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第三次六角征伐(9) 三好頼長の帰還
しおりを挟む・天文十一年(1542年) 九月 阿波国板野郡 勝瑞城 三好虎長
讃岐守様(細川持隆)の居室へ向かって廊下を歩いていると、前から華やかな小袖の女性が侍女を引き連れて歩いてくる。
端に寄って膝を着くと、たおやかな所作で一礼を返して来た。
小少将殿か……。
確かに美しいお方だが、どうにも好きになれぬな。讃岐守様は畿内から戻られてからというもの、政務を配下に任せて少将殿と共に過ごされる日が多くなった。
二年前の戦で受けた損害は阿波衆に重くのしかかっている。今は阿波衆の力を回復させ、足元を固めなおさねばならぬ時だ。にもかかわらず讃岐守様は未だに遊佐許すまじ、六角許すまじと仰せになり、機あらば畿内に兵を進めると申されていると聞く。
過日の敗北の原因を作った某が言えた義理では無いのかもしれんが、何とか思い直して頂き、再び政務に戻って頂かねばならぬ。
「あら、彦次郎殿(三好虎長)。御屋形様(細川持隆)へ御用ですか?」
「あ、ハッ! 御屋形様にいささか申し上げたき儀がございまして」
「そうですか。御屋形様は彦次郎殿に大層期待を寄せられています。どうか、よろしくお願いしますね」
「勿体なきお言葉でございます」
頭を垂れた某の側に人が座る気配がした。見れば少将殿が某の前に座り、口を耳に近付けて来る。
少将殿が近寄るにつれて何とも言えぬ良い香りが漂って来た。これは何かの香だろうか?何とも良い香りだ。つい心が吸い寄せられそうになる。
……い、いかん。某は何を考えているのだ。
仮にも主君の愛妾に対して邪心を抱くなど不敬の極み。このようなことではいかん。
「御屋形様は近いうちに京に屋敷を建ててやると仰せ下さいました。私も楽しみにしております」
……!!
讃岐守様は本気で仰せなのか?
今の阿波に上洛など出来る余力はどこにもない。仮に畿内の争乱に参戦するとしても、今更どちらに味方するというのだ。我らを裏切った遊佐が公方様の側衆筆頭として仕えることに反感を持つ者は阿波にも大勢居るのだぞ。
かと言って、細川家の者として公方様に敵対することも出来ぬはず。
近江宰相はこの度右大将に任じられたと聞く。恐らく六角家は足利家と真っ向から戦をするつもりなのだろう。
仮にも我ら阿波衆は中納言様(足利義維)を奉じる足利の臣だ。足利家そのものと戦う六角に与することなど出来まい。いや、それこそ讃岐守様の申される『義』に反する行いではないか。
「あら、そんなに怖いお顔を為されますな。折角の凛々しいお顔が台無しですよ」
「……」
頬に触れた手を払いのけて立ち上がる。これは聞き捨てならぬぞ。まさかこの女が讃岐守様を焚きつけているのではあるまいな。
讃岐守様は生来英邁なお方だ。某の知っている讃岐守様であれば、今この時に兵を起こすなどと冗談でも仰せになるはずがない。
この女……美しい顔をしているが、とんだ女狐かもしれぬ。
「お方様。恐れながら、讃岐守様は御自ら京に参ると申されたのですか? 貴女がそうねだったのではありませんか?」
「あら、そのような恐れ多いことを……。御屋形様から仰せ下されたのです」
……やはりおかしい。某の知る讃岐守様はそのようなお方では無いはずだ。
「フフフ。怖いお顔。私も御屋形様も彦次郎殿を頼りとさせていただいておりますよ」
「……重ね重ね、勿体ないお言葉にございます」
これ以上阿波を混乱させるわけにはいかぬ。
この女が妙な気を起こさぬうちに、一刻も早く讃岐守様に政務に戻って頂かねば。
・天文十一年(1542年) 十月 摂津国島上郡 高槻城 三好頼長
「殿! 茨木伊賀守(茨木長隆)より和睦を乞う使者が参っております」
松永弾正(松永久秀)に続いて直垂姿の男が広間へと入って来る。
この男は確か荒木信濃守(荒木義村)だったな。池田の家臣が茨木の使者として参るとは、摂津国衆も随分と仲の良いことだ。
