江雲記―六角定頼に転生した舐めプ男の生涯―

藤瀬 慶久

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第一次六角包囲網(1)諸座免許

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 ・天文五年(1536年) 九月  近江国蒲生郡 観音寺城  六角定頼


 亀の間に伴庄衛門以下、楽市会合衆の面々が揃ってやって来た。
 六角家の定める法を根拠として『商人仲間』を作る。その連判状を提出するためだ。

「おおよそ四分の一ほどの者が離脱したか」
「はい。どうしても納得いかない者は座を離脱し、郷を捨てて個別に商いを始めております」

 保内の内池甚太郎を筆頭に、小幡衆や横関衆、粟津衆、石塔衆などからも離脱者が出ている。だが、気落ちしている暇はない。もともとある程度の離脱者が出ることは覚悟の上でのことだ。

「離脱した者はどうしている?内池甚太郎は?」
「郷を離れた者は本所である比叡山に入り、新たに商いの許しを得ようとしているようです。その他、甚太郎の堺の店でも多くの者を受け入れていると。西国に伝手を求め、我らを介さずに物資を集める方法を模索するのでしょう」
「上手くいくかな?」
「おそらく、甚太郎ならばやり遂げましょう」

 庄衛門がひどく気落ちしているな。無理もない。長く保内衆のナンバーツーとして辣腕を振るって来た男だ。その甚太郎を失った痛手は、俺の想像を絶する物だろう。

「お主らの覚悟、確かに受け取った。これは俺からの覚悟だ。受け取ってくれ」

 そう言って各々に朱印状を渡す。六角家の発行文書は花押を据える形式にしていたが、今回のことに合わせて印判を作成した。『海内豊楽』の四字を刻んである。
 君臣豊楽から取った言葉だが、俺の目指すところは君臣だけに留まらない。日ノ本の全てが豊かに楽しく暮らせる世を作るという意志を込めたつもりだ。

「この朱印状は俺が認めた『仲間』だけに発給される。この朱印状を所持している者だけが六角領で公式に商いを許されるという特権を付与する」
「ありがとうございます。謹んで頂戴いたします」


『一、楽市に於いて、諸座諸役諸公事など悉く免許のこと。守護並びに地頭と言えども違乱すべからず』
 各地の楽市においては商業に関わる座・税・裁判は全て六角氏の『免許』に則って判断される。つまり、六角家の定める法が最上位に位置する。例え国主や国人領主であっても例外ではない。勿論、六角家当主であっても法には従わなければならない。

『一、年貢の古未進、及び借銭・借米・国質・郷質・所質は悉く免許のこと。押買・狼藉・喧嘩・口論などすべからざること』
 法令発布以前の年貢の滞納及び借銭借米や盗品の取り扱いについては、私的闘争による解決を禁止する。法に依らず武力を持って解決しようとする者は無条件で敗訴とし、六角家の軍勢によって強制執行を行うものとする。

『一、楽市仲間の儀、分国往還煩い有るべからず』
 石寺を始め、各地の楽市に居を構える商人仲間は関所の自由通行を許す。

『一、佐々木分国中徳政有と言えども、楽市場においてはこれを免除する。付けたり、式目に外れる証文は全て破却のこと』
 例え徳政令が出されたとしても、楽市においては徳政をすべて免除とする。六角家の法による特例以外は借金を踏み倒すことは出来ない。ただし、式目には法定金利を定める。法定金利以上の利息を付した契約はこれも無効とする。


 有名な信長の安土楽市令を参考に考えた。と言ってもかなり独自の物になったが、恐らく信長が意図した所も近い物があっただろうと思う。


 天正五年の安土山下町完成と共に出された安土楽市令は、一般に楽市楽座の完成形と言われる。しかし、この『安土令』はそれまでの岐阜加納や近江金森に出された楽市楽座令とは全くの別物と言っていいほどの違いがある。
 勿論似通った部分もあるが、はっきり言えば十三条に及ぶ長い条文の中で信長はただの一言も『楽座』を宣言していない。安土楽市令の第一条に謳われるのは、あくまでも『諸座諸役諸公事悉く免許のこと』だ。

 後年この『免許』の文言を『免除の意味だ』と主張したのは八幡商人達だ。安土の後継都市である八幡町では、徳川政権期を通じて信長の安土令の朱印状を保管し、現代にまで守り伝えている。それは、八幡町が『諸役免除』という税制優遇を受けた特別な都市だと徳川幕府に対して主張するための証拠文書だったからだ。
 事実、この八幡町の主張は受け入れられ、幕末まで八幡町は諸役免除の特権都市として存続し続けた。

 もっとも、その特権はただ信長や家康の文書によって守られたのではなく、八幡商人達の資本力を幕府や藩の運営に利用しようという武士側の下心もあった。その為、八幡商人達は事あるごとに武士から申し込まれる『返ってくる当てのない借金』に応じ続けざるを得なかったわけだが……。

 ともあれ、八幡町の諸役免除を主張する裁判において重視されたのは『諸役』と『免許』の文言だけだった。その為に『楽市』という言葉は元和年間にはすでに忘れ去られていた。

 だが、信長が楽市令で意図したことは全く別のことだったのだと思う。その傍証として、同じ安土楽市令第八条では『徳政の免除』を宣言している。つまり、信長は免許と免除を明らかに異なる意味で使い分けている。

