江雲記―六角定頼に転生した舐めプ男の生涯―

藤瀬 慶久

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第三次六角征伐(8) 幕臣の覚悟

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 ・天文十一年(1542年) 七月  近江国蒲生郡 観音寺城  六角志野


「とても良くお似合いですよ」
「ありがとうございます」

 吉法師殿がはにかみながら狩衣の裾を引っ張っている。縁側から差し込む日の光がまるで後光のよう。
 御屋形様は『六角の子として元服するのだから、藤原風の引眉やお歯黒はしない』と仰せだったけれど、確かに日に焼けた肌に白い歯が輝くのはとても男らしく凛々しい武者振りですね。

 侍従として取り立てられるということは、朝廷の中で武官として振舞うということ。確かに、このような源氏としての出で立ちの方が相応しいのかもしれない。

 お花さんはもう泣き崩れてしまって困ったこと。折角の我が子の晴れ姿だというのに。
 あらあら。お鈴さんまで目に涙を貯めて。

 ……まったく。困ったことですね。

「さあ、お召し替えも終わりました。広間へ行ってらっしゃいな」
「はい!」

 装束の着付けが終わり、平手殿に伴われて御屋形様や万寿丸殿、織田三郎五郎殿(織田信広)達が待つ広間へと向かわれた。
 烏帽子親は飛鳥井権大納言様(飛鳥井雅綱)にお願いしている。飛鳥井様には御礼物の用意をしてあるけれど、朽木殿(朽木稙綱)へも御礼の品物を用意させた方が良いかしら。
 朽木殿と飛鳥井様は親戚の間柄だし、きっと御屋形様は此度お味方下された朽木殿に対する義理もあって烏帽子親を飛鳥井様にお願いしたのでしょうから……。

「さて、いつまでも泣いていてはいけませんよ。こちらも祝宴の準備に取り掛かりましょう」
「……はい。重ね重ね、御屋形様と御裏方様には感謝の言葉もございません。吉法師の為にこのような晴れがましい元服をしていただけるなんて。
 三郎五郎殿からも『吉法師は織田家の誇りです』と仰っていただけました」
「水臭いことを……。さあ、いつまでも泣いていないで、良き男子おのことなられた吉法師殿の門出を共にお祝い致しましょう」
「はい」

 私が厨を確認するために立ち上がると、お花さんやお寅さん、お鈴さんも立ち上がる。
 ああ、いけない。お鈴さんは……。

「お鈴さんは休んでおいでなさい。大切なお体なのですから」
「……はい。ありがとうございます」

 お鈴さんが大きくなったお腹をさすりながら再びその場に座る。
 お産も近いのだから、あまり無理をさせてはいけないのだけれど……。

 万寿丸殿は久々に吉法師殿に会えて大層喜んでらしたわね。万寿丸殿も今は大原家を継ぐ立場となっている。みんなそれぞれ、変わっていくものですね。

 あら。もう秋も近いというのに、蝉の声が聞こえて来たわ。
 ……本当、良いお天気で良かった。



 ・天文十一年(1542年) 九月  山城国 京 六角屋敷  六角定頼


 さて、吉法師の元服も終わり、任官の御礼参内も終わった。
 明日からは信長もひとかどの公家として内裏に出仕する身になる。

 ……いや、信長ではないな。
 こっちの世界では俺の偏諱を与えて『織田頼信』を名乗らせた。どうしても俺の頭では『信長』のイメージが強いが、いつまでも史実に囚われていてはいかんな。
 今の歴史は、俺の知っている歴史とは別物だと改めて肝に銘じておかなければ。

「御屋形様。用意が出来ました」
「うむ。参ろうか」

 表に出ると、滝川一益が軍勢を引き連れて待っていた。除目を終えて早々ではあるが、俺も畿内の戦に戻る。
 保内衆は既に摂津茨木や河内枚方周辺で一合銭を配り歩いている。六角右大将の名で発行する禁制の矢銭は一合銭にて納めることも許したから、摂津・河内の民衆にとってみればタダで安全保障が手に入ったも同然だ。

 そして、男山城の蒲生の元には次々に一合銭が届けられているという。民衆の側も一合銭に価値を見出し、通貨の流通が始まっていると見ていい。
 次の段階は米を一合銭と引き換えることだ。その為に淀城に大量の兵糧を運ばせておいた。
 一合銭の流通は益々加速するだろう。

 蒲生を退けた朝倉は今度こそ枚方城に籠って河内平野への進出を阻む態勢を整えているが、勝竜寺城に退いた三好も歩を合わせて摂津に進軍することになっている。
 今の遊佐には摂津・河内・大和の三方面に軍勢を配置する余力は無いはずだ。次にどのような手に出るか、お手並み拝見といこう。

 愛馬新山号に跨り、すっと背筋を伸ばす。
 曇天模様が気になるな。この分なら今日降ることは無いだろうが……。

「油紙は持って来たか?」
「ハッ! 多少の雨であれば鉄砲を使うのに問題はありません」
「よし」

 鉄砲は雨に弱い。風が秋めいて来たこの頃では、心配なのは秋雨や台風だな。
 野戦はともかく、城攻めには鉄砲や焙烙玉は強力な武器になるはずだ。どうにか降らずに持ってくれれば良いが。

 ふと視線を隣に移すと滝川一益が俺の顔をじっと見ていた。

「どうした? 俺の顔に何かついているか?」
「あ、いえ……少し痩せられたかと思いまして……」
「そうか?」

 そう言えば最近ゆっくり飯食う暇も無いほど走り回っていたからなぁ。それに考えてみれば、ここ数年は働きづめに働いてきた。この戦が終わったら、志野と一緒に温泉でも行って少しゆっくりしようか。
 ……側室達も連れて行ってやらねば怒られるかな。