入口で一瞬立ち止まってから再び歩を進めて来る。当然ながら儂を始め周囲は具足を纏った者達ばかりだから、一人直垂姿で居ることはさぞや心細いのであろう。
「お目通りをお許し頂きましてありがとうございます。池田家臣、荒木信濃守にございます。この度は茨木家・伊丹家・池田家の使者として参上いたしました」
「……信濃守。久しいな」
「ハッ! まこと、この度は何と申しましょうか……」
信濃守の額に一筋の汗が伝う。
つい半年前に儂を裏切って大和守(篠原長政)を討死させたばかりだというのに、旗色が悪いからと和睦を乞うとはぬけぬけと良く言えたものだ。
亡き父上が摂津国衆に苦労させられたのも頷ける。
「挨拶は良い。満更知らぬ仲でも無いしな。して、そちらの条件を聞こう」
「ハッ! 芥川山城、越水城、原田城を返還し、茨木・池田・伊丹の各当主は責任を取って出家致します。さらには今後は改めて三好筑前守様に忠誠を誓い……」
「もう良い。つまり元通り儂に仕えたいというわけだな」
「ハッ! 虫の良い話であることは重々承知しております。ですが……」
「もう良いと言っている。戻って茨木や池田・伊丹らに伝えよ。降りたいというのであれば、己らの領地は全て召し上げる。以後摂津は三好家の直轄領とし、儂が各城に代官を置く。
お主らは遁走するなり、寺に入るなり好きにしろとそう申し伝えよ」
「……」
信濃守の顔が苦悶にゆがむ。恐らく茨木達は摂津の各地を抑える自分達が必要なはずとたかを括っておるのだろうが、それが甘い考えであることを思い知れ。
義父上は時間が掛かっても良いから今度こそ摂津を掌握しろと仰せであった。儂も同じ気持ちだ。
向背常ならぬ相手からの誓紙など何の役にも立たぬことは心底思い知った。
まずは国衆という者を無くさねばならん。今更ではあるが、儂も義父上に倣って旗本衆を創設し、国衆を土地から切り離してゆくことにする。茨木達はその見せしめだ。
「摂津に戻られて早々に高槻城を攻略された手腕はお見事という他ありませぬ。ですが、我らとて公方様から軍を提供せよと申されれば応じぬわけには参らなかったのです。
どうか、我ら摂津国衆の苦衷もご理解いただけませんでしょうか」
「それは分かっている。だからこそ、お主らの苦悩の原因を取り除いてやろうと申しているのだ」
信濃守が怪訝な顔でこちらを窺う。どうやら儂の言いたいことが分かっておらぬようだな。
「お主らが苦悩するのは本領を守ろうとするためであろう」
「……いかにも」
「であれば、その本領が無くなればお主らは本領を守る為に苦悩する必要が無くなろう。これも儂なりの慈悲の心と思わぬか?」
「そ、それでは、我らは土地を失って生きてゆけぬことになりまする」
「近江の国人衆は土地を失っても生きておるぞ。六角家に仕え、俸禄を頂くことで生きておる。そして、戦の強い者は旗本衆となり、算勘に長けた者は代官衆として六角家に仕えておる。
近江国衆に出来たことが摂津国衆に出来ぬ道理はあるまい」
「し、しかし……」
「気に入らぬというのであれば、城に戻って籠城の備えでもするが良い。まあ、どの程度兵糧が集まるかは知らぬがな」
義父上がばら撒いた一合銭は瞬く間に摂津各地に広がった。儂の発行する禁制も一合銭で矢銭を納めることを認めているから、今や一合銭は各村にとって必要欠くべからざる物となっている。
反面で旧来の銭は値打ちが落ちていると聞く。茨木らが蓄えた銭では充分な兵糧を集めることも出来まい。
そもそもこれほど早くに降伏を申し出て来たのも、籠城など出来る状態では無くなっていることが大きいのだろう。
国衆を郷村から切り離すのは今この時を置いて他に無い。
「儂の話はそれだけだ。戻って茨木らに申し伝えよ」
「お、お待ちくださいませ!」
立ち上がりかけると、信濃守が縋るような顔で儂を見つめて来る。
どうやら儂が本気だということは伝わったようだな。
