江雲記―六角定頼に転生した舐めプ男の生涯―

藤瀬 慶久

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第二次桶狭間の戦い(1) 先手必勝

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 ・天文九年(1540年) 十月 三河国額田郡 岡崎城  徳川清康


 岡崎城の物見櫓から西を見ると、西三河平野に収穫を終えた田が広がっている。
 何度見ても狭い平野だ。美田が広がるのは岡崎の西側だけで、東側には鬱蒼とした山が連なる。昔は充分に広い平野だと思っていたが、尾張や浜松に広がる美田を見た後ではちっぽけにしか思えぬ。

 昔から松平一族はこの狭い平野を巡って争って来た。最初は一色や畠山と岡崎を巡って争い、その後は一族同士で西三河の覇権を巡って争った。思えば我ら松平の歴史は戦の歴史だな。

 乱世を生き抜くには力が必要だ。何者にも負けぬ力が……。
 例え六角と言えども、屈するわけにはいかぬ。

 眼下を流れる矢作川には岡崎城へと米を運ぶ船が続いている。野分(台風)の際には矢作川も随分と暴れたそうだが、何とか最低限の収穫は出来たようだ。
 だが、足りぬ。戦を継続していくことは愚か、今年一年を食いつなぐ米にも事欠く有様だ。家臣共は領内の仕置きをしろと言うが、この狭い土地をいくらいじくりまわしたとしても収穫量など高が知れている。

 かつて守山城から見る尾張平野にはどこまでも続くような美田が広がっていた。あの時、六角と正面から戦って尾張を勝ち取っていれば、このような苦労など無かったかもしれぬ。
 だが、曲がりなりにも六角と一時的に和を結んだが故に、徳川は遠江を制する時間を得ることが出来た。
 ……ままならんものよな。

「殿、こちらにおいででしたか」
「半蔵(服部保長)か。六角の動きはどうだ?」
「畿内の兵を観音寺城下に集めているようにございます。手の者からの報告では、蒲生左兵(蒲生定秀)と海北善右衛門(海北綱親)が主力を率いて集まっているとのこと」
「フン。六角軍の中核を集めたか。どうやらあちらもやる気のようだな」

 兵の数ではさすがに負けるか。何とか本陣を引き寄せて一撃で葬る手立てを考えねばならんな。
 さて、どうするか……。

「美濃や尾張の状況はどうなっている?」
「尾張守(六角義賢)は軍勢を大高城に送り、城の備えを強化しております。山城守(斎藤利政)は未だ動きが見えませんが、明智城から兵が品野城に送られているとの由。品野城を守るのは明智兵庫(明智光綱)の実弟ですので、ただの兵員の交代ということも考えられますが……」
「六角からは出陣要請が出ているはずだ。恐らくは近江からの軍勢と共に出陣するのであろう」
「左様に思われます」

 となると、六角は三方から三河へ攻め寄せる形か。本軍は鳴海方面からだな。

「それと、一つご報告があります」
「何だ?」
「本證寺のことにございます」

 本證寺といえば蓮淳か。もはや枯れた老僧が一体何を仕出かそうというのか。

「蓮淳がどうかしたか?」
「門徒たちの間に蓮淳殿から文が回っているとのこと。『門徒は戦を行ってはならぬ』と」

 チッ。あの老いぼれめが。
 三河国衆の集まりが悪いのもそれが原因か。てっきり六角に恐れを為して降る腹積もりなのだと思っていたが……。
 儂に逆らったらどうなるか、いずれ思い知らせてやらねばならん。まずは見せしめに沓掛城を攻め落とす。

「軍議を始めるぞ。ついてこい」
「ハッ!」



 ・天文九年(1540年) 十月  近江国蒲生郡 観音寺城  六角定頼


 評定の間に入ると南軍・北軍の主だった者が鎧直垂姿で集合している。俺の方も小具足に身を包んでの登場だ。
 評定の間にはいつもの座布団では無く、床几が据えられている。俺だけでなく、集合した全員が床几に座って頭を下げている格好だ。

