江雲記―六角定頼に転生した舐めプ男の生涯―

藤瀬 慶久

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天文の近江大乱(5)金ヶ崎城陥落

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 ・天文三年(1534年) 七月二十五日  近江国高島郡 安曇川沖湖上  六角定頼


 あちゃ~。饗庭あえば山に朝倉が居る。

 清水山城の辺りに蒲生も朝倉も居ないからおかしいと思ったんだよ。朝倉がこんな所まで退いているじゃないか。これじゃあ朝倉景紀は取り逃がしてしまうかもしれんな。
 予定では朽木谷に向かって布陣する朝倉に蒲生が後ろから襲い掛かり、包囲殲滅して朝倉景紀を討ち取るはずだったんだが……。やっぱ何もかも計算通りってわけにはいかないか。

 どうするか……。
 とりあえず船はあと一刻もしないうちに海津大崎に到着するが、率いている兵は一千ほどだ。それ以上は船が用意出来なかった。
 それでも空になった金ヶ崎城を落とすには充分だと思ったが、こうなれば先に朝倉の退路を扼して蒲生と一緒に敦賀に攻めるか。仮に金ヶ崎城を攻めている時に朝倉が引き返して来れば今度は俺がピンチになってしまう。

「猪飼!予定変更だ!今津の岸近くに船を走らせてくれ!船から矢を射って朝倉の撤退を牽制する!蒲生の進軍と息を合わせて海津湊に着岸してくれ!」
「承知しました!」

 後続の船にも伝令船を出そう。まあ、俺の御座船が岸に近付いて矢を射始めれば後続もそれに倣うだろうけど、念の為だ。
 おっと、蒲生が朝倉を攻め始めたな。タイミングとしては悪くない。おそらく朝倉景紀には箕浦河原のトラウマがあるだろうから、後ろに上陸されると思えば算を乱して逃げ出すはずだ。蒲生にはそのまま敦賀まで一気に攻め寄せろと伝令船を出しておくか。

「しかし御屋形様。何故このような複雑な進軍を指示されたのです?」

 祐筆の香庄定信が不思議な顔をして聞いてくる。
 コイツ最近よく俺の話をメモってるな。将来は太田牛一みたいになるのかもしれん。全体の絵を説明しといてやるか。

「何、各軍にはそれほど複雑な命令を出したわけじゃない。大原は湖東を進んで小谷城に向かわせただけだし、蒲生は湖西を進んで敦賀に進軍しろと言っただけだ。
 ただ、進軍の速さとタイミングを調整しただけだよ」
「はあ……鯛明具たいみんぐ?明の釣り道具か何かですか?」
「ああ、え~と……。わざと日時をずらしたという意味だ」
「なるほど」

 またメモを書き始めた。なかなか教え甲斐があるな。

「大原軍を強行軍で二日間で小谷に向かわせた。これで浅井は小谷城と大原軍に挟撃される状態となったわけだ。だが、小谷城は小勢だから討って出て来る可能性は低い。だから浅井はまず大原軍を撃破してから小谷城攻めに掛かると読んだ。そのために大原軍は全軍ではなく三千ほどの規模に留めた」
「わざとですか」
「そう。浅井の心を折りきらないくらいだな。敦賀の動員兵力は最大で一万。北近江を攻めるなら五千近くは動員するだろうと読んだから、それよりは少なめにした。勝てそうな気になってもらわないと罠にかからない」
「なるほど」

「それから、一日遅れて蒲生が進軍する。これは通常の進軍速度で進むから、朝倉が大原軍と開戦すると同時に高島郡に到着することになる。必然的に北近江の後詰どころじゃ無くなる。
もっとも、朝倉軍が全軍で北近江に向かうか一部を割いて高島郡に向かうかは未知数だったが、どのみち大原には引き付けるだけで勝たなくていいと言ってあった。敵を釘付けにするだけなら大原次郎ならば三千で充分に可能だと見込んだ」

 香庄定信の手が休まず紙に書きつける。とりあえずここまではいいかな。

「そして、さらに一日遅れて俺が船で海津に向かう。朝倉が高島郡に来ていれば蒲生と交戦状態で引き返すことは容易じゃないし、高島郡に来ていなければ蒲生軍は俺の本軍と合流してそのまま金ヶ崎を六千の兵で包囲できる。
 朝倉の帰る場所を無くしてしまえば、後は北近江の中で孤立した軍勢をゆっくりと料理すればいい。どのみち逃げ道は無いんだ」
「なるほど」

