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能ある虎は牙を隠す
しおりを挟む・天文六年(1537年) 十二月 山城国 京 中島屋敷 六角定頼
吹く風は冷気を帯びているが、庭先には暖かな日差しが降り注いでいる。
畳の感触が気持ちいいな。書院風の応接室とは、なかなか金がかかっている。現代ならばともかく、この時代では畳を部屋一面に敷き詰めるのは贅沢な作りだ。
「御大典の警備、ご苦労であったな」
「いえ、つつがなく終えられて何よりでございました」
俺の返事には答えずに、足利義晴が庭先に視線を移しながら茶を一口飲む。
今日は久々に気分が良いとかで鷹狩りに連れ出された。供回りは鷹匠の他に義晴が大館晴光を、俺が磯野員宗を連れているだけの軽装だ。
鷹狩を終えた帰りに茶を飲むと言ってこの屋敷に立ち寄った。中島屋敷は茶店ではなく、京で呉服商を営む中島明延の店だ。聞けば、義晴は出かけた時にはちょくちょく中島の呉服店で茶を振舞われているらしい。要するに、贔屓の店を喫茶店代わりに使っているわけだ。御台所の小袖や打掛なんかは全て中島に注文しているらしいから、店主としても義晴の来訪を喜んでいるようだしな。
俺も茶を一口飲む。暖かい茶が冷えた体に染みて美味い。
……もうすぐ年の瀬だな。
俺も明日には近江に戻ることになっている。警備役の者も多くは引き上げさせたし、俺の警護役を除けば今の京には磯野の南軍一番組を残すだけにしてある。
「時に宰相、聞いたか?」
視線を逸らせたまま、再び義晴がポツリとこぼす。何やら今日は饒舌だな。気分が良いというのは本当のようだ。
「何を、でございますか?」
「朝廷のことだ。義兄上(近衛稙家)と三条相国は争いを止め、共に帝を支える為に手を取り合うらしい」
そのことなら聞いた。あれほど俺を敵視していた三条実香が、まさか膝を屈するとは思わなかった。近衛の計らいで息子の三条公頼は左大臣に留め置かれたから、没落というには当たらない。言葉通り、争いを止めたという形だ。
だが、それは言い換えれば俺が京の商業政策を取り仕切る現状を是としたことに他ならない。三条実香の基盤である法華坊主は京の商業から取り残されることになる。
堺の商人は多くが法華門徒だが、表向き法華門徒を名乗らなければ京でも自由に商売はさせている。堺と京を完全に切り離すのは京にとってもメリットが無いからな。
だが、三条実香が法華宗の復帰を認めないという条件を飲むとは思わなかった。
「義兄上はこう申されていた。『争いの原因は窮乏する朝廷を救うための方法の違いに過ぎぬ。公家はどこまで行っても帝あっての公家なのだ』と。
……武家はどうであろうか?」
ぼんやりと庭先を見ていた義晴が、不意に俺の目に視線を合わせる。今日は本当に快調のようだな。あるいは病状が回復してきているのか?
「余あっての武家であると思ってくれるだろうか?」
「……紛れもなく、公方様あっての守護でございましょう」
「ふふ。だが、その公方の命に守護は必ずしも従うとは限らぬ。どれだけ私闘を止めよと仲裁しても、数日経てばまた元通り戦を始める。これでは将軍の威などあって無きが如しだ」
「公方様の威を損なう輩は必ずや某が討ち果たしましょう」
「……それが現実だ。武家はどこまで行っても公方の為に争いを止めるということは無い。公方の為にと言って益々争いを加速させる。そして、公方と己の利害が合致した時のみ公方の威に服す。細川道永(細川高国)が良い例であろう」
「……」
確かに、今までの武家は悉く足利将軍を利用してきた。そもそも源平の時代からそれは変わっていない。将軍あっての武家であると本気で考えていた者がどれほどいるだろうか。
将軍など飾り、言うことを聞かぬ将軍など挿げ替えてしまえ。
それが細川政元の、細川高国の、武家のやり方だった。
「そちも……今は利害が合致しているからこそ、余を支えてくれているのであろう」
「そのようなことは……」
―――ない。
とは言えない。俺は明確に義晴を利用している。そして義晴もそのことに気付き始めている。
ここではっきりと義晴公のみを公方様として推戴すると言えば、義晴は喜んで俺の言うことに従い続けるだろう。そして、俺が細川晴元に変わる管領代として天下の静謐を積極的に推し進める。義晴が全面的に俺に協力してくれれば、あるいは天下静謐を実現できるかもしれない。
だが、それは俺が生きている間だけのことだ。例え俺が義晴の名のもとに天下を討ち平らげたとしても、俺が死ねば世は再び戦国に戻るだろう。足利家が将軍家である限り、ずっと……。
「……ふふ。頼りとしている」
何も言葉にできず、無言で頭を下げた。
本当に残念でならない。足利家に生まれさえしなければ、義晴は乱世の中をしたたかに生き、勢力を拡大するだけの力があっただろう。それほどに有能な男だ。
足利家の嫡子でさえなければ……
