江雲記―六角定頼に転生した舐めプ男の生涯―

藤瀬 慶久

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第二次六角包囲網(9)河内の雄

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 ・天文七年(1538年) 十一月  摂津国島上郡 高槻郷  三好虎長


 くそっ。やられた。

 考えてみればおかしな話だったのだ。あれほど大山崎を堅く守ってビクともしなかった美濃勢が、いかに播磨勢が猛烈に戦ったとはいえ前触れも無しに突然崩れるなどと……。
 尼子が足踏みしている今、功を焦る我らの心底を見透かしての策であろう。決して侮ったつもりはないが、斎藤山城守(斎藤利政)にまんまと嵌められた。

「殿、間もなく芥川城です。芥川城に戻れば軍勢を建て直すこともできましょう」
「孫四郎(三好長逸)!火を消せ!」

 儂の声で孫四郎が手に持った松明を水につける。孫四郎も気付いたか。

 馬蹄の音だ。さほど遠くは無い。
 ……どこだ?どこから音がする?

 今の我らは敗軍だ。周辺に敵が進出しているかもしれん。用心してし過ぎることはない。

「……殿、あれは三好の旗!味方です」

 ほっと胸を撫でおろす。どうやら我らの他にも包囲を抜けて逃げ延びて来た者がいるのだな。
 馬蹄の音と共に松明の明かりが近づく。こちらからも姿を見せて合流するとしよう。
 声を上げて姿を現していくと、不意に懐かしい声が聞こえた。

「……彦次郎様?」
「その声は……大和守(篠原長政)!」

 松明の明かりに照らされて浮かび上がったのは、紛れもなく篠原大和守だ。
 迂闊だった。山を下りて網を張っていたか。三好の旗は敵方にもあったのだったな。
 取り囲む兵は腕に白い布を巻いている。なるほど、白布を腕に巻かぬ者は敵兵と認識していたのか。道理で先頭の兵が騒めいていたはずだ。

「もはや逃げらませぬ。大人しく投降して下され」

 薄明りの中で周囲をチラリと窺う。松明はおおよそ十本。周囲を囲む兵は四十~五十というところか。

「大和守。お主に儂が斬れるか」
「……斬れませぬ。それ故、大人しく捕まって頂きたい」
「儂を斬れぬ者を相手に遠慮する必要があるのか」

 言いながら太刀を引き抜く。相手は馬上だ。馬の脚を斬り払って落馬させ、周囲が騒然としている間に闇に紛れて切り抜ける。
 あと一歩で間合いに入る……。今だ!

「止めよ!甚介!」

 くっ。傍らの騎馬武者に太刀を跳ね飛ばされた。この闇夜で何という正確な斬撃だ。
 儂の首を刈ろうとしていた長巻が大和守の制止でピタリと止まる。武技では相手にならぬか……。

「彦次郎様。何卒大人しく投降して下され。もはや芥川城も孫次郎様が占拠しております。帰る場所はありませぬ」

 ……全ては斎藤山城守と三好孫次郎の掌の上、か。

 もはやこれまで。



 ・天文七年(1538年) 十一月  山城国乙訓郡 勝竜寺城  朽木稙綱


 馬上から雄大な城郭の姿を視界に捉えた。あれが勝竜寺城か。

「全く、世話の焼ける男だ」

 あと一歩で武田を追い出せたというのに、あ奴がすぐに来いと文を寄越すから切り上げざるを得なかった。後瀬山城は何とか抑えたが、守りに残せたのは五百の兵だけだ。
 これで後瀬山城を奪還されでもしたら、武田に代わって小浜の反乱を鎮めてやったようなものではないか。ええい、忌々しい。

「父上、そうは仰いますがやむを得ぬでしょう。宰相様が敗れれば京は再び混乱します。我らも若狭攻めどころでは無くなりますし」
「わかっておる。忌々しい尼子めが。もうちっと空気を読まんか」

 倅が隣でため息を吐く。ため息を吐きたいのは俺の方だ。こうなれば一刻も早く尼子を追い払い、武田攻めに戻らねばならん。

 先触れに出した使番が戻って来る。勝竜寺城には守将として斯波殿が入っているが、事実上軍を率いているのは斎藤山城守ということだったな。
 山城守は我が朽木勢にどのような役目を振るつもりか……。

「申し上げます!」
「うむ、申せ!」
「ハッ! 二日前の夜戦にて斎藤・三好両軍によって播磨勢は壊滅、阿波勢も三好彦次郎を捕え、芥川城を奪取したとの由。我らは淀城に向かい、近江宰相様の下知に従われたいとのこと」

 ……な、な、

「何ぃーーーー!」

「どうやら既に終わってしまったようですな……」

 ぐぬぬぬぬ。何の為に俺が若狭を放り出してこちらへ来たと……。おのれ、六角!許さん!



 ・天文七年(1538年) 十二月  山城国紀伊郡 淀城  六角定頼


 北摂津に陣する播磨と阿波の軍勢を壊滅させたのはデカいな。さすがは斎藤道三。頼もしさに惚れそうだ。ちゃっかりと三年前の洪水復興の借金をチャラにしてくれって言われたが、さすがにこれだけの武功を上げられれば嫌とは言えん。残り二年分は無かったことにすると約束した。

 そして、何故か朽木稙綱に散々文句を言われた。
 着いたら戦が終わってたって言われてもなぁ……。さっさと武田を始末しない方が悪いとしか。
 まあ、公式に文句を言われれれば黙ってられんが、こっそりと会いに行った時に言われただけだからいいや。元々タメ口でいいと言ったのは俺の方だしな。それに、最近だとああやって下らないことで文句を言って来るのも朽木くらいになってしまった。久々に憎まれ口を叩かれていると何故かほっとする。