「そ、それでは、まずは某を筑前守様の直臣としてお仕えさせて頂けませんでしょうか」
「……ほう? 儂に仕えるということはお主が知行している河辺郡の土地を放棄するという事に他ならぬが、それでよいのか?」
「む、無論でございます。我が領地はたった今より筑前守様の直轄領として頂いて構いません」
「ふむ……何が狙いだ?」
「このお話を復命した後、某は茨木城から遁走致します。我が一族郎党は未だ川辺郡の小部庄に残っておりますが、これらの身の安全を保証して頂きたく」
「そのために主君である池田を裏切ると申すか」
ゴクリと生唾を飲み込む音がして信濃守の顔が強張る。
……この男も相当に追い詰められているのかもしれんな。この交渉が行き詰まれば腹を切らされると思っているのかもしれん。
「良かろう。茨木城から逃れた後は、高槻城に来るが良い。旗本としてお主を取り立てよう」
「殿! そのように軽々に決められては……」
「良い、弾正。信濃守がそれによって取り立てられれば、他の国衆も身の処し方が分かろうというもの。儂の直臣として取り立てられるか、城を枕に討ち死にするか、二つに一つ。それを示す良い機会だ」
「……ハッ!」
強張っていた信濃守の顔に安堵の色が広がる。
茨木らが素直に応じるとも思えんが、ともあれ今度こそ摂津国を儂の直轄領として安定させる。その為にはここで甘い顔をするわけにはいかぬ。
「くれぐれも、再び儂を裏切ろうなどと考えぬことだ。よいな」
「ハッ! ありがたき幸せ!」
・天文十一年(1542年) 十月 河内国茨田郡 枚方城 朝倉宗哲
「六角など恐れるに足りず! 我ら法華門徒の力で此度も見事六角を撃退して見せましょうぞ!」
「左様左様! 我らに加えて宗哲殿の武略があれば、我らに恐いものなど無い! 調子に乗って攻め寄せた六角定頼めをあべこべに討ち取ってしまいましょうぞ」
軍議の場には威勢のいい意見が飛び交う。
前回の戦で蒲生を撃退したことが法華門徒達の自信へと繋がっている。それは良いが、どいつもこいつも現実が見えておらぬ。
前回の戦はあくまでも奇襲で多少の損害を与えただけだ。儂が勝ったというよりは、被害の拡大を恐れた蒲生が軍を退いて態勢を整えただけに過ぎん。
それが証拠に、僅か半年の間で前回に倍する軍勢を用意して攻め寄せて来たではないか。
「宗哲殿!此度の軍略をお示しいただけませんか!」
「おう、軍神朝倉宗滴殿の後継者なれば、此度も神懸かった戦ぶりを見せていただけましょう」
儂に視線が集まる。
馬鹿を言え。前回は河内や摂津の民衆が協力してくれたから少ない手勢で戦えたのだ。
だが、茨木や伊丹らが摂津各地で兵糧を略奪したために摂津の民衆はそっぽを向いてしまった。今では三好軍来ると聞けば民衆が我から望んで三好に協力している。もはや我らはこの地でこれ以上戦えぬわ。
「左様。包囲を受ける前に淀川に船を出しましょう」
「淀川に……では、前回と同じく六角の後ろを突く策というわけですな!」
「いや、淀川を下って榎並城に戻ります」
「な! なんですと!」
「左様に弱気なことでいかが為されます! 枚方を落とされれば、ここを拠点に六角は次々と兵を送り込んで参りますぞ!」
「分かっておる。だが、援軍も無しにこれ以上は戦えぬ。どうしてもというのならば、お手前方は引き続き枚方城に籠られるが良い。我ら敦賀衆は榎並城に引き上げさせて頂く」
一座に沈黙が落ちる。
勢いだけで戦など出来るものか。
榎並城と江口砦を盾とし、中嶋城に後詰を要請する。それ以外に六角を防ぐ手立てはない。
河内平野は六角に明け渡すことになるが、公方様を奉じて戦う以上ここで我らが討ち死にするわけにはいかぬ。何としても北から堺を攻められる事態だけは防がねばならんのだ。
「各々方、よろしいな?」
未だ沈黙が続く。
やはり門徒は門徒。戦は素人か。
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