江雲記―六角定頼に転生した舐めプ男の生涯―

藤瀬 慶久

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第二次桶狭間の戦い(2) 朝もやの中で

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 ・天文九年(1540年) 十月  尾張国愛知郡 鳴海城  六角定頼


「此度は尾張に援軍を頂き、ありがとうございまする」
「いや、こちらも畿内を気にせず戦える良い機会だ。三河守(徳川清康)が相手となれば油断はできんからな」

 二年ぶりに会った四郎(六角義賢)は随分とたくましい顔つきに変わっていた。前回の敗戦から尾張を立て直し、俺の整備した軍制と統治機構を引き継いで立派に一国を切り盛りしてきたんだ。きっとこれまで言い知れぬ苦労を乗り越えて来たに違いない。
 現代ではまだ若者というくらいの年齢であるにも関わらず、四郎がここまで重ねて来た苦労を思うとつい目頭が熱くなってくる。年取ると涙もろくなるなぁ。

「父上、早速ではございますが一つお願いがございます」
「ん?どうした?」
「此度の三河との戦、我ら尾張軍に先陣を賜りたく」
「先陣? しかし尾張軍は我ら近江軍が三河守と対峙している間に別動隊として刈谷城へ向かってもらおうと思っていたのだが……」
「伏してお願い申しまする。我ら尾張軍の将兵は二年前に三河守から受けた屈辱を忘れておりません。今また目の前に三河守を見ながら、別働隊として働けと言われれば軍の士気にすら関わりかねません」

 懇願して来る四郎の目は真剣そのものだ。
 どうするか……。

 そうだな。四郎がそう言うのだから任せよう。三河との国境を守り続けて来たのは尾張軍なのだし、将兵の士気が上がるのならば悪くない。三河兵はただでさえ精強だ。
 尾張軍と南軍の配置を入れ替え、刈谷城攻めは蒲生定秀に任せることにしようか。

「分かった。お主の言い分ももっともだ。尾張軍の配置は再考しよう」
「ありがたき幸せ。必ずやご期待に沿って見せまする」
「して、三河守の動きはどうだ?」
「は。沓掛城を一気呵成に攻め落とした三河守は、本陣を沓掛に置いたまま動かずにおります」
「そうか……」

 速戦を仕掛けて来るかと思ったが、意外にも慎重だな。

「重ねて問うが、岩崎城には近づいておらんのだな?」
「はい。今の岩崎城は兵が二百もいれば落せると思いますが、徳川は一兵たりとも岩崎城に向かわせておりません」

 岩崎城は沓掛城と共に先の台風で建物に被害を受けている。沓掛城の近藤景春が内応したのも、今の沓掛城では攻められれば一日も保たないと判断した部分もあっただろう。
 事情は岩崎城も同じだ。しかも岩崎城は清州城のある尾張平野への入口に当たる。岩崎城を落とせば、大高・鳴海の両城を放っておいて尾張中郡に進出することもできる。

 だが、清康が岩崎城に入れば守山城から押し出した北軍と俺の本軍、美濃勢で包囲できる態勢を作ってあった。三河からどれだけ物見を出しても察知はされないはずだ。
 清康としても岩崎城を抑えれば対六角の戦略に幅が出てくるように見える。てっきり食いついてくると思っていたんだが……。

 あるいは不穏な匂いを嗅ぎ分けて岩崎城には手を出さなかったか。
 つくづく勘のいい野郎だ。

「わかった。やはり徳川とは正面から決戦するしかないようだな。新助(進藤貞治)。すぐに諸将を集めてくれ。軍議を始める」
「ハッ!」



 ・天文九年(1540年) 十月  尾張国愛知郡 二村山  徳川清康


 眼下の低地では孫十郎(榊原長政)の一隊と鳴海城より出て来た六角の一隊が矢戦を展開している。
 そこから先に視線を伸ばすと、大高城と鳴海城の間で軍勢が行き来している。どうやら六角本軍は既に到着したか。さて、近江宰相は一体どこに居る?