 まあ、朝倉にしてみれば訳がわからんよな。正面の相手と戦っていたら次々に別の方向から敵軍が現れるんだ。特に北近江に攻め込んだ浅井は、勝てると思っていたらいつの間にか四方を包囲される形勢になる。ここで浅井亮政と朝倉景紀の首を取る為に北近江を囮にした一世一代の大仕掛けってわけだ。

 もっともこの分じゃ朝倉景紀は取り逃がすかもしれん。
 後ろは完全に閉じたわけじゃないし、今から全力で逃げに徹すれば金ヶ崎城への到着は俺と同時くらいになるだろう。
 逃げ戻った兵で軍の士気が保てるとは思えないが、朝倉景紀が金ヶ崎城を放棄して一乗谷への逃げに徹すれば逃げ切ることは不可能じゃない。さすがに木ノ芽峠を越えての追撃はできないしな。

「あっ!御屋形様。朝倉が動きました」
「ふむ。どうやら全力で逃げる態勢のようだな」
「はい。殿しんがりを残して全山から兵が動いております」

 中々判断が早いな。朝倉景紀は史実じゃ今一つパッとしなかったが、将としての戦略眼は悪くなさそうだし逃がすと面倒そうだ。金ヶ崎城で踏みとどまってくれるとありがたいんだが……。



 ・天文三年(1534年) 七月三十日  山城国宇治郡 日ノ岡砦  六角定頼



 結局、朝倉景紀は金ヶ崎城を放棄してさらに北へと退いていった。
 やっぱ討ち取ることは出来なかったな。敵ながら悪くない判断だ。

 金ヶ崎城を制圧した後、蒲生に三千を率いて小谷城に向かわせた。浅井亮政の方は予定通り北近江で完全に孤立し、全軍が散り散りになる中で朽木稙綱の軍によって討ち取られた。朽木も負けっぱなしじゃいられなかったみたいだ。
 ともかく、これで敦賀を確保して木ノ芽峠までを抑えることが出来た。敦賀郡の慰撫と木ノ芽峠の抑えは蒲生に任せ、大原は美濃に援軍に向かわせた。美濃に侵入した朝倉軍も程なく撤退せざるを得なくなるはずだ。終わってみれば結果は上々と言っていいだろう。

 敦賀のことはとりあえず蒲生に任せて俺は再び船で山科に戻った。後世の史家は頭を抱えるだろうな。この時六角定頼はどこの軍に居たのかって論争とかになりそうだ。
 普通に考えれば京で法華攻めの指揮を取り続けたはずだが、何故か敦賀に俺の直筆の禁制が残っている。丹念に史料を漁れば漁るほど俺の居場所が掴めなくなるだろう。


 法華一揆の方は俺が京を出る前に制圧がほぼ完了していた。今は焼けた家屋の再建に掛かっている。早く仮普請を終わらせて郷方衆を返してやらないとこっちの兵糧が尽きて近江衆が一揆勢になってしまう。
 俺が留守の間は進藤に全権を預けておいたが、進藤は俺の意図を汲み取って京の難民保護と仮普請を進めておいてくれた。この分なら郷方衆は十日もしない内に村に戻していけるだろう。今から戻ればギリギリ今年の収穫にも間に合うと思う。

「御屋形様。近衛様がお見えです」
「わかった。お通ししてくれ」

 待つほども無く近衛稙家が入って来た。上京の火が大きく広がりそうになった時は進藤に噛みついて必死に止めさせていたそうだから、よほど心配だったのだろう。

「留守にしていて申し訳ありませんでしたな」
「いや、なかなか大変だったようでおじゃるな。敦賀まで軍を進めていたと聞いた」
「はい。朝倉が動くだろうと思って準備を整えておりましたが、無駄にならずに済みました。良いのか悪いのかはわかりませんが」

