江雲記―六角定頼に転生した舐めプ男の生涯―

藤瀬 慶久

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政略結婚

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 ・享禄四年(1531年) 八月  近江国伊香郡 沓掛郷  大原高保


「殿!侵入してきた賊は手負いを残して退散したようです!」
「うむ」

 よし。このくらいか。
 近頃では越前や美濃との国境のあたりによく賊が出没する。六組に分かれた番役も近頃では常時三組が賊の討伐に駆り出されて休む暇も取れん。まあ、その中で頭角を現す者達も出て来ているが……。

 兵達にも疲れが見える。それに今月に入ってからは野分(台風)も頻繁に来るようになったし、もう少し休みを取れるようにしなければこちらの身が保たぬ。
 まして、秋の間は海や山で多少の食べ物を得られるが、冬になれば本格的に食料が不足してくるはずだ。兄上のおかげで近江はその心配はないが、周辺国の食はますます深刻になろう。

 賊の多くは村の食料を狙って働いている。乱取り(人さらい)はほとんどない。乱取りしても売り飛ばすまでに食わせる物が無いのだろうな。
 憐れとは思うが、さりとて近江を侵す者は捨て置けん。兄上から任された北近江は、儂が何としても守ってゆかねば。

「久助を呼べ!」

 待つほども無く久助が腹巻に鉢巻という軽装で儂の元へ駆けて来た。相変わらず身軽な男だ。
 甲賀衆の高安久助も今年の春には長男に高安家の家督を譲り、隠居して滝城に居城を移した。今は滝川久助を名乗り、息子共々相変わらず儂に仕えてくれている。

「お呼びでしょうか!」
「うむ。三雲には文を書く故、美濃国境の見張り小屋を増やしてくれ。冬にかけて賊も多くなるだろうから、甲賀衆の見張りを増やさねば見逃すことも出てくるかもしれん。甲賀衆には辛い役目を負わせて済まないが」
「いいえ、我らの里を守るためでもあります。
 関ケ原を見渡せる辺りの伊吹山麓にもいくつか見張り小屋を設けましょう。冬の伊吹山を越えられる者がそうそう居るとも思えませぬ故」
「頼む。甲賀衆の目を頼りにしている」
「ハッ!」

 さて、小谷城に帰るか。二の組はこれで規定日数の倍近く働いていることになる。今日はせめて屋根の下で眠れるように計らおう。

「引き上げるぞ!日のあるうちに小谷城へ帰還する!」

 軍勢の整列を待っていると明るかった日がだんだんと陰って行く。
 中天から少し傾きかけた日が雲の中に隠れる。灼熱のように暑い日が続いたかと思えば、木之本の辺りでは先日ひょうが降ったと聞いた。
 何やら天候がおかしくなっておるような気がする。人々が末法の世と言って御仏にすがるのもこうした天候が関係しているのであろうか。早く豊かな秋が戻って来て欲しいものだな。



 ・享禄四年(1531年) 八月  山城国 京 相国寺


 茶室では釜の中の湯がシュンシュンと音を立てている。茶室といっても後世のような離れの数寄屋ではなく、書院の中に仕切りを設けて四畳半のスペースを作ってあるだけのものだ。床の間も無いから掛け軸もないが、せめてものもてなしとして萩の花を柱に掛けた竹筒に活けておいた。まだ暑い日が続くが、視覚だけでも秋を感じてもらおうという計らいだ。

 間もなく近衛稙家がこの茶室に入って来る。近衛家の現当主は近衛尚通だが、家政は事実上稙家が差配している。その稙家が来てくれたことはむしろ有難い。話の流れによっては突っ込んだ話も出来るかもしれない。
 反法華の密談としてはファーストコンタクトだから三条西実隆とは別々に会うことにした。
 法華の各本山が朝廷への献金を行っている以上、相手が本当に法華と手を切ってもいいと思っているかどうかはまだ不透明だからな。いきなりこちらの手の内を明かすわけにはいかない。