暫く二人で押し黙っていると、表の方から中島明延と磯野員宗の声が聞こえる。どうやら表で待つ磯野と大館にも中島が茶を振舞おうとしているらしい。
”磯野様、そうおっしゃらず”
”いや、中島殿。某は御屋形様と公方様の警護であって客では……”
などというやり取りがここまで聞こえてくる。
「ふふふ。供の者にも遠慮なく茶を馳走になるが良いと伝えて参れ。せっかくの中島の心遣いだ」
「ハッ!」
やれやれ、タイミングが良いのか悪いのか。
しかし、足利義晴か。
穏やかに過ごさせてやりたいな。いずれは将軍位を廃さねばならんが、出来ればその時に血で血を洗う抗争をしたくはない。
……なんてのはやはり虫の良い話だろうな。本当、義晴がただの馬鹿ならばどれほど気が楽だったか。
・天文六年(1537年) 十二月 摂津国武庫郡 越水城 三好虎長
共に餅を食おうなどとは、変わっておらぬな。能天気というか何というか、我が兄ながら情けなくなる。
儂はあのような腑抜けとは違うぞ。讃岐守様(細川持隆)と亡き父上の志を実現するべく戦うのだ。その為には非情にもなろう。情などに縋って生きるあの男とは違うのだ。
「殿、阿波より文が参っております」
「阿波から……見せよ」
……ふむ。ふむ。
「文には何とありますか?」
孫四郎(三好長逸)がしきりと文の内容を気にして来る。
……そうだな。孫四郎には話しておいた方が良いだろう。
「讃岐守様がいよいよ動かれる。年が明ければ、本格的に畿内に戻ると仰せだ」
「と言うことは、ついに左馬頭様(足利義維)を奉じて上洛されるということですな?」
「うむ。右京大夫(細川晴元)は素志を忘れ、現公方の義晴に尻尾を振って管領に任じられている。讃岐守様が何も仰せにならぬからこそ我らも黙って従っているが、本来ならばいの一番に討ち取りたい男だ」
「……しかし、その前にやらねばならぬことがありますな」
そうだな。我らも讃岐守様をお迎えする用意を整えねばならん。あと半年ほどはかかるだろうか。それまでに畿内の者にこのことを知られては困るな。よしんば知られても、半年の間は身動き取れないようにしておく必要がある。
「摂津国衆の動きはどうだ?」
「茨木を引きずりおろそうと木沢に誼を通じておる様子。越後守(三好政長)は恐らく木沢を切り捨てる算段かと」
「あの狸めが、飽きもせずにようもやる。よし、越後守の後押しをしてやろう。年が明ければ一庫城の塩川伯耆守(塩川政年)を攻める故、右京大夫に許しを頂きたいと申し上げてくれ」
「名分はいかがいたしましょう?」
「そうだな……塩川は亡き細川道永(細川高国)の女婿だ。いつ反旗を翻すか分からんと男だ言えば、右京大夫はたいして疑いもせずに討伐の命を出そう。あくまでも右京大夫の為に塩川を討つとしておいて欲しい」
「承知いたしました」
「くれぐれも、右衛門大輔(三好政勝)には儂が自ら下知していることを気取られぬようにな。今の儂はお主の飾りとして座っているだけと思わせておけよ」
「心得ております」
年が明ければすぐにでも一庫城攻めを始めよう。三宅や伊丹は明日は我が身と木沢の来援を請うだろう。もしかすると六角には真の狙いに勘付かれるかもしれんが、戦乱うごめく南山城や摂津を飛び越えて越水城に攻めかかることなどは出来まい。そうこうしている間に讃岐守様の体制が整えば、一息に上洛して六角の天下を終わらせることも出来る。
父上、冥府からご照覧あれ。
父上の志は讃岐守様と某が立派に果たして見せまする。
・天文七年(1538年) 正月 摂津国島上郡 芥川城 三好政長
「越水城の孫四郎が塩川を攻めたいと申していると聞いたが、まことか?」
「はい。彦次郎虎長を総大将とし、道永に連なる者を上屋形様(細川晴元)の為に討ち果たしたいと」
「はっはっは。殊勝な心掛けだな。許しても良いのではないか?」
「左様ですな。彦次郎殿は上屋形様御為に働きたいと申しているとのことにございます」
「うむうむ。よし、早速に一庫城を攻めよと下知を送れ」
「ハッ!」
彦次郎虎長か。
確か儂が筑前守を葬った時はまだ六歳の幼子であったな。讃岐守様の名代として彦次郎を越水城に置いたのは正解だった。何一つ疑うことなく右京大夫様に忠誠を誓っている。彦次郎は右京大夫様御為になるのならば精一杯働きたいと申していた、と倅からも文が来ていた。
まさか父を殺した男に忠誠を誓っているとは夢にも思うまいな。ふふふ。
だが、それだけに真実を知られると不味い部分もある。今回のことでそれが露見してはまずい。倅に儂の手勢を預けて事実上の総大将としておくか。名目上の総大将は彦次郎だが、実際は倅の右衛門大輔に取り仕切らせる。
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毒を以て毒を制す。六角を以て木沢を制す。儂の軍略に隙は無い。
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