山の手前に居る所を見ると、まだ天野川まで達していないはずだ。

 ……

 軍扇を持つ右手がじんわりと汗をかいているのがわかる。俺の一挙手で何十人何百人という人が死ぬんだ。

 ―――考えるな!

 ともかく、まずは中央の戦いに注目しよう。



 ・大永八年(1528年) 七月  近江国坂田郡 顔戸朝倉本陣  朝倉宗滴


「ううむ。やはりあの矢は厄介だな」

 儂の独り言に近習がチラリチラリと顔を向ける。思わず口をついて出てしまったか。
 戦の最中に敵を褒めても士気は上がらん。下らぬことを口にしたな。

 しかし、見事な矢戦だ。

 岩脇山からは三町(約三百メートル)は離れているのに、それでも二陣目まで矢が届く。小高い山の上から撃ちおろしているとはいえ、飛距離も相当なものだ。
 おかげで前線がヘバりはじめたわ。

 ちと早いが、そろそろ仕掛けるか。

「大太鼓を鳴らせ!各部隊に合図だ!」
「ハッ!」

 独特の調子の太鼓が打ち鳴らされる。
 一月の間みっちりと動きを覚えさせてきた。この時のためにな。

 弾正。貴様の武器をへし折らせてもらうぞ。



 ・大永八年(1528年) 七月  近江国坂田郡 箕浦河原  蒲生定秀


 長柄槍の叩き合いが既に半刻(一時間)近く続いている。
 こちらのほつれも少ないが、朝倉も中々隊列を乱さない。さすがによく練られている。

「町野!左が崩れるぞ!」
「ハッ!」

 いや、槍合わせではややこちらが不利か。朝倉の一糸乱れぬ槍衾に対し、こちらは多少乱れが見える。我らが京から取って返している間、よほどこの地で動きの訓練をしていたのだろう。

「藤十郎!」

 間近で聞こえた父の大音声に振り返ると、父が馬廻と共にすぐそこまで出て来ていた。父自ら穴を塞がねばならんほど押されているのか?

「聞こえるか!妙な調子の太鼓だ!朝倉陣からだ!」

 言われて再び前方を振り返る。なるほど、確かに先ほどの押し太鼓とは違う太鼓の音だ。これは大太鼓を打っているのか。

 ―――次の一手が来る!

「藤十郎!長柄を全て前に出せ!」
「ハッ!しかし!」
「見ろ!二陣・三陣が槍衾で突撃してきおる!一気に乱戦になるぞ!」

 む!確かに今までより大きな鬨の声が河原の奥から聞こえるな。旗指物も今の先陣の倍以上は流れて来る。一気に我ら蒲生陣を突き破る気か!

「長柄隊構え!敵が突撃してくるぞ!一列目は突き用意!」

 言うや、喚き声を上げて今までの倍以上の敵兵が川の土手を下って来る。いよいよ本気で来たか!

「二列目!槍上げい!」

 父の声で前方の長柄槍の半分が一斉に天を指す。敵が川に入って来たな。

 もう少し……今少し……今だ!

「振り下ろせーー!!」

 一斉に振り下ろされた槍に頭を打たれ、一列目の槍を受けて敵の先頭がバタバタと倒れる。しかし、次から次に川を越えて敵の槍先が突き出されてくる。
 後ろからは騎馬も川に入って来たな。

「下がるなー!踏みとどまれー!ここを抜かせるなよ!」

 父の声に馬廻衆も川の中へ入っていく。乱戦が始まった。

「我らも行くぞ!遅れるな!」
「オウ!」

 川中に入ると敵味方の足軽同士が長柄を捨てて太刀で斬り合う。これだけ密着すると長柄を振り回している余裕はない。

 ……あの騎馬が物頭だな!持ち槍で次々とこちらの兵を追い散らしている。

「続け!」
 先頭を駆けて物頭と思しき者達に槍を突き込んでいく。俺の槍は重いぞ!

「ぬん!」
「ぐあっ!」

 よし!首一つ!
 おっと、次々に敵兵が来るな。首を取っている暇はないか。

「首は放っておけ!次々に新手が来るぞ!敵を討ったら次に備えろ!」

 前方に父上が槍を振り回しながら駆け込んでいくのが見えた。やはり父上の馬鹿力はとんでもないな。薙ぎ払いを受けた敵が馬ごと倒されていく。
 どうやったらあの年で我らより強く槍が振れるのだ。

 ―――む!味方の後詰も土手を下って来たな!

「数はこちらが多い!三人一組で敵を討ち取っていけ!」

 よし、乱戦ではこちらの兵数が勝っている。これは勝てるぞ!


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