 六角の武力は今や天下が認める所だが、銭の力は法華と比べれば良くて五分くらいだろう。まして寺社は全国に根を張っていてその底力は侮れない。三好元長のように武士の中にも熱烈な法華門徒が居るから、武力に関してもいざとなれば動員兵力は少なくない。
 その辺りを公家たちがどう評価するかだな。

 ……しかし、この前の定秀の一手は鋭かったな。何とか一手差で詰み勝ったが、もう一手粘られていたら負けていた。
 将棋は大局観が身に付くというから、定秀の物の見方が大所高所からの目線に変わってきているということだろう。史実よりも強くなるのかもしれないな。頼もしいことだ。

「待たせたようでおじゃるな」

 茶室の入口を開けて近衛稙家が入って来る。まだ三十歳にならないくらいの年齢だが、どこか老成したような大人びた雰囲気のある男だ。まあ、現代で言えばオッサン臭いという感じだがな。

「これは左大臣様。先ほどは拙い歌をお目に掛けてしまいました」
「いやいや、楽しませてもらったぞ。歌の規則からは逸脱しておるが妙に心に迫るものがある。まるで宵闇を迎えて黄金の輝きが枯れさびて行く金閣の悲哀を目の前に見る思いであった」
「恐れ入りまする。打越(前々句)に柿がございました故、秋の夕暮れを思い浮かべました」
「ほんに今年はそのような枯れさびた秋とは違ってしもうた。夏がなかなか過ぎて行かぬ」
「まことに……」

 ゆっくりと優雅な所作で座ると、柱に掛けた荻の花で視線が止まる。気付いてくれたか。

「良いものでおじゃるな。ここのところ世上は妙な気候に悩まされるが、この茶室だけにはいつもの秋が訪れておる」
「楽しんでいただければ幸いでございます。まずは一服差し上げましょう」

 手ずから茶を点てて進ぜると、茶を飲んだあとに稙家がふと茶碗に視線を移す。

「ふむ。みやびではないが、土の色がなんとも渋い赤をしておる。どこの茶碗かな?」
「信楽にございます。近頃では麦湯の屋台から求められるとかで、信楽の地下人たちも茶碗を多く焼いております」
「ほほほほ。華やかな塗り椀も良いが、この落ち着いた赤土もまた趣がある。少弼の出す物は面白きものばかりよの」
「恐れ入りまする」

 つかみはこんなもんかな?粗忽な野蛮人という印象にはなっていないようだ。さて、本題に入るとするか。

「ところで、左大臣様は近頃の京をいかが思われますか?」



 ・享禄四年(1531年) 八月  山城国 京 近衛屋敷  近衛稙家


 ふふふ。少弼に所望して信楽の椀をもらってきたが、この沈んだ赤がなんとも渋みがあって良い。華やかな赤も良いが、このような渋い赤も味わいがあって良いものだ。

「兄上様。お呼びでございましょうか?」
「おう、尚子。お主の縁組だが、六角が援助すると申し出てきたぞ」
「まあ。それでは、私は公方様の元に嫁ぐことは変わらずに?」
「うむ。父上も同意なされた。安心致すが良い」

 妹の顔がぱっと明るくなる。
 無理もない。婚姻自体は十年も前に決まっておったというのに、細川の家督争いでついぞ輿入れを行うことが出来ないままここまで来てしまったからな。十八歳になって未だに婚姻の話が進まぬことで本人にも焦りがあったのであろう。

「それでは、輿入れはいつ頃になりましょうか?」
「左様。少弼は年が明けた頃にと申しておった。尚子もそのつもりでおるがよい」

 喜んだ顔で下がって行った。こちらも婚礼の支度を急がねば。

 しかし、これで妹に恨みがましい目で見られずに済む。元々は道永(細川高国)が近衛の後ろ盾を得ようと画策したことだったが、道永が摂津で死んだことでこちらにも躊躇いがあった。
 公方とは言え今や力は無く、各地の守護が好き勝手に振る舞う世の中だ。道永の庇護のない公方に嫁がせることには正直不安があった。まして細川六郎は三条の孫娘を室に迎えるという話でもあるし、管領を三条に抑えられれば公方と縁を結んでも意味が無い。