「……京は焼けてしもうたのう」
「やむを得ません。一度全てを焼き払わねば法華の根は除き切れなんだでしょう。逃げ遅れた無辜の民はこちらの陣で保護しております。大津に集めた兵糧を使って炊き出しを行っておりますし、山科楽市に用意しておいた材木を使って下京の仮普請も進めております。仮普請が終われば難民を順次帰京させてゆけるでしょう」
「法華門徒も逃げて来ているのではないのか?」
「一揆に参加していた者も居るでしょうが、表向き法華門徒を名乗らなければ罪には問いませぬよ」
「しかし、それでは法華門徒が再び京の町に潜伏する恐れはあるのではないのか?」
「無論、その恐れはあります。ですが、表向き法華門徒を名乗らなければ地子銭や段銭を拒否することはできませんし、こちらの出す禁制にも従わざるを得ない。それに某が再建した町ならば比叡山の口出しは抑えられます。
 今の京は法華の町ではなく六角の町です。比叡山が銭の徴収を始めれば某から文句を付けることが出来る。法華と比叡山の争いにはなりません。
 後は保内の商人達が戻った民衆を細かく吟味していきます。不穏な動きがあればすぐさま某に伝わりましょう」

 近衛稙家が驚いた顔で見て来る。商人達がそういう働きをしているとは知らなかったようだな。

「ともかく、これで京は宗門の根が残らぬ町になったのだな」
「左様でございます。今後京での争論を裁くのは某ということに致しますので、少なくとも京において宗門争いがこれ以上行き過ぎることはないでしょう」

「ふむ……。これはまだ公な話ではないので少弼の胸の内に留めて置いてもらいたいのだがな」

 近衛稙家が突然咳ばらいをして勿体つけて話し始める。今後の京の権益とかそういう話かな?

「今回のことは乱暴であったとは言え、そなたは朝廷から法華の根を駆逐した功労者だ。朝廷は今回のそなたの行いを認めるという意味で、正四位に昇叙して参議への任官を麿から主上に申し上げるつもりでおる」
「参議……某が、ですか?」
「左様」

 いや、重々しく頷いているけど、出来れば勘弁してもらいたい。参議なんて中流公家の出世コースの終点じゃないか。しかも普通は侍従から近衛中将や中弁を経て至る極官だから、弾正少弼からいきなり参議なんて越階もいいところだ。
 公家からの嫉妬を買うだけでロクなことが無さそうに聞こえるんだけど……。

「……辞退することはできませんか?」
「ほっほっほ。お主ならそう言うと思っていた。だが、辞退はさせぬ。ちょうど三条派の公卿の席が大幅に空いた所でな。お主の越階での任官もさほどの恨みは買うまいよ」

 なるほど。朝廷から三条派を駆逐して近衛派で埋めるための一席を俺に座らせるというわけか。確かに六角定頼に表立って席をどけと言える公家なんて居ないから、俺が座っている参議の席は確定で近衛派になる。

「ということは、近衛様は……」
「左様。関白に再任するつもりだ。今こそ朝廷は武家と協力して天下を静かならしめねばならん。お主がこれから摂津や河内を切り取る上で朝廷もそれを後押しできるようにするための布石と思え」

 今後の俺の動きもお見通しか。なかなか食えない兄ちゃんだな。
 まあ、正直言って朝廷が俺の行動を後押ししてくれるのは有難い。いつ足利義晴が俺を敵視するか分からない状況では特にな。
 室町幕府の権威をはみ出しても朝廷がそれを認めれば一応の大義名分は立つ。

 法華門徒や僧侶の多くは堺に逃げた。堺は一向一揆からようやく立ち直り始めたが、法華寺院が逃げたことで復興が一気に進むだろう。
 堺を中心とした畿内西部は相変わらず三条実香に近しい者が埋めていくから、公家の世界でも京の近衛派と堺の三条派がこれから対立していくことになる。だが、それも結局は武家の領地争いが決定打になるから、京の近衛派の武家として六角を確保したいというわけだ。

 何が『戦を朝廷の勢力争いの場にしてはならぬ』だよ。ちゃっかり自派の勢力伸ばす契機にしてるじゃないか。本当に食えない兄ちゃんだ。

 ……ま、いいか。
 結局は俺も何らかの大義名分を掲げて行かなきゃならん。でないと今後の戦はただの大規模な野盗と変わらない。その意味では公卿に列して朝廷の意向を受けて版図を拡大するという体を取るのは悪い話じゃない。
 近衛稙家と利害は一致する。

「承知いたしました。ですが、朝議に参加することはできませんぞ」
「ほっほっほ。お主が朝議に来たりすればそれこそ朝議が進まぬわ。名前だけで良いとも」
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