江雲記―六角定頼に転生した舐めプ男の生涯―

藤瀬 慶久

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鈴の観音寺日記

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 ・天文九年(1540年) 九月  近江国蒲生郡 観音寺城  六角鈴


 観音寺城の奥に入ってもう半年が経った。

 最初はどうなることかと思ったけれど、今のところ六角様の望む情報を鉢屋衆に渡すだけで私自身に特別何かをやらせるということは無い。
 それに周りは侍女から小間使いまで全て進藤家の者が固めているから、私が厠へ立っただけでも周囲から痛いほどの視線が飛んでくる。仮にも私は進藤家の養女。いわばあなた達の主君の娘なのだから、もう少し丁重に扱ってもらっても良いと思うのだけれど……。

 まあ、無理かしらね。養女というのも形だけで、実際は見張りのためだというのは小者の端に至るまで全員が承知している。鉢屋衆への繋ぎだけは松尾神社への参詣という名目で外出できているけれど、それ以外は特にやることも無いし、させてももらえない。
 命を取られるかどうかの瀬戸際だったのだからやむを得ないとはいえ、これほど窮屈な思いをするくらいならいっそ死んだ方がマシだったかしら。

 ……そうだわ。折角だから松尾神社に私好みの庭でも作ってもらおうかしら。そうすれば繋ぎの為だけの外出も少しは楽しくなるかもしれない。
 周囲の家臣はともかく六角様本人は割と女性に甘そうだし、少しくらい甘えさせてもらいましょう。


「お方様。何をしておいでですか?」
「手慰みに日記をつけているのです。何なら中身を見ますか?」

 侍女のまとめ役をしている楓が疑わし気に手元を見て来る。あまり部屋から出してもらえないのだから、日記くらい好きにさせてもらいたいものだわ。
 いくつかの紙片をめくると、やがて紙束を手元に返してくる。

「失礼しました」
「いいえ。疑いは晴れたようですね」

 せいぜいニコリと笑ってやろう。貴女に見せているのは表の日記。見られたとしても何ら問題ないのだから。

 楓が出ていくと、文箱の下から本命を取り出す。
 役に立つかどうかは分からないけれど、私なりに六角家中の人物評を集めてみた。

 まずは

『進藤山城守貞治。
 近江宰相が家督を継承した当初からの家臣。融通の利かない頑固者で、六角家と言うよりは近江宰相にどこまでも忠実な男。
 観音寺城の奥も表も取り仕切る事実上の家宰のような役目をしている。でも、主君のはずの近江宰相相手にも度々お説教をしていることから家臣というよりは友と呼ぶべきお人なのかもしれない』

 ふふふ。当の六角様がお説教をされたことを私の寝所でグチグチ言うものだから、すっかり二人の関係性も分かってしまった。とはいえ、六角様自身も進藤様にお説教されることを嫌がった様子が無いのが面白い所よね。
 進藤様は六角様よりもお若いと聞いたことがあるけれど、とてもそうは見えないわね。


 次に

『滝川久助一益。
 佐々木氏の庶流である大原家に仕える滝川家の嫡男。父の彦右衛門資清は万寿丸君の傅役として今もなお重用されているし、久助本人も近江宰相の馬廻衆として栄達の道を歩んでいる。何やら秘密の任務を帯びているのか、ふと気づくとお城勤めを放り出して留守にしていることが多い』

 久助殿は男らしい雰囲気なのだけれど、ちょっと顔つきが厳めしいところが珠に瑕かしら。女中の中には久助殿に見初められたいと思っている者も居るようだけれど、どこか近寄りがたい雰囲気があるわ。
 もっとも、私は暑苦しくて好みではないけれど……。


 そして

『香庄源左衛門定信。
 近江宰相の祐筆として長年側近く仕える。人当たりは柔らかく存在感の無いお方だけど、進藤様に次いで六角家の内情を知悉しているはず。
 こちらも近江宰相が家督を相続した当初から祐筆として仕えている。近江宰相の行くところ必ず源左衛門の姿がある』