「出立する!」
「ハッ!」

 合図と共に軍勢が動き出す。年が明ければ尾張軍もこちらへ合流する予定になっている。春までには何とか決着させたいものだ。

 さて、遊佐は次にどう出るか……。
 そろそろ義晴が陣頭に立つ頃合いかもな。



 ・天文十一年(1542年) 九月  和泉国和泉郡 岸和田城  大館晴光


 ……狭いな。

 岸和田城内で宛がわれた儂の居室は一間半四方(四畳半)ほどの広さしかない。数寄屋の茶室程度のものだ。いかに全面畳を敷いた書院の間とはいえ、長持(荷物箱)と文机を置いたらあとは眠る場所くらいしかない。

 その狭い部屋に内談衆四人が集まって座っている。隣に座る刑部殿(細川晴広)や備中守殿(海老名高助)らの息遣いまでもが聞こえて来る。

 だが、やむを得ん。これは他所に聞かせられる話ではないからな。

「左衛門佐殿(大館晴光)。六角が右近衛大将に任じられたと聞いたが、真ですか?」
「真だ。京から報せて参ったわ」

 刑部殿が不安げな顔つきで尋ねて来る。六角と敵対すると決まってから半年以上の間、公方様はこの岸和田城から動かれておらぬ。
 不安が首をもたげて来たのであろう。

「これで我らは朝敵というわけか」
「いや、治部殿(荒川氏隆)。未だ六角は朝廷の綸旨を得たわけではござらん。公方様が朝敵と相成ったわけではありませんぞ」
「……時間の問題でありましょう。六角を右大将に任じるということは、朝廷はもはや六角を公方様に代わる朝廷の守護者と認めたということ。その六角と敵対する我らは……」

 ええい、ここまで来て往生際の悪いことを。
 何をどう言おうと覆水が戻ることはないのだ。こうなった以上は、我ら幕臣も力を合わせて六角を潰すしかないではないか。

「……やはり、六角に詫びを入れるよう公方様に申し上げてはいかがであろう」
「それが良いかもしれぬ。等持院様(足利尊氏)も打出浜合戦の折は武衛公(足利直義)に詫びを入れられたのだ。公方様が六角に詫びを入れることは決して恥にはならぬ」

 刑部殿も治部殿も情けない。武衛公は等持院様の御弟君であり副将軍だ。いち守護に過ぎぬ六角とは格が違うというのに。

「御二方とも、いい加減になされよ。公方様がどのような御覚悟を持って六角と決別されたのかを分かっておられぬのか?
 公方様は六角の増長をこれ以上見過ごせぬとして兵を挙げられたのだ。京の町を焼き、比叡山を焼き、本願寺を焼き、およそ自らの意に沿わぬ物を次々と焼き払って己の都合の良いように作り変えた。まさに天魔の所業。公方様はこれ以上六角の暴威を見過ごしには出来ぬと思し召しなのだぞ。
 六角に詫びを入れるなどと言語道断である」

 室内が一瞬静まり返る。
 刑部殿と治部殿は不機嫌に黙り込み、備中守殿は無表情で瞑目している。今や遊佐も六角との戦いを維持するのが精いっぱいであるし、頼みとしていた各地の大名も公方様の檄に応じようとせぬ。
 不安になる気持ちは分かるが、内談衆たる我らが心を弱くしてどうするのだ。

「今日御集り頂いたのは、皆に伝えたいことがあったからでござる。河内守殿は次の戦では公方様御自ら陣頭にお立ち頂きたいと申しておった。また、自身は側衆筆頭を退き、高屋城の細川次郎殿(細川氏綱)を管領に取り立てて頂きたいと申しておる。
 公方様が出陣為されるとあれば、我ら内談衆も御供仕るが当然。各々、戦の用意を怠らぬようにされよ」

「戦支度といっても兵を持たぬ我らの用意などたかが知れている。そんな大仰にせぬでも……」
「心構えの問題でござる。御覚悟を決められよと申している」

 今まで話に参加せなんだ備中守殿が突然に目を見開いた。
 ……眠っていたわけではないのだな。安心した。

「公方様のご出陣を願うということは、河内守殿は次の戦には参加せぬと?」
「そう言うことではない。無論遊佐勢は公方様の主力として軍勢を用意すると申しておる。河内守殿は遊佐家が側衆筆頭となって世の不興を買うよりは、自らは一歩身を引いた方が公方様の御為にも良いだろうと申されていたのだ。あまりひねくれた物の見方をするものではないぞ」

「左衛門佐殿はそう言われるが、元々我らはそれほどの覚悟があったわけではございませぬ。鷹狩に同行せよと言われ、鳥を追っているうちに気が付けば船に乗せられて淀川を下っておったのだ。
 我らとて領地もあれば、京に妻や子も残している。それらを気に掛けるなと言う方が無体でありましょう。
 ……もっとも、お手前だけは最初から全て聞いておられたのかもしれぬがな」

 備中守殿がチクリと嫌味を挟んでくる。
 我が父常興(大館尚氏)が直前になって自領に戻ったことを申しているのであろうが、儂とて事前に知らされていたわけでは無い。何度も言っている通り、父が自領に戻ったのは偶然なのだ。

「阿波へ向かった美作守殿(進士晴舎)は未だ戻られぬのでしょうか」
「まだだ。中納言様(足利義維)も河内守殿には含むところがあろう。だが、今はそれを曲げて共に六角征伐を成し遂げんと粘っておられるのだろう」
「あるいは……」
「あるいは、何だ?」

 刑部殿が口を噤む。
 どうせ『逃げた』と言いたいのであろう。

 どいつもこいつも情けない。仮にも内談衆として取り立てて頂いた御恩を今こそお返しする時ではないか。
 今働かずして、いつ働くのだ。
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