 今のところ六角の旗が動いているのは大高城・鳴海城と守山城の辺りか。
 いや、守山城周辺の旗はこちらに近づいてきているように見える。どうやら岩崎の辺りまで出て来るようだな。六角お得意の包囲陣形か。
 だが包囲陣形とは言い換えれば正面が手薄になる陣形ということだ。勝ち目はある。

 馬上で六角軍の動きを眺めていると、新八郎(大久保忠俊)が馬を寄せて来る。

「思ったよりも六角の旗は少ないですな」
「油断はするな。ここからでは大高城や鳴海城の後ろまでは見通せん。後ろに軍勢を隠していることも考えられる」
「確かに。やはり大物見(威力偵察)に出した榊原孫十郎が戻らねばどうにも判断付きがたいですな」
「うむ」

 新八郎と話していると、孫十郎の一隊が駆け戻って来た。五十騎ほどで出したが数はほとんど減っていないな。まあ、六角とて今は決戦の布陣を敷く方が優先だろう。大物見の部隊をわざわざ追撃したりはせぬか。

「どうであった」
「ハッ! 六角軍の布陣は大高城方面に蒲生、鳴海城方面に尾張守(六角義賢)。守山城の軍勢は残念ながら見通せませんでした」

 ふむ。三方から攻めかかるか。
 いや、主力は大高城の蒲生か? とすれば、近江宰相は大高城へ移ったのかもしれん。だとすると厄介だな。儂が子倅(六角義賢)と遊んでいる間に刈谷城を攻め取る腹積もりか。

「それと、中島砦の奥に佐々木大明神の旗を見ました」
「何! 旗は動いていたか?」
「いいえ。六角本陣の旗は鳴海城から動く気配が見えず、そのまま鳴海城に留まっている様子に見受けます」
「おお!でかした!近江宰相の本陣は鳴海城にあるということだな!」
「左様見受けます」

 孫十郎がニヤリと笑う。こやつめ、良い働きをする。
 周囲からも”おお!”と軽く歓声が上がる。

 そうか。お前は鳴海城に居るのか。六角定頼。

「目指す首の在処が分かった以上、長滞陣は無用だ。明払暁を期して陣を前に進める。
 新八郎!」
「ハッ!」

「兵八千を率いて正面から攻め寄せよ」
「ハハッ!」

「将監!(酒井忠尚)」
「ハッ!」

「兵二千を率いて守山城から出て来る敵を横撃せよ。一日の刻を稼げ」
「承知しました!」

「大蔵!(阿部定吉)」
「……ハッ!」
「なんだ?六角の軍勢に恐れをなしているのか?」
「いえ、決してそのような……」
「まあいい。大蔵は同じく兵二千を率いて大高城からの軍勢を警戒して日高の辺りに陣を取れ。恐らく戦が始まれば大高城から刈谷城を目指して別動隊が進軍して来る。
 敵を発見したら横撃しつつ、刈谷城の水野と共に刻を稼げ」
「ハハッ!」

 大久保一統を前面に出し、六角の先陣に穴を開けた後に儂自身が突撃する。小細工抜きの正面突破だ。
 近江宰相は奇襲を警戒しているだろうが、儂が取るのは正攻法よ。六角が数の有利を活かせぬうちに正面を切り崩して一気に首を取る。

 ……む。顔に水滴が当たる。
 降って来たか。だがこの分では大雨にはならんだろう。

「本陣に戻るぞ。兵には早めに休息を取らせておけ」



 ・天文九年(1540年) 十月  尾張国愛知郡 鳴海城  六角定頼


 鳴海城は朝から蜂の巣を突いたような騒ぎだ。
 早朝から徳川軍が鳴海城目がけて進軍してきたとの一報が入って来た。

 昨日の小戦は恐らく大物見だと思うが、偵察が済めばいつ攻めて来るか分からんと思って念のため尾張軍は既に桶狭間に展開させておいた。正直まさかとは思ったが、昨日の今日でお盛んなことだな。