 信頼されているのは確かなのだけれど、今一つ切れ者という感じはしないのよね。進藤様は時折心の奥底を覗き込んでくるような目をするけど、香庄様にはその心配は無いわ。
 もっとも、それを演技として行っているとすれば逆に相当な切れ者ということになるわね。


 次は…………やめた。

 紙と筆をしまい込んで文箱を元に戻す。どのみち私が知る六角家なんて観音寺城の奥に出入りする人達だけ。六角家臣の中で本当に重要な方はいつも外に出ている。こんなものを集めてもただ虚しいだけ。
 六人衆として名高い蒲生様や海北様にはお会いする機会すらも無いのだから、何かの際に役立つ情報など書き残せるわけがないか。

「楓さん」
「お呼びでしょうか」

 一声かけると襖の外から楓が顔を出す。この澄まし顔をちょっとはぎゃふんと言わせてやりたいものだわ。

「厠へ行きます」
「承知しました」

 私が立ち上がると、後ろにピタリとついて来る。毎日のことだけど、鬱陶しいことこの上ない。

 廊下を進むと、やがて前方から殿方が二人並んで歩いて来る。随分慌てたご様子だこと。
 あれは……滝川彦右衛門殿(滝川資清)と平手監物殿(平手政秀)ね。

「これはお方様」

 二人も私に気付いて端によって膝を着く。お二人にとって私はあくまでも六角様の愛妾。それも強引に進藤家を後ろ盾とさせるほど愛している女。
 でも、六角様の愛妾として扱われれば扱われるほど私の心は乾いていく。本当は手さえも触れてもらえない女なのに……。

「お方様。失礼ながら万寿丸様をお見かけになりましたか?」
「万寿丸様を? いいえ。私は見ておりませんが……。 万寿丸様が何か?」
「いえ、実は手習いの刻限でありますのに一向に姿が見えず……」
「吉法師様もでございます。おそらくまたお二人で悪戯をなさっているのでしょうが……」

 ふふっ。傅役二人が揃って幼子に煙に巻かれているというわけか。

「残念ながらお二人とも見かけておりません。見かけたらお二人が探しておられたと伝えておきましょう」
「ハッ!よろしくお願い申します」


 二人と別れて再び廊下を進むと、今度は庭の植木が少し揺れた。
 あれは……吉法師様。後ろから万寿丸様も。

 私に気付いた二人が”あっ!”と声を上げて何かを後ろに隠す仕草をする。本当にお二人とも仲の良いこと。そう言えばお二人とも将来が楽しみなお顔立ちよね。

 ニコリと笑って私も縁側に足を向ける。後ろから楓の視線を感じるけれど、構うものか。

「今後ろに何を隠したのですか?」

 おずおずと顔を見合わせてお二人が縁側近くまで寄って来る。何をする気かと楓も私の真横に来る。仮にも貴女は私の侍女なのだから、主人の横に立つ無礼がありますか。

「これ……」

 そう言って吉法師様が手を開ける。その瞬間、手の中から蛙が飛び出して楓の顔にピタリと張り付いた。

「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 ……ぷっ。クスクス。

 驚いた楓が手で顔を払いながら真後ろにひっくり返った。何とも間の抜けた姿だこと。

「ご、ごめんなさい!」
「良いのですよ。不用意に顔を出した楓がいけないのです」

 それにいい物を見させてもらった。久しぶりに心から笑った気がする。

 ようやく落ち着きを取り戻した楓が立ち上がる。相手はお寅の方とお花の方の御子。それに私が良いと言った以上はこの場で楓が何か言うことは出来ないでしょう。

「お二人とも蛙を探していらしたのですか?」
「虫を探していたんだけど……秋に蛙を見つけるのは珍しいから、母上にも見せてあげようかなと思って」
「そ、それはやめておいた方がいいかな。突然見るとお母様もびっくりなさるでしょう」
「そうかな……」