「面を上げよ」

 一座の者が揃って顔を上げる。皆用意は万端という顔だな。

「既に聞いていると思うが、三河守(徳川清康)が沓掛城の近藤九十郎(近藤景春)を攻めた。
 今まで表には出していなかったが、近藤は徳川方でありながらこちらに味方すると密かに返事を寄越している。三河守がそれを察知していたのかどうかは分からんが、ともあれ沓掛城をそのまま放っておくことは出来ん」

「我らにこれ以上の説明は不要でござる。何卒、お下知をお願いいたします」

 蒲生定秀が一座を代表して発言する。口には出さねど、皆気持ちは同じか。

「よし。我らはこれより沓掛城を奪回するため、三河に向けて出陣する。南軍は俺と共に八風街道から伊勢を経由して鳴海城に入る。北軍は東山道を経由して守山城へと入れ。斎藤家には既に軍勢が通過することは報せてある」
「ハハッ!」

 一つ頷くと、目の前に用意された式台から杯を取り上げて面前に掲げた。

「いざ」

「いざ!」

 全員で揃って酒を飲み干す。続いて打ち鮑、勝ち栗、昆布の順に口に運ぶ。毎度のこととはいえ、出陣に際しては色々と儀式があるものだ。

「では、各々。尾張で会おう」

 一声告げると評定の間を後にする。俺が進藤を伴って退出すると、広間はドタドタと騒がしくなった。恐らく一斉に動き出しているのだろう。

「皆良い顔でございましたな」
「ああ。本音を言えば、あと半年時間が欲しかったんだがな」
「やむを得ません。相手もこちらが有利になるのを座して待つわけでもありますまい」

 進藤の言う通りだ。清康の動きはこちらが想定していたよりもかなり早かった。
 米の収穫が終わってまだ一月も経っていない。こちらとしても今年の収穫分はこれから前線へ運ぶ手筈だったから、今頃庄衛門らは死ぬほど忙しく働いているはずだ。

 それに、三河や遠江の国人衆には義賢と今川氏豊から調略の手が伸びている最中だ。あと半年あれば清康の後方を乱す算段も付いただろうに、先手を取られたことでその手も潰えた。
 恐らく時間を置けば不利になると察して間髪を入れずに動き出したんだろう。さすがは『東海の暴れ馬』だな。戦の勘働きと果断さは朝倉宗滴に匹敵するかもしれん。

 ……俺に勝てるか?軍略では宗滴に敵わなかった俺に。

 弱気になるな。
 今の六角軍は宗滴と戦ったあの頃とは別物だ。軍勢の数だけじゃなく、軍備や練度も大幅に向上したはずだ。国人衆がバラバラに統率を取っていたあの頃の六角軍とは進退の精度が違う。
 練り上げて来た軍を信じろ。


「御屋形様。お待ちください」

 俺を呼ぶ声に足を止めて振り向くと、滝川一益が追いかけて来ていた。

「久助(滝川一益)か。どうした?」
「我ら滝川隊の役目はあれで本当によろしいのでしょうか?」
「ああ、かまわん」
「しかし、いかに鉄砲が優れた武器とはいえ、たったの十挺では大した戦果は望めません」

 まあ、一益の言いたいことも分かる。
 今の鉄砲はまだ開発段階に毛が生えたようなもので、やっと量産体制の構築に手を付けたばかりだ。今回の戦でも十挺を用意するのがギリギリだった。ゲリラ戦で精密狙撃が可能ならばまだしも、会戦で命中精度もほどほどの銃を十挺用意したところで戦果はたかが知れている。
 初めて実戦で扱う武器だから、俺がそのことを分かっていないんじゃないかと心配しているんだろう。

「分かっている。鉄砲隊を持って敵の軍勢を砕こうとは思っていないさ」
「しかし、それではわざわざ鉄砲隊を組織する意味はないのではありませんか?我らも今は弓や槍を持って戦った方が良いのではないかと……」
「それも心配ない。軍勢を砕くためではないが、恐らくお前たちの働きはすこぶる大きな物になる」
「はあ……」

 曖昧な言い方で済まないな。俺の思った通りの展開になれば、恐らく鉄砲隊はかなり大きな効果を発揮する。だが、その通りになるかどうかはまだ分からん。何せ相手があることだからな。
 現状ではこれ以上に具体的なことは指示できないんだ。