 だが、道永の代わりに六角がこの縁を後押しするというのならば話は別だ。六角は今や公方の配下ではなく庇護者と言っていい存在だ。その上負け知らずの戦上手として武名は天下に轟いている。おまけに配下には蒲生を筆頭に数々の勇将を綺羅星の如く従えておるしな。

 六角の方からも近衛とのえにしを得たいと申し出て来るとは望外のことよ。山科を通じて三条へと誼を通じておると聞いていたが、まさか三条を見限る心積もりとはの。京を抑える六角が味方に付くならば、細川六郎よりもよほど強力な後援となろう。
 法華の横暴をこれ以上見過ごせぬと申しておったが、麿も同じ気持ちだ。今や法華の銭は朝議内に深く浸透する毒となっておる。先々代の後土御門帝が法華を決してお認めにならなかったのも、こうした事態を憂慮しておられたからであろうな。

 いずれにせよ、これで三条などに大きな顔をさせずに済む。
 嘆かわしいことではあるが、各地の禁裏御料所が横領されて今や銭を都合出来る者が朝議を取り仕切るようになってしまった。公方からの献金も望めぬ以上は法華の銭に頼らざるを得なかったが、六角の銭を使えるのならば法華に頼らずともよくなる。そして公方と六角を抑えれば我が近衛家が武士と朝廷を繋ぐ扇の要の役割となろう。

 フフフフフ。いよいよ我が近衛家が再び朝議の中心に戻る時が来たのだ。



 ・享禄四年(1531年) 九月  若狭国遠敷郡後瀬山城  野尻元隆(朽木家臣)


「面をあげよ」

 広間で頭を下げていると頭上から声がかかる。若狭守護の武田治部少輔様(武田元光)が直々に労って下さるとは、武田としても今回の婚儀には並々ならぬ思いがあるのであろう。

「野尻六郎殿。お役目ご苦労でございましたな」
「いえ、姫の婚儀が無事に済んで我らも安堵いたしました」

 若狭武田の御嫡男である彦二郎様(武田信豊)と我が朽木家の姫君との婚儀が無事終わった。治部少輔様も一安心であろう。
 我が朽木としても若狭との縁は利がある。京と若狭を繋ぐ中継点である高島郡には若狭小浜を通じて様々な産物が入って来る。今回の飢饉で若狭三郡の百姓が徳政を求めて一揆を起こしたが、そうした政情不安は朽木へも影響を及ぼしてしまうから、高島郡のためにも若狭は安定していてもらいたい場所だ。

「朽木民部殿へは儂からも文を書くが、今回の援助にはこの治部少輔心から礼を言う」
「いえ、我が主も若狭が乱れるのは本意ではありませぬ。我らに出来ることがあれば何なりと」
「ふふふ。嬉しいことを言ってくれる。道永様(細川高国)亡き今、我らも難しい舵取りを迫られておる。武田と朽木とは今後も末永く仲良くしていきたいと思う。どうかよろしく頼む」

 名門武田家が高島一郡の太守でしかない朽木家と対等に付き合おうとは、それほどに若狭の状況は厳しいのだろうな。

 無理も無いか。若狭武田と言えば長く道永様の配下として幕府を支えてきたが、今回の大物崩れによって細川六郎とは敵対する形勢になる。
 その上、今回の飢饉による徳政騒ぎだ。高島では弾正様のお下知によって糧食を蓄えていたが、若狭では蓄えが少なく徳政をするにもその原資が無い状態だったと聞く。我が殿の援助が無ければ徳政どころでは無かっただろう。

「こちらこそ、今後とも末永くよろしくお願いいいたします」

 ともあれ、これで朽木は武田家と縁戚となった。若狭を味方に付ければ今後に起こるであろう敦賀との戦いにも援軍を得られるだろう。
 越前でも飢饉の被害は大きいと聞く。朝倉家はさすがに蓄えが豊富で徳政によって民百姓をなんとか宥めておるということだが、来年の収穫後はまた近江に侵攻してこないとも限らない。
 六角様が相対されるとは思うが、朽木としても高島郡への侵攻を留める勢力は必要だ。今回の縁は我が朽木にとっても有益なものだ。
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