 お二人で顔を見合わせている姿はまるで本当のご兄弟のよう。……少し羨ましいな。

「その蛙、良かったら私に下さいませんか?」
「……え?」

 後ろから刺々しく”お方様”という声が聞こえる。
 構うものか。少しくらい私もわがままを言わせてもらうわ。

「駄目かしら?」
「……いいよ」
「ありがとう」

 吉法師様が小さな手で私の手の平に蛙を乗せて来る。ただの蛙がこんなに可愛らしく見えるなんて。
 私に蛙を渡すと、二人ともまた植木の奥に入って行った。私もこんな風に自由に城内を遊び回れたら、どれほど楽しいだろう。

 ……あ。
 そう言えば手習いの刻限だと言っていたわね。

 ……まあいいか。



 ・天文九年(1540年) 十月  近江国蒲生郡 観音寺城  六角定頼


 尾張東部と西三河一帯の絵図面に碁石を並べながら、想定される合戦の形を進藤貞治と共に描いていく。

 月が明けて十月になってから各地で米の収穫が始まっている。
 待ちに待った収穫だが、その最中に三河から不穏な話が聞こえて来た。何でも岡崎城に次々と兵糧が運び込まれているという話だ。三河周辺に出張っている熱田衆の話だから恐らく間違いないだろう。

 徳川清康が今まで通り今川と事を構えるのなら、兵糧は東に運ばなければならない。少なくとも清康の現在の本拠地である浜松城に備蓄するのが筋だ。
 にも関わらず岡崎城に運び入れるということは、今回の兵糧は西に向けて使うつもりだということだろう。尾張の台風被害を好機として攻め込む腹積もりと見た。


 三河衆の取り込みはまだ十分に行えていないが、あっちが攻めて来るというのなら対応しないわけにはいかない。当面四郎(六角義賢)には警戒を密にさせ、合わせて南軍と北軍を観音寺城下に集結させた。
 畿内の抑えは当面磯野員宗の大和軍だけとなるが、遊佐は岸和田城で畠山稙長と遊んでいるし三好頼長も今回は畿内の抑え役として残ってもらっている。問題はないだろう。

 念のため磯野には本願寺の動向を見逃さないように注意を与えておいた。蓮淳は俺に頭を下げて来たが、証如は依然として石山本願寺に引きこもっている。今回また裏でコソコソ動かれちゃたまらんからな。


「やはり美濃勢には品野城から南下して矢作川を渡り、岡崎の北を抑えてもらおうか」
「左様ですな。斎藤山城守様(斎藤利政)が北を抑えて下されば、徳川としても北と西に目を配らねばなりません。万一我らが後退したとしても徳川の動きを牽制できましょう」
「となると、尾張軍は大高城から進軍し、南軍は鳴海城、北軍は長久手方面から沓掛城に向けて進軍することになる。決戦は刈谷城周辺、あるいは……桶狭間か」

 桶狭間かぁ……縁起悪いんだよな。北河又五郎が討たれたというのもあるが、歴史を知っていれば尚更桶狭間は奇襲の名所という意識が働いてしまう。

 大軍を率いて桶狭間かぁ……。


「御屋形様。蒲生様より使いが参り、あと二日で観音寺城に到着するとのことにございます」
「分かった」

 近習の言葉に頷くと、再び進藤と共に絵図面に目を落とす。
 縁起は悪いが、尾張と三河の国境で戦をするとなればそのあたりで戦うのが現実的だ。清康も大高・鳴海の両城を放り出していきなり守山城方面へ進出するほど馬鹿じゃないだろうしな。

 しかし、桶狭間なぁ……。


「御屋形様。海北善右衛門様(海北綱親)が到着されたとのことにございます」
「分かった。今日は休息を取り、明日観音寺城に登城しろと伝えよ」
「ハッ!」

 ともあれ、開戦予定は桶狭間にしておこう。最終的には現場で清康の動きを見てから決定とすればいいか。

 それにしても、桶狭間ねぇ……。
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