「場合によっては戦場で槍や弓に持ち替えてもらうかもしれんが、ともあれ今回の戦は鉄砲隊として参加しろ」
「……ハッ! 出陣前に申し訳ありませんでした」
「なに、お主の心配ももっともだ。これからも臆することなく気付いたことは言ってくれ」

 一益が少し嬉しそうにはにかむと、一礼して戻って行った。
 数えで十五歳ということは、現代ならまだ中学生か。それでいて鉄砲の運用法をそこまで理解しているとは恐れ入る。期待以上だな。

「久助には御屋形様の狙いを話しても良いのではありませんか?」
「いや、それはまだ味方にも秘密にしておく。久助を信用しないわけではないが、誰かに話すと三河守が勘付いてしまうのではないかと心配になってな」

 清康の勘の良さは異常だからな。今回の沓掛城攻めもそうだ。
 尾張に出て来た清康の後方を突くために義賢にはくれぐれも近藤が裏切ることは秘匿しろと言っておいた。その為、普段交渉役にする保内衆では無く敢えて多羅尾光俊を使って夜陰に紛れて繋ぎを付けさせた。
 にも関わらず、清康は先手を取って沓掛城を攻めた。野獣の勘を持っているとしか思えん。

 やばいな。そう考えるとなんだか本当に想定通りになるか不安になってきた。

「新助。確認だが、四郎(六角義賢)は大高城から動かぬように言ってあるよな?」
「何を今更。若殿は大高城にて守りを固め、御屋形様の到着を待っておられます。伴庄衛門からも三雲三郎左衛門(三雲定持)からも同様の報告が来ておりましょう」
「四郎が武功に逸って討って出ると言うことは無いか?」
「あり得ぬとは言い切れませんが、もう少し若殿をご信用為されませ」
「う……そうだな」



 ・天文九年(1540年) 十月  尾張国愛知郡 大高城  六角義賢


「若殿、何卒我らに出陣の許可を」
「何度言えばわかる。ならんと言ったらならん」
「しかし、沓掛城の近藤殿は我らにお味方すると申されていたのでしょう。味方の危機を見捨てては若殿の御名に傷がつきましょう」

 やれやれ、権六(柴田勝家)は勇猛で人情味も厚いのだが、暑苦しいのが珠に瑕だな。
 近藤には四郎兵衛(多羅尾光俊)に命じて沓掛城を脱出させる手筈を整えたというのに。

「沓掛城は父上の到着を待って奪回する。近藤も死なず、奪われた領地も我らの手で奪回するとなれば見捨てると言うには当たらんだろう」
「しかし……」

 まったく、いつにも増して聞き分けの悪い。

「一体何がそこまで気に食わんのだ。徳川との決戦を回避するとは言っておらん。父上も今回は徳川と雌雄を決する御覚悟だ」
「御屋形様の軍勢が到着すれば、我ら尾張軍は後方にて徳川と対峙することになりましょう」
「それが気に食わんのか?」
「三河守は北河様の仇にございます」

 ……ふっ。それが本心か。
 まったく、真に暑苦しい男だな。

「儂とて徳川には煮え湯を飲まされた。又五郎を討たれた悔しさは忘れたわけではない」
「では!」
「それとこれとは話が別だ。徳川との戦は父上の到着を待って行う。父上のお下知ではない。儂の下知として聞け」
「……承知いたしました」

 気持ちは分かる。目の前に三河守が居るのだ。儂とて出来れば大高城を討って出て徳川と決戦したいと思う。
 だが、我ら尾張軍だけで戦って仮に負ければ、今度こそ徳川の尾張進出を許してしまうことになる。
 目先の恨みに目を曇らせれば、又五郎の二の舞となるぞ。一度の負けが情勢を一変させるということを学んだばかりではないか。

「心配するな。父上は我ら尾張軍も決戦には参加させるおつもりだ。お主の恨みを晴らす機会は必ず来る。だから今は申した通り大高城の守りを固めよ」
「ハッ!」

 ようやく聞き分けたか。
 こ奴だけは何かと心配になるな。

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