 鳴海城の物見櫓に上って見下ろすと朝もやの中であっちもこっちも敵味方の旗が入り乱れている。
 徳川軍は三万の軍勢と呼称しているが、実数は一万五千といったところだろう。対するこちらは公称六万、実数四万の軍勢だ。
 鳴海城と沓掛城の間はおよそ五キロメートル。この狭い丘陵地に敵味方合わせて三万以上の兵がひしめき合えば、ただでさえ見通しの悪い天候で死角が生まれやすくなる。

 それに、六角軍四万の内二万は別働の北軍や南軍、それに美濃勢だ。要するに尾張軍と俺の本軍だけで言えば軍勢は二万。徳川が正面に兵数を全振りしていれば数の差はほとんどなくなる。

「予想よりも早く仕掛けて参りましたな」

 進藤が俺の隣に立って同じ景色を見下ろす。
 確かに、計算が狂った。まさか昨日の今日で本当に攻めて来るなんて思ってなかった。舐めていたつもりは無いが、徳川清康の思い切りの良さをまだ芯から理解できていなかったのかもしれん。

 清康……。お前を朝倉宗滴と同列に思ったのは間違いだった。
 朝倉宗滴はこちらを引っ張り出して態勢を崩し、そこに生まれた隙を突く戦い方だった。仕掛ける時は苛烈だが、一旦受けに回るとこちらの攻撃をいなす柔軟性を持っていた。

 だがお前は自ら仕掛けてひたすら強引に突破する戦い方だ。こちらの態勢が崩れたかどうかなど気にしちゃいないし、自分が受けに回ることすら想定していないんだろう。
 旗の配置を見ればよくわかる。朝もやの向こうにうっすらと見える徳川の旗は、真っすぐ矢印を描くように鳴海城に向かっている。魚鱗の陣形だろうが、視界の悪さと前方に意識を集中するあまり鋒矢の陣形に近くなっているな。前進して俺の首を取る。それ以外に何も考えちゃいない。

「いかが為されますか? 策を捨てて一旦古渡城まで軍を下がられれば、徳川は成すすべがありませんが」
「ふむ……」

 確かにここで意地張って正面から戦わなくてもいい。
 しかし尾張軍の前線は既に戦闘に入ってしまった。今軍を退けば、またしても徳川の勝利と認識されてしまう。これ以上徳川を調子に乗らせるわけにはいかん。

 それにこれだけの圧力を加えられたら、尾張軍の前線はかなり厳しい。撤退すれば追撃されることは必至だ。四郎を……俺の可愛い息子を万に一つも討たせてたまるか。

 だが、これだけ両軍が肉薄すれば奇襲でなくとも、騎馬隊の突撃一つで俺の本陣に迫ることは不可能じゃない。
 万に一つ、ここで俺が討たれることがあればそれこそ六角家は危機に陥る。今川家の二の舞だ。

 どうする……。
 いや、待てよ。

「大高城の南軍に伝令! 今すぐに桶狭間に向けて出陣し、徳川軍の側面を攻撃させろ!」
「ハッ!」
「それと本陣を善照寺砦の前面に展開。尾張軍に疲労が見えたらすぐさま後詰に入れる態勢を作れ」
「ここで迎え撃つのですな」
「ああ。三河守はやはり宗滴とは違う。奴は騎馬による突撃でケリをつけるつもりだろう。ならばこちらもやり様はある。それに、徳川の陣形は横撃に弱い」
「承知しました。ですがくれぐれも御屋形様ご自身の出馬はなりませんぞ」
「分かっている。最悪の場合は古渡城に撤退する」

 進藤が一礼して各地に指示を伝えに行った。
 再び視線を前線に移す。朝の光を浴びてもやが少し晴れて来たか。
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