 信長の言う『免許』とは文字通り『免じて許す』ことだったのだろう。
 つまり、あらゆる座や税、裁判(公事)は全て免じて許すものとする。

 誰が許すのか?
 信長が許す。神仏の許しは必要ない。

 これこそが中世の宗教権威を否定し、新たな世の扉を開くという信長の意志を込めた宣言だったんだ。

 ルイス・フロイスが『信長は神になろうとしている』と記したのもあながち的外れってわけでもない。信長は自らが神になろうとしたのではなく、神の持つ『縁切り』という権能を奪い取ることを意図していた。物の所有権や土地の所有権、あるいは知行権といった権利の是非を判断するのは、神仏ではなくあくまでも為政者たる信長であると規定した。

 本願寺顕如があれほど信長に抵抗したのも根本にはこの信長の意志への抵抗があったんだと思う。神仏の持つ権能を奪うということは、文字通り寺社の権能を奪い取ることになる。その権能こそが中世寺社が民衆を支配する根拠でありアイデンティティだったんだから、信長の政策を受け入れることは即ち今までの自分たちを全否定してしまうことになる。
 本願寺としても命尽きるまで抵抗を止めるわけにはいかなかった。


「確かに頂戴いたします」
「うむ」

 会合衆の頭分に各々一通づつ配布する。この場に居る全員がこの取り決めを遵守する。

「差しあたって、石寺・山科・桑名の三か所に対してこの法令を発布する。ゆくゆくは六角領内に広く行き渡らせていくが、まずはどのような仕組みになるのかを庶人の目に見せてゆくこととする」
「承知いたしました」
「それと、庄衛門は来月から六角家の評定に出席しろ」
「手前が……ですか?」
「ああ。式目条文の変更は、例え俺が言い出した事であっても評定による決定を経なければ変更できない制度にしてある。商業政策において現状の式目に不都合が生じた場合に備え、商人側の代表者として庄衛門を評定衆に加えるものとする」

 しばらくの逡巡の後、庄衛門から承諾の返答が帰って来た。商人のことは商人に聞くのが手っ取り早い。国人領主の利益を代表する者は既に評定衆に加えてあるから、あとは郷方の利益を代表する総代官も評定に加えることにするか。

 あとは、比叡山だ。



 ・天文五年(1536年) 十月  山城国 京 曼殊院  覚恕


「比叡山の大講堂では東塔・西塔・横川の三院決議によって京の座から六角の商人を締め出すことが決まりました」

 横川長吏(荘園管理官)の実源が先ごろ根本中堂で行われた山門決議の結果を報せに来た。実源は得意満面の笑みを浮かべているが、果たしてそう上手く行くものか。

「実源。しかし京においても近江商人の持ち込む商品は高く評価されている。それに先年の飢饉や今年の旱魃の際にも近江から安く米を運んできてくれたことで京では飢える民が少なかった。
 以前は旱魃のたびに餓死者を出していたことを思えば、近江商人を追い出すことは百害あって一利なしと申すものではないのか?」

 それに、帝も近江宰相や近江商人達の働きを高く評価している。例え比叡山と言えども今更京に口出しできるとも思えぬ。

「近江の商人を締め出すとは申しません。あくまでも六角に同心し、山門への義理を忘れて神人としての地位を投げうった者に相応の報復を致すまでにございます」

 実源がややむっとした顔で反論してくる。麿が賛同すると思っていたのだろう。だが、少し考えが甘いように思う。
 実源だけではない。御山に留まっている者全てが今の世を見ようとしていないのではないか?

「六角の商人を締め出すと言ったな。しかし、今の京ではその『六角の商人』の力によって豊かになりつつあるのではないか?
 確かに近江宰相は京を焼いた天魔と言われているが、その後の京の再建によって人々は以前よりも良い暮らしをしていることも事実だ。
 まず食を求めることが容易になった。
 年貢の改定によって読み書きを習いたいと申し出る地下人達が増えたし、それらの者は公家衆の屋敷に出入りして文字と共に歌や蹴鞠などの技も伝承し始めている。
 何より、土倉が低利の商いをするようになった。おかげで今まで毎年のように起こっていた徳政一揆がここ二年は起きる気配すらない。
 これらは全て近江宰相と六角の商人による功績ではないのか?」

「そのおかげで、我らの祠堂銭や酒屋の土倉銭は借りる者が減ってしまっております。六角の商人はいわば我らの商売敵でもありましょう」
「祠堂銭はあくまでも供養や寺院の管理の為に寄進されたものだ。寺院が貸し出して土倉の真似事をすることがそもそもの間違いであろう」
「……それだけではありませぬ。北野社の麹座は一度は我ら比叡山に屈したものの、近頃では再び麹造りを独占するべく動いております。土倉銭に加えて麹造りまで失えば、我ら山門に属する酒座は壊滅致しましょう。今こそ比叡の山法師の威を見せつけ、強訴によって再び京の諸座を掌握するべきにございます」

 聞き分けぬか……。
 どのみち、麿一人が反対したところで声の大きな僧兵共に押し切られるだけかもしれぬ。

「仮に、強訴をしくじればどうする?六角の兵は近江を根拠にしている。永享や明応の時と同じく比叡山が焼かれるとは考えぬのか?」
「我ら山門は諸国の荘園と座を通じて武家にも広く帰依を受けております。例え六角の武威が大なりと言えども、伊勢の北畠や河内の木沢、摂津の細川らと共同して事に当たらば、六角は内外に敵を抱えることになり申す。それに、強訴は公方に対して六角の非分を止めさせるように訴えまする」

 自信があるということか。
 だが、果たしてそう上手くいくものか?
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