 朽木の軍装にも驚いたな。馬廻を真っ赤な軍装で統一していた。赤備えというやつか。さすがに赤備えを率いて合戦に遅れたとなれば面目丸つぶれだよな。
 ちょうど目立って良いし、次の戦では願い通り激戦地に放り込んでやろう。ヒヒヒ。

 それにしても、息子の晴綱は立派になったな。確か義賢よりも三歳上だから、もう二十歳になったのか。早いモンだ。
 史実では確か稙綱よりも先に戦死していたが、こっちの世界では長生きしてほしいものだ。なにせ、若狭を取った朽木は三好と共に丹波に逃げた細川晴元を追討する役どころを受け持ってもらうことになる。
 波多野は今回の戦では中立を表明しているが、細川晴元を保護している関係でどう動くかは読めない。何といっても晴元と持隆は兄弟なのだから、和解して手を携える可能性も無いわけじゃない。

「御屋形様。諸将が広間に集まっております」
「分かった。すぐに行く」

 襖越しの進藤の呼び出しに応じて茶碗を置く。
 斎藤利政と三好頼長の活躍で、北摂津戦線はこちらが圧倒できた。細川持隆の本軍も芥川城を奪還しなければ動きようがないし、大和戦線は北畠と畠山の睨み合いでこちらに兵を回している余裕はない。それに、波多野も今のところ丹波から畿内の戦に参戦するほどの余裕は無いはずだ。

 戦機は熟したと言えるだろう。

 今までは守り一辺倒だったが、今度はこちらが攻めに出る。斎藤や三好がこれだけやってくれているのに、六角が敵の首一つ取らずでは面目も立たないしな。
 長滞陣で兵も疲れが見え始めている。出陣の下知を下せば、陣中に流れている空気も多少はピリっとするだろう。


 居室を出て廊下を歩いていると不意に風に冷たさを感じた。今年も随分寒くなってきたな。だが、畿内の物流はここからが本番だ。刈取りを終えた米を蔵に積んで、さあどこの大名に売りつけようと算盤を弾いている商人も少なくない。

 ……内池甚太郎は今頃どうしているだろうか。堺から西国を渡り歩き、義維派の兵糧を確保するために走り回っているのだろうな。伴庄衛門と同じように。
 意地張ってないで戻って来いと何度か文を送ったが、今も返事は来ていない。甚太郎としても譲れない物があるのだろう。やはり『近世の扉を開く』とは、口で言うほど簡単なものじゃないな。今も畿内の人々は中世的宗教観念の中で生活を営んでいる。今戦っている戦だって、両細川の乱から派生した足利家の家督争いと後の歴史には記されるのだろう。

 だが、俺はこの戦に勝った暁には畿内の時代を一歩進める。宗教権威から脱却し、農民や商人、職人たちの身分を六角定頼の名のもとに規定する。職業とは神仏から与えられる物では無く、その職業を通じてどのように人の役に立つかを追い求める物となる。人の役に立つからこそ、生きるための報酬を得ることが出来る世の中へと変えていく。

 そこには今まで宗教の名のもとに保護されていた市場を開くことも含まれる。競争原理も働くし、当然ながら没落していく者達も出て来るだろう。
 例え冷酷と言われようとも、時代について来れない者は新たな生き方を見つけるしかないんだ。それを分かってくれ。甚太郎。



 ・天文七年(1538年) 十二月  河内国古市郡 高屋城  遊佐長教


「では、手前はこれにて失礼します」
「うむ。何か分かればまた頼む」

 頭を下げて内池甚太郎が下がって行く。相当に疲れた顔をしていた。やはりこれだけの戦陣を支えるほどの米を手配するのは並大抵の苦労ではないのだろう。
 ここは一つ、儂が甚太郎の負担を軽くしてやるか。

 甚太郎が下がった後、近習に声を掛けると程なくして”失礼致します”という声が掛かる。この声は備前守(走井盛秀)だな。

「お呼びでしょうか」
「うむ。これより軍議を開く。急ぎ家臣を招集しろ。それと、各地の城代にもすぐに陣触れを行うように下知を出せ」
「……では!」
「ああ。そろそろ儂も本格的に参戦する。讃岐守様(細川持隆)からは矢のような催促が来ているしな」

 戦況は六角に有利だ。
 既に尾張守様(畠山稙長)は大和で身動き取れなくなっているし、播磨・阿波勢が後退した今六角の進軍を阻むものは尼子の出雲勢のみ。細川六郎や木沢左京亮の軍勢は崩壊し、今の畿内は空白地帯と言っていい。

 ……今こそが売り時よ。

「殿がこだわっておられた堺の支配権はどうなりましたか?」
「それも話はついた。随分と粘ったが、結局はあちらも譲歩するしかない。今更儂を敵に回すことも出来ん相談だろうしな。これを見よ」

 そう言って文箱から一通の書状を取り出す。河内守護職と堺の代官職を認めるという書状だ。
 備前守の顔にも笑顔が浮かんでくる。この書付を得るために長い間沈黙を貫き通したが、どうやらその甲斐はあったな。

「承知いたしました。すぐに諸将を集めまする」
「うむ」

 機は熟した。六角も間もなく動くだろう。
 備前守が慌ただしく出ていくと、やがて城内に法螺貝と鐘の音が鳴り響く。これから忙しくなるな。

 さて、儂も讃岐守様と尼子伊予守殿(尼子経久)に文を書いておこうか。おっと、尾張守様にも事の次第を知らせておいてやるとしよう。

 ……ふふふ。文を受け取った時の尾張守様の顔が見物だな。この目で見られぬのが残念だ。
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